カランコエ村のルビギノーサ 1
タークは年季の入った空き宿の二階部分の部屋から、村を遠目に見渡して、ひとまず村人の気配がないことを確認した。ペレイデスは登り切らずに、のろのろとしながら、鈍い光を雲を通して放ち、広葉樹のリンゴの森を照らしている。空き宿から手前側のいくつかの家々は、幾周刻からかは判別がつかないが、腐りきった壁材などをみれば相当に長い間空き家となっていたらしかった。
先程の少女との戦闘には村の者達も気付いてはいないのだろう。穏やかな斜面から急激に伸びる、険しい連峰の断崖には、見たこともない種類の山羊達がぴょこぴょこ器用に駆け上っている。
タークが先程まで横になっていた、朽ちかけの木製の寝台には、盗賊の少女が安らかな寝息をたてて、眠っている。手首や足首には無数の細かい擦り傷があり、身につけた薄汚れた衣類は奴隷特有のものだ。ときおり寝返りをうちながら、小さく呻めき声を発するがそれも悲壮な過去に由来するものなのかは、判別のつきようはなかった。
「サウンデル。こいつに色々教えてやれ」
サウンデルの心境は複雑であった。ことが起こるまで、この主人のことは、振る舞いに少し棘のある魔剣使いの騎士程度にしか考えていなかったが、惨い仕打ちを幼い少女に与え、加減はしたのだろうが少し間違えば殺していた。そして、それを治療したうえ、漠然と何かを教えろと言っている。恐ろしい二面性を感じながら、困惑した。だが人間が好きなサウンデルは、少女にできる限りはしてやろうと、甲斐甲斐しく答える。
「かしこまりました。身体は拭いてあげてもよろしいですか?」
「お前がしたいなら止めはせん」
タークはぶっきらぼうに答えた後、壁にかかったビオイデスから、水桶を二つと、真っ白な厚手の布を、いくつか無造作に取り出した。少女が眠る寝台の近くにそれらを置き、クアを唱えて二つの桶を水で満たす。そしてサウンデルに白い布を渡すと、黒いマントを持って部屋から出ていった。
主が出ていった寝台と、椅子と砕けた花瓶だけの部屋で、サウンデルは少女の服をそっとぬがしてやる。泥と土で固まったブーツは歪んでいるし、革の衣類はところどころに不慣れな補修の跡があり、これしか服がないのだろう。と容易に推察できる。服のしたの身体は、鞭で打たれたような跡が色素沈着して、無数の傷跡が、胸や背中だけでなく、全身に溢れていた。
人の姿をした魔馬は、桶に布を浸し、最初は多めに水を含ませ、撫でるように少女の身体を拭いていく。こびりついついた汚れが水に浮かされて、徐々に剥がれ落ちていくが、まだ充分ではない。それを数度繰り返したあと、新しい布で綺麗なままの水桶から水をさらい、固く絞り、できるだけ優しくこすってやる。
少女の身体がすっかり綺麗になる頃には、二つの水桶は様々の種類の汚れと垢で、いっぱいになった。先程までゴブリンと見間違えてもおかしくないみすぼらしさではあったが、今は白い肌に残っている縞のような傷が、逆に虎の様で奇妙に美しい。見れば、ずいぶんと整った顔をしているし、しっかりした服さえ着ていれば、いずこかの姫に見えないこともないだろう。サウンデルは、タークからかけてもらった大切なタオルケットを、少女にかけてやった。母親のような、優しい青い瞳が潤みながら、長い黒髪の少女を見つめる。昔のわたしにこの子は似ている。そんなことを魔馬は思った。
しばらくして、そろりそろりと変に足音を消しながら、タークがそっと帰ってきた。なぜか鎧は外しており、黒い襟なしシャツと、すらっとのびた脚によく似合う、これまた黒のスラックス、黒く紐も装飾のない革靴を着こなしている。右手にはりんごを持ち、畳まれたビオイデスが掛かっていて、さながら執事のようだ。この意図不明の男は、兜で隠されて男前の顔を不機嫌そうにして、言った。
「サウンデル。これからはデルと名乗れ」
「かしこまりました……しかしその格好はどういうことでしょうか?」
「あの鎧は村を歩くには目立ちすぎる。しかもあいにく別の鎧などはない。お前の名前も誰かが知っているやもしれんし、なるべく戦闘を避けて情報を集めたいのだ。わかったな?」
「承知いたしました……」
「あとお前には別の服をやるから、この娘にはそれを着せてやれ。背丈も似ているしちょうど良い。」
タークがサウンデルの召し物を指差すと、寝台に寝かされた少女が、可愛いらしいあくびをしながら、目を覚ました。




