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読書好きのプロローグ  作者: ざきや まひろ
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5/6

四冊目 生きるということ、死ぬということ

あと二章!!ここまでお付き合いいただいてありがとうございます!

では、続きをどーぞ!!!

四冊目 生きるということ、死ぬということ




 僕の下にも僕がいる。何も哲学的な話ではない。

ピッピッピッ……という無機質な電子音。それに、シュコー、シュコー、と細い管内を風が通っている音も、同じように規則的に淡々と聞こえる。

目覚めたのは病院の一室。いや、『目覚める』という言葉の定義について、改めて考える必要性が生じた。このややこしい事態を、なんと言えばいいのだろう。正確に表現する語彙がほしい。僕は事態にこう名付けた。【幽体離脱】。幽体離脱なんてしたことはないし、言葉では知っていても、実際の現象として、起こり得るものかなんて、考えたこともなかった。言うなれば、僕は幽体離脱の初心者である。

僕は病室の中で少し浮いている状態。僕の真下にも僕がいる。浮いている僕は半透明で、物体をすり抜ける。誰も僕の存在に気付かない。真下の僕は実体があるが眠っていて、まだ目を覚ましていない。身体に付けられたコードは機械に繋がり、口には太いチューブが入っていた。風が通る音と共に、規則的に胸が上下する。頭や鎖骨当たりにも管が刺さっていて、体液を抜いたり、点滴を入れたりしているようだ。あらゆるところにガーゼが貼られ、包帯を巻かれているのは、見ているだけで他人事のように痛々しい。これが僕だという事実を受け入れるには、もう少し時間がかかりそうだ。まだ、ミイラでサイボーグの実験体と言われた方がしっくりくる。清潔な白いシーツに横たわる僕と、その僕を観察している僕は、同一人物のようだが、痛みを共有していないことは、不幸中の幸いだった。

「無事だったのかな」

 ややこしいが、呟いたのは浮いている方の僕だ。山の中で、突如意識が飛んで、目覚めたらこうなっていた。あの後、どうなったのか。英守やお父さんの事が心配だ。

「確認してみる?」

「うわっ」

 隣から女の子の落ち着いた声が問いかけてきた。僕は昼間からお化けに遭遇したように、分かりやすく驚く。

 視線を向けると、場違いな服装をした女の子が「何度経験しても傷つくね」と可愛らしく苦笑していた。僕より、少し年上に見える女の子は、病室に不釣り合いなフリルをあしらった黒のメイド服。良く見ると、表情に少し疲れが見えるが、そんな表情を差し引いても余りある愛らしさがある。メイド服の実物?を見たのは初めてだ。彼女もまた、僕と同様に浮いているため、『実物』という言葉の定義にも、再考の余地が生じたが、今はそれどころではない。

 これまで医師や看護師、手術室の人、人工呼吸器の操作をする人など、様々な人たちが、せわしなく部屋に来て仕事をしていた。でも誰も、僕の存在には気付かない。話しかけても反応はなく、触れてみても大抵の人は無反応だった。唯一、看護師の一人だけ、触れた時に身震いをして、「あら、ヤダ」と言っただけ。

 そんな状況だったから、【幽体離脱】と考えに至ったし、まさか話しかけられるなんて思っていない。驚くのも当然。

服装には場に適したものがある。学校の通常授業で、海水パンツを履いていたら当然白い目で見らる。相当な肝の持ち主でなければ耐えられない。メイド服も同様に病室から浮いた服装だ。でも、誰にも僕たちの姿が見えないのだから、メイド服くらい些細な事のように思えてしまった。

「その、ごめん。君も幽体離脱しているの?」

まずは驚いた事に謝罪した。混乱した状況と、年上の可愛い女の子から話しかけられるのは、あまり経験がないため緊張する。

彼女はお腹を抱えて笑う。わざとらしいくらいに、何度も幽体離脱という言葉を連呼している。空中での爆笑は体勢が自由自在なため、ややアクロバティックだ。

「幽体離脱って、いいね。笑ってごめん。ツボにハマったわ。まずは自己紹介、私は草陰(くさかげ)照子。暗い姓だからね、両親がバランスとろうと考えた名前よ。よろしくね」

涙を拭ってからの自己紹介。僕は突然、訳も分からず笑われた恥ずかしさから、ぼそぼそと自己紹介した。

「幽体離脱とは、まさにぴったりね」

 照子の言葉に達成は、ならなぜ笑われたんだ、と言わんばかりに口を尖らせる。表情を読んだ彼女が、説明を始める。

「あなたの状況を説明するね。ただ、心して聞いて」

そう前置きして、表情が真剣味を帯びる。

山で襲われ、病院で浮遊する体験以上に、異常な出来事はそうそうないだろう。そう高を括っていた僕の考えは、直後に覆る。人はたった一言で絶望できる。

「あなたは、もうすぐ死にます」

破壊力を伴った説明は続く。

「そして私は死神。あなたを死後の世界に導きます。以上、質問は?」

 一方的で衝撃的な自己紹介と、死亡予告を受けた僕は、ただただ呆ける。人は究極に驚くと呆けるらしい。頭が情報処理を諦めてしまう。

「状況が把握出来たら質問があるか、ないか。あとはすぐに導かれたいか、そうではないのかを教えて、なんでも聞いてくれていいわ」

 僕と同じような反応を示す人は多いのだろう。彼女は慌てず、慣れた様子でスラスラと説明を進める。たっぷりと時間をかけて呆けている僕を、彼女は苛立ちもせず、当たり前のように待っていたが、とにかく何か質問しなくちゃ、と思った。

「ちょっといいかな」

 彼女は微笑みながら頷く。

「何でメイド服?」

 初めの質問でこれはないだろう。動揺しすぎてあまりにも重要ではない質問を真っ先に投げかけてから、後悔した。

「ユニフォームよ」

 彼女は強張った笑顔に、硬い声で言った。直後、窓の外をふわっと、大人の女性が通過。たぶん死神だ。その女性は、照子さんに気が付くと手を振って、通り過ぎて行く。彼女はバツが悪そうに、複雑な表情で手を振り返す。

「ユニフォームって、嘘だよね」

 通りすがりの女性はパンツスーツだった。照子さんの顔がみるみる紅く染まる。

「もう!こうなるって分かってたら、絶対にこんな衣装にしなかったのにっ!これは事故、そう、事故なのよ」

 その後、最初の余裕はどこへやら、恥ずかしがって取り乱した。彼女の話をまとめるとこうだ。どうやら、興味本位でメイド服に着替えた結果、それが定着してしまったらしい。死神特有の力を使うと、衣装は換えれるが、ゲームで例えると、MP的なものが持続的に消耗するため、仕方なく着ているという。

 しばらく後に、会話は元の軌道に落ち着く。

「僕は絶対死ぬの?」

 照子さんは嘆息しながらも、丁寧に答える。序盤で押してはいけないスイッチを押してしまったため、照子さんの対応は取り繕いがない。

「そう、さっきも言ったけど、君は死ぬわ。正確に言えば、もう少しでそこの君の身体が死ぬから、死亡待ちの半端な状態」

 彼女はベッドの横たわる達成の身体を指さした。そして続ける。

「さっき言ったように、私は死神で間違いないわ。強制労働させられている哀れな存在。あなたも苦労したくなかったら、私の言うことに素直に従っておいた方が身のためよ」

「助かる方法は……」

「ないわ」

 彼女の返答は早かった。疲れを滲ませたで嘆息する。

 僕は二の句を繋げず呆然としていると。

「誰でもその質問をするの。気持ちは分かるし、稀に『助かる』の価値観が違う人もいるけど、大抵は同じね。私も何度も同じことを言わなくちゃいけないから、疲れるの……ごめん、ちょっと愚痴。あなたは運が悪い中では、運が良いわ。死神の中には、説明もせず、本人の意向も確認せずに、効率優先で、さっさと仕事をしちゃう人もいるから」

 彼女はその他の死神を思い出すように、遠い目をしながら言った。

 僕が状況を再確認した時に、嘆息した理由も分かった気がする。僕にとっては一度目の質問だが、彼女にとっては何度も重ねたやり取り。死に際の心境や発言は案外、老若男女で大差ないのかもしれない。であれば、淡々と仕事をこなす死神がいてもおかしくない。同じことを何度も答えてやるのは、相当疲れるだろう。

「ちなみに、私に危害を加えても無駄だから」

 僕が何かを言う前に、彼女は先回りで釘を刺した。今から死にますと言われて、暴挙に及ぶ人間がいることを、その言葉で思い至る。平和な日常が守られるのは、法律やモラルがあるからだ。皆が法律やモラルを守るのは、遠回りに今日や明日の自分の生活や安全を守るため。そのことを自覚して生活している人は、あまりいないのかもしれないけれど、この状況なら、気付いてしまうだろう。そういう人がいるのだと考えると、何だか悲しくなる。

「そんなことしないよ。何か助かる方法はないかなって、考えてはいたんだけど、結局何も思い浮かばなかった。それに、妙に納得しちゃった」

「君がそっちのタイプの人間で安心したわ。そういうタイプは、気力が衰えた老人に多いから、私が担当することは少ないのよね。あなたくらいの年の子は、泣きわめくことが多いかな」

 彼女は、幾分か肩の荷が下りたのだろう。安心した様子だ。

「いろいろ質問してもいいかな。さっきの質問時間はまだ有効?」

「何日も、っていうのはさすがに無理だけど、あなたに残されている制限時間内で付き合ってあげるわ」

彼女の話では、英守やお父さんは無事だという。一通り質問を終えたら、合わせてもらえることになった。二人とも僕と同じような事にはなっていない。詳しい理由は話してくれなかったが、お父さんにはまだ会えないらしい。会うと言っても、こちらから一方的に見るだけという。英守ともお父さんとも話せないのは悲しいが、二人が死んでしまうのは、もっと悲しい。複雑な気持ちは整理するのではなく、蓋を閉めて棚上げする。整理するには、僕に残された時間は少なすぎるし、気持ちに向き合うのが怖い。あとは、気持ちを誤魔化すために、好奇心に従って、闇雲に質問を繰り返した。

死んだらどうなるのか、という質問には、死神である彼女も分からないと答えた。彼女もまだ、死に切れておらず、幽体離脱、正式名、魂の存在。死神として特別な力はあるが、仕事を捗らせるための借り物で、仕事のノルマをこなしたら、やっと死ねると話していた。生きるために働くのではなく、死ぬために働く存在。死神たちにとっての救いは何なのだろう。

話の中で、照子さんが脈絡なく「心配だなぁ」と呟いた。僕には何に対しての事か分からず、印象的だった。それから、「あまり話した事ないけど」と前置きし、照子さんの過去が語られる。


草陰照子、十五歳、「元」中学三年生。現在、職業は死神。私は中学三年生で肉体が死亡し、死神として死ぬための準備をする事となった。

これから死に逝く少年少女が、私と同じ過ちを繰り返さないためにも、私は彼らに必要な情報を与え、考える機会を作らなければいけない。死神になってしまうのは、簡単だ。しかし、それは借金のようでもあり、完済するまでには、途方もない対価を求められる。死後の世界を仮に天国呼ぶなら、死神は、膨大な数の魂を天国へ導かなければ、死ぬことも許されないのだから。死神に死ぬ自由はない。自分の意思で死ぬことができるのが、一種の自由だと知ったのは、この強制労働を始めてからだった。

私の死は唐突に訪れる。週に二回ある塾の帰り道。放課後の受講が終わると、いつも夜だった。私はいつも通り、自転車で自宅に続く坂道を下っていた。その日、いつもと違っていたのは、大量に飲酒した運転手が、助手席に子供を乗車させ、ドライブと称して制限速度以上の、危険な蛇行運転をしていた事だ。私はその車に跳ねられた。

「―――お前たちは死んだ」

 何も理解できないまま、初めに聞いた声は、今でも鮮明に思い出せる。不気味なほど罅割れ、ざらついた声。声の主は気が付くと目の前にいた。季節外れの黒いロングコートに、目が見えない程深くフードを被った、明らかに不審な男。

なぜ自分は道路の真ん中でへたり込んでいるのか、目の前の男は誰で、彼は何を言っているのか、状況が理解できず、男を警戒しつつ周囲を見渡した。普段、この通りに人は少ない。夜では人とすれ違わない事の方が多かった。にも関わらず、今日はやけに騒がしい。人垣ができている。偶然、隙間ができ、人々が何を見て騒ついているのか見えた。

車が電柱に派手に衝突していた。その事を理解するのにも、ひどく時間がかかったような気がする。車の前方部は大きく潰れ、周囲にはガラス片やサイドミラーなど、車の一部が無秩序に散乱している。電柱は今にも倒れそうで、その傾き加減が事故の激しさを物語る。点滅する事故車のテールランプに照らされて、私のすぐ隣に誰かがいることに気が付いた。あまりにも近くに人がいた事に改めて驚く。幼稚園に通うくらいの、男の子だった。警戒心が和らぐ。男の子が泣いている事も、警戒心を和らげるのに一役買っていた。

「えーん。おとぉーさーん」

 酷い事故だ。混乱するのも無理はない。もしかしたら、野次馬の中ではぐれてしまったのかもしれない。それが大きな勘違いだったと、後日、家電量販店のテレビで知った。この時の私に、知る由はない。

「大丈夫、大丈夫だよ」

何が大丈夫なのかは分からないが、この子を安心させなければと、手を伸ばす。

鋭い風切り音とともに、男の子の身体を黒い残像が切り裂く。

「―――え?」

ロングコートの男を見上げると、どこから取り出したのか、身の丈ほどの大きな黒い鎌を持っている。ちょうど振り抜いた姿勢で止まっていた。背筋が凍る。

男の子に視線を戻すと、何事もなかったように泣き続けている。血が出ていないことに安心しかけるも―――胴体から不思議な光をこぼし、消え始めていた。

「なにこれ?おとーさーん。おと……」

 遅れて異変に気付いた男の子は、叫びながら消えた。

「い、いやあああああぁ!」

 私は怖くなり、頭を抱えて叫んだ。人垣に向かって、「誰か!」と叫ぶが、誰も振り向かない。恐怖が増す。とにかく逃げなきゃと直感した。だが震える、情けない足に力が入らない。不格好に足をばたつかせ、お尻を引きずるように後退。男の持つ鎌に視線が釘付けになる。

「助けて!助けて!助けて!」

 諦めずに、喉がつぶれるほど叫んだ。だが、やはり誰も振り向かない。そして男が言う。

「無駄だ。誰にも声は届かない。悲しみは短い方が良い」

 すまなかった、と呟いて男が大鎌を上段に構え、振り下ろす。

「―――人殺し、人殺しっ!」

私は睨み付けて叫んだ。すると、男の動きがなぜか止まる。

私は全力で逃げる。逃げるのに必死で、一切振り向かなかった。どの道をどれだけ移動したのか分からない。しばらく逃げ続け、ふと、いつも以上に体力があることに気が付いた。運動部でもない私が、どうしてこんなに逃げれたのか、不思議に思った。意を決して振り向くと、男の姿はすでになく、胸を撫でおろす。そして、視線が足元に移る。私は浮いていた。得体のしれない恐怖に、私は金切り声をあげて叫び散らした。あの時の恐怖は今でも忘れない。そして、それは序章に過ぎない。私にとっての最悪は続き、更新していった。

