五冊目 エピローグの先は
いよいよ完結です。
ただの落選小説に終わるだけだった私の作品を、ここまで読んで頂き、感謝しかありません!
ここからがやっと書きたい内容に突入した記憶があります。
(書き始めてから丸一年以上経過しているので、記憶が定かではありませんが……笑)
では、初心者が7カ月以上かけて執筆した小説のラストをどうぞお読みください!!!
五冊目 エピローグの先は
「私の実験体になれ」
何がどうなって、こうなった。僕は冷静に思い返してみる。
照子さんの鎌で斬られた後、気が付くと、別の場所にいた。太陽もないのに煌めく大河の前で立ち尽くしている。
あまりの美しさに、僕は無心で大河まで近付き、流水を手に取ろうとする。
「馬鹿者!知らんものに無暗に触るなと、親から教わらなかったのかぁっ!」
背後から怒号が飛ぶ。慌てて手を止め、振り返る。
顔を真っ赤に染めた老人が、のっしのっしと力強く歩いてくる。年齢を感じさせない、活力に満ちた足取り、背骨に棒でも入ったかのように姿勢が良く、紺色の法衣姿には威厳がある。そして、やや髪が薄い―――とは謙遜が過ぎるが、端的に言うと剥げた老人。
達成は大河から離れた位置まで、腕を問答無用で腕を引っ張られる。
「す、すみません」
「何を間違ったのかわかってないのに謝るな。とりあえず座りなさい」
謝る達成に老人は、ぴしゃりと叱った。
達成は訳の分からぬまま、ちょっと痛そうだなと思いながら、玉砂利の上に座る。
「説教の時は正座が基本だろうが!」
小学校での習慣、体育座りを理不尽に全面否定された。玉砂利とはいえ、石の上で正座なんて、と脛の痛みを予感し、慄くが素直に従った。
その様子を見ていた老人は、ふむふむと頷き、「あの小僧にもこんな聞き分けの良い小僧ができたか」と何やら一人で満足し、「お前も、あいつも災難だったな」と遅れて表情を曇らせる。
老人に話の主導権を持っていかれ、呆気に取られていた達成だが、気を取り直して質問する。
「あいつって誰の事ですか」
老人は、話すかどうかを躊躇うように、腕を組みつつ目を閉じる。そして、ゆっくりと諭すように語った。
「世界には理不尽としか思えない事で満ちている。自分の力では、なんともならないと、絶望するほどの高い壁にも幾度も出会う。期待も努力も大抵報われない。わしもまさか、良く世話を焼いていた小僧の倅が、こんなに小さいうちに―――こんなに」
老人の言葉が止まり、目から涙が流れた。
胸の内では、その涙と同じように、言葉が溢れ出しているようだ。
達成は言葉を探す老人をただ待つ。なぜ老人が泣きだしたのかは分からないし、自分とどう関係するのかは分からない。こんな時、英守がいてくれたらと、話し上手な親友を思い浮かべて待った。
老人の話は長かった。しかし、ただ長いだけの話ではない。僕は楽しかったが、楽しんだ分だけ切なくなる。そんな話だ。
老人は英守の祖父。英守の霊感を誰よりも気に掛けていた。英守は祖父である彼の影響を強く受けたようだ。そのせいで常人には思いもよらない災難に巻き込まれるかもしれない、と心配していた。実際、僕がここに来るまでの間に、様々なトラブルに見舞われてた。その責任の大方は僕にあるのだが、英守は逞しく生きている。そして掛け替えのない親友だと老人に伝えることができた。老人の難しい顔を見て、また怒られるかなと思ったが、彼は慈悲深い笑顔で頷くだけだった。
怒られる事が杞憂に済み、魔が差す。自然と視界に入る、老人の毛髪事情を英守と重ねた。あいつも将来こういう事で悩むのかな、と笑いそうになるが、今は口が裂けても言えない。僕だけの秘密。何とか毛髪の事を意識しないように話していると、さらに驚きの繋がりが判明。世間は狭いと思わされるばかりだ。
老人は僕のお父さんを、よく知っていると話した。小さい頃、よく叱ったらしい。叱られてばかりいる僕としては、想像ができない。そんな僕を見て老人は「ほほぉ、うまく隠したものだ」と笑っていた。
老人はその笑顔で、お父さんが昔起こした事件やいたずら、屁理屈の数々を教えてくれた。彼の話が上手だったため、僕は思惑通り驚き、お腹を抱えて笑う。
だが、楽しんだ分だけ、感情の揺り返しは大きい。僕はこの老人のように、将来両親が面白おかしく、昔話をする権利を奪ってきてしまったのだから。楽しんだだけ身に積まされる。
こうして、長い昔話をしていると、いつの間にか周囲に人が集まっていた。
元亡霊の皆さんだ。彼らが無事こちら側に来れたことを、手段があるなら照子さんに知らせたいと思った。彼らが無事だったことが素直に嬉しい。老人の話が終わるのを待っていたのだろう。元亡霊の皆さんから、猛烈な勢いで、感謝と謝罪の言葉を受け取った。そして、みんなと生前の話をした。それぞれの人生にドラマがあり、時にはみんなで笑い、涙した。
「僕も長く生きれたら、いろんな経験ができたのかな」
意識せず漏れた僕の呟きを、老人が拾う。
「流れる大河を渡ると、徐々に感情まで流される。無事に向こう岸に辿り着くには、皆さんの協力が必要じゃ。頼む。もう少しだけ、この小僧に冒険させてやってはくれないだろうか」
反対はなかった。むしろ、皆が燃えていた。僕は戸惑い、されるがままになった。
老人だけは英守たちに会うまでここに残りたい、と申し訳なさそうに見送ってくれた。僕も英守や両親に会うまで待とうとも思ったが、老人から「若者が冒険しないでどうする!」と最後の一喝を受け、決意した。老人には、両親や英守たちへのメッセージを託せただけでも幸運だ。元亡霊さんたちの協力で、一人だけ大河の水に触れず、無事に渡り切った。みんな最後の最後まで嬉しそうで、励まし合い、目を輝かせていた。
場面は戻る。
「実験体になれ」
長くしなやかな黒髪と童顔だが美しい顔立ち、小柄な身体に白衣を羽織っている。お姉さんは白衣のポケットに手を突っ込んだまま、見た目にそぐわない命令を出す。
唐突かつ非常識な内容に、僕は呆気に取られた。反応できないままに、彼女の話は続く。
「一応説明しておく。抵抗しても無駄だからするな。ここまで自我を保って来れる個体は希少だ。強い感情や自我があることは確かだが、分からないことはまだ多い。私の実験体になれ」
そもそも、元亡霊さんたちの助けがあって、僕はここまで来た。僕は彼女が言う、実験体に相応しい人材ではないのではと疑問に思う。だが、言えない。見覚えのある虎柄頭が泡を吹いて倒れている。虎次郎が僕と同じく死んだことにも、大河を渡ったことにも驚いたが、彼をこんな状態にしたであろう人に、意見なんてできない。ここに来て、状況がまた目まぐるしく変わっている。この虎柄頭の男に出会ってから、頭が混乱しなかったためしがない。
「あの、拒否権は―――」
「ない」
即答でした。一応聞いたけど、やっぱりそうだよね?と思わず納得。直感的に意見を譲らない人だと分かった。
ため息をせずにはいられない。そんな達成の心境を察してか、彼女は嬉しい追加説明をしてくれた。
「だが、実験体も悪い事ばかりじゃない。私の許可する範囲内であれば、いろいろと融通してやらんこともない」
かなり傲慢な発言だが、表情にも佇まいにも、何の衒いもない。言っている事がめちゃくちゃなのに、仕方ないと思わせるのはもはや才能か。
実験体という、およそ人に使用してはいけない言葉を使われ、随分恐ろしい事に巻き込まれそうな予感だけは十分にあった。でも、悩む以前に選択肢がないのなら、いっそチャンスと考えるべきだ。
お父さんが僕に新しい仕事を教える際、「神木家の男児たるもの、ここぞという時には覚悟を決めろ」と腰が引ける僕に言った。こうなったら、なるようにしかならない!
