岩の橋 2
短く苛立った声を発したあとタークは岩橋目指して歩き出した。エボルスも標的が近付いていることに歓喜の振動をタークの右手に伝える。森には濃霧が立ち込めて視界を不明瞭にするが歴戦の勇たるこの騎士にはそれすら小細工にすぎない。
「エペイスト、パリエース」
エボルスの黒く剣身に向かって咲く棘の一本残らずを強化付与魔法のエペイストが包み込む。アキレスの加護を体現するこの呪文は魔蜘蛛の鋼鉄のような糸をただの鉄剣にすら容易く切らせる境界断ちの魔法なのだ。パリエースは歪んだ虹彩を滲ませて物理的な干渉を拒絶する。
エボルスは黒い抜き身の剣身をより鋭く先鋭化し甲高い鳴動を発する。その音はまるで音叉のようにきーん。と耳を裂かんばかりでやがてその音を不愉快に感じたのか岩橋の裏に隠れた魔が川に飛び込んだ。
「逃がさんぞ…ラザラ」
タークがその中位闇魔法を詠唱すると濃い霧が虚空に吸い込まれぱしゃりと炸裂したあとそこに光を吸い込んでしまいそうなほど暗く澱んだ魔法の長剣を無数に発生させた。もはや周囲を取り巻いていた霧もその魔法剣にたちまち吸収されて澄み切った空気に変化する。
ボボボボボボボボボボ!!!!
低い唸り声のような音を立ててラザラが逃げ去ろうとする魔に殺到する。川に落ちようが土に身を隠そうがエボルスの生命力探知によって増幅された標的には逃げる術がないのだ。ラザラは川に魚を獲りに潜航する鳥の如く鋭い角度で舞い落ちて高い水柱を立ち上げる。
ギゥエッ!!!!!!グババアアアア!!!!
水中から発せられた絶叫は哀れに思えるほどみっともない声をあげるが魔の気配は消え失せるどころかより輪郭を明確に映し出すほどの強烈な魔力を放出した。タークには聖眼はないがその魔力が殺気となりエボルス越しに感知することができるのだ。どうにかタークの闇から逃れようと対岸に打ち上がり不気味にばたばたばた。と音をたてて岩橋の向こうにその奇怪な影を覗かせた。
「陸に上がったか…」
眼前の岩橋を挟んで、魔の正体がいよいよ明らかになった。打ち上げられた陰影がその異様な風体をまざまざと浮かびあがらせるがタークにしても初めて見るタイプの魔族だ。薄氷のような騎士の口元も意識せず歪む。
人を凝縮させたとでもいうのだろうか。手足が謎のぬめった鱗を押し上げるように無数に伸び、その指先からは毛髪のようなものが金銀黒茶と色とりどりの冒涜的な色彩を放ちながら異様の核を隠しきれずにボサボサと垂れている。頭部や急所の見つかりようがないほどのその“枝”の合間にはラザラが突き刺さったであろう刺し傷があり、濁った邪教の血を吐き出して呻いている。
(こいつ人を捕らえて取り込んだのか!!)
「みつけたみつけたみつけたみつけたみつけた!」
タークの思考を破壊するような狂気の声明がおおよそ姿を人で覆った内側から発せられる。もはやタークの怒りが具現化したようにエペイストで包まれたエボルスはより黒く鋭くなり蹂躙された人々の叫びを代弁するように甲高く喚き散らした。
キィイイイイイイイイイイイイイヤアアアアア!
「殺す!」
「ころすころす!ころすころすころすころす!!」
愚弄するような邪悪が歪に蠢動してごろりと傾きタークに向かって手足を狂ったようにバタつかせながら岩橋を踏破せんとする。タークの脳裏にはこの魔族に囚われた人の虚しさや恐怖がくっきりと想像できた。この悪夢のような状況を察したか老人も戦慄めいた表情を浮かべて荷車から覗き込んでいる。
(あの老人の比ではないほどの苦痛が…許せん!!!)
タークはさながら修羅の如き剣幕で邪神に対峙する。アルウェンシスが滅びたという嘘のような噂が最早確信に変わってしまっていた。