事故から数日、私は必死で逃げ続ける。食事も睡眠も必要としなかったため、ひたすら飛び回って逃げる。壁をすり抜け、身を隠す。逃げることに専念できて良かったと考えていた。当時の私は馬鹿だ。逃げることに精一杯で、先の事を考える余裕はなかったし、体力が異常にあるのに、常に疲れていた。逃げ続ける生活は、確実に精神を削る。状況も、誰から逃げているかも分からなければ、逃げ切ることなんてできない。目標も些細な喜びもない。場当たり的に逃げる生活は、地獄だった。精神状態はまともではない。休めることが、如何に幸せなのか、今なら分かる。私は逃げ切ってしまったのだろう。逃げ切れたせいで、私は死神になり、不幸になったとも言える。

逃亡生活はある日突然終わった。メッセージ付きのスクリーンが、前触れもなく目の前に現れたのだ。はじめは電光掲示板が降ってきたかと思った。私は、そのふざけた文章を読む。

『拝啓、初夏の候、いかがお過ごしでしょうか。草陰照子様の魂の猶予期間は只今をもって終了しました。今から、あなた様は死神です。コンバートは本通知をもって終了しております。今後は魂の回収作業に励んでください。尚、死神初心者用にマニュアルや各種オプションを準備させて頂きました。詳細はスクリーン、ホーム画面、左下の「?」マークを押してください。あなた様の御尽力により、一人でも多くの迷える魂に、導きの光がありますように。 敬具  死神管理局 局長』

 空中に浮かび上がった通知を読んで、私は嬉し涙を流したのだから、よっぽどの大馬鹿者だ。もう逃げなくて良いと思い、解放感で泣き崩れた。ノルマを達成しなければ、死ぬことも許されない存在に、成り果ててしまったというのに。何も終わっていない。むしろ、本当の地獄はここからだった。

 死神になった私は、同じ過ちを繰り返し、死神になる子供を一人でも作りたくなかった。だから私は、ノルマを達成するまで、一人でも多くの子供たちを救ってあげたい。どんな未熟でも、人は自分の意思で行動すべきだと思う。私が判断材料をあげて、道を示してあげるんだ。そう決意した。


 話し終えた時、少年は泣いていた。

「どうして泣いているの」

 私は少年を見て、思わず聞いてしまった。この質問の内容に一番驚いたのは、私だ。ひどい質問をしたと思ったが、話し終えた時に、少年が泣いているのが不思議だった。

「だって、頑張っているから」

 少年は迷うことなく答えた。

「―――私は頑張れてるのかな」

 私の話は少年にとって、さぞ悲劇的に聞こえたらしい。逆境を乗り越えて、あたかも崇高で、強い信念に突き動かされているように見えるかもしれない。でも、本当にそう?賢しらに語った信念は、私の中に生きている?

綺麗ごとではないか、そんなもの。私は私に、いつも絶望している。昔話の私は、まるで悲劇のヒロイン。別人のようだ。私はいつも彼らの期待に応えられていない。死に逝く者たちが絶望する時、私はいつもちっぽけで、彼らを救うことなんか、できないじゃないか。最近出会った魂の中には、自暴自棄になるだけではなく、暴力や卑猥な欲を満たすため、暴走する者もいた。私は予防線を張っていないか、関わる魂を選んではいないか。

ああそうか、私は私が嫌いなんだ。だから、少年の涙を素直に受け入れられない。過去の出来事や決断を言い訳にして、頑張っている気になっているだけ。自分すら騙す嘘つき。

「ごめん……私、嘘つきだ」

 死んでも自分の事しか考えられていないと、気づいてしまった。なんて醜いんだろう。なんて浅いんだろう。私は気付いてしまった。私の話に純粋に耳を傾け、涙する少年を見て悟ってしまった。許されるなら、私が私にかけた嘘の魔法のように、今すぐ消えてしまいたい。

「どこが嘘だったの」

子供は残酷だ。彼は不思議そうに聞いた。私の目から涙が零れる。少年は理解できず、困り果てるだろう。勝手に語って、勝手に自己嫌悪に陥って、少年のために涙を堪える事すらできない。ちっぽけな人間。最低だ。どこが嘘だったなんて聞かないで―――

「ごめん……全部、嘘よ」

「ひどいなぁ。嘘つくなんて……」

 言葉がまともに刺さる。涙が止まらず、言葉に詰まる。少年が再び口を開く気配がした。ごめん、謝るから、もう責めないで、傷つきたくない、私だって辛かったの!心の中で自己弁護する。頭の片隅で、そんな私も嫌いだ、と冷ややかな声がした。

「僕ね、本読むのが好きなんだ」

 少年は全く関係のない話を始めた。

「辛い時、本を読むと胸が軽くなるんだ。照子さんの話が作り話だとしても、僕は救われたよ。……それに僕には、全部が嘘だなんて思えないんだ」

「どうして、そんな風に言えるの⁉」

 ヒステリックな声だと気付いていた。ついさっき会ったばかりの少年に、私の何が分かる、という捻じれた気持ちが先行した。少年に罪はない。悪いのは全部、私じゃないか。八つ当たりじゃないか。

「だってね……」

少年は、自分の気持ちを伝える言葉を迷いながら探す。そして、

「泣いてるんだもん。全部嘘だったら、たぶん泣かないよ。頑張っているから、悔しいから、涙が出るんだ」

 涙がボロボロ流れて、止まらなくなった。

「辛いよね」

 躊躇いながら、少年にギュッと抱きしめられる。

 そうか、自分は頑張っているのか、成りたい自分になれず、悔しいから泣いているのか。今度は、素直に少年の言葉が胸に届く。

 少しして、少年の温もりがなくなった。名残惜しく感じる私がいる。人に優しく抱きしめられたのは、いつ以来だろう。

「嫌だったら、ごめんね」と少年は恥ずかしそうに、はにかむ。耳が赤い。

「ううん、ありがとう、元気出ました」

「なんで敬語?」

「いや、なんとなく……」

 そっけなく取り繕ったが、今度は自然に笑えた。安心させてあげようとか、そういうのではなく。ただ、笑えた。でも、少年の顔を見ていると、こっちまで照れ臭い。

 私は間違っていたのかもしれない。「救ってあげよう」じゃないんだ。どんな言葉が当てはまるのかは分からない。でも、そんな上から目線の言葉ではないって、はっきりわかったんだ。だって、私が今、少年に救われたのだから。

それでも、煮え切らない私は、少年に対して失礼だ。今まで天国に導いてきた、子供たちの顔が次々に思い出され、後悔する。自覚もなく、半端な気持ちだったことを、できる事なら謝罪したい。だけど、もう……取り返しはつかない。

「ありがとう」

 少年の言葉に、私は自分の耳を疑った。礼を言うべきは私の方だ。少年の顔を見る。

「ありがとう」

 微笑みながら彼はもう一度言った。

「お姉さんに出会わなかったら、僕は死神になっていたと思う。だからありがとう。さっきも言ったけど、僕は本が好きなんだ。それこそ、永遠に本が読む時間が手に入るなら、それも悪くないかもって思ってた。でも、話を聞いて、決めたよ。僕はちゃんと死ぬ。手助けを照子さんにお願いしてもいいかな?」

「でも、私は自分の事ばかり考えて、これまでの子たちを導いてきちゃったんだよ?あなたにだって、辛く当たってしまった……私にそんな資格はない」

 少年は緩く首を横に振った

「僕は照子さんにしてほしいんだ。僕は死神になった事がないのに、偉そうなことを言っちゃうけど、これまでの子も、あなただから最期を任せられたと、僕は思うよ。不幸な中では幸せだったんじゃないかな。それとも、照子さんみたいに、泣くほど真剣に向き合ってくれる死神でも、紹介してくれる?」

 少年はいたずらっぽく笑って言う。

「それに、よく考えてみたら、この手じゃ本もすり抜けて、読書どころじゃないしね」

 励まそうとあえて軽口を言う少年の、優しさが心地よくも痛い。

 この少年は泣いてくれた。自分も辛い状況なのに優しくしてくれた。人の優しさが心に沁みるのは、久しぶりだった。長い時間を積み重ねて、ノルマと子供の魂を回収することに心が疲れていた。この少年に話すことで、自分の原点がはっきりと思い出せた。話せて良かった。

照子は笑いながら泣く。そして誓った。

自分なりの一生懸命で、彼らと向き合おう。どんなにちっぽけでも、この涙に嘘はない。嘘にはしない。

なぜ私が、この少年にこんな話をしたのか分かった。たぶん私も救いを求めていたんだ。話を誰かに聞いてほしかったんだ。

久しぶりに思いっきり泣いたおかげか胸が軽くなった。誰かに話しを聞いてもらうことが、どれだけ心強いか身に沁みてわかった。できることは多くなくても、ちっぽけな私でも、彼らの話に耳を傾けることはできる。できることから、やっていこう。まずは目の前の少年から、大事なことを気づかせてくれたこの少年のために、精一杯頑張りたい。


案内されたのは別の階の病室。この部屋にはお父さんが寝ている。すぐそばのパイプ椅子には、何周りも小さく見える母がうつむいて座っていた。

お父さんにもお母さんにも、たくさん迷惑をかけてしまった。子が親に迷惑をかけて育つのは当たり前なのかもしれない。でも、迷惑をかけた分やそれ以上に、成長して恩返しをしなければいけない。それが自然であることは、子供ながらに薄っすらと分かっていた。だが僕が恩返しをする機会は、もうない。

「自分がナイフで刺されて、出血しているにも関わらず、あなたの手術が終わるまで、手術室の前から動こうとしなかったのよ。さっきやっと、手術が終わったの」

照子さんがすぐに、僕をお父さんの元へと案内しなかった理由。僕ら魂は何もできない。見たり、聞いたり、すり抜けるだけ。彼女はたぶん、何もできないのなら、お父さんの状態が落ち着いてから案内する方が、僕のためと考えてくれたのだろう。

手術を受けているなんて聞いていたら、じっとしてはいられなかった。自分の親なら当然だし、元々僕のせいだから。彼女の気遣いがありがたい。

「助かるのかな」

「大丈夫。もう少しよ」

主語を欠いたその質問は、彼女に正しく伝わった。もう少しよ、の意味を正確には分からなかったが、その答えは時間が教えてくれた。お父さんの目が、薄く開き、目を覚ます。

「達成はどこだぁ‼」

目覚めた途端に、カッと目を見開き、開口一番で怒鳴った。お母さんがなだめ、すぐに看護師が何事かと、わらわらと病室に駆け込んできた。あとから来た病院職員に至っては、先端が二股になっている棒を持参している。警察官の臨時授業で、その棒が犯人を取り押さえるための、防犯グッズであることは知っていた。

先ほどの照子さんの話がやっと咀嚼できた。子供が手術中であっても、ナイフが刺さった状態の患者が、手術が終わるまで動かないのは、まともではない。病院職員にも頭が下がる。

「僕の手術中、相当迷惑かけたみたいだね」

その光景を想像すると、苦笑するしかない。相当暴れたのだろう。

「ええ、何人投げ飛ばされた事か。幸い病院スタッフに大きな怪我をした人が出なかったのと、君の友達が仲裁してくれたおかげで、あの野生の熊みたいな、君のお父さんは、警察沙汰にならずに、君の手術が終わるのを待つことができたのよ」

「英守が……」

お父さんや他の大人を相手に、よくできたものだという驚きと、英守ならやってくれるという信頼が同時にあった

お父さんと病院の妥協点として、待っている間は点滴や輸血を受けること。うちのお父さんが追加した条件は、めちゃくちゃだった。他の薬剤が使用されたと分かったら、意識がなくなる前に大暴れし、目覚めてからは、裁判沙汰にすると宣言したようだ。お父さんは鎮静剤で眠らされるのを警戒したらしい。建築関係の仕事でガサツな父が、薬の知識を持っていたことが意外だった。そして、お父さん自らが、もしも立てなくなったり、意識を失うことがあれば「手術でもなんでも好きにしたら良い」、と身体の安静のために、寝るか座るかを勧める病院側の善意を、跳ね除けたという。

「お父さんは、君の手術の同意書の裏に、『テメーらが患者の事より心配な責任は、一切存在しない』って言いながら、書いた血判書を叩きつけたのは、かなりの迫力だったわ。責任問題を引き合いに、説得に掛かっていた高飛車な物言いの外科医が、唖然としていたのは気持ちよかったわね」

 彼女の爽やかな顔とは反対に、僕の苦笑が深まる。どれだけ迷惑かけてるんだよ、と恥ずかしい気持ちもあるが、父の無茶苦茶な行動が、全て自分のためと思うと、どういう顔をしていいか分からない。

 お母さんの必死な説得でお父さんの野生衝動が落ち着く。

 僕がお父さんに運び込まれた時に、もしもお母さんがいたなら、英守はもう少し楽ができただろうにと同情する。今は泣いて説得しているお母さんだが、本気でキレたお母さんは、あのお父さんですら扱いに手を焼く。我が家の影の支配者。お父さんも一定のところで、引き際を心得ている。普段は僕に見せない光景。

「私以外誰も見ていないんだから、もっと素直になっていいのよ」

「ありがとう。でも大丈夫」

「誰も見ていないとは心外だな。俺の事を忘れてんじゃねーか?」

第三者の剣呑な声が割り込んだ。

「だから『野良』は眼中にないんだって……特にあなたみたいな卑猥な人間とは、関わり合いたくないわ」

 その声に驚く僕とは真逆に、彼女は声がする方向も見ずに冷たく告げた。

「まだ、根に持ってるのか。お前らみたいに群れる事しかできない、『説明派』やら『迅速派』が、どう呼ぼうが構わないが、せっかくのノルマ一つ分を奪いに関わってきたのはお前の方だぜ?今なら一回ヤラせてくれたら許してやるよ。その気がないブスはさっさと獲物を置いて立ち去れ」

 現れた謎の青年は、照子さんと同年代に見える。彼は眼鏡を指で上げながら、ニタリと笑った。眼鏡の奥にあるのは、虎次郎の物とはまた違う、陰湿な凶暴性。眼鏡の青年は僕を物として扱い、人差し指でよこせ、と要求する。

「勝手に話を進めているけど、あなたには交渉する価値も力もない。『野良』の分際で、一匹オオカミぶってるだけ。勘違い男はモテないわよ。私は『説明派』だけど、あなただけは問答無用で斬り伏せておけば良かったと、本気で後悔してる。最大の汚点よ」

照子が振り向いて、眼鏡の青年を鋭く睨む。嫌悪感を隠さない冷徹な態度は、それで相手が傷つけばいいと思っている様だ。これまでの彼女からは、想像できない態度。

「こっちはヤラせてもらえなかった以外は、感謝しているっていうのに、ひどいなぁ。あの時もお前が、最後の思い出になってくれていたら、大人しく成仏していたっていうのに」

 彼の笑顔に達成は、今までに感じたことがない寒気を感じる。青年が続けて言った。

「聞き分けがなさそうだから、実力行使だな。さっきの不意打ちで勝ったと思うなよ。ステータス画面起動。スキル表示」

僕が出会う前に、照子さんと青年の間には、何やらあったようだ。男は空中に浮いた青い画面に向かい、指を忙しなく動かす。

「勉強不足ね。その程度なら、何をしても無駄よ」と照子さんは静観している。

 青年の指が止まる。

「スキル発動。対象設定終了。【束縛】、さらにスキルを重ねる。発動中の束縛を【固定】」

 青年は僕に手をかざした。どこか現れたのか、何重にも紐が僕に巻きつき、身動きが取れなくなる。

「な、なに?」

魔法のような攻撃を受け、動揺する。手足が結ばれたとしても、今の僕は浮いているから、本来なら移動できるはずだ。しかし、全く動けなくない。動かせるのは、紐が巻き付いていない首だけで、男の【固定】という言葉そのままに、僕は空中に固定されてしまった。