「分りました。いろいろ融通して頂けるんですよね」
不測の状況にも、免疫が付き始めたかもしれない。元気よく言い放つと、彼女はほぉー、と無表情のまま、どのような感想かわかりにくい声を上げた。
彼女は白衣のポケットに両手を入れたまま何も言わない。表情に変化がないため感情が読みにくい。だが、少しだけ笑った気がした。肯定の合図と勝手に解釈し、早速要望を言った。
「じゃあ僕、読書―――もしたいんですが、」
ピクリと眉が動いたため、失敗したかと感じた。口をついて出てしまった願望に慌てて付け加える。
「えーっと、死神についてとか、ココが何なのかとか、皆さんのことなんかも―――僕が知らない事、たくさん教えて頂きたいです!ダメでしょうか?そのためなら、なんでもします!」
身振り手振りが必要な内容ではないが、必死に訴えた。やりたいことをするために、なりふり構っていられない。自分は状況に適した事を話せているのだろうか。何が正解かなんて分からない。不安に感じても、今は進むしかないと思った。みんなが繋げてくれたから、僕はまだ死んでも死んでない。どれもこれも知りたいのは本当のことだ。嘘はない。だが、余計なことを話過ぎたかと、弱気が顔を覗かせる。
彼女はじっくり僕のことを見ている。見られているだけで身体が強張り、汗をかく。
「誰か助けて!」と心の中では叫び散らしているが、周囲にこれだけの数の人がいるのに、物音が全くしない。服が擦れる音もしない。唾液を飲み下す音さえ、響きそうだ。
誰もが黙って成り行きを見つめている。心なしか、彼らも緊張しているように見え、緊迫感に拍車がかかる。張り詰めた沈黙を破ったのは、やはり彼女だった。
「いいだろう。それくらいお安い御用だ。私も読書は好きだ、本はたくさん持っている。探せば気に入る本もあるだろう。いくらでも読め。知りたいことについても教えてやろう」
彼女の寛大な言葉に周囲が騒めく。最も近くに控える金髪の青年は、目を丸くして驚いた後、口を引き結び、視線を落とす。
彼女は周囲のざわめきを歯牙にもかけず、「ただし」と続ける。ポケットから出した手で指を一本立て、唇を歪めた。
「耐えられたらの話だがな」
その言葉で人々がどっと沸いた。
「あの誰にも隙を見せない室長が、子供趣味かと思って驚いた」
「だよな。俺もあまりに寛大だから耳を疑ったが、なーんだ、できるはずないと思ってのことか」
「さすが我らの女王様だぜ、残酷がデフォルト、堂々と非道だ」
「みんな、それはタブー」
「え、あ、やばい!どれがまずかったかな」
「どれもこれもまずいよ。聞こえたらどうす―――ゴフぇ」
何らかの力が働いた。騒めく人々が一斉に、まるで目には見えない何かに額を弾かれたように、大きく仰け反る。
「聞こえている」
彼女は振り向きもしない。淡々とした口調だが、ご立腹のようだ。
達成は彼女も不思議な力が使えると知る。まるで死神のような未知の力。照子との共闘があったことで、必要以上に怖気づかずに済み、彼は覚悟を決める。
死神管理局について調べる。あの理不尽な状況を、ゲーム感覚で管理している奴を見つけてやる。一発殴ってスッキリしたら、気持ちよく本を読もう。溺れるほど読んでやろう。
「あああああああ―――」
検体コード『G-001』の腕章でナンバリングされた少年が、感電したかのように身を震わせ、崩れ落ちる。腕章の『1』が手書きで『L』に直されているところに、若干抵抗した痕跡があった。
「もうこんな実験やめませんか」
実験の様子を見届け、心配するように言ったのは、エデン総合神通力研究部第二研究室、室長補佐のスウィングだった。
「お前が実験体の心配をするなんて珍しいな。さて、被検体の感想を聞きに行くとするか」
スウィングの話を一方的に切り上げた千鶴は実験体に悠然と歩み寄る。
涙や鼻水を垂れ流したG-001は、神通力を回路化した陣の中央で倒れている。陣は機器に囲まれ、そこから様々な配線が、この実験の原動力で、核となる黒い球体に伸びている。核とは【神通力】を濃縮した結晶だ。神木先輩はこの膨大なエネルギー物質を製作するに当たり、何度も制御に失敗し、第一研究室を更地に返したという。
もちろん、彼女は決して不出来な研究者ではない。むしろ右に出るものがいない天才だ。そのことは僕だけでなく、このエデンの誰もが知っている。だからこそ、先輩は第二研究室という部署に左遷させられたのだろう。人員も資材もない部署で彼女の研究を妨害するために。第一研究室の室長や重役は、神木千鶴に頭を冷やす時間を与えたのだ。実験の度重なる失敗を責めたのではなく、彼女の志を折ろうとしたのだ。
彼女は神を殺そうとしている。標的がいる安い復讐などではない。自分が死ぬための、『自殺』を研究しているのだ。彼女の研究が完成した時、彼女は死んでしまう。誰が理解できるというのか。
しかし彼女は左遷後に、さらに研究に没頭した。彼女としては、左遷はこれまでの経緯から勝ち取ったもの。「意図的な左遷で栄転」だと言う。誰も彼女に死んでほしくはない。第一研究室だけではなく、神々全体の願いは現在進行形だが、彼女は着々と実験を進めている。
最近は停滞気味かと感じていたが、ここにきて停滞を脱した気配があった。彼女の頭脳や神通力には誰も敵わない。実験は誰にも止められず、目的は誰にも、いや、少なくとも今エデンにいる神々には理解できない。あの少年が現れるまでは、誰一人理解者がいなかった。
「神に飽きたから、面白い事をしたい」とはなんだ。「自殺」と「面白い」がどうして結びつく。この動機に納得できる訳がない。神に死は訪れない。この逃れられない神の運命に、絶望した者はこれまでもいた。彼らは皆、【神通力】によって自ら仮死状態となって眠っている。ほぼ永遠の睡眠は一種の死だが、彼女にとってその方法は、面白くないらしい。
以前、この実験について、多くを語らない先輩の記録を盗み見たことがある。研究内容を知ることは、後輩としての、仕事の範囲内だ。短い時間で見た記録の中で、三度以上実験を行った前例はない。神と普通の人間では、見た目以上に大きな差がある。剥き出しの魂の存在である彼らは、強い負荷に耐えられない。偶然エデンまで辿り着けたとしても、時間経過とともに感情を失ってしまう。実験によるストレスは感情消失までの期限を大幅に短くする。このことは僕が赴任する以前に、二千人ずつ組み分けした比較実験でも証明されているはずだ。少年が実験を受けたのはこれで三度目。これは、先輩の記録にも前例のない領域。生還することが絶望的な状況。しかしなぜだろう、彼女の振る舞いは、実験体の生還が前提のようではないか。G-001に対する期待値の高さ、その根拠はなんだ。
「G-001、いつまで寝ている」
神木千鶴は検体コードG-001とナンバリングされた少年の頬を、持っていた本でぺちぺちと叩いた。
「……」
「起きないなら読書はお預けか」
「―――読むよ。死んでも読む。それに、G-001なんて呼ばないで、僕は達成だ」
達成は千鶴から本をむしり取った。ムッとした表情の千鶴には構わず、読書モードに突入する。そして、開いたばかりの本をすぐに閉じ、瞑想する。
G-001は私の予想通り生還した。読了後、物語に浸りたくなる気持ちは良く分かる。礼儀がなっていないが、壮絶な実験の後という事で大目に見てやろう。それに、余韻も含め、私でも読書を邪魔されたくない。今の彼は一瞬で本を熟読できる。常人には本の小口をなぞったようにしか見えないだろう。いくら速読と言っても、読んでいるか怪しいレベルだ。事実を伝えたとしても、口をそろえてそんな馬鹿な、と言うだろう。もしくは今のスウィングと同じように、唖然とするのだろう。あの顔を見れたのだ、大方予想していた実験結果を、彼に黙秘していた甲斐がある。予想以上の面白い顔だ。
実験後の読書は、これまでも行われてきた行為だったが、実験回数を重ねる度に、読む速度は格段に上がっている。個体差はあるが、比較実験でも、その傾向はあった。推測では実験体に対して、私の神通力が影響している。人生読取では、膨大な情報が強制的に頭に流れ込み、短時間で体験することになる。その大きな負荷が、読もうとする気持ちを前提に、読む能力を飛躍的に向上させると仮説を立てていた。段階的に行わなければ、感情の崩壊や喪失に繋がりかねないが、G-001は読書好きで、遠い私の子孫でもある。負荷に耐え切る可能性は高かった。しかし、ダメージは想定以上に軽微なものだ。それは、読書に対する只ならぬ執着と、現世で別の魂を、体内に宿す荒業を経験したせいかもしれない。仮説だらけの研究だが、今回の実験で、最終目標にまた一歩近づいたのは間違いない。
「最後は主人公とヒロインにも生きてほしかったな。なんかさ、二人とも愛し合って満足して死んだみたいだけど、他のみんなが生き残ったのに、あの二人だけ死ぬなんて納得いかないよ」
余韻から抜けた僕は不満を言う。
実験は辛いけど、読書をすることで、気持ちに区切りが着けられた。今回の本は、ラストには不満があったけど、不満が出るほど引き込まれた。千鶴さんは毎回面白い本を準備していてくれる。
「それは、お前がお子ちゃまだからだ。あと、まだコード以外で呼ぶ約束はしていないな」
まだ、ということは可能性が残されている訳で、これ以上駄々を捏ねる必要はない。だが、この約束を取り付けるより、先にしなければいけないことがある。少し延期していたが、次の融通してもらう約束は決まっていた。千鶴さんにも事前に打診している。
「じゃあ次の約束は【死神管理局】の案内だよ」
「わかってる。ただ、一回目の実験で、私の所有する全ての本の閲覧許可。やはり、文字が書いてあれば、本と言うのは屁理屈すぎないか」
千鶴さんがこれまで、何度も議論していた話を、不満な顔で訴える。
僕が一回目の実験の報酬として得た権利。文字が書いていれば、形態を問わないという我ながらとんでもない屁理屈は、一歩間違えれば千鶴さんの機嫌を損ね、無報酬のモルモットになる危険性もあった。結果的にはナイスな機転だっただろう。危険性は今だからこそ、冷静に分析できる。あの時はただ必死だった。この権利により、念願の読書だけでなく、この世界の事や研究の情報、そして千鶴さんの目的を知り、新しい目標ができた。
僕は目標のために、研究を手伝うことにした。表向き『自殺』となっている、この研究の本当の目標は、彼女の日記に書かれていた。真の研究を知ると、笑ってしまう。彼女は素直じゃない。素直になった方が、研究も捗ると思うが、周囲の反発も込みで研究を楽しんでいる節があるから、どうしようもない。その後、日記を読む機会は当然なかった。相当恥ずかしかったようで、『本の閲覧許可』についての議論を、度々蒸し返す。
「できる範囲の融通だったでしょ?ぼくはお子ちゃまだしね」
些細な意趣返しにデコピンされた。結構痛い。でも、頭に穴が開いていないため、本気ではないだろう。
二回目の実験では、僕の質問に何でも答えるという権利を得た。プライベートの些細なことまで聞かれてはかなわない、と猛反対を受けた。僕には日記を盗み見た前科があるからだ。そのため、協議の末に、『本に関する事は何でも質問できる』と修正された。質問したいことは、大体が本、または屁理屈込みで関連させるため、支障はないと考えた。この権利で、読むだけでは分からなかった事や、新たな疑問を解消できた。だが、限定されたことはやはり痛手だ。千鶴さんは基本いじめっ子体質だから、質問しないと教えてくれないし、口頭説明だけで、手取足取りなんて教えてくれない。都合が悪いとはぐらかされる。どうやって本に関連付けるかが難しく、限定的にしか活用できない。
あの手この手で、獲得した権利を行使する僕に対して、彼女は約束を変更しない代わりに、体罰もとい「躾」が始まった事は余談だ。あまり素直じゃないけど、約束に対しては義理堅い。
「案内の前に打ち合わせをしよう」
珍しく、千鶴さんから積極的な協力の申し出があった。かなり乗り気のようだ。僕の提案は、いじめっ子体質をくすぐったらしい。
大方の神には先輩の表情の読取に苦心するが、僕には分かる。彼女は心から楽しんでいる。その笑顔が自分に向けられていない事が、辛い。
スイングの目には、千鶴の不愛想な表情が、満面の笑顔として脳内補正されていた。
長年サポートしてきた僕だって、先輩の研究記録を盗み見る事しかできないのに、なぜあいつだけ。彼はもう、ただの実験体ではない。先輩にとっての唯一の成功例であり、目標の理解者だ。僕は馬鹿か、なぜ実験体の安否を心配してしまった。なぜ『自殺』に賛同できる。神木の血筋が狂っているのか?
