魔の海
ペレイデスが伸びやかにその暖かい波長の光を天一杯に伸ばしていた時分であっただろうか。私は白い石造の、この大きな宮殿のような叡智の結晶を集めた学院の窓から、遥か東の地平線の向こうに天に登る巨大な、いや、天を割くような赤い閃光をこの瞳で捉えた。
昼時、暖かい風にまどろみかけていた我々の意識のように、弩級の魔力に当てられた魔獣の核である魔石もつい先程まで机の上にあった光をまるで“そこ”から逃げるようにしてその美しさを隠してしまった。
七百名弱の我々学徒の中に、その火山のように噴出した魔力の真相を知るものはいるのだろうか。“それ”をおそらく全員が見ただろう。雲を押し上げるようなというか、もはや表現の幅を超えた空気の振動が殺到したのだ。
神殿じみたこの大教室の構内には、賢者や神域を生きてきたかと思うほど研ぎ澄まされた知識厚い者が集っていたはずだが、阿鼻叫喚の様子を見るにどうもそういうわけではないようだ。
あるものは地殻深くにある星の魔力が炸裂したといい、またあるものは魔界の先端が開かれ強大な複合邪教魔法がピレナ海に注がれたのだとか、神の祝福であるとか、様々な真偽不明の論議で溢れかえっている。
私も小さい脳で様々考えを巡らせてみたが、伝承にも我々が日々研究しているような古代の魔術書にも、そんな記述はないし、かの高名なコンスタンス公爵の名著にすら該当するようなものは見当たらない。もはやここに集った魔術を学ぶ者でなくても世界の人間がおそらく捉えたであろう。きっと魔獣でも魔族でももぐらでさえ目撃したはずだ。それだけは確信できるほどの異常なのだ。私は世界の終わりを直感した。
そして、いよいよ神でさえ知りようのないであろう次の出来事が発生する。高く登った赤に向かってそれを打ち据えるように蒼白い魔力の柱が突如現れたのだ。その色は我々が日々慣れ親しんだ魔法の色ではあったのだが尋常ではない。尋常ではないのだ。やがてそのニ柱は混じり合って紫の超閃光を放つと天に輝くペレイデスより巨大な魔の惑星を次元を砕いて現したのだ!
世界の理の中でのんびりと生きてきた者たちは正気でいられたのだろうか。この殿堂の中でさえ恐怖狂気が渦巻いているのだ。どれだけの時間それが現出していたのかはわからない。時の感覚だけではなく私の五感まで凍りついていた。あとで一刻ほどであろうと聞いたがそれすら信じられないほど長く恐ろしい時間だったのだ。
やがて、空に浮かぶ魔星はゆっくりと邪眼の瞼が閉じられていくように姿を消し。その際に零れ落ちた魔星の、黒煙の海のような涙が、ユーリキニアに注がれたように見えた。今思えば、それは細かな魔の群れだったのだろう。誰もが口を閉ざした世界に、穏やかな鐘の響きと邪悪な叫びが木霊した。神と邪神の戦いなのだろうと直感した。
それから一日としないうちに、直ちに王国全域に戦時立法が可決された旨が告知された。数日を待たずに磨き抜かれた純白の王都に、辺境問わず様々な英雄達や我々のような魔法師、神官が呼び寄せられ、有名無名の貴族もそこに参列した。神に祝福を受けた異能持ち達も足を揃えている。
強大な大国でさえこの軍勢には敵わないと思えたが今回の相手は人間ではない。もうすでに北東の北国ブーファン、ガステリア皇国。東の大島ファルゲは滅びたと聞いている。
王都にすら入りきらないほどの兵の渦が歴史深い王都の周囲に幾万の壁を築きあげている。けたたましい軍靴の音と讃美歌、異国の歌が空気を震わせた。女子供の見送るような泣き叫ぶ声もかき消して。私には遂に妻子はいなかったがそれが幸福であったと今は感じられる。日常は消え失せた。
最前列の王都直轄第一軍からいよいよ出陣のラッパが鳴り響き、歴戦の楽団が凱旋の旋律と奏でた。喜ぶような音色が、凱旋もできないだろうに粋な事をするな私には思えた。いよいよ人々が原罪を削がれて天に還る時がきたのだなと。
「進めええッ!この勝利を神々に捧げる!!!」