「達成君、巻き込んでごめん。私に攻撃してくると思ってて、当てが外れちゃった。ちょっと我慢しててね、大丈夫だから」

照子さんは一瞬驚いた後、優しく言った。信用はしているが、驚いた顔を見ているため、正直安心感に欠ける。

「どうだ、スキルの重ね技なんて、管理局のマニュアルにも載ってなかっただろ。派閥の安心感に守られるだけの、お前らとは違う」

「何をしてくるかと思えば……束縛最低ね。あなたがこのスキルで何をする気だったのか想像するだけで、吐き気がするわ」

彼女は嘆息しながら言った。彼女の言葉を、青年は下卑た笑みを浮かべたまま否定しない。

「勉強不足ね。あなたみたいに不勉強な人がいると、周りの人が迷惑するから教えてあげる。魂や生者に危害を加えすぎると、亡霊堕ちするわよ。そんなことも知らないの?」

「そんなの死神管理局のマニュアル受け取った日に、当然把握してる。要は殺さなきゃ問題ない。奴らは魂が安全に導かれる以外には興味がない。むしろ死神の能力を、ゲーム化して楽しんでいる節がある。それくらい分かるだろ。せっかく与えられたボーナスステージだ。派閥に縛られてないで、楽しもうぜ。あと、お前が驚くのはこれからだ。そのガキを【固定】してしまえば、お前がさっき使ったスキルが、効果的だと思わないか?さっさとスクリーン開いて、準備しなくていいのかよ。待ったは無しだぜ。【突風】」

 男が画面を操作して、照子さんに手で照準を合わせる。続いて来たのは激しい突風。殴りつける風の塊は激しく、目を開けるのも難しい。空中に固定されていなければ弾き飛ばされてしまいそうだ。そして、彼は言う。

「お前がどれだけ後悔しようと、俺は死神になって正解だと思ってる。こんな面白い力が自由自在なんて最高だろ。そのガキだけ置いて、今度はお前が吹き飛ばされろ」

 照子さんが心配で力一杯瞼を開いた。彼女は暴風を歯牙にもかけずに、悠然とその場に留まっている。病室内の人も物も暴風の影響を受けていないが、彼女とそれらの現象は別物だと、直感でわかった。彼女の周りだけ暴風が避けて通っているようだった。柔らかそうな細い髪だけがゆらゆらとなびいている。良く見ると、彼女の前面にだけ、うっすらと光る壁が風を阻んでいた。

「事前に防御のスキルを展開していたとは用意周到だな。でもいつまで保つかな」

青年の笑顔が引きつるが、まだ余裕の様子だ。

「猿真似で私に敵うと思っているなら心外ね。達成君に迷惑だから打ち消すわよ。【突風】」

 照子は、男のように画面を立ち上げるではなく、静かにスキルの名を呟いた。手を空中に一閃するだけで、同じスキルで風を相殺する。

 風の暴力から解放された僕は見た。今の彼女は自身に満ち溢れている。先ほど泣いていた時のように、触れば崩れてしまいそうな危うさはもうない。

「な、なぜ……スクリーンも開かずにスキルが発動する⁉」

 青年は狼狽してした。

僕にとってはゲーム内の魔法合戦のようで、もちろん理解の範疇を超えているが、照子さんの行動は青年にとっても、別の意味で理解不能という事が見て取れる。彼の様子を介して、照子さんが規格外の死神であることを知る。

「あなたを死神にしたのは私にも責任がある。仕方ないから、もう一度教えてあげるわ。派閥は、少なくとも説明派は、ただ群れているだけじゃないのよ。情報を集め、力を合わせて研鑽し合っているの。猿真似だけしかできないあなたは、絶対に私には敵わない。最初に言ったわよね。あなたには交渉する価値も力もないって。しつこい男はさらに嫌われるわよ?卑猥な勘違い男さん」

 見るのも嫌だからさっさといなくなってちょうだい、と言いたげに照子は手を払った。

青年の額に青筋が浮く。

「どっちが勘違いしているか思い知れ!これから見せる力はお前らの上を行く、俺だけの力だ。天才に群れは必要ないんだよ!【技能還元】。これまでに習得したすべてのスキルを削除し、スキルポイントに還元して復活。還元した全てのポイントを【突風】のレベル上げに使用。一度習得したスキルは変更できないと言われているが、ただの噂に俺は踊らされない。スキル自体のレベル上げも、俺が見つけた!戦況次第で何度でスキルをもカスタマイズでき、威力も桁違いに増す。考えても見なかっただろ。死神管理局が俺たちを駒として遊んでいようと関係ねぇ。俺は最強のプレイヤーになってやるよ。死神管理局様々だ。ゲーム以上の快感を俺にくれた。レベルアップした俺の【突風】に、お前の通常レベルのスキルなど通用しない。さっき、互いのスキルが拮抗したところを見るに、レベルアップなんて当然気づいてないよなぁーハハハア、勝手に見下しやがって、笑いがとまらねぇよ。さあ、絶対的な力の前に屈しろ、防御スキルごと吹き飛べ!」

青年の手にはすでに風が可視化するほど凝縮され、風切り音を越えて、台風を凝縮したような轟音が鳴っている。見るからに、聞くからに危険な音だ。

 青年は荒れ狂う暴風の弾を放ち、猛スピードで迫りくる。照子は達成だけでも守ろうというのか、静かに前に出た。

 全く似ていないのに、守られることで、目の前の華奢な背中と父の背中が重なる。このままではまた自分のせいで人が傷ついてしまう。

危機感を感じた達成は、照子に逃げるよう伝えたくて、声帯が千切れるほどに、名前を叫ぶ。直後、暴風の弾が照子を襲った。耳を塞ぎたくなるような轟音が鳴る。照子の背中は動かない。

「……照子さん?」達成は恐る恐る呟く。

「大丈夫だって言ったよ?二回目も言わせないでよ」と照子が振り向き、いたずらっぽく笑う。

 照子はレベルアップした【突風】の直撃を受けたはずなのに、なぜか無傷だ。

その様子を見た、青年の顔色は明らかに悪い。自分の目か、眼鏡を疑うように眼鏡の蔓をつまみ、目を剥く。

「な、なんで……どんな小細工をした。スキルか!裏技か!」

「特別なことはしていないわ。教える義理はもうないけど、あまりにもあなたが哀れだから、特別に教えてあげる。ステータスの項目にある、アシスト機能をオフにしたのよ」

「そ、そ、そ、そんなことをして、スキルを使えるわけがないだろ!馬鹿にしてるのか⁉」

 達成には二人が何の話をしているか、さっぱり分からない。だが、照子が何でもない事のように言ったことは、とんでもない事のようだ。

「何度言わせたら気が済むの?お馬鹿は死んでも治らないようね。最初から馬鹿にしてるわ。ねぇ、お・ば・か・さ・ん」

照子さんは悪意を向けると決めた相手には、最大級に性格が悪かった。鳥肌が立った。

「対死神をするなら、必須の技能よ。スクリーンをちまちま操作しながら戦うことが、どんなに危険なことか解る?マニュアルを読みながらなんて、戦っていられないわよ。死神管理局がゲーム感覚で、私たちを弄んでいると知っているなら、気づきなさい。だから、野良と派閥には、埋められない差があるの。黙って聞いてたら、自分だけが知っているような顔しちゃって、あぁ恥ずかしい。スクリーンは言わば練習。練習を積んでスクリーンのアシスト機能をオフにして、どれだけ使いこなせるかが重要なの。あなたはまだ、新しい力に浮かれているだけで、スタート地点にも立っていない。おめでとうございます。お馬鹿さんも私のお陰で、少しだけお利口になりました。どうする?格の違いが分かったところで、大人しく消えることをお勧めするけど?これを機に、性根を入れ替えて、派閥に入ることをお勧めするわ。まぁ、あなたの性格だと、加入するのも一苦労だと思うけどね」

 照子の捲し立てる皮肉は、容赦なく精神を削る。達成は他人事ながら、女性の残酷さに恐怖する。全身が冷汗の洪水だ。

 眼鏡の青年はプライドを大いに傷つけられ、わなわなと震えている。力の差を見せつけられた以上、言い返す言葉が見つからないのだろう。鋭く睨み付ける事しかできない。

「このアマ黙ってきてりゃ良い気になりやがって!」

 男はスクリーンを起動すると一か所を連打する。

「いくらなんでも、レベルアップした【突風】の連打に勝てる訳がない!」

 【突風】スキルの連打が始まる。暴風の弾がいくつも生まれ、猛烈な速度で襲い掛かったが、照子の防壁に当たっては、消失する。

「クソが、クソゲーだ!クソがクソがぁああああ!死んでもうまくいかないのかよ!クソがクソがクソが……」

 青年の人生に何があったのかは知らない。だが順調に進まなかった人生に悪態をつき、その有り余る感情を右指の連打にぶつけているようだ。

 スクリーンへの連打に夢中になっている青年は、まだ気づいていない。

「……もう、スキルが発動していないわよ?」

「な、な、な、な、な、何で⁉」

男は慌てふためいた。連打する右手と、本来、風の弾が放たれるはずの左手を、忙しなく交互に見比べる。

「はぁ、ゲームでもMPってあるでしょ?なんでも無制限に使えないの。知らなかった?

最強を目指すのは勝手だけど、情報収集は怠らない事ね。努力もしないくせに、自分の不遇ばかり嘆く人って大っ嫌い」

 まるで私を見てるみたいで、と照子は小声で呟いく。その声は、近くにいた達成が、やっと聞き取れる大きさだった。青年に対する辛辣な態度、その理由の一端が見える。それでも照子は、『野良』と蔑み、皮肉のラッピングに包んでも、何だかんだと、貴重な情報を提供していた。客観的に見ると、青年には感情との折り合いをつけ、受け止めることが要求されている。きっと照子も辛い道のりを経て、成長したのだろう。

「さあ、絶対的な力の前に屈してもらおうかしら」

照子は過去を振り切るように、前を向いて明るく宣言する。叩きのめすだけなら、不要な言葉だ。もし、照子が過去の自分を彼に重ねているのなら、やりすぎてしまう可能性があると、達成は感じた。

「照子さん!」達成が呼び、照子が振り返る。

「もう眼鏡のお兄さんの紐も消えたから、僕は大丈夫!」

 達成は解放された両手をバタつかせた。スキルの過剰使用で、すでに拘束は解けている。

「優しいのね。あれを見逃せって言うの?あなたを物扱いしたのよ?」

 照子さんは引き際に迷っているようだ。対応の匙加減は僕に投げられた。 

 スキルが使えなくなった青年は、まな板の上の鯉。緊張した面持ちで、達成に期待の眼差しを向けている。

照子さんが彼の成長を望んでいるなら、達成はしばらく考えた後、満面の笑顔で言う。

「死なない程度にやっちゃって!」

 達成の無邪気なサムズアップに照子もサムズアップで応える。

「りょーかい!さあ、お馬鹿さんには授業の続きよ。私はこれからスクリーンを起動して、発動中のスキルを全て切り、【突風】に全力を注ぐわ。どういうことかは分かるよね?」

「ひ、ひぃええええええ」

照子自身が先ほど、スクリーンの操作は時間の無駄と切り捨てたはずだ。無駄な動作を含む、執行猶予付きの判決が下った。達成には、スキルの発動までに時間がかかる為、その間に逃げなさいと言っているように聞こえる。ただの脅しだ。

照子がスクリーンを開くと、青年はズレた眼鏡を直すのも忘れ、奇声を上げながら逃げ始める。

青年に好感は持てそうにないが、死ぬ前に一つ良い事をした。彼が立ち去り、一見落着。と早々に安堵した達成の予想は、思わぬ形で裏切られる。

「逃げてる途中で悪いけど、もうスキルが完成したわ。私、スクリーンの操作も早いの。【突風】‼」

「ちょ……うっ!」

 ちょっと待ってと言うよりも先に、照子のスキルが発動してしまった。

「死神がゲーム感覚で務まる生易しい仕事じゃないことを知りなさい」

 これまでの戦いが、児戯と思える暴風が巻き起こる。余波だけで飛ばされそうだ。

「ぎゃぁあ‼あああああぁぁぁぁ……」

 直撃した青年の悲鳴は、瞬く間に室内から消えた。壁の向こうまで吹き飛ばされたのだ。

 予想に反して、照子は有言実行した。達成は慌てて、手近な窓をすり抜け、外に出る。

「ぁぁぁぁ……」

外では、一度途絶えていた男の悲鳴が、微かに聞こえた。すでに遥か遠くに吹き飛ばされ、豆粒大のその姿は、空に飲まれた。

「まさかホントに打つとは……」

 達成はまた一つ賢くなった。女性は嫌った相手には、どんな状況でも容赦しない。

「あれ?死なない程度にやるって言ったじゃん。何か不満?もっと強くすべきだった?」

唖然とする達成に追いついた照子が、清々しく話しかけた。

「あの人はあそこまでされて、生きてるの⁉それに、あれ以上やったらホントに死んじゃうよ!僕がもれなく死ぬ!」

「ごめん、ごめん」

 可愛らしく頭を掻く照子に反省の色は見えない。やれと要求したら、本当に実行しそうで、恐ろしい。

「ただのコスプレイヤーじゃなかったんだね」

「なんか言った?」

 心でとどめておくつもりが、うっかり漏れた。 ここで正直に話しては、今すぐにメイドに冥土送りにされかねない。

「い、いや!なんでも!」

慄いた達成は必死に誤魔化す。絶対何か言ったよね?と食い下がる照子の追及を回避し続けた。

しばらくして、追及を諦めた照子が言う。

「巻き込む形になっちゃったわね。あなたには時間がないのに……」

「ううん、ものすごいものが見れて得した気分。普通に生きて、さっさと天国に行っちゃったら、絶対経験できなかったよ。すごいなー死神って……あ、」

 達成は手放しで照子を称賛したつもりだったが、直後に気付く、失言。照子は死神でいる事を望んでいないし、新たな死神が生まれないように頑張っているのだ。取り繕うにも言葉が見つからない。二人の間に沈黙が降る。

「ごめんなさい」

 迂闊なことを言ってごめんなさい。それ以上の言葉は見つからない。

「いいよ。君の言葉は嫌な感じしないし」

「じゃあさ、死神の事、もっと聞いてもいいかな?」

 スキルってなんだ、死神管理局って実際何なんだ、照子さんが笑顔で許してくれるのならもっと知りたい。未知の物語の匂いがする。

「話してあげたいけれど、あなたにはもっと他に、やるべきことがあると思うの。どうする?」

照子の指さす方向を見ると、達成の目にも、懸命に走る少年の姿が見えた。

「英守……」

 照子さんは僕の手術の後、英守がどうなったのか、穏やかな声で教えてくれた。彼女は先ほどの戦闘が始まるまで、【遠視】というスキルを使用し、お父さんや英守の状況を見ていたと話す。英守の怪我は幸いにも、肩の脱臼だけで済んだようだ。脱臼はベテランの整形医師により迅速に治療され、今は負傷した腕を、安静の為に首から白い布で吊っている状態。僕の手術が終わるまで待つと、頑なになっていた英守は、後から到着した彼の両親に、引きずられる形で帰宅したという。しかし、英守はこうして病院に向かっている。