スウィングは無意識に出た舌打ちに、自分で驚く。そして少しだけ冷静さを取り戻した彼は、一時的な苛立ちで、研究者として尊敬する先輩を、罵る対象に入れてしまった自分を軽蔑し、落胆する。
彼は楽しく話し続ける二人を尻目に、実験室を後にする。
先輩たちはしばらく前に出かけたが、同行する気持ちにはなれなかった。
職員が二人にしては、第二研究室は規模が大きい。千鶴が「エデンの土地は無駄に余ってるはずだ。文句がある奴はかかってこい」と有無も言わさず拡張した。スウィングは中庭のベンチで、晴れない気持ちの整理に努力する。
少年に対して敵愾心が沸いたが、相手は、少年、子供じゃないか。何を張り合っている。そもそも僕は先輩に何を望んでいるんだ。
先輩には秘密にしているが、僕は初め、第一特別研究室へ就職していた。だが、秘密裏に先輩の監視をすることを言い渡された。先輩が左遷後に第一に就職したのは僕だけで、顔が割れていなかったのが理由だ。その点で僕は、スパイとして適任だったが、望んでいない役割に当時は不満を持った。しかし、出世を対価にもらうことで、渋々妥協。神に寿命はない。定年退職もない。皆、神生に適度なストレスを求めている。出世に拘りはないが、凡夫である僕がこの先、出世するにはこの方法しかないと、重役には言われた。就職したばかりの僕の伸びしろを、何でお前には分かるんだ。頭にきたが、右も左も分からない世界で、重役に盾を突く勇気はなく、スパイならカッコイイじゃないか、と気持ちをなだめすかした。
第二特別研究室で働き、出世はさほど気にしなくなった。あの勘に触る重役もいないし、室長が大方読書に耽っているため、自由だった。ただ、自由な時間も長すぎると他の人が言うように、退屈になった。先輩の助手は雑事が多かったが、やりがいはあった。それでも時間が余る。研究室の中庭に、第一から譲り受けた植物サンプルを植えた。その時についでに作った荷台は、今は植物サンプルではなく、先輩の移送用になっている。中庭にはベンチっも作った。先輩はちょくちょくベンチに座り、読書をするようになった。僕が庭の手入れをしていて、先輩が読書に浸る。澄んだ空気が光ってるような、穏やかで充実した時間。先輩の【神通力】の美しさと同じくらい、掛け替えのないものだった。
昔、雑草を刈っていると、ふと先輩の声が聞こえた。そこが分岐点。
没頭していたため、気付かなかったが、随分前から僕の手元の鎌に合わせて「スウィング」と連呼していたようだ。あまりに声が遠慮しすぎていて、初めは気付かなかった。まるで小鳥のさえずりのような声を、先輩が発している声だと認識できていなかった。
余りに長く連呼しているため、ついに振り返る。
「やっと気付いた」
何のことか分からず、僕は首を傾げた。その時の僕と、『スウィング』という呼び名には全く関連はない。
先輩はベンチに横になっていた。大人二人が詰めてやっと座れる、手すり付きの小さなベンチ。寝そべるために彼女は、小柄な身体をさらに縮めていた。滅多に見られない甘えを含んだ表情。珍しい姿勢。愛らしすぎて、僕の時間は止まった。目を奪われ言葉を失った。
しばらく見つめ合い、先輩は頬を赤らめ、目を逸らして言う。
「すまん、抜け出せなくなった」
心臓が射抜かれ、大きく跳ね上がった。そう、これが分岐点。
どうやら読書に夢中になり、姿勢を変えているうちに、ベンチにはまり込んだらしい。
もう二度と起こらない、甘い思い出になった珍事。スウィングは千鶴の命令で切り落とした手すりの断面を優しく撫でた。
「次にはまったら、神通力で破壊する」
せっかく頑張って作ったベンチだが、また使ってくれるならと、涙を飲んで片側の手すりを切断。ささくれで怪我をしないように、ヤスリをかけた。
『振屋誠』という名前の「振」の字と、上司の声が届かない程、鎌をフルスウィング(はしていないが)していたという、恥じらいを隠蔽するための皮肉も込めて、僕は『スウィング』になった。今では先輩が呼ぶため、知人にも定着し、他部署の新人にもこちらの方が覚えられている。そして、それだけでは羞恥心を払拭しきれなかった先輩は、なぜか僕の頭を金髪に染め上げた。
僕は第二研究室のスウィングとして生まれ変わった。僕の居場所は第二になった。
先輩が好きになった。ずっと一緒に居たい。先輩の傍にずっと居たい。自殺したいなんて言わないで、と伝える勇気があったなら、どんなにいいだろう。先輩に失望されるのが、何よりも怖い。
「神通力を使わずに、ペーパードリップしたものです。どうですか」
突然の声掛けに驚き、見上げると、コードレイさんがいた。彼は持参した水筒から、マグカップにコーヒーを注ぐ。彼に掛かればカップの生成など容易い。わざわざ僕のために気を使ってくれたのだろう。仕事でもプライベートでも、卒がない。
彼は度々先輩に資料提出に訪れる。積極的に食事をしなくていい神たちの中で、コーヒーを嗜み、まして、手作業でコーヒーを淹れることは異質。大方の神々は長い年月の中で食の必要性を感じなくなる。彼は変人と言わざるを得ないが、その程度で目くじらを立てる者はいない。
「庭いじりする神もいるんですから、それぞれ趣味はありますよね」
いつから見られていたのだろう。さりげなく流れ落ちる手前の涙を拭い、笑いかける。
「そうですね―――僕で良ければ話、聴きますよ」
うまく誤魔化せていなかった。控えめなため息が漏れる。
わざわざ手間をかけて食べ物や飲み物を作ろうとする趣味はないが、飲めないわけではない。差し出された物を拒否するのも申し訳ない。軽く会釈して、マグカップを受け取った。
先日、コードレイさんは先輩の仕業で、恥ずかしいエピソードと心に秘めていた感情を暴露した。理不尽な制裁を受けた事件だったが、その件以降は、これまで以上に親しみを感じる。この人になら、話してもいいのかもしれない。
「僕、先輩のことが―――」
好きなんです、の一言。発するには勇気が足りない。口よりも言葉が大きかったようだ。歯の裏辺りで引っかかる。彼は急かさず、待っていてくれたが、僕の止めていた息の方が、先に限界を迎えた。言葉の代わりに、再びため息が出た。
緊張で変な汗をかいたスウィングは、とりあえず落ち着こうと、カップに口を付ける。
久しぶりに口にするコーヒーは、遠い記憶にある物よりも苦い気がした。
「久しぶりに口に物を入れました」
悩みを打ち明けて、楽になりたい。だが、好きとも言えない。年端もいかない少年に嫉妬しているなんて情けなくて、もっと言えない。
「少年に嫉妬」という的確な自己分析が鋭利に刺さる。少年に感じた苛立ちは、嫉妬から生まれた感情だったんだと理解する。
「分かりますよ」
コードレイが笑った。
気持ちを見透かされたかと思い、顔を逸らした。
「たまにはいいものですよね。生前の習慣の模倣なんでしょうけど―――」
彼を見ると、カップを傾けながらコーヒーの色合いを楽しんでいた。
なんだコーヒーの話か、と別の話だった事に、スウィングは安堵のため息。コードレイが続けた。
「コーヒーを飲んで、生きていた時の事を、たまに思い出すんです。この凪のように続く時間も、大事に生きなきゃと思えるんですよ。最近、日記を見つけました。以前、書いていた物です。忘れているもんですね、いろいろと―――大事なことを」
「確かに、昔を思い出すのはいいかもしれませんね」
スウィングに日記をつける習慣はないが、昔を思い出すのは良い事だ。あの、先輩と過ごした甘美な時間を取り戻せたら、どれだけ良いか。しみじみと話す彼に、相槌を打つ。
コードレイはコーヒーを一口飲んで言う。
「あの二人、死神管理局で大暴れしたみたいですよ」
このエリートはどこから仕入れてくるのか。何でもないように詳細を語る。
「死神管理局の見学と称して、強引に乗り込み、紹介されるや否や、局長の顔面を問答無用で殴ったんですって。そのうえ、取り押さえに入った職員に、神通力を使って、大立ち回り、ダメ押しで、日本でお世話になったという、女性の死神のパラメーターを最大限に引き上げる操作。―――幸い大きな怪我人は出ず、局長も軽傷。死神の数値もすぐに元に戻されたようです。本来は責任問題ですが、引率が神木室長ですからね。死神管理局も彼女の技術恩恵がありますから、大きくは出れなかったみたいです。ただ、一番楽しんでいたのは、間違いなく彼女でしょうね。意外とイタズラ心を持て余している人ですから。それにしても、実験体が神通力を使えるようになったのは驚きです」
嬉しそうに語るコードレイの顔は、直視できなかった。彼が悪い訳ではない。遠からず知ることにはなった。コーヒーは少年への嫉妬を流し込んではくれなかったようだ。飲み込んだはずの気持ちが重さを増す。
「すごいですね。この短期間で神通力の習得。―――スウィングさん」
一度、言葉を切って名を呼ばれる。会話の質量が変化したのを直感した。真剣な眼差しに視線が貼りつけられる。
「実験は順調そうだ。このままでいいんですか」
確信を突かれた。良い訳がない。先輩の自殺も、実験体の少年もこのままではいけない。
「全くあの局長って本気で腹立つよね。人間を舐めるな。何がゲーム感覚にした方が救われる者もいるだ」
僕は頬を膨らませて、研究室へ戻る途中だ。
「約束守れて満足したか」
千鶴さんは僕の愚痴に付き合わない。本に目を落としながら、質問する。彼女は僕の人生を読み取ったため、照子さんとの約束は知っている。千鶴さんの手助けもあって、殴る約束は果たされた。本来彼女にとって必要がない質問をするのは、機嫌が良いせいだろう。心なしか口数が多い。
