スピリット 2
マリリスとフェティダは、ペースを保ちながら辺りをしっかりと警戒しつつ、偵察班が残していった青く染められた石の目印をたどる。後続の彼らの役割は、一定の間隔を置いて魔物避けの香料を散布することと、開けた視界の良い領域に野営陣地を設営すること。村を出た時の算段とは異なるが、ガリカで買いこんだ装備品が早速役に立っているのは、貧乏性というか、しっかり者のマリリスにとっては嬉しいことである。
ペレイデスに鋭く照らされた岩だらけのなだらかな傾斜の先に、切り立った剣先の連続の如きよ連峰が見える。ところどころに点在する針葉樹の高木が、ここが自然の厳しい土地なのだと示す。冬はおそらく魔獣も立ち入るの戸惑うほど恐ろしい寒気が包み込む土地なのだ。アルバとグラウカの歩んであろう形跡が、ほこりのように雪をかぶった道の先に続いている。まだ季節は秋の始まりだが油断は死を生む。過去、二人はその危険性をありありと見せつけられた。
ーー野営陣地をつくれるようなところは、この旅順にはおそらくないのかもしれないなーー
フェティダは後ろ向きに思考した。買い込んだ装備は多く重いが、万全には違いなかったし、ゆっくり休んだおかげで体調もすこぶる良かったはずが、変に気持ちが落ち込んでいるように感じるのだ。
ーー乾くような狂わされるような焦った感覚。こんなことはなかなかなかったはずなのにーー
マリリスはそんな調子のフェティダを気遣うように見上げては考えるように押し黙って、落ち着かないよう様子で前方の傾斜した道のりと褐色の弓兵とを、ちらちら交互に見ている。
彼らが先遣隊を追うべくしてしばらく進むと、グラウカ達の落としたであろう目印が、びっしりと密集して落とされた、奇妙に整地された奇妙な台地に辿り着いた。それまでは自然が作り出した雄大な景色かつ険しい道ではあったのだが、ここは明らかに異質で、まるでそこだけが切り取られたかのように恐ろしくすっきりとしているのだ。少し天然の気があるマリリスもこの場所の異様さに気づいた。
「ねぇフェティダ……ここ変だよ! 目印もこんなにたくさんあるしグラウカ達に何かあったのかも……」
「そうだね……。アルバさんもついているし心配ないだろうけど、俺たちも戦わなきゃいけないかもしれない。マリリスも戦闘の準備をするんだ」
「うん……」
不安げな少女と、気分の落ち込んだ弓兵の二人は、それぞれの武器を素早く取り出し、構えた。気づけば先ほどまで断続に吹いていた冷たい風が不思議に止んでいる。マリリスはすでに、詠唱をいつでも開始できるようにと精神を集中させる。フェティダも新調した弓に矢をつがえ、抜け目なく周囲をくまなく索敵する。その時であった!ーー
ーーフェティダ達が登ってきた道を、何者かが今まで浴びたことのない殺気を纏って近づいてくるのがはっきりとわかる! フェティダはそのまなじりを一層険しくすると、背後を見て、叫んだ!
「マリリス!何かいるぞ!!」
まるで、その叫びを合図にしたかのように、どこからともなく、ぞっとするような水の半透明の人型が、ぼやぼやと歪みつつ伸縮しつつ現れた! その身体はフェティダの知っているスライムなどとは違った明確な精神が宿った挙動をして彼らに接近している!
「ヴルラシュ!」
辺りをキョロキョロと不安げに見渡していたマリリスが、フェティダの声でハッとしたように即座に振り向くと、それを視界に捉え、即座に杖を回転させながらヴルラシュを唱えた! 詠唱を終え刹那、光の光弾ヴルラシュが無数に現れ不定形の水人形と二人の間を遮るように広範囲の壁を発生させた! マリリスがアルバから伝授されたそれは、ひとまず防衛に徹して敵の動きを見るための最善策である。
眩ゆい光によろめいた水人形を、フェティダはその均一なヴルラシュの弾の隙間から、思い切り力を込めてつがえていた矢を放つ! 剛弓と高い技量から放たれた矢は、その軌道が白く空気に線を出すようにして、超高速で謎の生命体に直撃する! そして、その身体は一部大きく弾けて硬直したのち、二人の原初の生存本能を引き摺り出すような声をあげた!
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!
思わず凍りつくような絶叫がそのおどろおどろしい怪物から発せられ、怒りくるったそれはぼたぼたと身体を溢れ落としながら予想を超えた凄まじい速度で接近する! 落ちた部位のいくつもが本体を追って岩場をナメクジのように這いずり追いかけて来ている!
……た…ぼた……ぼた…ぼたぼたぼたぼたぼた!!!!
…ィァァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!
その歪な光景を目にしたマリリスの眼は、恐怖に完全打ち砕かれその身体はぶるぶると震えている。そして今やその恐怖の根源が、マリリスの展開した光のフェンスにぶち当たろうとしているのだ! 異形が間近に接近し、二人はさらに戦慄した!
フェティダはなんとか正気を保っているが、まともには直視することは絶対にできない! その水のゼリーのよう悪霊の表面に口や眼や耳、指が無数に狂ったように蠢き散らかしている! 冒涜的な権能を顕現させたような発狂の悪夢なのだ!
ーーこんな化け物がスピリットなのか!ーー
フェティダは化け物を近づけないと次の矢をつがえたが、それより一瞬早く、化け物が光の密集した光壁に直撃する!
ディイイイイッダンッ!!!!
雷に撃たれた湖のような、かつて誰も聞いたこともないだろう音が、瞬間的に発せられて、その霊体とヴルラシュの接点をビリビリとふるわせ炸裂させた!
ミギィイイイイイイイイイイイイイイイッ!!!
奇怪な炸裂音とともに飛び散った、凶々しい猟奇的なパーツがマリリスとフェティダにバシャバシャとこびりつく。フェティダは勝利を確信したが、その穴だらけの邪霊を見て考えを即座に改めた。
死んでいなかったのだ。この邪な化け物は、もはやその本来の姿が見えないほどの風穴を開けられてなお、不気味に笑うように縦に横に伸び縮みしながら、のそのそと速度を落としあゆみ寄ってくる。マリリスはもうそのあまりの悍ましさに現実を直視できず、卒倒した!
ーー二人とも殺される! なんとかしなければ!ーー
恐怖と切迫した確実な死の予感に震えながら、フェティダは親友グラウカの愛する人を守る為、その残された短い時間で必死に考えた。しかし辿り着いた答えは意識するところとは別の無意識から生み出される。腰に下げた乾き切った古い短剣に霊体の欠片がこびりついていた。
石剣は砂のようにその穢れを沁みも残さず吸い尽くす。
フェティダの身体は自然に動き出して短剣を握った。
慟哭するような灼熱の圧が魔力を伴ってその真の姿を現す!