「親友の様子が気になって、両親に内緒で抜け出してきちゃったみたいだね……」と照子は言う。

もう話せないんだな、話したいなぁ。蓋をしたはずの感情が顔を覗かせる。

 話せないのなら、せめて最期に顔だけでも見たい。大切な人たちに、ちゃんとお別れをしたい。だけど、なぜか会うのが怖い。矛盾した気持ちが同時に沸く。

 思い違いと、頭では理解できるのに、顔を見たら、運命が決定づけられる予感。行きたいのに、行きたくない。心の中で渦巻き、整理ができない。浮いている足がやけに重たい。

「行こうよ。絶対に言った方が良い」と背中を押されたる。

達成は、自身の病室へ向かう。病室へは、まるで嘘のようにあっさりと到着。葛藤する時間が少なくて、救われたような、やるせないような、たぶん両方。

すでに両親がベッドの傍らで、僕に寄り添っていた。お父さんは点滴を下げている。また、無理を言って自分の病室から抜け出してきたのだろう。

「頑張れよ。お前なら大丈夫だ」

お父さんが空っぽの僕の身体を、懸命に励ました。普段は聞けない言葉。根性論ばかりで、まるで自分に言い聞かせているようだ。もしも生きられるなら、笑えたかもしれない。今はとても笑えない。逃げ出したくなった。勇気づける言葉が、時にはこんなに苦しいなんて、知りたくもなかった。

両親と繋がれた手を、僕は離れた位置から見ている。もう何も感じない。温かさも、優しさも、力強さも、何も伝わらない。受け取れない。お母さんの目が充血して、腫れている。たくさん泣いたのだろう。

そんな二人を見て、親不孝者だと強く実感する。何も返していないうちに二人の元を去らなければいけない。痛みだけを残して去る僕を、いっそ罵倒してほしい。お前を産んだのは間違いだった、死んでせいせいする、と言われれば、どんなに楽か。

言い尽くせない気持ちに、拳を固く握った。僕はしっかり見なければいけない。どれだけ大切な人を傷つけたのか、知ったうえで旅立たねばいけない。たとえ心が砕け散ろうとも。本当に悲しいのは、この二人なんだから、被害者面で泣く訳にはいかない。

「両親は、僕がもうすぐ死ぬことを知ってるの?」

「回復する可能性はなくはないが、とても危険な状態で、いつどうなるか分からないって」

 担当医から両親へ語られた内容は残酷だと思う。少しでも可能性を示されたら、期待しちゃうじゃないか。いっそのこと、諦めさせてあげてよ。そして、僕の息の根を止めてくれ。その方が救われるのに。長引く時間の分だけ苦しませてしまう。今すぐ教えてあげたい。僕はもう助からないよって。

「二人に教える方法はないかな」

 無理だと分かっていることを質問した。照子さんの沈黙がそのまま答えだ。

 死者ができる事なんて何もない。それなら、今あるこの時間は、何のためにあるのだろう。心の整理をするには短すぎるし、死神を選んで生きるには長すぎる。この与えられた時間に、そもそも意味なんてないのかもしれない。だけど、無意味と割り切ることも受け入れたくない。僕なんて、初めから無意味なんじゃないかと思えてしまう。いったい何が正解なんだろう。傷つく両親を見続けているのも、間接的に自分を傷つけることで、楽になろうとしているせいかもしれない。与えられた時間を有意義に使っていると、自分に言い聞かせるための、偽善な自己満足。自己嫌悪で自分の存在に吐き気がする。

僕は情けなくも踏み止まれなかった。傷つけた人たちを見続ける決意は、すぐに揺らぎ、屋上に逃げた。


扉を開き、病室に息を切らしたまま駆け込む。

「おうボウズ、よく来てくれたな」

「英守君、もう身体は……どうぞここに座ってちょうだい」

 達成の父に続いて口を開いた母は、咄嗟に「身体は大丈夫なの」と声を掛けようとしたようだ。そして、昨日の今日で大丈夫ではないと思い至ったのだろう。少年の気持ちを汲みつつ身体を気遣って椅子を勧めたことが、英守にも良く分かる。

「ゴール……いや、達成君はどうなんですか」

 英守は達成の父、丈夫に心配した瞳で状態を訪ねる。

しかし、答えは帰ってこない。丈夫は目を伏せている。病室をグシャリと押しつぶしそうな重苦しい沈黙がのしかかる。

 おもむろに立ち上がった丈夫は、自分の点滴棒を引きずり、入口にゆっくりと向かう。そして、背中越しに英守に話しかける。

「……おいボウズ、ジュース飲ませてやるよ」

 噛み合っていない返答に、ゆったりした動作。右手だけは、点滴棒を折り曲げてしまいそうなくらい、握力が込められていた。

 

 ゴールのお父さんに誘われ、俺は病室を出る。正直、全力で走ってきて喉は乾いていた。だけど、今はとてもジュースを飲みたい気分にはなれない。それよりもゴールのそばに居たかった。ただ、背中には従わなければいけない雰囲気がある。病室の外を少し歩くと、デイルームとは違い、人気が少ない自動販売機とベンチ。無言の指示に従って、腰かける。

 丈夫は痛みを堪えるように、ぎこちなくジュースを購入する。一切要望も聞かず、購入されたジュースが差し出される。少し手が震えていたが、英守はあえて何も言わない。

聞きたいことがある。

「達成君は……」

「ゴールでいい。お前たちの関係を、俺に気遣う必要はない」

 重圧ある声音だが、怒っている様子はない。彼は缶コーヒーに指をかけるが、カツカツと指は弾かれる。包帯を巻いた指では、缶は一向に開かない。

「開けますか?」

 丈夫は聞こえていないかのように、無言で何度かプルタブに指をかける。だが、うまく開かない。数秒、躊躇う。結局は無言のまま「開けてくれ」と分かるように差し出された。コーヒーを受け取り、開ける。自分のジュースは一度ベンチに置いた。

「あの……」

 英守は缶を手渡しながら、口を開く。

「難しいようだ」

 開いたばかりの缶コーヒーが二人の手から滑り落ちる。黒い液が、白いリノリウムの床を覆うように広がる。

 一言だった。その言葉だけで伝わる。聞きたくなかった。

 何で。何で。何で―――

 認めたくないのに、気付いた時には駆け出していた。走り出したことも、涙があふれ出すことも、『難しい』の一言を自分が理解してしまったと、肯定している。

 がむしゃらに走り、階段の入口に駆け込む。

「きゃあ!」

曲がり角、絶妙なタイミングで、出合い頭に人とぶつかる。勢いのまま弾かれ、二人は尻もちをつく。

「こら、院内で走らないのぉ」

 同じく尻もちをついた看護師が、突然飛び出してきた英守を叱った。英守も病院の廊下を走った自覚があるため、後ろめたさで縮まるが、間延びした声は、少々緊張感が足りなかった。英守が縮こまったのは、普段学校でも廊下を走り、教師から怒られたことがあるからだ。条件反射になるくらいには怒られている。

「……あれ?」

 看護師が英守を見つめて表情を窺う。英守は自分が泣いている事に気が付いて、ごめんなさい、と言いながら顔を背けた。

 今すぐに走り去りたいが、力が抜けてしまった。ぶつかってしまった事や、達成の事が頭の中でグルグルと回り、身動きが取れない。

 顔を近付けつつ、じろじろと見る看護師。堪らず畳んだ膝に顔をうずめる。

「ごめん!どこか痛い?」

 叱っている時よりも、緊迫した声で尋ねる看護師の声が近い。どうやら、怪我の痛みで泣いていると勘違いさせてしまったようだ。

「違います」

 治療したばかりの肩は、一瞬だけ痛んだが、震える声で否定した。申し訳なさが込み上げ、何か話さなくちゃと思うが、声をうまく出せない。

 英守に看護師が困っている様子は伝わったが、泣いている理由を丁寧に説明する気力はない。「何でもないです」とだけ言って、走り出せたらよかったものの、一度座り込んでしまったため、今更のような気がしている。

 看護師は、英守の身体をさわさわと触る。状況が分からないが、そんなこともどうでもよくて、されるがままだった。


 子供が飛び出してきて、反射的に怒ってしまった。先輩看護師からはよく、のんびりしてるよね。だから患者が言うこと聞かないんだよ、と舐められやすい事を指摘されるため、よし、頑張って迫力を出すぞ、と最近は密かに意識している。日頃の努力は無駄ではなかったようだ。少年を一喝で泣かせてしまうのだから。そして、脅かしすぎも考え物のようだ。迫力の出しどころについて、ざっと検討を済ませると、三角帯で吊っている腕が目に入る。別の可能性が頭をかすめる。さーっと血の気が引いた。

しまった患側を痛めた⁉まずいと思った時には謝罪と「どこか痛い?」と言葉が滑り出る。少年は否定するが、その後の声掛けには応じない。とりあえず患側を観察。腕の骨折?それなら装具を着けているはずだし、三角帯では簡易的すぎる。それに、一瞬見えた顔には覚えがない。この病棟の患者ではなさそうだ。

もしかしたら新たな外傷?そこまで激しい転び方はしなかったはずだけど……

念のため、ぶつけそうなところを触ってみた。

外傷があれば何らかの反応はあるはずだよね。反応は―――ないみたい。嘘泣きでもなさそうだし、どうしよう。アセスメントできない!

 このまま忙しいからまたね、というのも看護師として、人間としておかしい。自分に責任があるかもしれないし、そもそも、泣いている子供を放置する線はない。そして、またねってなんだ。

 看護師の女性は頭を振り、あり得ない想像をかき消した。


 看護師は「今日は受け持ち患者もいないし、半日勤務だから相談してくるね!」と、何を誰に相談してくるのか分からないが、一方的に言い残し、走り出してしまった。事情は飲み込めないけど、きっと余計な迷惑をかけてしまう。このままいなくなろうとも思ったが、遠くから「動かないで待っててね!」と先手を打たれた。

本格的に身動きが取れなくなってしまい、せめて通行人の邪魔にならないように、廊下の隅に、もそもそと移動。あまり待たず、先ほどの看護師が迎えに来た。立てる?と優しく手を引かれる。片腕は布で固定されているし、動く手は看護師に繋がれている。ハンカチで顔を拭かれるが、顔が無防備だ。すれ違う人の視線が恥ずかしい。そのまま、こじんまりした個室に通される。

「どうぞ座って」

看護師が椅子を引いて、良かったらどうぞ、とペットボトルのお茶を勧めてくれた。

 あまり太っているようには見えないが、ポケットから出たのは、特保のお茶だった。お母さんがよく飲んでいるなと思い出す。お茶を飲み、少しだけ気が紛れた。息も落ち着いて来たし、何とか話すことができそうだ。謝って帰ろう。

「この辺、自動販売機ないんだよね。先に思いついてたら良かったんだけど、こんなのしかなくて、ごめんね」

両手を合わせてはにかむ看護師、気取らない優しさが沁みる。

パッケージの見た目はそそらないが、飲んでみると意外と普通の味だった。全力ダッシュで病院に駆けつけ、ゴールのお父さんにもらったジュースを飲み損ね、また走って、泣いて。カラカラになった身体が水分を求めていたようだ。乾ききった口にはおいしい。

「ねぇ、おば……お姉さんに話してみない?」

 一瞬、何らかの葛藤が見えたが、彼女は何事もなかったように、「話せるなら何でも聞くよ?」と微笑む。

 柔らかな間延びした声は優しい。不思議と悩みを打ち明けたくなる。

「それに男の子が泣きながら帰れないでしょ?」

この言葉が決め手だった。自分は泣いたまま、どこに行こうとしていたのか。勝手に抜け出して来た家には帰りにくい。まして、泣き顔でなんて絶対無理だ。

英守は俯きながらも、ぽつぽつと話し始める。打ち明けた話は、自覚できるほどまとまりがなく、たどたどしかったが、看護師は真剣に聴いてくれた。

「君がカンファレンスで言ってた少年か」

英守に言っているでもなく、考えをまとめるような独白。

難しい事態に、どのように話せばいいのか、悩んでいるのだろう。無理もない。何でも聞いてくれそうな雰囲気に流されて、突拍子のない事をつい話してしまった。馬鹿にされても仕方ない。

後悔から英守は再び俯く。

「つまり、あなたは友達が、危険な状況に追い込まれる事が分かっていた。そして、止めることができなかったことに、責任を感じている」

 そう、俺は古小屋に入る前に、ゴールが危機に遭遇する可能性を察知していた。

英守が黙って頷く。

「そして今、入院している友達が、その―――、長くないことも、お父さんからの話で知ってしまった……」

 再び頷く。この場にいることが辛い。もういいか。恥はかいたけれど、話して楽になった。そう、俺は知っていたんだ。俺だけが知っていたのに、何もできなかった。全ては俺の責任。

「信じられませんよね。霊感なんて」

 偶然ぶつかっって、迷惑をかけた上に、ほとんど誰にも言っていない、霊感の事を打ち明けるなんて、どうかしている。絶対、嘘つきか変な子供だと思われるだろう。どうせ他人には信じてもらえない。ゴールにだけは話してもいいかなと思ったけれど、結局言い出せなかった。俺はどうしようもない小心者だ。

ゴールと山へ登ったとき、背中に暗い靄が見えた。そういう不吉な予兆はたまに見えることがあった。だけど、あんなにハッキリ見えて、嫌な予感がしたのに、俺はゴールの提案を止めきれなかった。霊感の事を言わずに済まそうとした。言ったら信じてくれるはずなのに。小学生になってから、見る頻度が徐々に少なくなっていた。自信がなかったなんて自分を守る言い訳だ。自分が一番良く分かってしまう。あんなにはっきり見えたのに、気持ち悪いと思われる。そんな想いを振り切れなかった。おじいちゃんに言ったら叱られるな。


僕のおじいちゃんは昔、住職だった。近所ではよくやんちゃな子供にカミナリを落としていたと、父から聞いたことがある。

おじいちゃんが元気な頃の記憶はあまりない。たぶん遊んでもらったり、叱られたこともあったと思う。あまり定かではない。多分、あの日の夜のことで、全てのおじいちゃんに関する記憶が上書きされてしまったと思う。

おじいちゃんが亡くなった日の夜。俺はおじいちゃんに会った。臨終の瞬間に立ち会ったという訳ではない。両親はまだ幼い俺に、死んだことの説明を見合わせていた。バタバタと葬儀の準備に追われ、それどころではなかったのかもしれない。

後に聞いた話では、家族や友人だけではなく、友人の子供や檀家など、式場に入りきれないくらい、たくさんの参列者が来て、大変だったらしい。

厳しい人だったようだが、多くの人と深く関りを持っていたという。人間が好きだったのだろう。あのおじいちゃんらしい。なんせ、死んでから俺の目の前に現れたのだから。人間好きが、家族へ向ける関心は殊更に重い。

思い返せば、あれが初めての心霊体験だった。とても怖かったことをよく覚えている。幽霊が怖かった訳ではない。後日、亡くなったという事実と概念を知るまでは、本当におじいちゃんが来たと思っていたのだから。俺は、おじいちゃんと認識したうえで怖かったのだ。

葬儀で疲れ果てた両親に隠れて、夜の一人お菓子パーティーを企てた。気付くと、おじいちゃんが姿勢正しく、目の前に座っていた。俺は悪い事をしている自覚があったので、慌てて見え透いた嘘をつく。「食べてないよ」と、拙い言い訳も、今よりガキだったから仕方ない。 

未就学児がトラウマになるほど、しこたま怒られた。「胸を張れないことをするな」から始まり長々と。彼は加減を知らないらしい。永遠とも思える説教を振り返る。つまりは『正直に正しく生きろ』と言いたかったようだ。幽霊が説法とは、今になってみればシュールだが、当時は怖くて、漏らした。怖かったが、誠実で公平な、尊敬できるおじいちゃん。