達成は口を曲げる。
約束は守れたけれど、照子さんが楽にノルマをクリアできるように、パラメーターを最強設定に出来なかった事が心残りだ。彼女の手助けがしたかったのに。チャンスをものにできなかった悔しさが、八つ当たりを言わせる。
「大体、千鶴さんがあんな物、開発するからじゃないか」
千鶴さんは神通力を、死神に送信する技術を開発した。その事実はすでに研究資料と、三度目の実験で、千鶴さんの膨大な神生を垣間見たことからも知っている。そして、彼女が自分の研究の副産物を、死神へ使用することに反対していた事も―――だから八つ当たりだ。
「あの時の、局長の顔といったら……」
千鶴さんは八つ当たりを物ともせず、楽しそうだ。彼女は局長が慌てる様子を思い出し、吹き出しそうになっているが無表情を取り繕う。自分の技術を、望まない形で使用された恨みは深そうだ。いっそ素直に笑えばいいのにと思うが、卑屈な人だし、仕方ない。
この人の血を連綿と引き継いだ末に僕がいるなら、僕が少しだけ素直じゃないのも、仕方ないだろう。遺伝の力は恐ろしい。
血の繋がりについては、プライベートな内容にも関わらず、すんなり教えてくれた。何世代も離れると、感動はなくなるのだろうか。「永く生きてたら、いろいろあるもんだな」と他人事のように淡白で、拍子抜けした。血の繋がりがあると知りながら、平然と危険な実験体に出来るのは、血縁に拘らない性格が不可欠だろう。血の繋がりも、出会ったことが単なる偶然であることも、妙に納得した。
僕と彼女が出会ったきっかけは、鬼塚虎次郎。今、別室で昏睡中らしい。スウィングさんに管理を任せ、目覚め次第、実験を行う予定だが、目覚めても感情消失がすでに起こっている可能性が大きいらしい。魂だけの存在である僕らの寿命は短い。検査の結果、僕は一年程度の猶予があるらしいが、それでも神通力の取り込みによって、大幅に感情消失までの期限が稼げているという話だ。さらに実験に協力することで、生存限界は延長するのだが、あの男は神通力を取り込む機会がない。このままでは、もっと早くに感情を消失すると予測されている。
二度目の実験では複数人の死を経験した。そこには、鬼塚の記憶もあった。彼が逃亡先として当てにしていた組織は、協力を拒否し、敵に回ったようだ。そして、激しい戦闘の末に息絶えた。壮絶な最期に驚いたものの、鬼塚の死のきっかけになった人物が、お父さんの友人だったことには、さらに驚いた。
お父さんとその友人は頻繁に飲みに出かけており、僕もおじさんと呼んで、親しくしていた。「将来、うちに就職しろ」と冗談めかして言われていたが、まさかそのおじさんが、ヤクザのボスだなんて、思いもしなかった。就職に勧誘される度、お父さんが全力で拒否していたのは、何も大袈裟ではなかったようだ。昔、素性を知らない僕は、おじさんの事を噛んだことがある。無知とは恐ろしい。
鬼塚がなぜ地獄に行かなかったのか千鶴さんに聞くと、昔はあったようだが、古参の神々の趣味的側面が大きかったらしく、今では効率的に転生させることが、優先されているという。
「罰を与えても、三途の川のせいで記憶がないし、転生後は罰を受けた記憶すら残らない。なら、やる意味がない」
「それはそうだけど、ちょっと釈然としないよね」
「知っての通り、神はたくさんいるからな。統一された基準で罰することは難しい。それに生きていた時代や地域によっても、善悪の判断は難しい。お前が生きた時代では、人殺しは犯罪だが、戦争がある時代に生まれていれば、大量殺戮者は英雄だ。貧しい土地で生まれた者が、生きるために窃盗に手を染めることはよくあるし、たまたま高貴な家柄に生まれただけで、貧困層からの搾取で、贅沢な生活が成り立っているとは知らずに、のうのうと生きる者もいる。極端な例に思うかもしれないが、殺生だけを基準にしたとしても、人間やその他を含めた生物を、一切害することなく生きられる者はいない。生きた者を裁くとすれば、それは神のエゴでしかない。珍獣に関しては私が倒したことで納得したらいい。お前も奴の記憶を見ただろ?あれはあれで可哀そうなやつだ」
人生は誰にも裁くことができない。死後の世界に期待して生きるのは、救いがない話なのかもしれない。どう生きるのかは、神ですら意見が分かれる。それなら、自分の人生は自分の責任で好きに生きるしかないのだろうか。人生どう生きるべきかという深遠な哲学的議題は迷宮入りした。永く生きていれば答えは見つかったのだろうか。
研究室に戻ると、スウィングさんが出迎えてくれた。
「やはり拘束していなかったので、H-998は脱走しました」
H-998とは鬼塚虎次郎の検体コードだ。あの凶悪な男が野放しになった事に慄く。
「何で縛り付けて、閉じ込めてないんですか」
僕は責任者である、千鶴さんを問いただす。
「実験に害がなければ、逃げても問題ない。あいつが野性的な暴力行為を行ったとしても、大きな問題にはなり得ない。神々なら対処ができる。そのうち感情を失って、魂の本来あるべき運命を辿る」
千鶴さんもスウィングさんも慌てた様子はない。僕の場合もそうだったが、実験体とはいえ、意思は尊重してくれる。二人の慣れた様子から、きっとこれまでもたくさんの脱走者がいたんだろうと、察することができた。もしかすると神通力という強大な力がある事で、危機感が薄いだけ、という可能性もある。
長い時間をかけて、千鶴の元で多くの研究に明け暮れた。魂の生存限界延長に関する研究。魂以外には突破できない、エデンを覆うプロテクターの突破に関する研究。三途の川のエネルギー転用、神通力の結晶拡大化、疑似ゲートや疑似プロテクターの試作・・・
とりわけ、三途の川の研究には、僕しかプロテクターを突破できないため、サンプルの採取などでは大いに活躍した。僕が初めに受けた三度の実験は、このための布石だったようだ。千鶴や他の神々では、プロテクターに阻まれ、ゲートや三途の川に辿り着けない。研究は文字通り、壁にぶち当たっていたようだ。
以前、実験体の魂を利用したが、サンプル採取に向かったが最後、感情消失を発症し、有効な研究は行えていなかったようだ。僕が元亡霊さん達に救われて、エデンまで辿り着けた事実と、研究結果を共有化できたことで、大幅に効率的な研究が行えた。
研究は大きく進んだが、目標達成にはまだ、途方もない時間が必要だ。千鶴が数百年越しに蓄積した神通力でも、エネルギーは不足している。膨大なエネルギー物質である三途の川は、手を加えることで、エネルギーとして有効だ。ただし、使用できる形に精製するには時間がかかる。千鶴にとってはなんて事のない時間だが、僕のエデンでの寿命が、それまで保つのかが最大の懸念だった。僕たちは短時間で効率的にエネルギーを集めるための、自動精製装置の開発に着手した。また、様々な角度から、他に効率的な精製方法はないか、とも考えている。
もうじき生存限界が来る。その場合、研究が結実する場に立ち会えないのは残念だが、彼女の研究に貢献できたことを光栄に思わなくてはいけない。
最悪の場合でも、僕は感情や記憶を失っても、本来の運命を辿るだけだ。ただし、手を抜く事とその事は関係ない。あくまでも最善を尽くすまでだ。
エネルギー精製の研究にはかなりの集中力を要する。三途の川のサンプルを採取できた僕でも、直接触れると、他の実験体と同様に、感情を奪われるためだ。三途の川のサンプルが入った試験管を片手に、入念に配合を繰り返している。この作業をしている時は、基本的に誰も話しかけてこないが、その日は例外だった。
「ゴール」
聞き覚えのある懐かしい声、そして久しく呼ばれていない懐かしのニックネーム。背後を振り返り、声をかけた人物を見る。あまりの驚きに、手から試験管が滑り落ちる。反射的に飛び退いたため、試験管の破片とともに、サンプルの液体を浴びずに済んだ。冷や汗を拭って、改めて彼らを見る。全く変わっていない。あの時の彼らがそこにいた。
「英守……」
久しぶりの再会。喜びよりも変わらない姿が悲しくなった。
「オイオイ、なんでそんな顔してんだよ。―――ってそうか」
英守は照子さんに肩を叩かれ、やっと自身の姿に気づいたようだ。
「これな、この姿はさっき千鶴さんに戻してもらったんだよ。突然ヨボヨボの老人になった俺が現れても、お前はびっくりするだろ?それに、気付いてもらえなかったら、俺が悲しいからな」
どうやら僕のところに来る前に、千鶴に会い、神通力で当時の姿に戻ったようだ。
「お前も千鶴もいらない気を使うな。余計に驚いて、再開と同時に死ぬところだったぞ」
床にばら撒いた危険な液体を見る。千鶴がこの場にいないのも、旧友たちとの再会に水を差さないための心配りだろう。ドッキリが成功して、今頃はどこかで、密かに笑っているだろう。
「にしても、何年経ってもお前の姿は変わんねぇのな」
英守が指摘した通り、僕の姿は当時のまま。僕は大人になった僕を知らない。自己認識がそこでストップしている。エデンでそれほど長い時間が経過していたとは、気付かなかったが、どうやら彼は老人になるまで人生を全うしたようだ。そのことが嬉しい。
「英守、お土産は?照子さんからも、冥途の土産もらおうかな」
僕は嬉しくて早速せがむ。遂に果たせる。それは、僕らが死に際にした約束だ。
亡霊たちとの一件の後、英守は死神の内情にとことん首を突っ込み、壮大で充実した人生を歩んだようだ。僕が死神管理局で、一時的に照子さんのパラメーターを操作したことも、奇跡的に役に立ったという。二人からはお礼を言われた。
