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砂漠の騎士  作者: 波崎ひかる
第一章
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カランコエ村のルビギノーサ 2



 少女は目覚めると、首をさすり、右手をみた。身体もすっかり汚れが落ち、真っ白な白いタオルケットがかけられている。汚れた衣類は窓際に小さくまとめられ、部屋には穏やかな顔をした女と、背の高い、すらりとした不機嫌そうな男が、それぞれ黒髪を太陽に青く光らせて、こちらを見つめている。




 どこかでみたような瞳だ。

 優しい穏やかな瞳と険しいが少女を案ずるような瞳。




 少女は家族を知らない。赤ん坊の頃に人攫(ひとさら)いに売られ、奴隷として生きてきた。最初は貴族の農奴(のうど)として、他の奴隷達とともに生かされたが、そのうち貴族の長男に目をつけられ慰(なぐさ)みものされそうになった。


 謎の障壁が阻んでくれたおかげで、なんとか企みは果たされずに済んだが、それからは地獄だった。毎日鞭で打たれ、首輪や枷をつけられて、畜生の如く扱われた。やがてすっかり骨と皮だけになると、貴族も戯れに飽きたのか、短剣一本を渡されて、沢の近くの山に棄てられた。



 最初の日、少女の血の匂いに釣られた、大きな灰色の野犬が一匹現れた。てくてくと周囲を歩き回って涎(よだれ)を垂らしていたが、やがて何故か少女に寄り添って、眠りはじめた。いつ食われるかもわからない恐怖でおかしくなりそうだった。夜が深まり、少女が疲れ果て眠ると、野犬は起き上がり森の中に立ち去っていった。


 次の日、少女が朦朧とするなか目を覚ますと、脚の折られた兎が目の前に置かれていた。少女は農奴として働きながら、たまに野うさぎと遊んでいたし、兎は小さくてふわふわで、可愛いくて大好きだったのだが、空腹が堪(こら)え切れずに仕方なく、短剣で刺し殺し、食った。ばくばくとした小さな拍動の手応えを、まだ思い出せてしまうほど。


 その次の日、久しぶりに食事を取れたおかげか、身体が動くようになり、喉が無性に乾いた。起き上がり、せせらぎの聴こえる沢までなんとかたどり着くと、身体を清め、水を飲んだ。痩せて擦り切れた体のあちこちが沁みて痛んだが、その痛みで生き返ったように感じて、あたりの自然の素晴らしさに気がついた。深い森。でも日差しは明るくて、ほっとするような、冷たさと暖かな自然の森。

 

 それから日が経って、少女は木の実を食べたり、兎を狩ったりし、村を見つければ人のいない間に、盗みに入った。小さな獣達と戦う技術も徐々に洗練されてきていたが、森で仕事を終えて木のウロで眠りにつこうとした時、再び、あの野犬に出会ってしまった。大きな大きな野犬。灰色の身体に、毛布のような豊かな毛並みを持つ森の主。


 しばし野犬は少女をじーっと見つめると、身体を回転させながらふんわり突進し、つんのめって倒れた少女の身体をぺろぺろとなめる。不思議に痛みはなかった。それだけして満足したように吠え、また姿を消す。

 その日を境に、野犬はたびたび現れては、何度も何度も同じ回転突進を繰り返し、ぺろぺろと少女舐め、消えていく。

 少女もわけがわからず、きょとんとしていたが、なんとなく野犬の意図するところがわかり、少女はそのふんわりとした回転動作を、沢に飛び込みながら練習し始めた。

 ある日などは、飛び込むための巨岩に戻ると野犬が現れ、少女ぺろぺろと褒めるように舐めた。少女もなんだか嬉しくて、盗みの暇を見つけては、野犬の動きを思い出し、猛烈に練習した。


 それからさらに日が経って、完全にコツを掴み、洗練された動きを少女が見せると、沢に現れた野犬は威嚇し、吠えては甘噛みを繰り返しはじめた。徐々に威力をます歯牙に狼狽えたが、意思のある殺意を野犬から感じて、必死に逃げ回る。野犬は少女に見せた突進を、加速を上げ、何回も何回も繰り返して、殺そうとする。


 少女は遂にこの大きな灰色の森の主の意図を知った。戦わねばならないのだ。

 

 そして、ぼろぼろに錆びて砕けそうな短剣を構え、泣きながらその技を放つ。同時に野犬もカナリウス(大気を司る神)の神速の如き風を纏って突撃する。眼前に見えたその巨大な灰色の野犬の瞳は、厳しくも悲しそうで、牙は何故か、しまわれていた。


 二つの竜巻が激突する少女等の纏った風が、次第に大きな渦を巻き、枯葉を巻き上げ、低木を粉砕し野犬の遠吠えじみた怒涛の咆哮を生み出した。そう、遠吠えのような回転の剣線。


 爆発的な巨大な衝撃波が、森を揺らす。

 徐々に静まりかえる森で少女と野犬は倒れ込んだ。


 少女は全てが終わったあと、血だらけの野犬に近寄る。野犬は前足で幼い少女を抱き寄せて、ぺろぺろと優しく少女の涙をぬぐった。

 そして残った力の全てを野犬は振り絞って少女を寝かすと、そのそばに寄り添って、穏やかな顔のまま、息を引き取った。暖かい野犬の温度はは少女にはじめての暖かさをくれた。生きる強さも。




 黒ずくめの男と女の衣服が差し込むペレイデス(太陽)によって染められて灰色に染まる。



 少女の名前はルビギノーサ。

 誰につけられたのかもわからない

 記憶の奥底の宝石のような名前。



 「お父さんお母さん……おかえりなさい」


 緋色の瞳から涙が一雫。溢れて、落ちた。



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