こうも言った。「お前には強い力がある。その力によって、傷つくこともあるだろう。無暗に使ってはいけないが、大事なものを守るためには迷わず使いなさい」そして、「いつか信じられる友人ができた時には、助け合うために使いなさい」とも。俺はできなかった。ゴールには信頼してほしかったのに、大事なところで、親友を信頼しなかった。自分可愛さに告げなかった。糞野郎だ。

親にも信じてもらえなかったのに、今日会ったばかりの他人に、信じてもらおうとするのは無理だろう。今更逃げることが一回増えたところで、何かが変わるとは思えない。

「……ありがとうございました」

英守は、看護師の反応を待たずに立ち、ドアノブに手をかける。すると、背中から声をかけられる。

「逃げないで、信じるわ」

「ありがとうございます。では……」

 振り向きもせず話を畳む。嘘だと思った。子供心を傷つけないための嘘だと。

「私もあるの……霊感」

 辛いけど、嘘をついてまで、話を合わせないでほしかった。

 血の温度が急激に下がった気がした。自分でも驚くほど、冷静に振り向く。どんな顔で嘘をついているかと、かなり冷ややかに、胡乱な目つきで。自覚はあるが、コントロールできない。

お姉さんと真っ直ぐに目が合う。その双眸は別人のように力強い。座って、と静かな言葉と、視線に負けて椅子に座り直した。

この人の言葉は本気だ。目を見て直感した。嘘ではない。

「私もあなたほどじゃないけど、霊感があるのよ。ゴール君……いえ、釣られて言ったら申し訳ないわね。神木君の病室でね―――」

誰に対しての謝罪か、俺に対してか、ゴールに対してかは推し量れない。先ほどまでの目力はなりを潜め、すぐに間延びした穏やかな声音で、続きを話した。

 彼女は、手術直後に病室でゴールの処置を手伝っていたという。その時、見えない何かに背中を叩かれ、悪寒がしたらしい。彼女は病室に何かいると確信したようだ。姿が見える訳ではないので、ゴールという確証はないが、自信をもって何かはいると話した。

 元々そういう事はこれまでもあったようで、夜勤中に気配を感じたり、寝たきりの患者しかいない病室で、点滴が勝手に揺れる。入院患者がいない病室で、ナースコールが鳴る。家でもたまに金縛りにあったり、重さを感じたり。勝手に蛇口から水でたり、コンセントを抜いても消えないテレビなど、英守が慄くほど豊富な実体験が登場した。

「今思えば昔遊びでやった、こっくりさんから変なことが続いてるわね。でも、職場で変に思われたくないし、気にしたら寄ってくるって聞くから、あまり言わないようにしているの。信じてもらえた?」

 茶目っ気たっぷりの笑顔で言われても怖いばかりだ。上には上がいる。職場の環境が特別なのかもしれないが、直前まで自分だけがと、先入観で拗ねていた自分が滑稽で、恥ずかしい。

「信じてもらえたところで、ここからが本題」

すっかり聞き入っていた英守は身構える。正直もう怖い。次はどんな怪談話ですか。

「自分を信じて。自分が信じられると思った友達を信じて」

「でも、もう」

 手遅れだ。ゴールを救うことはできない。ゴールはもうじき……

「もしかしたら、あなたになら見えるかもしれない。見えなくても、信じてほしい。話したことは、絶対聞こえてる」

病室で達成の幽霊は見えなかった。でも、ゴールの身体を見て、存在が薄くなったような、妙な感覚があった。もしかしたら、状況を受け入れたくなくて、錯覚しているだけなのかもしれないけれど、分からない。改めて自分の感覚を信じていいのだろうか。話したら、届くのだろうか。

「分らなくていいと思うの。話すことが大事」

 英守は考え込んだ。彼女は言う。

「もしかしたら神木君は、その……よくない結果になるかもしれない。でも、声は確実に届くの。ちゃんと話すべきだよ。それに、あなたには力がある」

 心が引っかかる。

「ゴールはたぶん許してくれる。俺のためには、なるかもしれない……けど……」

「自分だけ楽になるようなことをしてもいいか?」

 完全に見透かされた。沈黙で肯定する。

「いいのよ。少し冷たいかもしれない。あなたの年齢で理解してもらうのも難しいけど、とにかくいいの。大切な人が亡くなる時に、相手の事を想って伝える本心は、言って良いの。勝手な理屈だけど、今しかできないことは、今しないと後悔するわ。神木君はとても不幸なことに巻き込まれたけど、私からしたら、あなたも同じ、あなたが思っているほど、責任はあなたにないわ。それに、言った後の結果はどうなるか分からない。くよくよしても、仕方ない。その上で言うけど、今あなたはどうしたい?正直な気持ちは?」

 最後の一言で、引っ張り出される。嗚咽とともに、心のままに叫ぶ。

「ゴールと話したい!会ってちゃんと謝りたい!」

「男の子だからね。しっかり泣き切ってから行きなさい」

ふんわりとぬくもりに包まれた。抱きしめられながら泣く。思いっきり泣いた。

 ここ最近では一番泣いたような気がする。お陰で決意ができた。

「行ってきます」

お姉さんは頷いて、にこやかに手を振る。それだけだった。俺も力強く頷いて走る。

病室の前に戻る。立ち止まると、決意が鈍ってしまいそうだった。ほぼ突進の勢いでドアを開く。

 朝来た時と同じ光景。様々な医療器具を装着して、目を閉じたゴール。傍らにはゴールの両親。この病室だけは、空気が丸ごと固まっている。重たい空気は固形物のように硬く、息を吸うの辛い。

ゴールのお父さんと目が合う。

「おう」

 つい先ほどの出来事が、なかったかのような振る舞い。拒絶されてはいない。その寛容な雰囲気に感謝する。

「先ほどは、すみませんでした。ゴールと話したくて戻って来ました」

 そう、話したくて戻ってきたのだ。ただ話したくてだ。ゴールに謝る。楽になろうというのではない。弱虫な自分の行動にけじめをつける。くよくよするのは、後からでもできる。自分の意思でここにいる。胸を張って生きるためにここに来た。

そして、そんな事情は、自分のわがままだって分かっている。家族で過ごす最後の時間を、俺の都合で奪いに来た。

 直角に近い礼から顔を上げると、再び視線が合った。

「子供の成長は早いもんだ。短時間で一皮も二皮も剥けやがる」

感心したようで、悲しそうでもあった。

「当然ですよ。あの方のお孫さんですからね」

「うちのおじいちゃん知ってるんですか⁉」

ゴールのお父さんの後に続く、お母さんの言葉に、ついそんな場合でもないのに反応してしまう。

「そりゃあもう、大変お世話になりました。……特にこの人が、ね?」

 隣のお父さんに首をかしげながら、にこやかに話題を振る。腫れた目元は痛々しいが、少しでも笑えてよかったと思う。

「……世話になったのは、俺だけじゃないがな。まあ、感謝してる」

歯切れが悪い。どうやら近所の悪ガキの一人だったらしい事は、言葉以上に顔が物語っている。そして、誤魔化すように「さて、飯でも食い行ってくるか。坊主、息子を頼んだぞ」

「はい!ありがとうございます」

神木夫妻は共に立ち上がる。

さらりと二人きりになる口実を作ってくれた。敵わないなぁ。いくら感謝しても足りない。大切な息子を守れなかった俺に、大切な時間を分けてくれた。立ち去る二人の背中は、支え合わなければ崩れてしまいそうだ。その二人の背中に礼をする。最大限の感謝と謝罪を込めて。

「ゴール」

 二人の背中を見送り、ベッドに横たわるゴールに呼びかけた。やはり返事はない。薄くなったような違和感は、まだ感じる。

「ゴール!」

 次は病室のどこにいるかもわからない相手に呼び掛けた。―――返事はない。

 自分の感覚を信じるのなら、ゴールがあえて現れなかったということだ。嫌われても仕方ない。もう取り返しのつかない事態に、俺のせいでなってしまったのだから、俺は謝りに来たが、許してもらうために来たんじゃない。出てこなくても関係ない。

「聞いてくれ、ゴール実は俺な―――」

 正確には分からない長い時間、一方的にこれまで語ってこなかった事を話して謝る。

「ごめん‼」

 やはり返答はない。病室の隅々まで見回したが、姿は見えない。

 結局許してもらえなかったか。

 そんな思いが胸をかすめた。許してもらうために来たわけではないと、意気込んできたが、結局は切り離せない。これを背負って俺は生きていく。勝手と言われても構わない。 

勝手にお前の分まで生きる。

「また明日来るよ。お前の読みたかった、あの本持ってくるからな」

 最後の戦利品。ゴールが必死になって手に入れた、ボロボロで読めるかどうかも分からない本を持ってくると誓う。許してくれなくてもいい。だから……

「諦めるなよ」

目を閉じているゴールの頬に触れ、一番叶えたい希望を伝えた。

お前らしく諦め悪く生きろ。直接文句言ってくれよ。

けろっと起きて、何事もなかったかのように、読書でもしてろよ。そしたら嫌がられても怒られても、また、ちょっかい出しに来るからさ。

奇跡を願う。深く深く祈る。

頬を伝って流れ落ちた熱い涙が、親友になりたかった、彼の頬を濡らす。ごめん。


「くそっ、何なんだよ、あいつら。時間ないのに、どいつもこいつも邪魔しやがって」

最期の時間、両親や親友と過ごしたいと考え直したのに、ままならない。自然と悪態が漏れた。

「ごめん。こんなに集まって来るとは思わなくて」

 申し訳なさそうに、並走する照子さんが謝罪する。

 僕と照子さんは今、街の中を必死に逃げ回っている。

「ニクイ、ニクイ、ニクイ……」

 黒い影の群れが、ノイズのような呻き声をあげて追ってくる。

「彼らは亡霊。元死神の成れの果てよ。死神管理局の規約に違反すると、ああなってしまうの。そして、彼らが求めるのは、死神への復活。噂では、死神や霊感が強い人から力を奪うことで、復活できると言われているの。だから、死神が力を行使すると集まって来るんだけど、病院にこんなに潜んでいるなんて……」

 眼鏡の青年との大規模な戦闘、病院と言う環境が悪かったのか、ワラワラと呪詛を呟く影たちが湧き出てきた。彼らの声からは、恨みや苦痛が伝わってくる。

 死神は生者に干渉できないが、亡霊の場合は例外で、悪影響を与えるらしい。逃げるしかなかった。

「うわっ」

「しゃがんで!」

路地を縫うように逃げ回っていると、壁から音もなく影が飛び出した。煙の塊のような影は、両手らしきもの広げ、襲い掛かる。

「やあ!」

 慌てて指示に従うと、頭上すれすれに、照子さんの巨大な刃物が通過する。

「ニクイ、ニクイ、ニクイ……」 

斬られた影は最期まで呪詛を吐き、沸騰するようにブツブツと沸き立ち、消えていく。

「まったく切りがない」

 倒しても倒しても、湧き出てくる影。死神の魔法じみた力を使うと、集まってくるという。照子さんは、亡霊に探知されにくく、力の消費が少ない武器で、地道に立ちはだかる影のみを倒し続けている。

「どうしたらいいの?」

「私の力が回復するのを待って、大技で一掃するか、他に行ってくれるまで待つしかない。とにかく今は根気よく逃げるしかない」

「他にって、こいつらどこに行くのさ!」

 逃げなくてはいけない切迫感や、自分の時間がどんどん少なくなっていくストレスから、責めるつもりがなくとも、自然と語気が強まる。

「他の死神が近くで、大きな力を使うか、霊感が強い人が近くにいると、自然と離れていくから、今は我慢して逃げて。さすがに、あの大群は消耗している私には……」

先ほどの戦闘で、照子さんの力は相当消耗しているらしい。大量に集まる理由も、かなり大規模に力を放出したことに、関係していそうだ。

 逃げながら後ろを振り返ると、いったい何人の亡霊なのか、黒い猛毒が流れるように、押し寄せる。

 もしも取り囲まれたら、と想像でゾッとする。

「人気のない所へ行こう」

自分たちのせいで憑りつかれる人がいてはいけない。

「心当たりあるの?」

 その質問で、彼女が逃げ慣れていないことを垣間見る。きっとこれまで、羽目を外して力を使い切ることも、なかったのだろう。

「学校!」

眼鏡の青年との戦闘や亡霊からの逃亡で、かなりの時間が経過し、日が傾いていた。あたり一帯がオレンジ色に染まっている。

この時間帯ならあまり人はいないだろう。咄嗟に思いついた場所を提案したが、我ながら名案だ。


そろそろ遅くなるからまた明日おいで、と達成のお母さんに説得され病院を出た。確かに明日は休日で、学校は休みだ。達成の両親は平日の今日、登校していない事に触れないでくれた。元々怪我で学校は休む予定だったが、明日は堂々と、朝からゴールのお見舞いに行ける。

だが、両親に内緒で抜け出してきた手前、家には帰りにくい。自分には強い霊感があると信じ直したのに、結局親友の姿を見ることができなかった。

「どうすれば」

また達成に会うことができるのだろうと、公園のブランコで揺られている。無事な手だけで鎖を掴み、漕ぐのは意外と難しい。

ゴールに会うためにだが、こんなに霊感が高まってほしいと願うことは今までになかった。もしかしたら霊感が低いせいで、見ることができないのではと思ったからだ。

ぐるぐると考えていると、何かが引っかかる。

「霊感を高める方法……」

 看護師のお姉さんの話を思い出す。彼女は昔、『こっくりさん』をしてから、心霊体験が続くようになったと話していた。こっくりさんをすることで、もしかしたら俺の霊感は高まり、ゴールに会えるかもしれない。

「でも、こっくりさんって、なんだ?」

 英守は首をこっくり傾げた。彼の学年では、流行ったことがない遊びだ。

 明日、病院に行くまでに、調べて、早く霊感を高めたい。だが、両親には聞けない。これから帰ったら、確実に叱られる。その中でこの話題を持ち出せる可能性は、限りなく低い。親以外から情報を得なければいけない。

 なら、どうしたら良いんだ。

「こんな時、ゴールなら……」

 いつも小さな図書コーナーで、本を熱心に読む、達成の姿が目に浮ぶ。

「学校だ」

揺れるブランコから、勢いよく跳躍。英守はそのまま駆け出した。


必死で逃げ続けることで、浮遊にも慣れてきた。スピードが上がり、細かい動きもできるようになってきた。逃げながら会話を挟む余裕も出てきたが、亡霊の影たちは、まだしぶとく食い下がってくる。そんな中、彼女が言った。

「私、決めた。ノルマを達成したら、死神管理局の連中に物申してやるんだ」

「それだけでいいの?」

 釣り合いが取れていないと感じたのは、彼女も同じようだ。

「足りないよね。一発くらい殴ってみようかな」

「それは恐ろしい」

 照子さんは、死神という異様な状況に放り込まれ、戦闘慣れしている。彼女のパンチを、なぜか自分が受ける想定で、想像する。僕は軽く吹っ飛ばされ、一瞬の内にイメージ映像からも、フレームアウト。思わず身震いする。

 だが殴られるのは、ゲーム感覚で、死神を管理している連中。どんな姿かたちをしているのか分からないし、亡霊たちのように実体が不明瞭な奴らかもしれない。でも、殴れるなら、殴られて当然だ。荒事は得意ではないが、先に逝く身としては、代わりに殴ってやってもいいのかなとも思っている。