「それにしても私が『さん』付けで、千鶴さんが呼び捨てとか、焼けちゃうな」
照子さんはにやけた表情で、からかう気満々だ。だが、死後に対等な交際を始める約束を果たした、熱々の二人とは違い、僕と千鶴には恋愛感情はない。未だに彼女は僕の事をコードで呼ぶ。つつかれて疚しい感情はない。
「ずっと研究を一緒にしてるからね。ここに生前想像していた神様はいなかったよ。神たちは頑なでさ、千鶴は未だに僕の事を検体コードで呼ぶし、スウィングも彼女のこと、先輩って呼ぶんだから、見てられないよ。端から見てて、ヤキモキする。」
「見た目は変わらないのに、まったく可愛げがない子になったね」
彼女こそ随分と自然に笑えるようになったものだな、と嬉しく思う。
「エロ本を見て顔真っ赤にしてた、あの頃のゴールが懐かしいぜ」
昔の失敗がフラッシュバックする。耳が赤くなるのを感じる。英守は目敏く、自分の耳を指さし、僕の紅潮した耳を指摘してきた。
「うるさい。お前は変わんねぇな。ホントにじじぃになるまで生きたのかよ」
昔話で揶揄う大人げなさを指摘し、恥じらいを誤魔化す。
「いや、俺も変わったぜ?」
ふんぞり返り、親指で自分を指さして言う。
そりゃ何十年も生きていたら、変わるものはあるだろう。僕だって、今やそこらの神よりも神通力に詳しいくらいだ。でも、芯のところは彼も変わってないだろう。昔から天真爛漫に見えて、意外と気を使える奴だった。今回、姿を戻して訪ねてきたのは、二つの性格の合わせ技だったのだろう。僕の死後、現世で起こったという、いろいろなお土産話も聴いたし、それ以上の驚きはない。
「言ってみろ」
鼻で笑い、先を促す。
「俺、小説家になった!」
はぁ?あまりの驚きに、それ以上の言葉を失った。悔しいがあまりの驚きに、表情を取り繕えない。
「残念、腰は抜かさなかったか」
さして残念がる素振りもなく、英守の顔には我が意を得たりと書いてある。ニヤニヤした彼は、二冊の本を取り出した。片方は見覚えがある。現世から持って来れなかった古小屋で見つけた本。もう一冊は―――
「俺が書いたんだ。読んでくれるか」と心配と照れを含んだ表情。
すごい事をやってのけても、事後に尻込みするところは変わらないようだ。とりあえず、「後でな」と言いながら受け取ると、「なんでだよ。今すぐ読め」と当然怒る。
それでも無視だ。当たり前だろ、こんなもの今読めるか!正直、泣かない自信がない。そんな気持ちがあるからこそ、後で読むのだが、コイツには絶対言わない。代わりに言ってやる。
「出来が悪くても時間をかけて、斟酌した感想を考えてきてやるよ。優しいだろ?」
「なんで斟酌する前提?ふざけんな!」
ひとしきりじゃれ合うと、英守が頬を掻きながら話題を切り替える。
「まあ、それはそうとして、あの橋すごいな。そんでありがとう。めっちゃ助かった。あんなの作れるなんて、さすが大工の息子だよ」
彼は、僕が三途の川に掛けた橋の事を言っている。半分は研究のために作ったものだが、もう半分はいつか、今日のように彼らが来ることを期待して作った。英守の祖父に、橋の存在を教えたのもそのため。だが、些細な期待は彼の反則によって裏切られたのかもしれない。親友の想像を裏切り、泣かすことにかけては右に出る者はいない。
『さすが大工の息子』、研究に没頭していても、心の片隅に親不孝者だった罪悪感はしこりを残していた。彼の一言はしこりをほぐしてくれる。どれだけ救われるか。どれだけ認められたかったか。
「反則なんだよ」
「せっかくお礼言ってやったのに、何がだよ!良く分からないけど、バスケは五回まで―――」
「ありがとう」
そう何度もファールされては敵わない。声を遮り言った。受け取った本を胸に抱き、絞り出した声は、自分でも驚くほど、小さく掠れている。聞こえるはずもなかったが、二人は笑っていた。
研究室で核と神通力を連動させる陣の整備をしていると、千鶴が突然言った。
「G-001、研究の最終段階に入る」
「千鶴、まだ核にエネルギーは不足している」
研究はかなり進んだが、それでも【複数の神の転生】にはエネルギーが足りない。千鶴は研究目的を聞こえが悪い『自殺』と呼んでいるが、僕らの研究は、神々でも人生をやり直すことができる、疑似転生ゲートの開発だ。研究成果は共有している。エネルギー不足が分からない千鶴ではないはずだ。いったい何を考えている。
「だから、お前だけ先に行け」
「認めない。僕一人なら、他の魂同様、本来のゲートで事が足りる。先に実行するにしても、僕よりも千鶴や他の神が使うべきだ」
僕の反駁は予想していたのだろう。
「それでは、転生前の記憶が失われる。次の世界で新しい物語に触れるのに、今の記憶があるのと、ないのとでは雲泥の差だ。それに遅かれ早かれ研究は完成する」
「僕はもう用済みって事か」
千鶴に見放された。僕は力不足だったのか。長い時間をかけて、そこそこ力を付けられたかもしれないと感じていた。だが何も変わってなんかいなかった。無力のままだ。
千鶴の言葉に気持ちが捻じ曲がる。指がめり込むほどに拳を握った。
彼女が言うように、研究はいずれ完成するだろう。理論は完成している。エネルギーの当ても着いた。ただし、希望するすべての神たちを転生していたら、千鶴は何百年後に夢を叶えられるのか。疑似ゲートを制御できる人材は最期まで残らなければいけない。神の運命に絶望し、神通力で永久仮眠状態に入っている者は、一人や二人ではないのだ。エネルギー確保自動化の目算は立ったが、完成した疑似ゲートの自動化はまだまだ構想段階。実現可能なレベルに達していない。生存限界を使い果たしてでも、貢献したいと思ったのは、出過ぎた思い違いだったのだろう。
俯いていると、優しく包まれた。抱き寄せられる。
「すまん。言葉足らずはいつものことだ。分かれ」
顔が直接見えない。千鶴は間を開けてもう一度口を開く。気遣う声は耳元で呟かれた。
「そんな顔するな。お前は良くやってくれた。もう、時間がないんだろ?」
「知ってたの?」
心配をかけないように、あえて言わなかった。僕の生存限界をこれ以上延長させるのは、既存の方法では難しい。それは自分が一番わかっていると思っていた。可能性のない研究で、本来の研究を遅れさせる事は望まなかった。それに、意識していなかったが、英守が老人になるまでこっちで生きたんだ。人間の一生としては、きっと十分な時間を過ごしただろう。僕は残された時間を、この捻くれた女神のために使おうと決めたんだ。エデンで充実した時間をくれた彼女には、捧げても惜しくないと思えたんだ。
「ありがとう。君に会えて良かった」
千鶴が一方的な別れを囁き、ゆっくり陣の外に出ると、足元の陣と核が光る。疑似ゲートの起動の反応。
「千鶴!勝手に決めんな、僕は望んでない。実験体でも尊重するんだろ⁉」
千鶴は何も言わず、柔らかに笑う。
足が動かない。彼女が神通力で足止めしている。
「くっそー!動け、動け、動けーーー‼」
生存限界延命のため、使用を控えていた神通力を、惜しげなく使っても、ビクともしない。千鶴との実力差がかけ離れすぎている。どれだけ力を込めても、足が動かない。
こんな形で終わるのか。出来るなら次の世界でも、千鶴と本を読みたかった。今まで借りるだけの立場から、次は対等に語れるようになりたかった。
「独りで別の世界に転生するくらいなら、死んだ方がマシだぁ!」
千鶴は悲しそうに微笑む。
そこへ、獰猛を孕んだ低い声が割って入った。
「それなら死んでもらう」
声が聞こえたのは核の方向。そこには、いるはずのない人物。とっくに生存限界を迎えたと思っていた人物がいた。全身に紋様を刻んだ鬼塚虎次郎が、邪悪な笑みを浮かべて立っている。だが、驚いたのは、それだけではない。
「何で」
それは僕が言ったのか。千鶴が言ったのかは分からない。
なぜそこにいる。虎次郎は実験で【神通力】を手に入れていないため、逃亡後、とっくに生存限界を迎えていてもおかしくはない。奴の生存にも驚いたが、その傍ら、当たり前に二人が並んでいる事が、更に理解できない。いや、脳が理解している事実を、心が拒んでいる。
「スウィング、コードレイ……」
千鶴の問いかけに、スウィングは目を逸らした。代わりに答えたのはコードレイ。
「元々こんな実験なんて間違っていたんだ。僕を代償に発展した研究なんて、なくなればいい」
コードレイは、スウィングの背中を押し、発言を促す。
「先輩!自殺するなんて言わないでください。僕はあなたが好きです!ずっと一緒にいたい!」
意を決した告白。それがこの場でなければ展開は違ったはずだ。そしてコードレイも。皆が皆、すれ違ってしまった。
僕は頭を抱えた。ため息しか出ない。
「この馬鹿者―――!」
千鶴の声が裏返る。怒りと悲しみの心からの叫び。
スウィングは肩を竦めて縮こまり、コードレイは冷めた目つきで静観している。
考える時間が足りない。疑似ゲートはすでに起動している。彼らがどうするつもりか分からないが、ダラダラしていたら、転生されてしまう。僕は千鶴さんが言いにくいであろう事に助け舟を出した。
「スウィング、君もコードレイも何か勘違いしている」
「実験体ごときが、スウィングと呼ぶな!」
慌てるあまり、今まで避けていた地雷を踏み抜く。ああ、昔から名案だと思ったことは一歩目から踏み間違える。だが、立ち止まるな。僕は進まなきゃ、進めなきゃいけない。
「よく聞いて、千鶴は―――」
「達成っ!」
僕が何を言おうとしているのか、千鶴は気付いたようだ。いつものコード名ではなく、本名で呼んだ。動揺は僕以上。黙っていた僕らには責任がある。言わない訳にはいかない。
