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16:ふさわしき褥

「イタタタ、こら、何をするか、やめろ。やめないと……う、う、う、ウッ……出るかもしれないぞ」


「いいぜもう全部出せ。一番出してもらいたくなかったものがもう出ちまったんだし」


「何だ言わないほうがよかったのか? ひょっとして……秘密だったのか?」


「もういいんだ。ただ何も喋らないようにしてくれればいい」


「それなら口を閉じればいいだけだろう。この我の首にかかっている手はなんだ。首と口の区別もつかんのか。愚かな人類……あ、すみません黙りますだまりますから首締めるのはやめてください」

 

 リソマーリはずっとうつむいていた。その目はうつろをたたえている。


「あ、あのう……」


 おずおずとロガーノは声をかけた。


「……死んでしまったのですか、お姉様は」


 リソマーリは言った。


 ロガーノはうなずいた。それはまるで、首を吊られた罪人がうなだれるように見えた。


 何たる無能よ、と、ロガーノは自分の舌を出血するまで力を入れて歯を当ててやりたくなった。このようなとき、どんなことを言えばいいのだろう……


 正しい言葉は何もなく、というのは、もはや起こったしまった出来事を変えるようないかなる言霊も、この現実の世界には存在しないからだ。


「死なせてしまった。きみのお姉さんを、ツシヌレを、ちっとも守れなかったんだ」


 リソマーリは黙っていた。コルデッスでさえも、この場の雰囲気に気圧されて、今は軽々しいセリフを慎んでいるようだった。


「なんとなく、わかってました」

 

 リソマーリのその言葉に、ロガーノの胸の内は裂ける。


「そりゃ、なーんも言わないで行っちゃったんですから、最初は、うん、頭にきましたけれども。でも……」


 彼女はロガーノと、そしてコルデッスをも見た。


「今日初めてお会いしたけれど、二人とも、なんだかとてもたのしそう」


「は? どこが……」


 コルデッスは何か言いかけたが、すぐにやめた。リソマーリが笑っていたのだ。


「ロガーノ、さん……? きっとお姉様も、あなたと一緒にいて、さぞかし楽しかったのだろうと、わたしには思えます。だから……」


 此度の笑顔はとびきりだ。


「あんまり、自分を責めないでくださいね……」


 その夜、ロガーノが岩盤に押しつぶされる夢から目覚めると、胸の上にリソマーリが乗っていた。


 手にはギラつく包丁だ。


「まあやっぱりこうなるよね」 


 今すぐあの悪夢の中に戻れんものでしょうかと思いつつ、ロガーノは言った。


「いったいあなたは、あなたは、あなたは、なにを、なにを、なにをなにをなにを」


 怒りのためリソマーリの声はゆらぎ、幾重ものエコーをまとって聞こえた。その反響はすべてロガーノへの恨みつらみが十全に込められていて、おっかない。


「勇者。は。は。どこがぁ? 世界より人より平和よりどうしてどうしてどうしてわたしの、お、お、お、お姉様ああああああああああ!」


 絶叫とともに振り下ろされた一撃は、ロガーノの心臓めがけて飛んだ。


 すばやく彼は体をよじり、亡き盟友の妹君に対して払える最大限度の配慮をもってして、できるだけ優しく姿勢を崩させたつもりだったが、案の定うまくいかず、結果として盛大な打撲音が寝室に響くこととなった。


「うわ、死んだか?」


 ロガーノは床をのぞきこんだ。


「死にませんよ! あなたをぶち殺すまでは!!」


 胎児なみの大きさのタンコブを頭にくっつけたリソマーリが、割れた床板の合間から飛び出してきた。


「50年くらい待ってくれたら勝手に死ぬんだけどな」

 

 ロガーノはヒトとエルフの寿命のちがいについて彼女に指摘した。


「あっという間だよ。あっという間。言うでしょ、ほら、ヒト三日会わざれば安否確認してみよ、なんて」


 そんなロガーノのバカ話を聞かされのはごめんだと思ったのか、いやそういうわけではないのだが、とにかくとっくにリソマーリの姿は消えていた。


 それと入れ替わりに、コルデッスが眠り込んでるはずの部屋から、当のコルデッスの悲鳴が上がった。


「やっぱ起きなきゃだめかあ」


 ロガーノはしぶしぶベッドから身を起こし、あまり気乗りしないようすで、というかほんとに気乗りしてないのだが、そんな足取りでコルデッスの部屋の戸を叩いた。


「閣下、ご無事か?」


「んんぐんぐんぐんぐぐぐぐぐぐん!?!」


 コルデッスの返答は以上のようなものであった。


「よかった」


 ロガーノはほっと息をついた。


「いつもどおりだ」


 とはいえその返答の音量たるや凄まじきものあり。


 こんな号哭が夜中じゅう続いたならば、彼が再び夢の世界へ飛び立てる確率は真夏に雪の精とお目見えできるそれよりもはるか低みを見るといわざるを得ない。


 雪の精は当たり前だが冬にしか目撃例がなく、その目撃例も九割方は目立ちたがり屋のでまかせ屋の大ホラ吹きのしわざである。


 しかし残すところの一割はモノホンであり、これに該当する人物は、限りなく心清らかなる子供とか、雪の精が棲まうと言われる極寒の氷河森林へノコノコでかけていくような大馬鹿者かのどちらかであり、ロガーノは後者に該当するのだった。