「僕も考え方が野蛮になってきたみたい。そいつら先に行って、殴っといてあげようか?」

照子さんと目が合う。

「まるで私が野蛮みたいじゃない」

「いやいや、そういう意味じゃなくて、言葉の綾と言うか……」

 必死で弁明をしていると、照子さんがにやけている事に気が付く。

「もしかしてからかわれた……?」

唖然とする僕に、照子さんは否定も肯定もしない。柔らかな笑みを残し、視線を前に向ける。

「着いたわね」

街中で亡霊を躱しながら、ジグザグと進んでいたため、かなり時間がかかった。

僕が通っていた学校。もうここに通うことは叶わない。慣れ親しんだ場所だったんだと、改めて気付き、寂しさが込み上げる。感傷的になって、じっくり見ていたからかもしれない。照子さんよりも先に異変に気が付いた。

「あれ見て」

 僕が指さしたのは、二階の端にある僕の教室。そこだけ、暗闇から浮かび上がるように、電気がついている。

「誰かいるみたいね」

 夜の学校は名案だと思ったが、もしかしたら、先生や警備員の人がいるかもしれない。残念だが、場所を変えて逃げる必要がありそうだ。

「そんなに残念がらないの。今ならかなり回復してきたし、運が良ければ一網打尽に出来るかもしれないわ」

 僕を慰めつつ、照子さんは提案した。

 敵の全体を確かめるためにも、広いグラウンドに移動し、そこで一網打尽にするという作戦。

「うまく倒せても、また奴らが集まってくるかもしれないから、すぐ逃げなきゃね」

 作戦の内容にワクワクしたし、追い詰められた状態から早く解放されたい。だが、ふと気になった。

「そういえばさ、消えた亡霊ってどうなるんだろ」

 少し間があった。

「そのまま消えちゃうんじゃないかって言われてるわ。誰も確認したことがないから、噂でしかないけどね。少し、可哀そうだと思うし、残念だけど、他に手段がないわ」

照子さんは伏し目がちに答えた。

彼ら一人一人が元は自分や照子さんと同じ人間だったことを考えると、ひどく居たたまれない。照子さんの表情も声音からも、本当は手段があるのなら助けたいという想いが伝わる。

「影たちの多くは人間に干渉しすぎてしまったの。死神の力はね、基本的には生者に影響を与えられないわ。でも強い感情は、死神管理局が定めた設定を越えられるみたい。生者への干渉を繰り返し続けた、死神たちの成れの果てが彼らよ。必要なら、倒すしかない。」

 亡霊は苦しみから逃れるために奪うことしか考える事ができない。自業自得とも言える末路だが、他者を恨み害することを最優先にしまう人があれだけいる。人間の本質はあれだけ醜いと、まざまざと見せつけられているようだ。

「なんだか悲しいね」

 照子さんからの返事はないが、同じ気持ちなのだろう。もしかしたら、亡霊の救出方法についても調べてみたのかもしれない。だとしたら、正当防衛とはいえ、照子さんは亡霊たちを傷つけると同時に自身の心も傷つけている。

「さあ、追いつかれる前に行くわよ」

 照子さんが進み出す。その少し後ろから、達成は沈んだ表情で追った。校舎の脇を横切りグラウンドに入る。その中央辺りで照子さんが止まる。

「ここで迎え撃つ」

頷いた達成も照子に倣って、元来た方向に向き直る。鉄棒や半分埋め込まれたタイヤなど、見慣れた遊具が見渡せる。

 確かにここなら、追ってきた亡霊たち全員を正面に捕らえることができそうだ。

 照子さんが胸の前に両手を構えて迎撃態勢に入ると、夜の闇より濃い影の塊が向かってくる。その光景に息を飲む。

 あれ?と照子さんが疑問の声を上げた。彼女の視線の先を注意深く観察する。遅れて照子さんの疑問が、僕にも理解得来た。

暗闇に紛れて見えにくいが、影たちは蠢いていても、こちらに進んでいない。ほぼ同じ位置で、動きを止めている。まるで行き先を迷って、葛藤するように停滞している。

「今がチャンスかもしれない」

 照子さんが言おうとしている事はすぐにわかった。これはチャンスだ。今まで執拗に追って来ていた亡霊たちが、動きを止めたという事は、今なら振り切れる。照子さんが心を痛めてまで、わざわざ戦う必要がなくなる。

「逃げよう」

僕の顔を見つめる照子さんの目には、強い意志があった。だが僕は何かすごく嫌な予感がした。奴らが止まっているのは、電気が灯っている僕の教室の真下に見える。

「ごめん。先に病院に行ってて」

 集合場所を伝え、すぐに飛び立つ。

「え、ちょっと」

 後ろから、照子さんの戸惑った声が聞こえた。

根拠のない行動は僕のわがままだ。僕の勝手で照子さんを危険に晒す訳にはいかない。飛ぶことにも慣れて、今では素早く、かなり自由に移動ができる。何かあっても逃げることができそうだ。

 明かりがついていた僕の教室へまっすぐに進む。二階の端に位置した教室は、壁をすり抜けるとすぐだ。誰かいるのか。その疑問を解消してから逃げても遅くない。

 目の端で捉えていた影が、一瞬脈打つように膨れた気がした。

 嫌な予感は強まる。更に速度を上げ、全速力で飛ぶ。

 ほぼ同時のタイミングで影が動き出す。向かっているのは僕の教室。

「負けるか―――!」

 影たちよりも早く、壁を通過。急に眩しくなり、目が眩む。目が慣れると、思わず息を飲んだ。

「―――何でここに」

 予感は的中してしまった。今まで察しが良い性格ではなかったが、こういう時に限って、当たってしまう。

 教室には一人、なぜか僕の席に座っている英守がいた。

「英守!逃げろっ!」

 亡霊の脅威から彼を守りたくて、必死に呼びかけるが、英守は気付かない。

 正面に移動して、肩を揺さぶろうとした。手は何も捉えられずに、すり抜ける。

 しかし、寒気を覚えたように、ブルっと身を震わせた英守が顔を上げる。目が合った!

「ゴール?」

「英守!逃げ……」

 再び注意を促そうとし、彼の目の動きで気が付いた。

「ゴール来てくれたのか。やっぱりこっくりさんって効果あるみたいだな」

 英守がきょろきょろと視線を動かし、見当違いの方向を向きながら話し始めた。

英守に僕は見えていない。

 机には文字や「はい」、「いいえ」、五十音が書かれた紙がある。鳥居の簡単な絵だけが、鉛筆ではなく、赤いチョークで描かれていた。熱に浮かされたように、興奮した英守は、一人であらぬ方向に向かって話している。

「霊感がある看護師さんから、こっくりさんの話聞いてさ。やってみたんだよ。もうダメかと思ったけど、鳥居の絵描いて正解だったな。赤ペンが見つからなくてさ、チョークで代用したんだ。早く出て来いよ。話したいことがあるんだ。やっぱりこの表使わなきゃダメなのか」

 もう話しかけているのか、独り言なのか分からない。英守はポケットから十円玉を一枚取り出し、五十音表の上に置き始めた。

「そんなことしてる場合じゃないって、早く逃げないと!英守!」

 必死の呼びかけに、やはり全く反応しない。がむしゃらに振るう手も、ことごとくすり抜ける。

地の底を這うような、呻き声が聞こえる。聞こえた方向に目を向けると、窓から覗くように、黒い影がへばりついていた。そして、何にも遮られずに、窓をすり抜け侵入する。

「危ない!」

 亡霊から彼を守ろうと、飛び出したところで、肩に衝撃があった。

「何考えてるの⁉今、亡霊の正面に立とうとしたよね!喰われるわよ⁉」

 照子さんに突き飛ばされ、一緒に転がった。顔が密着しそうな至近距離で、睨まれる。

「ごめん、でも英守がっ!」

 突然の出来事と照子の勢いに押され、一瞬呆けた達成は、すぐに我に返る。目を剥いて英守の方を見た。

 亡霊たちは、英守をグルグルと渦巻いている。影響を受けた周囲の机や椅子が、ガタガタと耳障りな音を立てて振動する。 

亡霊たちの隙間から、少しだけ英守の顔が見える。

「ゴール、来てくれたんだな。何か言ってくれ。恨まれるようなことをしたのは分かってる。俺にそんな資格はないかもしれないけど、せめて謝らせてくれ。許さなくてもいいから……ゴール」

英守にはポルターガイストが起こっているようにしか見えない。彼にとって、達成が怒り、怪奇現象が生じていると、勘違いする以外には辻褄が合わない。

 影が収束し、英守に重なる。同時に英守にも異変が起きる。十円玉を抑えた指が、カチカチと震え、まるで生気を吸われているように、机に倒れた。息が荒く、冷水に浸かりすぎたかのように顔色が悪い。

「何やってんだよ。お前が謝ることなんて、何もない!お前ら、親友から離れろ」

達成がいくら怒鳴っても、状況は改善しない。

「照子さん!」

 縋る思いで、助けを求め、顔を見る。返ってきた答えは意外なものだった。

「―――ダメよ」

「なんで、勝手したのは分かるけど、お願いします!英守は関係ないんです。助けて」

 達成は照子に掴み掛って懇願。

 勝手な行動をしたのは自分で、英守には責任はない。あのままではきっと死んでしまう。

「違うわ!怒って意地悪を言ってる訳じゃない!」

 照子の語気も、達成の勢いに相乗して強まった。

 一瞬にして弱り切った英守の姿を見て、冷静さを欠いていた。照子さんは簡単に人を見放す人じゃない。

彼女の性格を思い出し、自分の浅はかさに舌打ちしたいが、今はそれどころではない。

「あの子の霊感は相当ね。あんなにすぐに亡霊が憑くところ、初めて見たわ。亡霊が憑く前に攻撃できていたら、話は別だったけど、今攻撃したら亡霊を介して、あなたの友達にどんな影響が出るか分からない」

照子さんが必死で打開策を考えているのが良く分かる。

達成も必死に考え、提案する。

「死神の力を使って、こっちに誘き寄せれない?」

 照子さんは残念そうに首を振った。

「あれだけの個体数、誘うことに力を消費すると、攻撃する力が残らない。一度に全員釣れることに賭けるにしても、英守君が逃げられる状況になるとは思えない。亡霊はまた彼を襲うわ」

「じゃあ、死神の力を温存して、誘き寄せれたらいいんだね?」

「確かに理屈ではそうなる。けど……どうやって?」

「僕を囮にしてください!」

「本気で言ってるの?私たちは魂がむき出しの状態なの。私はともかく、肉体がある彼よりも、あなたの方が確実に生存率が低いわ。彼はもしかしたら、このままでも生き残るかもしれないけど、あなたの場合消えてしまうかもしれないのよ⁉」

 達成はただ真っ直ぐに照子の目を視線で射抜く。少し見上げるその目の奥に、覚悟が届くように見つめる。

 何秒後。はぁー、と照子は長いため息をついた。

「小さな男の子だと思ってたけど、やっぱり小さくても男なんだね」

達成には当たり前のことで、何を言おうとしているのか分からないが、ありがとうございます、と礼をする。

「ただし、自己中な亡霊どもに、むざむざとあなたを食わせははしない」

 手短な作戦説明は、耐えてよね、と締めくくられた。照子の言葉に達成は強く頷く。

「【束縛】」

 彼女が発動したのは眼鏡の青年が使用していたものだった。ただし、紐のような細身ではなく、しめ縄のように何重にも編まれており、見るからに丈夫そうだ。

「あの変態の技を使う日が来るなんてね。それもこんなに早く」と照子さんが嘆息し憂いているのには、苦笑するしかない。

 縄の先端がまるで蛇のように、英守の背へと向かい、憑りつく亡霊に絡みつく。

「さあ、時間がないわ。引っ張って!」

「はいっ!」

 合図とともに、僕と照子さんは亡霊の引き剥がし作業に掛かる。前には僕、少し離れて照子さんが後ろについた。 作戦はシンプル亡霊を力ずくで引きはがし、英守への干渉が途絶えたところで、叩く。ただし、―――

「う、ああああ、……負けるかぁっ!」

 縄で亡霊と繋がった瞬間に、亡霊の呪詛が直接頭の中に響き渡る。無力感、怨嗟、偏愛、挫折、独善、癇癪、焦燥、発狂、絶叫、絶叫、絶叫―――好き勝手に頭蓋内を蹂躙する。

 一つ一つに耳を傾けなくても、自然と聞こえてくる負の感情に、頭が割れるようだ。吐き気が込み上げる、血管内を毒虫が這いずるような嫌悪感、身体が鉛のように重たい。それでも達成は絶対に手放さない。立ち向かう。

「その調子……気を付けて」

 亡霊がぶるんと揺れる。異変にいち早く気が付いた照子が注意を喚起した。

邪魔をされている事を怒っているのか、新たな標的に気が付いたのか、集合体から切離脱した一部がこちらへ向かって飛ぶ。

「こ、こっちに来る!こっちに向かってます」

 後ろの照子も見ているはずだが、何でもいいから声を出し続けないと、自分を保てない。

「任せて」

 後方から飛び出した照子が、巨大な鎌を薙ぐ。斬られた亡霊は沸騰したように泡立ち霧散。初めから存在しなかったかのように、痕跡を残さない。

 一部が切り離されたにも関わらず、亡霊の集合体にあまり変化は見られない。ほぼ同じ大きさを維持している。

早くしなければ、英守の体力と自分の気力が持続するかも心配だ。歯を食いしばり、呪詛と頭痛と身体の変調に対抗する。自分以外の好き勝手に流れ込んでくる意識は余計なものだ。余計なものは、できる限り意識の外に追い出す。

再び鋭い風切り音。通過した鎌が、的確に亡霊を切り裂く。

達成は一つの影が斬撃から逃れたのを、視界の端に捕らえていた。だが、集合体を強く睨み続ける。

斬撃を回避した影が猛スピードで達成に接近、衝突する。不定形のそれは、アメーバの如く達成を取り込もうと、『表面』を這いずるが、達成はまるで見えていないかのように、とりあわない。

影は達成に、触れそうで触れられない。絶妙な距離で見えない壁に阻まれている。

照子が展開している不可視のバリア。スキルで発動した防壁は、達成を守るとともに、囮としての役を成立させている。防壁は高密度のエネルギー体、力を求める亡霊にとっては垂涎ものだろう。奴らは魅惑を無視できない。

照子は至近距離で鎌を薙いだ。

「信じてくれてありがとう」

「……当然です」

「でも、至近距離を刃物が通過するのは、やっぱり怖いですね」

「亡霊より?」

 照子の問いに、達成は大粒の汗をかきながら、勇ましくニヤけて見せた。

 

ようやくと言うほどには時間があまり経っていない。集中力を要する苦痛な時間は、引き延ばされたように感じる。作業を繰り返すうちに、亡霊の大きさが半分ほどになった。英守への負担も減ったようで、青い唇に、血色が戻り始めている。

「う……、」

 短く呻き声を上げた英守の、瞼が微かに揺れる。

「照子さん、英守が」

「……」

英守の変化を伝えようと、達成は照子に話しかけるが、返事がない。振り向いて、息を飲む。

照子は達成以上に汗をかき、巨大な鎌を杖に、もたれ掛かっている。明らかに疲弊していた。

「照子さん!」

「……大丈夫、まだやれる」

 照子は強がるが、明らかに大丈夫な顔色ではなかい。亡霊からの呪詛や身体の異常は彼女にも平等に影響している。

しかし、達成は自分の苦痛と向き合うのに、もしくは無視することに必死で、照子の異変には気付けていなかった。彼は今更ながらに思い至る。

照子さんは縄を引いたり、亡霊を倒したり、各部分への死神の力補充を担当している。気力・体力・集中力・思考力。様々な持てる力を駆使し、何役もこなしている。その負荷は、前衛で囮になっているだけとは比べ物にならないはず。縄や防護フィールドも亡霊との接触時間が長くなると、細くなったり、薄くなったりしていた。支障が生じないように立ち回っていたことは知っていたのに、僕は―――

そして、達成が気づいたところで、何もできない。変わらない。無力なことは、誰よりも達成自身が一番知っている。

悔しさに唇を噛みしめる。

「そんな顔しないの、大丈夫って言ったでしょ?お姉さんを信じなさい」

 あとたった半分よ、と彼女は元気付けるために強がり、笑う。

「危ない!」

 照子の側面から亡霊が迫る。

 彼女は声に反応し、体勢を立て直しつつ鎌を振るった。

「何で……」

 照子は唖然とする。誰にともなく疑問を投げかけた口が塞がらない。

振るった鎌は確かに亡霊を捉えた。疲労があるとはいえ、一撃必殺に足るものだった。しかし亡霊は、跳ね返されるように遠ざかっただけで、消滅していない。

「照子さん!鎌の刃が!」

 鎌の刃が明らかにこぼれていた。亡霊を切り続けたために摩耗したのだろう。今の一撃で、一際大きく欠ける。


 照子にとって初めての経験。鎌にまで注意を回せなかった不甲斐なさに歯噛みする。達成には強がって見せたものの、すでに鎌を新しく生成する力は残っていない。―――もう、諦めるしかないの?