「千鶴は―――スウィング、君のことが好きだよ」
一瞬の静寂の後、スウィングが叫んだ。
「嘘だ!苦し紛れの嘘を、よりにもよって、実験体の分際で先輩を語るな!」
「達成!」
千鶴の咎める声と、紅をさした頬が、事実を肯定していた。
「ホント鈍くてうんざりするよ。見てるこっちが、じれったくてヤキモキする。僕が千鶴からどれだけ惚気られて、さらにうんざりしたのか、君にこそ分かるのか」
「嘘だ、嘘だ、嘘だ!先輩はお前のことが好きなんだ。僕には研究資料さえ見せてくれないじゃないか」
スウィングは、想像していた事と、事実の差にわなわなと身を震わせる。喜ばしい知らせのはずなのに、裏切りを肯定したくなくて、素直に認めない。
勘違いも甚だしい。頭が痛い。
「そんなの、お前を驚かせたいからに決まってるだろ!このいじめっ子がどんな性格か、よく考えろよ。それとも何か?あんたは千鶴の雑用兼、ストレス解消の、いじられ役だけに、ここに所属してるのか?そんな訳ないだろ」
何百年いじられているんだ。千鶴の性格は、付き合いが長い分、お前の方が良く分かるはずだろ。さっさと分かってやれよ。千鶴から言えるはずないだろ、そして、言うタイミングを考えろよ。
スウィングは喉に何か詰まらせたように言葉を失い。千鶴は羞恥心で膝を抱えた。
いたずらが成功する前に、バラされることは恥ずかしい事だ。加えて告白の代弁付きだ。当事者へのダメージは核弾頭級。彼女が羞恥で膝を抱えたことが、さらに事実を肯定している。
彼らが神通力で、僕の口を塞ぐのは容易い。その方法に気が付く前に、連射する。
「千鶴はな。ひたむきなお前のことが、好きなんだよ。気に入った奴ほどいじりたいのが、いじめっ子だ。全く小学生男子かよ。お前が作った荷車や中庭のベンチ、仮にも僕は大工の息子だ。お前の作品に愛があるのは一目で分かる。そして、千鶴の口から楽し気に語られる数々の失敗談。本人はいじりの範疇として誤魔化している気になっているようだが、どれもこれもただの、惚気話だ。ふざけんな!百年以上、大事に温めた惚気を聞かされ、研究を続けなきゃ、恩返しもできないこっちの身にもなってくれよ。さっさとくっつけ!とっくに両思いだ」
神をも恐れぬ所業だが、現状を打開する方法は他に思い浮かばなかった。どうせ不本意な転生を強いられるなら、今更、神なんて怖くはない。いや、違うな。愛すべき神たちだからこそ、僕は死ぬ前に良いきっかけになりたかったんだ。幸せになってほしい。これで伝わるだろうか。
「じゃあ何で先輩は自殺するなんて言ってるんだ」
顎が外れかかった。そこか、スウィング、お前はまだその段階で躓いていたのか。呆れた。だが、悪いのは彼じゃない。
「千鶴」
そろそろ本人から説明させるべきだろうと思い、名前を呼ぶも、ダメージが大きすぎて反応がない。千鶴が話せないダメージを受けたのも、研究内容を知っていながら、スウィングに秘匿し、黙っていたずらに加担したのも、少しは僕にも責任がある。仕方ない。
「『自殺』と呼ぶのは、この捻くれ女神の照れ隠しだ。この人が素直に、『みんなを救いたいの』なんて、目をキラキラさせながら言っているところを想像して見ろ。世界が終わってもありえねぇよ。本当は神でも転生できる装置の開発だ。」
ブチ切れた勢いのまま、品なく本当の研究目的を伝えた。
「そ、そんな」
スウィングは口をパクパクさせて、石化している。
「スウィングさん残念ですが……いや、両想いとなっておめでとうございますなのかは、分かりませんが、作戦を続けます。そもそも、この研究は僕の記憶を犠牲にし、その上に成り立っている。許される事ではない。僕の記憶にはない空白は、すでに昔の日記を見つけたことから知っている。どんな気持ちでしたか。怯えて従う僕を、思いのままに働かせるのは、さぞ楽しかったでしょうね。笑えるほど哀れに見えたでしょうね」
コードレイは努めて感情を押し殺しながら話しているようだ。
不幸なすれ違いが生んだ結果だが、僕からしてみれば、彼は自ら哀れになっている。今、この瞬間までは、記憶の欠落時期も含めて、彼はカッコよかったのだ。
以前、千鶴が隠し持っていた一冊の本を盗み見た。一瞬で奪い返され、ボコボコに躾されたが、今の僕には一瞬あれば充分。読破に一秒もいらない。
コードレイ、本名【番 零士】。彼には数十年の記憶がない。千鶴の研究によって失ったのは確かだが、千鶴だけの責任ではない。彼は大事な事実を見落としている。読んだという日記には、それが記されていなかったのだろう。知ってもらうには、話すよりも効果的な方法を知っている。
「コードレイ。スウィングの件は、他人事じゃない。お前も勘違いしている。千鶴。どこまで僕に話させる気だ。最も尊敬している【上司】だろ」
はぁ?とコードレイが眉を顰める。
千鶴があの本を、常時持っているのは知っている。研究に行き詰った時、コードレイに会う時、必ず読み、心の拠り所にしていた。本の体裁を整えた一冊の日記。あれには全てが記されている。彼自身が千鶴に託したあの日記には、記されている以上の気持ちが物語られている。
千鶴は白衣の裏側に、いつも忍ばせている日記を取り出した。日記は神通力によってふわふわと力なく、コードレイの元へと運ばれた。
「こ、これは」
日記を手早く読み、真実を知ったコードレイの反応も、スウィングと大差ない。筆跡は紛れもなく彼のものだ。疑う余地はない。
日記の書き出しはこうだ。
『エデン総合神通力研究部第一研究室、室長、番零士。室長権限において、当日記は外部秘として、厳重に保管する。これまでの研究記録は念のため破棄。今後、神転生研究改め、【自殺】研究は、この日記にのみ記す。後任を千鶴に任せる以上、物騒だが、彼女が冗談で言い続ける研究名を採用する。研究の本質は変わらない。頑張れ期待の新人。』
書き出しは、余白に書き加えられた、この文面から始まった。限られたスペースに、小さい字が、慌てた筆跡で詰め込まれている。研究は室長の番、後のコードレイが発案したものだ。
『新人時代から片鱗を見せていた千鶴に目をつけ、協力を依頼したのは、私の人生の中でも、最上級の成功だったようだ。
エデンの秩序を守り、予測できない妨害行為を未然に防ぐため、研究内容を他の研究員に秘匿しなければいけないのは、非常に残念だ。彼女は天才だ。この研究に巻き込まなければ、皆に良い刺激を与えただろう。』
『今回の爆発で私が研究に関与している事が疑われてしまった。うまく誤魔化せたが、このまま続ければ、遠からず、知られかねない。どうしたものか。研究は中止すべきか。』
『研究に未練はあるが、このままではまずい。膨大なエネルギーを制御できず、爆発が続いている。研究室がまた更地だ。私の怪我自体は研究の進展を差し引いてもお釣りがくる。だが、どう考えても誰も処分を受けないのは不自然だ。不満が出ている。』
『室長から身を引き、昔のように自由に研究がしたい。室長という椅子は前任者が話す以上の重責だった。研究室内に過激な派閥が生まれている。もうしばらくは、私以外にこのポストは務まらない。どちらにせよ、研究は延期。研究室を再建しつつ、過激派閥を解体。落ち着いたら、千鶴に相談する。』
『研究室の再建が終了した。派閥も予定通り解体した。将来室長にしても良さそうな人材も、見つけることができた。千鶴とタッグを組ませたら面白そうだ。明日には伝えよう。』
『千鶴には、研究について相談したかっただけだが、彼女は早とちりで癇癪を起し、(手違いもあったと信じたい)試作段階の核が誤爆。研究室はまた更地になった。幸いなことに、また、私以外の重症者はいない。彼女は素晴らしい。私以上の至近距離で、爆発から身を守った。やはり神通力は私以上だ。
彼女の勢いに負け、後任を任せると宣言してしまった。これでいいのだろうか。一研究員として不甲斐ない。』
『腹を割って話し合い、彼女を陰ながらサポートすることにした。私は本日から第一室長として、番零士として、彼女を影日向にサポートする。』
『以前徹底的に解体したはずの派閥が、息を吹き返しそうになっていた。抑止のため、神通力の部署外での使用に決まり事を作ることになった。禁止ではなく、使用前に宣言をするだけの幼稚な【決まり事】だ。このレベルで会議をまとめられたのは、私にしてはよくやった方だ。派閥は全盛期の勢力には遠く及ばない。千鶴の才能に嫉妬していた研究員たちの衝動的な集まりだ。ただ、千鶴にだけ泥を被せる結果は悔やまれる。』
『この研究が失敗しても、彼女は副室長に推薦しよう。研究が成功した場合は、私も含め、エデンを去るわけだから、無駄な考えだが。室長ではないのはあえてだ。彼女ほどの研究者であれば技術力には問題ない。とはいえ、あの性格では、研究室の秩序が危うい。誰かが一線を踏み越えそうな時に、手を差し出さねばいけないだろう。本人が目にしないことを良い事に、余計なことを書いてしまった。続きは後に書く。』
『研究が実験体を要する段階に移行した。今回の実験では、成り行き次第で、感情や記憶に支障をきたす恐れがある。千鶴は魂を実験体にしようと提案したが断った。彼らを神のわがままに付き合わせる訳にはいかない。大事な転生前の魂に何かあってはいけない。彼らの人生は彼らのものだ。最も予測困難な初回のデータは、私から取るべきだろう。