 そんな大馬鹿者は意を決し修羅場へ踏み込もうとしていた。


 部屋に入るとすぐ、首に包丁を突きつけられ、哀れを誘うほど完全に組み伏せられたコルデッスの姿と、首に包丁を突きつけ、完全に彼女を組み伏せているリソマーリと遭遇。


「あんまり夜中に見たいものじゃないな」


 ロガーノの漏らした感想は無視して、リソマーリがまくし立てた。


「いったいどういう神経!?! 魔王、魔王の直系なのですよこやつは!! まあそりゃあんまり力があるように見えないことには同意致しますけれども」


「うぐうぐ!」


 首を締め付けられながらも、コルデッスの漏らした声が抗議をしているような調子に聞こえるのはふしぎだった。


「お姉様を、あなたの仲間を、殺したその張本人の娘っ! ああああ! 今すぐ命を絶たねば! わたしはあなたは殺せないかもしれないけれど、この小娘なら今すぐ殺れる!」


「……頼むよ」


 リソマーリがロガーノにどういう言葉を期待していたのか、それは彼女自身わからなかったにちがいない。


 しかし、明らかに、この彼の言葉、ひょうひょうとしていた今までの様子からの豹変とともに飛び出たこの言葉だけは、リソマーリがまったく予想していなかったものだと言えた。


 一瞬、リソマーリの手が緩み、コルデッスはそのスキに、「我を雑魚扱いするとは何事か」などという意味の言葉を刹那の間にわめいたが、すぐまた首を押さえつけられ、また元の意味不明へと回帰した。


「そいつは関係ないんだよ。ツシヌレを殺したのは、確かにこいつの親父さん、おれたちが何としてでも討とうとしていた魔王、エルサタンさ。だがその娘だからといって、コルデッスにまでツシヌレの、仲間の、死の恨みを着せることはできないぜ」


「腑抜けたことをっ!!」


 リソマーリはますます腕の力を強めた。おかげでコルデッスの顔はもはや月よりも青ざめている。


「今は雑魚でも(ここでまたコルデッスの抗議のうめき)、やがて成長し、またかの魔王のごとき暴虐を振るうにちがいない!(コルデッス、打って変わって満足そうなうめき)、おい、うるさいぞ!(コルデッス、さらに腕の力を強められ昇天)」


「その心配はない」


 ロガーノはきっぱり言った。


「このコルデッスとは、一つ約束をしたんだ……(詳細)……で、だから一緒に旅をしている。それにだな……」


 ロガーノはためらいつつも、


「……どうも、ね、そこまで悪いヤツには、どうしても思えないよ」


「……!!」


 リソマーリは何も言わなかった。ただ一人、コルデッスだけが、いや何を言うか我は悪の総帥悪の権化悪の化身悪の総体悪の集合体悪の擬人化悪の象徴悪の表象悪の隠喩悪の直喩悪の換喩悪の提喩悪の悪の悪の悪の……と言い続けていた。


「……はあ」


 やがて、呆れたようにリソマーリはため息をついて言った。


「何の根拠があってそんなこと言えるんです? 甘っちょろい……甘っちょろい……ほんと……バカですよ……」


「その可能性は高い」


 ロガーノはうなずいた。


「……疲れました。もう寝ます」


 リソマーリは唐突にそう言うと、包丁を放り投げ(それは危うくロガーノの胸に刺さりそうになった)、コルデッスが寝ていたベッドに倒れ込むと、数秒とたたずに寝息を立て始めた。


「なんだこのエルフは」


 コルデッスは首をさすりながら恨みがましく言った。


「あー……」


 ロガーノは、このときやっと、ツシヌレもまた、いつ何時でも好きなとき、唐突に眠り込む癖があったことを思い出した。


「……妹なんだな」


 ロガーノは納得し、はや懐古の領土へと登りつめた思い出を味わいつつ、部屋へ戻って眠ろうとしたが、そこには自分のベッドを占領されたコルデッスが、すでに堂々たるまさしく魔王のような寝息を立てていたため、廊下で寝た。


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