 照子の混乱と諦めを見切ったように、残りの亡霊たちが大挙して押し寄せる。

 ああ、私も終わりね。でも―――

 照子は亡霊の大群を、刃こぼれした鎌では対処できないと、早々に見切りをつけた。視線を英守に移す。大半の亡霊を吐き出したことによって、憑りついた亡霊は見違えるほど小さくなっていた。残る亡霊は目測で、一体分。

―――まだ、終わっていない!

 照子は鎌を手放し、縄に手をかける。

 これだけ小さくなった亡霊なら、今の私でも引き剥がせるはず。狙われているのは私。憑りついた分だけ何とかしたら、彼らだけは助けられるかもしれない。そうだとしたら、狙いが私で良かった。彼に救われた恩返しはできそうだ。

「違う!バリアだ!」

 達成の裏返った懸命な叫び。照子の自己犠牲必至の思考は鋭く断ち切られた。

 照子は手放していた鎌を再び握る。刃こぼれしていたはずの鎌が、迫りくる亡霊を一文字に切り裂いた。亡霊たちは呪詛を吐きながら消失。

『小さな』鎌は照子の手の中で、本懐を遂げて崩壊した。咄嗟の機転で鎌の大きさと、達成に掛けていた防壁を犠牲にし、一瞬でも元の鎌以上の鋭利さを取り戻したのだ。

「諦めるなよ!まだ終わってない!」

 目尻に涙をためた達成が叫ぶ。

 そう、まだ終わってない。

「ありがとう、まさかあなたに力の使い方を教わるなんてね」

 見つめた先の達成は、袖で乱暴に涙をぬぐい。怒ったように言った。

「眼鏡の人と戦った時にやってたじゃん。解除したら再利用できるんでしょ?」 

達成の言葉に救われ、驚かざるを得ない。だからこそ、純粋な感想が零れた。

「あなたなら優秀な死神になったでしょうね」

「バカな事言わないでよ。死神にはならないって約束……って、ごまかさないで、今諦めようとしたでしょ!もうっ!時間ないんだから、また後で怒るからね!」

 切迫した状況にそぐわない、年下の少年からの説教予告。笑みが零れる。こんな風に対等に心配してくれる人は、彼女の周りには少ない。

 これまでの照子は知らず知らずの内に、殻に閉じこもっていた。それを脱ぎ捨てたからこその、少年の反応だが、彼女は達成に感謝する。怒らせてしまったけど、それは真剣に想ってくれている証拠だと、嬉しく思う。

「怒った顔、かわいいね」

 照子が微笑みかけると、達成は耳まで真っ赤にしてそっぽを向いた。

「無駄口叩いてたらもっと怒るよ……後でだけどね」

 明らかに照れ隠しの怒るフリが、不器用でさらに愛おしい。

「はい、はい」

 照子の流し気味の返事に、彼はむくれながらも、縄に再び力を込める。彼女も隣に並んだ。

もうバリアや武器を再構築する余力はない。新たな武器は、今握る縄から生成する。だから―――最後の亡霊が離れた瞬間を狙って決着を着ける。囮役はもう必要ない!

「はっはっはっはぁ、なんだ?なんだ?神の思し召しか?」

 聞き間違いと思いたかった。聞き覚えのある品性の欠片もない男の声、軽快でありながら陰湿さを孕んだ笑いが、背後から聞こえた。まさかと思った二人の予想は、振り向く事によって不幸にも肯定される。そこには数時間前に一度出会い、空の彼方へ吹き飛んだはずの青年がいた。彼は笑いすぎてズレた眼鏡を直し、ニヒルに笑う。

「なんでここにいるの?」

 照子の口から疑問の言葉が遅れて漏れた。

「面白そうなことになってんな?俺も混ぜてくれよ」

 邪魔者が最悪のタイミングで現れ、手に汗を握る。

「さっきのあれな、あれは負けだったよ」

 青年は先の戦闘を思い出しながら言う。まるで独白。照子の質問が聞こえていないように振る舞っている。

「ちゃんと負けは認めるのね?見直したわ」

 嫌な汗が今度は首筋を伝った。嫌な予感しかしない。ここは相手を刺激しない方が良い。

「だろ?先輩にそう言ってもらえると光栄だね。でも、俺はもっと上を行く男だぜ?どう上を行くのか気になるだろ?」

 ますます嫌な予感しかしない。それは達成も同じだろう。

 青年の存在を警戒して、縄を引くことに専念できない。最後の亡霊は余計な頑張りを見せて、英守からなかなか離されない。緊迫した空気は、薄い板でできた橋だ。誰かが不用意に踏み込むと、そのまま踏み抜き、奈落の底に落ちてしまう。そんな気配だけが場を満たす。その薄い板を、青年が嬉々として踏み抜くのと、照子が叫んだのはほぼ同時だった。

「新技のお披露目だ【風針(ふうしん)】」

「達成君、引っ張って!」

 青年が放った針状の風が一本、照子に向かって飛ぶ。針は可視化しているため、避けるのは容易い。―――普段の照子であれば。

「うっ――――」

 左肩に深々と針を刺さるが、照子は耐えた。

「照子さん!」

「いいから、前を向いて引っ張って!」

 照子は自分に構うなと彼に指示を出した。

「さあいつまで耐えられるかな?次は三本」

 予告通り三本の針が再び飛来。針はそれぞれ背中、腕、足に刺さった。

「あああああ」

照子は声を堰き止められず、絶叫とも悲鳴ともとれる声を張り上げる。

痛い。あいつにこんな声は聞かせたくなかった。でも、今はそれどころじゃない。

照子はプライドを捨て、情けない声が出ている事を自覚しながらも、縄を引く力を緩めない。

今大事なことは張り合う事ではなく、目の前の少年たちの安全だ。私にあいつと戦う力は残っていない。ならば、敵の標的が自分になっている間に、亡霊を何とかしなければいけない。耐えろ。私が膝をつかない限り、あいつは私を攻撃し続ける。

針が穿った場所からじわじわと血が滲む。

「死神の血も赤いんだな」

 青年は呟き、恍惚とした笑みを浮かべる。執拗に急所を外して針を飛ばす。彼は照子をいたぶり、苦しむ姿に快感を見出していた。

 ダメージと疲労、力の使用過多によって、照子は今にも倒れそうだ。縄を握った手はしびれ、感覚は遠のいているが、、自分でも意外と思えるほどの気力で何とか立っている。全身の感覚が不明瞭になる中、針によって与えられた痛みだけが、激しく主張する。

 ―――あと、少し。

 亡霊が英守の背から離れ始めた。

青年からの攻撃は止むことはなく、刻々と激しさを増す。

「やめてええええ‼」

 ついに耐えきれなくなった達成が、縄を手放し、青年と照子の間に立ち塞がる。


「それは困るな」

 彼に困った様子はない。むしろ楽しんでいると達成は感じた。

「もうやめて!何でこんなことするのさ」

 聞いて何とかなる問題ではないのは分かっている。奴は異常だ。照子さんを傷つけて楽しんでいる。まるで昆虫の足や羽を少しずつちぎって、観察する子供のように、その目に罪悪感は見られない。

「お前には危害が加えられないから困るんだよな。鎌で先に成仏させて、その女の悔しがる姿を見るのもいいか?」

 青年は顎を手で支えるようにして思案した。

「やめなさい!達成君は早く縄を引いて!」

「おっ、その表情はいいね。セクシーだよ。決めた。お前も同罪だ。憑りつかれているガキが完全に亡霊に喰われ、二人そろって絶望したところを見せてもらう。ただし、その後が本番だ。ガキの前で犯されたら、お前はどんな声で喘ぎ、顔を歪めてくれるんだろうな。ガキぃお前が望むなら、お零れをくれてやってもいいぜ?童貞だろ、最後の思い出作りだ」

 青年はニマリと笑う。それを見た達成の背中は泡立った。―――こいつは人間じゃない。

「まるっきり理解できないような目だな。いいのか?お前がサボってる間に……ホレ」

 青年が顎を向けた先には英守がいた。少し離れかけていた亡霊が元の位置に戻り、さらに染み込むように英守を侵食し始める。

 だが、達成が縄を引くために、元の位置に戻れば、確実に攻撃が再開する。奴だけが楽しむ残酷なショーが再開してしまう。

「英守―――‼」

 達成は叫ぶ。

「お前が手を離したんだろ。叫んで何の意味があるんだよ。叫んでないで、さっさとその縄引っ張れよ。早くしないと、お友達が完全に亡霊に喰われちまうぞ?さあ!続きをしようぜ!」

 青年が演技かかった声音を出し、大きく手を広げるが、達成は動かなかった。

「英守―――‼」

「だ、か、ら、叫んで何の意味が―――っ」あるんだよと言う苛立ちの声は、「彼」が発した小さな声で飲み込まれた。

「……ゴール?」

 寝ぼけたように、ゆるゆると力なく目を開けた英守が、顔を上げ、振り向く。

渾身の叫びは届いた。お前を信じて正解だった。やっぱりお前は頼もしい。

「ひーでーもーりぃー‼」

「ゴール!」

 達成と英守の視線が完全にぶつかった。

「英守、見えてるよな。ほんとになんともないか?」

「あ、ああ」

 現状を理解できずに混乱した英守だが、気遣う達成の質問に首肯した。

「な、なんでーーー」

 青年の疑問は、なぜ亡霊に憑かれていながら目を覚ましたのか、なぜ生者がこちらの事を見えるのかという二つの疑問だろう。

「お馬鹿さんにもわかるように教えてあげるわ」

 青年の困惑に解を示したのは照子だ。彼は照子を見てヒッ、と喉に何かを詰まらせたような声を上げた。

「照子さん―――それ……」

 達成も照子を見て息を飲む。

 照子の全身から靄のように、黒い影が湧き出している。彼女は青年に言う。

「あなたは私を追い詰めすぎた。その代償がこれよ」

 照子は蒸気のように湧き出す影を、見せるように手を上げた。

「なぜ亡霊が生まれるのか。今やっとわかったわ―――亡霊は死神が生者に干渉を続けた結果成るものではない。力を使い尽くしたその先を分不相応に求め、引き出せてしまった末に生まれるのよ。私は取り返しのつかないところまで、力を使ってしまったみたい。力尽きる寸前の今の私は、死神であり亡霊」

「だからどうした!」

 青年が唾を飛ばして吠える。

「さっきまでの余裕な顔はどうしたの?お馬鹿さんでも分かったみたいね」

 照子が皮肉めいた笑顔を向ける。うるせー!と喚く青年に取り合わずに話続けた。

「今の英守君は亡霊に食べられかけた状態。だから私たちを知覚できる。そして、完全に取り込まれないように、私が干渉しているの。今すぐにでも亡霊は引き離せる―――亡霊を私に取り込む形でね。あなたはそんな私に勝てる?もう、思い通りにはならないわ」

「ばーっかじゃねーの⁉そんなことしたら、次はお前が亡霊になる番だ。予想外の展開だったが傑作だな」

青年は無理に笑おうとするが、顔が恐怖に引きつっている。

「ねえ、照子さん―――亡霊になんてならないよね?」

「……」

「ねえ!」

 否定してくれよ!助けてくれた照子さんが亡霊になるなんて、何かの間違いだ。違うって言ってくれ。

 達成の必死の追及に照子は目を伏せて沈黙する。その沈黙が、これから起こる最悪の事態を肯定している。

「達成君、そんな悲しい顔しないで?私、頑張ったよ?大丈夫。亡霊になってもあのキモ眼鏡をやっつけるよ。それでまた力を取り戻して、復活できるかもしれないでしょ?」

 青年は恐怖に身を竦ませた。

 照子は達成を安心させようと言葉をかけるが、達成には照子の向ける笑顔が痛々しく見え、堪えていた涙が決壊した。

「違う。違うよ。心配してるのはーーー」

「分ってる。大丈夫。きっとそのうちどこかの死神が成仏させてくれるよ」

 自分に言い聞かせるように言う「大丈夫」には説得力はない。明らかに無理をしている。青年を脅すために言った言葉も、達成には無理をしているようにしか聞こえない。彼女の表情から、そんな未来はないと分かってしまう。消えた亡霊が成仏しているのか、ただ消滅するのかは、知らないと言ったはずだ。

どうして、この世はこんなに救いがない。どうして、僕にはこんなに力がない。力をくれ。どこの誰でもいい。力でも、知恵でも、なんでもいい。今を変えられる力を、僕がただ泣く以外に出来ることを、誰か僕に教えてくれよ。

 達成は声を押し殺すように涙する。歯を食いしばる彼の頭が優しく包まれた。

「私ね。君にいろいろ話せてすごく楽になったの。私にとって君は特別よ。私ね、予防線を張って、自分が傷つかないようにしていた。でも君がそんな私を変えてくれたんだもん。私は救われたの。だから、どんな結果になろうと、君には幸せな最期を迎えてほしい―――英守君に伝えたいことがあるんでしょ?」

 そっと胸から頭が離れ、英守の方へと背中を押された。後ろ髪を引かれる想いで、達成は進んだ。

「できれば、私があなたを導きたかったけど、それを言うのはわがままよね」

人知れず照子は呟いた。

「僕―――。照子さんに導いてもらわないと嫌だから―――。話し終わるまではちゃんと待っててよね」

 照子の呟きが聞こえていないはずの達成は、背中を向けて言う。彼女からの返事はないが、頷く気配を感じる。

 英守は何とも言えない微妙な表情をしている。向かい合うと、今まで考えてきた言いたかった言葉がうまく出てこない。

 先に口を開いたのは英守だった。

「ごめん―――達成が死んだのはやっぱり俺の」

 達成は全力で頬を殴った。半分亡霊化した英守が背中から倒れる。

無防備な顔面に触れた事には驚いたが、悔いはなかった。冗談で殴った訳ではない。全力で殴ろうと思って、殴った。

 英守は何が起こったか理解できないような、怯えた視線を下から向ける。

「ご、ごめ―――」

 謝ろうとする彼に再び拳を振り上げる。英守は恐怖から頭を抱えた。

「……なよ」

「え?」

 聞き取れなかったのだろう。英守が聞き返した。

「謝るな!お前のせいなんかじゃない、一方的に責任被ろうとしてんじゃねぇよ。お前は俺の保護者か!殴ったのはお前が、俺を対等に扱ってねぇからだ。親友じゃないのかよ!」