最初の実験体。検体コードゼロ。いや、コード零となるのが私の希望だ。私に何かあった時のために、第一の後任は任命してきた。私はもう、役職に捕らわれなくてもいいのだ。そして、実験はすでに私の手に余る。私ができることは、千鶴へのせめてもの恩返しだ。私だけでは成し遂げられなかった研究を、ここまで進めてくれたことに感謝したい。』
そこからはそれまでの丁寧な字ではなく、冒頭の文章のように、慌てた字が添えられていた。
『散々迷ったが、実験の後、この日記は君に届くようにした。私に何かあったとしても、君が気に病む必要はない。私が望んだことだ。
私は優秀だから、実験の後のアフターケアも完璧だ。さすが君の元上司だったと、尊敬されても、憐れむのは失礼だと心得よ。
三途の川で魂が、感情もしくは記憶を奪われる。そのエネルギーの余剰分が神通力と我々が呼ぶものの源になるなら、感情と記憶の両方が消失した場合、君の予測ではプロテクターを突破し、ゲートを通過できるだろう。私は順当な手順で転生する。
しかし、どちらかが残り、プロテクターを通過できなくても対策は万全だ。元室長ではなく、コードレイとして、受付係に裏口就職する手はずは整っている。君もバレないようにコードレイと呼んでくれ。せっかく若い頃の姿にイメージチェンジしたんだからな。
追伸、私いや、もう恰好をつける必要はない。ワシがいなくなっても、くれぐれも第一研究室を爆破しないように。』
元室長は話すときはワシ。文章では第一人称を私と書いていたようだ。締め括りはそのように努めて明るく終わっていた。
「千鶴はその日記に支えられてきました。あなたにちょっかいをかけるのも、記憶を取り戻してほしい気持ちがあったからです」
読み終わるのを確認して、僕は話しかけた。
「室長!私はあなたを尊敬していました。あなたに認められたくて、研究を手伝いました。私は自分の意思で研究に参加したんです。あなたが私を忘れてしまった後は、その日記が私の支えでした。室長に認められていた事を知って、嬉しかった。私の誇りです。原動力です。室長、私は立派な研究員になれましたか」
コードレイが千鶴の呼びかけに、呻きながら頭を押さえる。千鶴の感情の高ぶりによって神通力が見たことがない色で輝いている。日記を介して、千鶴とコードレイが光で繋がれた。
「僕は―――ワシは―――」
神通力の輝きが消え、コードレイの頭髪が、みるみる白くなり始める。
千鶴の話では、元室長は白髪が似合う、精悍な男性だったようだ。
皆がコードレイの変化に目を奪われていると、乾いた拍手の音が鳴り響く。
「あーあ、お前たちは泣かせてくれるね。感動しすぎて、何もかも―――ぶち壊したくなった。寒いぜ。寒すぎるぜ。何が神だ。俺は決めた。そこの女とガキを仕留めるだけじゃあ、物足りねえ。ここにいる全員殺して、俺が神の中の神、最高神になってやる。ってことで、お前ら協力ありがとな」
「は、話が違う」
「うるせえ、チキン野郎」
反論したスウィングが殴り飛ばされた。
蹲っている無抵抗なコードレイも、蹴り飛ばされる。
千鶴が二人の名を叫ぶ。
虎次郎が笑った。
「さあ、神殺しの始まりだ」
虎次郎は起動中の核を力一杯抱く。核の光が急速衰え、彼の全身に描かれた紋様が代わりに光始める。
「うおおおお、お、おーーー」
虎次郎は絶叫とも、歓喜ともとれる声を上げる。全身の筋肉や血管が、はち切れんばかりに隆起している。
「長年核に蓄えた力が奪われただと⁉」
千鶴の言葉を証明するように、核の光が消えると、達成を包んでいた転生の光が消えた。達成の転生が強制的に中止された。スウィングとコードレイが、開発した技術は圧倒的だ。
「力が漲る。こういうのを俺は求めていた。どれだけ力を持っても、思い通りにならなかった。これなら―――最高の気分だ」
虎次郎が悦に浸った表情で大きく笑う。
千鶴が悔しそうに歯噛みし、緊張した面持ちで言った。
「逃げるぞ。すまんG-001、コードレイを頼む。私はスウィングを。あとは、治安維持部に応援要請する」
千鶴の力をもってしても、核の力を全て手に入れた虎次郎には敵わないと判断した。当然だ。核の力を使えるのだとしたら、千鶴の何倍もの力を手に入れた事になる。千鶴が悔しそうなのは、長年の研究の成果を奪われたからか、それとも、自分の力が及ばず、他の部署を頼らなければいけない事態になってしまったからか。
千鶴が神通力を使ってスウィングとコードレイを近くに引き寄せた。
僕は指示に従って、コードレイを抱える。身体の大きさや腕力を考えると大人を運ぶのは難しい。それは小柄な女性である千鶴も同じこと。僕らは足りない腕力を、神通力で補って走り出した。
高笑いが収まった虎次郎がこちらに手をかざす。
「さて、早速手に入れた力を試させてもらおう」
「構うな、急げっ!」
千鶴が緊迫した声を上げた。虎次郎に背を向け走り始める瞬間、視界の端に防壁が見えた。千鶴が神通力で作った防壁だ。
虎次郎のかざした手から、赤黒いエネルギーが放たれる。彼の放った神通力の砲弾は凄まじく、防壁を破壊し、爆風の余波で僕らは吹き飛ばされた。
転生装置を含めて研究室が壊滅。砂ぼこりが落ち着くと。
「逃げ足が早ぇなー。置いていくなんて、寂しいじゃねぇか」
誰もいなくなった研究室で、彼は笑っていた。
「すぐに追いついて、殺してやるよ」
「動くな!」
誰もいなくなったはずの部屋に聞きなれない声が響いた。
「こちら治安維持部。警告だ。破壊活動を辞め、大人しくするなら、身の安全は保障する」
どこからともなく現れたのは、青い軍服に身を包んだ、エデンの治安維持部。千鶴が神通力で応援要請し、駆けつけた、荒事のエキスパート集団。三十人の青い集団は虎次郎を包囲し、すぐに神通力を放てるように、光る警棒を油断なく向けている。
「無能どもが、久しぶりの活動の場に、張り切って出てきたところ申し訳ないが、今の俺を止めるなんて無理だぜ。だが丁度いい。一瞬で終わらせたらつまらないだろうから加減したが、まだまだ出力を上げても問題なさそうだ」
後半は独り言のように呟いた虎次郎に、治安維持部の先頭に立つ者が言う。
「大人しく降伏する気はないようだな。神通力の戦闘に特化したプロを舐めるなよ。借り物の力では我らに敵うまい。放て!」
リーダー格の指示に、包囲した者たちは即座に従った。警棒の先から絶え間なく光が放たれる。地形が変わるほどの爆撃が、虎次郎に殺到した。
「スウィング、あれはどういうことだ」
爆風に巻き込まれながらも、安全圏まで逃げることに成功した。意識を取り戻したスウィングに千鶴が問う。
「先輩が死なないようにするためには、装置を破壊するしかないって、コードレイさんと話し合ったんです。核を失えば、少なくてもまた作るまでに、説得する時間が稼げる。でも完成に近づいた核が誤爆したら、第一が爆発した時の被害では済みません。虎次郎の協力を得て、徐々に力を放出しようって話だったんですが、すみませんでした」
消沈しながらスウィングは続きを語る。
「今になって思えば、早く気付くべきでした。あの力を取り込もうとするだけで、僕らは死ぬことができる。あなたが本当に死ぬことだけを考えているのだとしたら、すでに目的は達せられていたはず。それなのに、そのことに気づかないどころか。虎次郎の協力が得られて、運が良いと思ってしまった僕は、どうしようもない…本当にどうしようもない」
スウィングは泣くことも許せないというように、こめかみを強くつまんでいるが、あふれ出す涙は止まらなかった。彼の懺悔に、顔は青年のまま、見事な白髪になったコードレイは言う。
「本当に悪いのはワシだ。君への見当違いな恨みに捕らわれて、スウィング君を罠に掛けた。彼は想定通りに、盲目的に働かされたにすぎません。そうなるように仕向けた」
「室長!」
気が付いたコードレイに千鶴が驚きの声を上げる。
ダメージが残る身体を引きずるように起こし、コードレイは言った。
「もう室長ではない。混乱はしているが、全て思い出しました。千鶴君、本当に済まなかった。ワシは責任を取りに行く」
彼の言葉は、人格の整理が付いていないかのように、たどたどしいが力強い。
「どうするつもりですか」
達成の言葉に彼は何も答えない。ただ、研究所の方角を見ている。
「危険すぎます。コードレイさんも知っているはずです。あの魂用に組んだ紋章と、核のエネルギー、今の虎次郎は神以上の力を持ちました。それに、先輩が呼んだ治安維持部が向かっています。まだ対策を立てる時間はあるはずです」
「試作段階だが、神用の紋章を対魂使用に組み直して使用します。」
「珍獣が手に入れた力を、奪いに行くつもりですか」
核に力が収まっていた時とは違い、簡単には実行できないだろう。必ず虎次郎は抵抗する。この場にいる皆が治安維持部は虎次郎に負けると想定している。敵は見上げきれない程に強大だ。
「コードレイさん、神がどこまで神通力を許容できるのか検証が足りません。だから、千鶴は核を作ったはずです。最悪……」
「仕方ないだろう。許容が限界を超えた場合、体内から暴発する。魂だけの存在より、下手に器がある神には、御しきれない代物かもしれないが、そうなれば虎次郎と心中する。神も魂が傷つけば消滅するだろうが、これはワシの責任。うまくいけば危機は去る。それにしても、君は短時間で素晴らしい研究者に成長したようだね」
達成の推測はすでに、コードレイの中でも検討し終えた案件だったようだ。有効な手段を提案できない今、褒められても嬉しくない。彼らはなんてものを開発してくれたんだ。自分が諦めた限界を超えて、魂に神通力を取り込む研究。その先の成果を見せつけられてしまった。
「自分が死ぬ場合の事を「うまく」なんて言わないで」
