少女盗賊 1
ぺろぺろ。タークの耳を何かが舐めている。小さな舌先がゆるゆると耳の筋をゆっくり伝い、吐息を潜ませながら、唾液でぐじゅぐじゅにされたそこをまたゆっくり舐めとる。
んちゅぺろぺろ…
んっ……たーふはまひもひいいれすか?
タークはそこで飛び起きた!
「エボルスッ!!!」
タークのいる小さな宿部屋らしい壁に引っ掛けられたビオイデスを視界の左に捉え魔力を投射した。
ーー今すぐにこの淫魔の首を跳ね飛ばしてくれるわーー
ビオイデスから凄まじい勢いで黒い閃光が射出され、側に置かれた寝台の花瓶を粉砕してそのまま左手に収まる。エボルスは低い唸るような振動音をゔゔゔ。と短く発して、何故かすぐ泣き止んだ。
タークはこの瞬時の間に何が起きているか理解しようと努めたが、目覚めたばかりのぼやけた意識と、目の前の見知りもせぬ小さな少女が集中力の行き先を迷わせる。エボルスの禍々しい地獄めいた棘も不思議に殺意の慟哭をやめ、不恰好な剣身をただ、みすぼらしい謎の部屋の空気に晒している。
「……貴様何者だ。淫魔ではないようだが返答次第では叩き切る。この見知らぬ部屋もすでに無詠唱のパリエースによって出口は塞いであるし、俺に手出しすることも叶わぬぞ」
エボルスは、その剣身の奥に宿した虹晶石の触媒によって、杖さながらの無詠唱を行使することのできる、珍しい長剣でもある。子供であれば泣き出してしまいそうな顔と、眉間の皺のタークに少女が答える。
「私がわかりませんか?ご主人様……」
こんな年端のいかない、ニヤけた少女を従者にしたこともないタークであったが、舐めるように少女を見つめると、いくつかおぼろげに見たことのある衣料を身につけている。
タークによく似た、青光りする黒髪は首元まで短く切り揃えられて、その背の低さによく似合う、黒と青を基調にしたメイド服を可憐に着こなしている。光沢感のある黒い革靴と黒水晶で作られた耳のようなトゲのカチューシャ。
「さ、サウンデルなのか……」
「はいっ!」
「どこでそのメイド服を持ってきた……」
「ビオイデスですっ!」
サウンデルには色々に驚かされる事も多いが、ここまでやるとはタークも思わなかった。はぁ……。と溜息をついて、小さな小窓から外を見る。
ーーいちおう、村には辿り着くことができたようだし、俺が寝泊まりするところまで交渉するにせよ、隠すにせよ、人の姿が必要なのはわかるが、小さい頃、リリウム様がねだって王都まで買い付けたこのメイド服と、エボルス避けのトゲの頭飾りまで拝借するとは……ーー
ーーしかも王都の図書館で借りてきた魔技『耳舐め』の本まで読んで呪い避け……ーー
「本当に盗賊かお前は……節度を知れ!主人である騎士が蛮行を許すと思うか!」
「もうしわけありません……しかし盗賊ならビデイオスに閉じ込めてますっ!」
サウンデルは元気良くハツラツと答えたが、タークはいよいよ訳がわからなくなった。あまつさえ駒に姿を変えたり、小さくなったり、人の姿に変わるこの魔馬も奇怪で不可思議だが、盗賊を捕らえ、ビオイデスに閉じ込めたというのは、それこそ考え及ばぬところである。しかし呆然と逡巡したが、このままでは埒が明かないことは明白であったので、タークは状況把握からはじめることにした。
「村だな」
「はいっ!」
「それも寂れた村」
「はいっ!」
「人は?」
「十八人ほどです!家は空き家も含めて十七軒ですっ!」
「ここは?」
「宿屋です!ただ人はいないし埃や蜘蛛の巣まみれだったので掃除しておきましたっ!」
「そのハキハキとした喋りをやめてくれサウンデル…。2相当鬱陶しいぞ」
「はいっ! あ……はい……」
「盗賊はどうした?まさか殺して捕らえたわけでもないだろう。具体的にまとめて話してくれ」
埃っぽい部屋の中で、先ほどまでスカートのエプロンをつまんでぱたぱたさせながら元気よく喋っていたサウンデルは、露骨に落ち込んだふうに肩を落としながら、しょんぼりぽつりと喋りはじめた。
ーークソ……この駄馬め。少女の姿では気の毒になってしまうだろうが……ーー
魔馬の皮肉のようなあどけない姿を、曇った窓から差し込んだ朝日がぼんやり照らす。前途多難である。タークはそう思った。




