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19:懐かしい時代の夢

「我が夢儚くも破れたり。ぐすん」


 茶色い木片を顔にくっつけたまま、ミュピーラはぐちぐちとずっと泣き言を言っていた。


「ええ。ええ。わかってましたとも。どーせわたしみたいな亜人種の弱小種族、ぜったいに魔王になんかなれないんだってことは。でも……」


 ミュピーラは顔を上げ、今はひとりもいなくなってしまった部下の姿を求めるようにあたりを見た。


「慕ってくれる同胞がいるんです。ちょっとくらい、野心を抱いたってよいじゃありませんか。減るもんじゃありませんし……まあ、さすがにもう底を尽きましたけど」


「おい。いつまでごにゃぐにゃほざいておるのか」


 コルデッスが手に握った信任状をまた振り回した。かれこれ三十回目だった。


「貴様の“しるし”を早く差し出せ。往生際の悪いことを言うと、本当に往生させてしまうぞ……この人類が」


「えっわたし?」


 ロガーノはコルデッスを見た。


「部下の生殺与奪くらい、自分で握ってくれよ」


「悪いが今は血流のめぐりが悪く、本来の握力を発揮できないのだ……ほら」


 コルデッスは不可思議な言い訳とともにロガーノを促した。


「あの人魚の時のようにやってくれ」


「やっぱりわたしがやるの……ええっと、君のしるしってのは何かな? できれば、あんまりくすぐったくない場所にあるものだと好都合なんだけど」


「くすぐ……えっ? 何の話? まあいいけど……」

 

 ミュピーラはしぶしぶと言った様子で、手で髪の毛を触ると、そこから一本の毛を抜き取った。


 それを見るや、たちまち信任状の意識が覚醒し、魔犬じみた食欲で食らいついた。


「うわ。きも」


 リソマーリがつぶやいた。


「おい。そんなことを言うな」


 コルデッスがたしなめた。


「傷つくだろう」


「何……あんたが?」


「いやこの信任状が」


 くぅーん、という悲しそうな声が、四人の間を流れていった。


「えっマジ? ついてくんのキミ?」


 里に戻り、大公爵の討伐を族長に報告した直後、リソマーリの決意を聞かされたロガーノは以上のように反応した。


「いけませんか」


 いけないとは明らかに思っていない様子だが、リソマーリはそう言った。


「いやあ……どうだろう」


 たいていの人が困惑の際示す癖をこの勇者様も持っていて、彼は無意識下で利き腕を後頭部のほうへと持っていき、ありもしない発疹を掻くしぐさを演じた。


「き、きみはどう思うかね?」


「われ?」


 ロガーノに意見を訊ねられたことなぞ初の経験であったため、魔王としてあるまじきどぎまぎした様子を見せつつも、つとめて威厳を保って答えた。


「わ、我はべつに、構わぬぞ。うむ。そうだな。臣下は一人でも多いほうがよいからな。うん。それだけ我も安心できるし……」


 見事にフェードアウトしていく言葉であったけれども、同意の意思だけはロガーノにも読み取れた。


「魔王は死んだようですけれども、けっきょく、世界に平和を取り戻す、という目的に変わりはないのですね」


 リソマーリは言った。


「わたしは姉にはとうてい及びませんが……それでも、いないよりはマシでしょう。同行させてください。いいですか。いいですよね。いいと言ってください。言って。言え。言いなさい」


「いいですいいです。何の問題もありませんとも。ええ」


 また包丁の気配を感じたロガーノは慌てて言った。死なせてしまったツシヌレの代わりに、妹のリソマーリが加入。ふむ。これって責任重大なんじゃないの。


 もしツシヌレの身にまでなんかあったら、わたし、あの世でツシヌレに合わせる顔がどっかいっちまうぜ。そんならいっそ地獄に行ったほうがマシってもの。


 地獄行きを回避するためには……何としてでも、リソマーリを生かさなければ。


 というような決心はだいぶ後になってからなされたものであり、とりあえず今、彼の頭の中では、また包丁を持ち出されたらどうしましょうという心配のみが支配的なのであった。


 空の星々が撃ち落とされるそうぞうしい音で目が覚めると、夜はきれいに拭い取られ、透き通るような朝で天とご対面。


 しかしロガーノにも、ついでにリソマーリにも、その対面をまったく喜ぶような余裕はないのだと知ったら、朝の女神もさぞかしショックであっただろう。たぶん三日は寝込むね。


 信じられないようなものを見た、というような顔をしたロガーノは、気前よく提供された里の家のひとつから歩き出てすぐ、信じられないようなものを見た、というような顔をしたリソマーリが、同じように自分の家から歩き出てくるのを見た。


 ふたりは同じものを見たにちがいなかった。


「ふっ。お早う。さあ今日も今日とて我の快進撃の幕開け……おい、エルフ、人類、なんだその顔は」


 不眠症とは千年に渡って縁のなさそうな顔をしたコルデッスが、怪訝そうにふたりの顔を見比べた。


「死人にでも会ったような顔だぞ。まあ、我は城にいたときしょっちゅう見かけたが……正直、埋葬されてから日が経ったものは臭くてたまらん。ちゃんと体を洗えという規則が、後少しで受理されるは」


「み、見ましたか?」


 コルデッスの話をぶった切ってリソマーリは訊ねた。


「見たみた。見ましたとも。いやあ、おどろいた」


 ロガーノはゆっくりうなずいた。


「どうせならもっと早く出てきてくれてもよかったのに」


 彼らはツシヌレの夢を見たのだった。

 

 彼女は言いたいことがあるようだった。

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