 達成が差し出した手を、英守はまるで信じられない物を見たように見つめて言った。

「―――ゴール、俺、お前の親友で良いのかな」

「何度も言わせんな」

 達成の手で立ち上がった英守。二人は強く抱きしめ合った。互いを認め、支え合うように力が入る。

「ごめんな」

 今度は僕が謝る。それは殴ったことに対しての謝罪なのか、それとも思い詰めさせてしまった事への謝罪なのか。たぶん両方。

「僕、嬉しかったんだ。気付くのが遅くなったし、照れくさくて、素直になれなかったけど、お前と居て、楽しかった」

「俺もだよ」

「良かった。もう伝えられないかと思った。だけど、照子さんのお陰で、最後の最後にチャンスができて良かった」

「俺さ―――」

英守は言おうか躊躇っていたが、少しの間をおいて、達成を強く見つめて言った。

「―――もっと、お前と遊びたかった」

「うん、僕もだ」

「なんで、俺じゃなくてお前なんだよって、ずっと思ってた」

「僕は、お前じゃなくて良かったと思ってる」

「ずるいよ、ずるい……」

 そう言って、英守は崩れ落ちた。

「……」

 死にたくない。もっといっぱい伝えたいことがあるはずなのに、涙しか出てこない。言葉にできないけど―――だけど、たぶん、通じてる。

 涙は流れるままにした。もう最後になるかもしれない。親友の姿を瞼に焼き付くほどに見つめる。

「僕は先に逝くよ。お前はゆっくり来いよ。土産話がつまらなかったら追い返すからな」

「ふざけんな」

 英守は立ち上がり、涙を拭って続けた。

「ゴールが腰抜かすような、すごい話持ってくに決まってる―――待ってろよ。これが最後じゃ―――」

「最後じゃない。絶対に待ってる」

 言葉を遮り断言する。

 どちらともなく小指を絡めた。そして、頷き合う。

「そうそう」と達成はなんてことないように言う。

「あの本、僕がむこうに持っていけるようにしろよな。むこうに本がなかったら、待ってる間暇だからさ。あと、―――」

ここからが本題だった。

「お父さんとお母さんにも、よろしく頼むよ。無理かもしれないけど、落ち込まないでって、立派な大人になれなくてごめんなさい。先に死んでごめんなさい。迷惑たくさんかけてごめんなさいって」

 やっと口に出来た謝罪の言葉に、英守は首を横に振った。

「こういう時はありがとうって言えよ。二人の子供で、幸せでしたってな。謝ってばかりだと、逆に落ち込ませるぞ」

 英守は、いたずらっぽく笑う。任せても安心だ。

「じゃあ行くよ」

 達成は背を向けて照子の方へ向う。照子は辛いだろうに、微笑んで待っていた。

「本、いっぱい届けるから!お父さんの書庫からもいっぱい、いっぱい、ゴールが読んだことない本、いっぱい届けるから!」

 親友の最大限の優しさで、拭った涙が再びあふれる。背中越しに軽く手を上げて答える。最後に覚えていてもらう顔が泣き顔だと、恰好がつかない。

「もういいの?」

 もう明らかに限界を超えているだろうに、照子さんは微笑んだ。

 達成は頷く。

「私ね。最初から心配だったことが、一つあるんだ」

 僕は何を心配されていたのだろう。分からず首をかしげた。

「君は初めから、自分のために泣かなかったんだよ。私は散々自分のために泣いたのにさ。年下の君が、この状況で泣かないなんておかしいなって思ってたの。少しは楽になった?」

 照子さんに言われて初めて気が付いた。確かに僕は自分の死で、泣いてこなかった。それよりも、罪悪感の方が強かった。親より先に死ぬ事も、親友を残し、悲しませる結果も変わっていない。だけど、少しだけ心が晴れた。何も解決していなくても、涙と共に、罪悪感が流れ出てくれた気がした。

 英守と話している間に眼鏡の青年は逃げたようだ。照子さんは復讐するために、追う事も出来たが、待っていてくれた。だから、何とかしたい。一番心残りになるとすれば、僕のせいで、照子さんが更に辛い状況になってしまうことだ。最後まで諦めたくない。

「むこうに行く前に提案なんだけどさ、英守に憑いた亡霊も、照子さんの影も、僕が引き受けることはできないかな」

 できるかどうかは分からない最後の悪あがき。照子さんは一瞬言葉を詰まらせた。その一瞬の間と表情だけで充分。

「それなら二人とも助かるんだね?」

良かった。まだ方法はあったんだ。

「ダメよ!そんなことしたらあなたがどうなるか分からない」

「それはお互い様。大丈夫、喰われないように頑張るからさ。できるだけ急いで冥土に送ってよ?ね、メイドさん」

 不安が無いわけじゃないけれど、できるだけ、なんともないように言えているだろうか。

「ダメ。気持ちは嬉しいけど、できないわ」

 照子さんが言い訳を探すように目を伏せた。

「照子さんが亡霊になったら、誰が英守を亡霊になった君から守るのさ」

「英守君には、急いで逃げてもらいましょ。私も耐えるから」

 僕は首を振る。

「ダメだよ。確実性がない。この方法が、一番希望が持てるんじゃないかな」

「やっぱり押し付ける事なんてしたくないよ。それに、力が足りないわ―――初めてする事だから、どれだけ使うことになるか分からない」

 照子さん自身、言い訳と分かっているのだろう、これまでになく言葉がたどたどしい。たぶん照子さんの制御下に影があるなら、僕に移すことくらい、できなくはないだろう。

「照子、すまないが聞かせてもらった。もう折れ時だ。不安な分は、私の補助で何とかしよう」

 ざらついた男の声が会話に割って入った。深く被ったフードのせいで、表情が読めないし、威圧感がある声質だが、言葉の内容は不思議と親しみが滲んでいる。

 黒いロングコートの男。新たな乱入者は、いつからそこにいたのか、敵意も見せず悠然とこちらを見ていた。

「なんであなたがここにいるの」

 照子さんが身構え、硬い声で問う。それを見て達成も思い出した。

 この男は照子さんの会話に出てきた男。照子さんを天国に送ろうとした、最初の死神。

彼は警戒心を高める照子に言う。

「そんなことはどうでも―――いや、また逃げられても、戦いを挑まれても面倒だ。正直に言おう。お前は変わった。俺と戦った時よりも格段に力をつけたのは、噂で聞いていたし、相当な努力をした事も知っている。亡霊を制御下に置き、なおも死神として留まるというのは、私にはできなかった。私がここにいるのは、我々『迅速派』にマークされるほど君が力をつけたからだ。ただ、私個人の意見としては、今の派閥間のいざこざは、意に沿うものではないし、私の失態で導き損ねた少女が、亡霊に堕ちるのも、少年たちが犠牲になるのも、寝覚めが悪い。納得できる理由だろ。どうする?力を借りてみないか?」

 上から目線だが、彼は協力を申し出ている。

 照子さんは鋭い目つきで男を睨み続け、無言のままだ。彼女の葛藤が見えるようだ。

「おじさん。お願いします。」

 僕は一歩前に出て頭を下げる。

「んな⁉『迅速派』の人間なんて信用できないわよ」

 照子さんが目を剥く。

でも、こうする他ない。だって、

「力を借りれば―――照子さんも英守も助かるんだよね?」

 僕はコートの男に質問を投げた。

「お、おじさ―――ああ、お前も含めてな」

 一瞬、傾いだ男が、気を取り直し、殊更何でもないように答える。

「証拠がないわ。私をマークしていたのよ?名前も分からないこんな奴、信用できないわ。きっと、取り返しがつかないところで、裏切るに決まってる」

 照子さんは敵愾心を抱くあまり、冷静に判断できていないのだろう。それは僕らを想っての事だが、照子さんが助かる道は他にない。彼女は自分を蔑ろにしすぎている。

「この人の力を借りなきゃ、みんな救えないじゃないか。それに」

 英守が並び立ち、その先を言った。

「騙してもこの人に何のメリットもないだろ?あの人が戦う気になったら、その時点で取り返しがつかないんだ。手伝うフリをする必要が、あの人にはないよ。メイドのお姉さん、俺からも頼むよ。」

 状況をずっと見守ってくれていた英守からの援護射撃。

「確かに、私の話には証拠は何もない。なら、これでどうだ」

 男が指を鳴らすと、何もない空間から突然眼鏡の青年が現れる。それも、鎖でグルグル巻きにされ、簀巻き状態だ。

「な、何なんだよっ!せっかく逃げたのに、照子!お前か!まだ力を隠し持ってたのかよ」

 青年が後ろに立っている男に気付かず喚き散らす。全員がコートの男の行動に驚き、沈黙した。青年の声だけが、教室に響く。 

「黙れ三下」

 男が指を鳴らすと、今度は青年の口が、接着でもされたように開かなくなった。青年はさらに混乱して、モゴモゴと叫び、簀巻き状態でもがく。

「黙れと言った。見苦しい」

 男が容赦なく青年の頭を蹴り上げ、青年は意識を失い沈黙。

「ちょ、ちょっとどういう事⁉」

 照子の問いに男は答える。

「うるさいから意識を狩った。それに、もし、お前が亡霊化させられる事を疑っているなら、その時は、コイツ共々この鎖から力を奪えばいい。『迅速派』で開発した鎖だ。何人分もの死神の力でできている。俺の経験上これだけの力を取り込めば、一発で死神に復帰できるだろう。それに、この鎖はただの拘束器具ではない。いわば『迅速派』にとっての秘密兵器。これの存在を『説明派』のお前に明かした時点で、俺は査問に掛けられるか、『野良』になるしかない。そもそも、無断で持ち出しているからな。どうだ?」

「そんなの、私が亡霊になってからどうにでもできるでしょ!」

―――全く。

「会話になってないじゃないか」

 我慢しきれず会話に割り込んだ。

「ゴールの言う通りだな。おじさんもお姉さんも会話下手すぎ。理屈で固めてるけど、内容は小学生以下かっての」

 英守も同じくモヤモヤしていたようだ。

「英守、言いすぎだ」

「いや、すまん」

 小学生以下というのは言い過ぎにしても、ほぼ同感だった。黒いコートのおじさんは先回りして、証拠を固めようとしている。だが、うまく立ち回るほどに、照子さんの警戒心を高めてしまう。照子さんは度重なる疲労や負傷、さらには過去の出来事を引きずって、冷静な判断ができていない。

僕が言いたいことは英守の方がうまく話せるはず、目で先を促した。

「さっきも言ったけど、そもそもおじさんはこれだけ強いんだから、その気になればもう俺らは倒されてるよ。あとは信じるか信じないかでしか、話は進まないんだ。俺らはあの人の力を借りたいし、信じようと思える。メイドのお姉さんは、あの人といろいろあったようで、信じきれないようだけど、それなら、あの人を信じてみようと思った俺ら―――少なくとも、ゴールぐらいは信じてあげてよ」

 寝覚めが悪いだけで、助ける理由になるのかは分からないが、人を助けることに理由を付けなくても行動できる人はいる。照子さんも、その一人だ。おじさんは外見こそ怪しいが、不器用なだけかもしれない。眼鏡の青年のように人を傷つけることで優越感に浸ったり、プライドが卑屈な方向に高い人種もいるようだが、彼は違う気がする。彼の何が分かっているかと言えば、何も知らないのが正直なところだが、これまでの行動は不器用な彼なりの、伝わりにくい誠意なのではないか。これまでの行動から、相当の実力者であるのは分かる。彼がその気になれば、攻撃も協力も、勝手にできるはずだ。それをしないのは、照子さんに認めてほしいのではないだろうか。

 推測の域を出ないが、英守はそのあたりを理路整然と話してくれた。話の筋が通っているため、説得力がある。

 照子さんは黙って考え、コートのおじさんは結論が出るまで、黙って待つようだ。

「説得、うまくできたかな」

 その不安な表情は、さっきまで堂々と説得していた人物とは思えない。あまりのギャップに吹き出しそうが半分、呆れが半分、そして、少しだけ尊敬した。だから、

「上手すぎて、詐欺師にでもなるのかと思った」と皮肉交じりに褒めてやる。

 英守が反論しようとした時、照子が口を開いた。

「わかったわ」

 顔を上げた照子さんの目を見れば、結論と覚悟が伺える。

「変なことしたら、死んでも殺す。分かったわね」

男はああ、とぶっきらぼうに頷き、おもむろに、こちらに向けて腕を上げた。

度重なる戦闘に皆、条件反射で身を固くした。

男は「大丈夫だ」と言ったようだが、安心させるために言ったと気付くのには、少し時間が必要だった。ざらついた声質は他人の不安を煽る。彼はどれほど損をしてきたのだろう。

男が指を鳴らすと、僕の周りに力が集まるのが分かった。照子さんが展開した防壁よりも、強い力を感じる。何かが発動したことは分かったが、それが何なのかは分からない。信じるしかない。

「少年、縄を持て、照子の影や、友人に憑いた亡霊が、縄を伝って自分の中に入ってくるように意識しろ。制御は私が行う。拒絶するな、心を開け」

 心を開け?それどうやって?と思わなくもないが、とりあえず、やってみるしかない。僕は指示通りに縄を握り、深呼吸して集中する。縄を握る手の感覚、魂だけになっても不思議と感じる自分の鼓動、縄も自分の一部に感じるように、感覚研ぎ澄ます―――ぼんやりとだが、何かが伝わってくる。暗闇で手探りしている感覚。そこに何かはあるのに、何に触れているのか、漠然としているような。これでいいのかな、なんて考えていると。

「センスがいいな。来るぞ」

 緊張を孕んだ男の声とともに、流れ込んでくる。これか、と直感した。

 縄は黒く染まっていた。手から重い塊がズルズルと入り込む嫌な感覚。そして、締め付けられるような圧迫感が苦しい。だが、さっき経験した脳内を暴れ狂う大量の呪詛と比較すると、幾分かマシだ。

「大丈夫?」

 とても心配そうな照子さんに、精一杯強がって頷く。 

全然大丈夫ではないけれど、照子さんはこれ以上の苦しみの中で戦っていたんだ、と思うと頑張らない訳にはいかない。

 僕の全身が黒い影で覆われると、照子さんからも、英守からも影は消えていた。

「成功だ。早く導いてやれ」

 男の指示を無視し、照子さんは、「準備はいい?」と念を押して確認をしてくれた。縄から小振りの鎌が作られる。彼女はいつでも振り下ろせるように構えている。

 やっぱり怖いなと思うが、「よろしくお願いします」と頭を下げた。痛みと重苦しさで、呼吸もままならない。話すのが辛い。脂汗が止まらない。一秒でも早く解放されたい。

でも―――

 鎌が振り下ろされる。僕の身体を易々と通過したが、斬られた痛みはない。 

黒く染まった身体が、斬られた端から光になって消えていく。少しだけ、身体が楽になった。

「ありがとう」

 楽になった口で、照子さんに礼を言った。ほとんど消えてしまったが、最後に英守に向き直る。苦しさよりも、やっぱりこいつにカッコ悪い所は見せたくないという気持ちが勝った。すでに泣いている親友は何かを叫んでいるが、もう聞こえない。

「じゃあ、行ってくるね」

 なんてことないように、かっこ良く言えたかな。ちゃんと聞こえたかな。うまく笑えてたかな。

「ありがとな」



次が最後の章になります。

明日も19時に更新予定となってますので、よろしくお願いします!

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