千鶴の叫びにコードレイは優しい視線を送った。振り向いて肩に手を置く。
「至らない上司で悪かった。君に大切なものを思い出させてもらったんだ。もうこれ以上は望めない。だが―――」
一拍空けてコードレイは申し訳なさそうに続ける。
「研究者は最悪の事態を考慮しなければいけない。ワシの考える最悪は二通りだ。紋様で力を限界まで吸い上げ、奴を巻き込んで爆発しても、奴が死なない場合。それとワシが奴に指一本触れられない場合。その時は、すまないが、また君にワシの尻拭いをさせてしまうだろう」
「そうはなりませんよ。僕も手伝います」
スウィングが立ち上がった。
「二人でなら、生存率も多少上がるでしょう。紋章のことなら、僕ら以上に熟知している者はいません。最悪の場合でも、虎次郎の力を大きく削げます。あなたがどう思っていても、僕にも責任はあります」
「スウィング!お前まで!」
「先輩、研究を台無しにしてごめんなさい。もし、無事に戻れたら、もっと一生懸命手伝いますから。それと達成君、これまで済まなかった」
スウィングが千鶴をなだめるように話すが、彼もコードレイと同じく、覚悟を秘めた目をしていた。二人はそれ以上何も言わずに、死地に向かって歩き出す。
歩き出した二人の背にしがみつく千鶴。いつもの毅然とした姿からは想像できない。まるでただの少女ではないか。
「待って」
引き止めると、三柱の神が振り向いた。
「僕に考えがあります。皆さんの知識と技術を貸してください」
虎次郎は因縁の相手だ。それに千鶴たちはもう僕の大事な仲間。彼女らを守るための力が、もしも僕にあるのなら、やるしかない。もう、力が及ばずに、流されるだけはまっぴらだ。僕は知識と力を手に入れた。及ばないものを補う事ができる。全てを司る神なんていなかった。運命なんてどこにもない。運命という言葉で諦めない、自分の意思で、望んだ結果を手にしてやる。
「みんなでハッピーエンドを迎えましょう」
崩壊し、原型を留めない研究室。その中でも、特に損壊が激しい場所がある。まるで隕石が衝突したように、円形に窪み、煙が立ち込めている。中心には一人の男が立つ。全身に負った、打撲、裂傷などの傷が、見る間に治癒する。
「思ったよりも時間がかかった」
虎次郎が周囲を見回す。青い軍服の男達がそこらかしこに倒れていた。ざっと目算しても五十人以上。警棒だけでなく、剣を握る者たちも多い。
「もう追加で湧き出てこないようだな。多少うんざりしたが、良い準備運動になった。」
一人無傷となった虎次郎は呟く。
「さて、あいつらはどこに逃げたかな。力の制御は覚えた。もう俺は誰の力にも脅かされない。すぐに見つけてやるよ」
虎次郎が宙に手を掲げると、放射状に黒い光が波打った。波はどこまでも広がる。
瞼を閉じると、遠く離れた場所まで見渡せた。誰が何をしているのかくっきりと見える。しかし、妙な事に気が付いた。ガキや関係のない他の神はもれなく感知できているのに、三柱の姿が見当たらない。
「神の力って便利だな。あのガキしか見えないのは罠か。まあいい、無駄な抵抗をするようだが、俺に敵う訳がない。罠ごと捻り潰す。精々ありもしない可能性に期待して、絶望した顔を拝ませてくれよ」
ニヤリと笑い。虎次郎は踏み出した。爆風が巻き起こり、地面が抉れる。彼は一歩で超高速に達する。目的地には、すぐに着いた。
達成は油断なく彼を見た。先に口を開いたのは涼しい顔で、矢のように早く、台風の様に荒々しく現れた虎次郎だ。
「よう、ガキ。他の奴らはどうした。まさか囮か?」
達成は答えない。
「まあいい、まずはお前からだ。他の奴らは後からゆっくり見つける」
虎次郎が達成へ近づく。不意に足が止まった。
「そういう事か。お前だけ安全圏に移動して、他の奴らは身を隠したか」
虎次郎は見えない壁に手を当てた。
プロテクター。神をエデンに閉じ込める檻が、虎次郎の行く手を阻んだ。
達成が安堵する。
「膨大な神通力を身に宿したお前は、その壁を通過できない。賭けには勝ったようだ」
「お前も神通力を身に宿しているだろ。なぜお前はここを通れる」
「プロテクターが神と認識しないからさ。神通力の源は、そこらかしこに溢れてる。魂もそれに触れずに進むことはできない。だから、プロテクターは一定量の神通力を越えない限り、通過できるんだ。当然、今のあんたはここまで来れない」
「偉いな。随分勉強して、利口なガキになったようだ。だが、俺がここを通れないとしても、他の神はこの壁の内側で死ぬか、俺に支配されるんだぜ?お前だけ助かろうって事か。残酷だなぁ」
虎次郎がニタニタと笑う。
「そうはならない。お前がここに来た時点で勝負は決した。みんな始めて!」
達成の声に、千鶴、スウィング、コードレイが、何もなかった空間から現れる。虎次郎が力を使って知覚することは想定していた。その対策。千鶴たちは神通力で透明化し、機会を窺がっていた。そして、虎次郎に手をかざし、神通力を使う。
「無駄な抵抗だな。壁際に追い込めば勝てるとでも?」
「無駄口が過ぎたようだな。それもお前の敗因だ」
「なに⁉」
虎次郎は千鶴の言葉に驚いたわけではない。足元に陣が広がり、輝いている。そして、虎次郎を包むように新たなプロテクターが形成された。
虎次郎が気付いた時には、すでに一人サイズの檻が形成される。
千鶴の神通力。人生読取の力を駆使して、みんなの知識や発想を最短時間で共有、開発した。即席だが渾身の合作。
「何だこれは。力が奪われる」
虎次郎が膝を付く。
「そう、F-998をエネルギーの核に見立てて、疑似プロテクターを形成した。お前は力尽きるまでその結界からは出られない」
「くそ!俺はまんまと罠にハマったのか⁉」
千鶴の説明に虎次郎が悔しそうに地団駄を踏む。
「落ち込むことはない。君を唆したのもワシだ。通常の魂に戻った時、転生するまでは便宜を図ろう」
「ハ、ハハ、ハハハハハハハハハハア、便宜、便宜って、ハハハハハハハハハ!」
コードレイの言葉に、虎次郎は狂ったように笑った。
「彼、大丈夫ですかね」
スウィングが心配そうに千鶴に訊ねた。
「死を宣告されたも同然なんだ。多少壊れても無理はない」
「ばああああか、じゃねええーの?」
限界まで目を見開いた虎次郎が、唾を飛ばしながら罵倒する。皆が驚いていた瞬間に、プロテクターや陣の光が明らかに弱まった。
「ご高説どうもありがとな。哀れな悪役演じるのも、もう限界だ。面白すぎて腹がねじ切れそうだ」
「どういうことですか?」
スウィングが狼狽する。
「くそっ」
舌打ちする千鶴の代わりにコードレイが答える。
「彼は神通力を制御したのでしょう。エネルギーの供給が止まれば、ワシらが張ったプロテクターも消失する」
「それってまずいんじゃ……」
千鶴とコードレイは、不足したエネルギーを供給するために、プロテクターに神通力を送る。
「お前も早く手伝え!」
千鶴が怒鳴り、スウィングも慌てて力を注ぐ。
「無駄無駄無駄ぁ!」
虎次郎が手を広げると、爆風が吹き荒れた。
千鶴たちだけではなく、達成も風から顔を覆った。達成と虎次郎は本物のプロテクターで隔離されているはずだ。こちらまで影響があるという事は、つまり。
「嘘でしょ」
「驚きの事態ですね」
「神も突破できなかったプロテクターが、易々と破壊されるなんて」
「驚いてる暇はない」
千鶴の声に気を取り直し、三柱が一斉に神通力で砲撃する。砂埃が立ち込め、視界が奪われる。
「やりましたか」
「治安維持部がやられたなら、この程度、時間稼ぎにしかならない。あれを使うわよ」
スウィングの希望的観測を即座に切り捨て、千鶴が金色の棒を取り出した。他の二柱もそれに倣う。達成も背後に隠すように突き立てていた棒を構えて進む。
全員が、もしもの時のために準備していた、金色の棒。棒には紋様が描かれており、先端にはいくつもの黒い輪がついている。錫杖に近い形のそれは、動く度に輪と輪が擦れ合い、鈴のような音が鳴る。
シャンシャンシャン―――
単体で聴けば情緒ある音色だが、都合四本の棒が、がなり立てると慌ただしく、緊迫感が増す。
「次から次へと、短時間でご苦労だな」
砂埃が晴れると、片手で全ての砲撃を受けきり、堂々と立つ虎次郎の姿が目視できた。
「同時に行くよ」
千鶴の指揮に全員の返事が重なる。
「ただの棒ではなさそうだが、片手で十分だ」
虎次郎は防御の姿勢で腕を構えた。肩までの筋肉がさらに膨れ上がる。全員の攻撃を受け止める準備に入った。
全員がその姿勢に内心歓喜する。
シャンシャンシャン―――ガシャン‼
四本全てが同時にヒット。それでも、腕のガードは突破できない。
「なんだ。こんなもんか。これならまだ、あの軍服の奴らの方が―――――」
シャシャシャシャシャシャシャッ―――――ボオオオオオオンンン!
棒先端の黒い輪が震え出し、虎次郎の言葉を待たずに爆ぜる。
攻撃を加えた達成らも、爆発に悲鳴を上げながら弾かれる。
黒い輪は、神通力を蓄えるための、劣化版の核。準備する時間が限られていたため、大容量の物は作れなかったが、質は数で補った。それに、棒に刻まれた紋様は虎次郎の身体に描かれた紋様と同種のもの。神通力を吸収し、核に蓄える。ただし、蓄えきれなかった場合は、暴発する危険があった。どうせなら攻撃に生かそうと、僕が提案したものだ。吸収しきれない膨大な力を逆手に取った苦肉の策。誰かが犠牲になるよりは良いと、満場一致で制作に取り掛かった。
「これでどうだ」
耳鳴りの中、状況を見守る僕以外は油断なく、次の輪を補充している。輪を作るほどの神通力を持ち合わせていない僕の分は、千鶴が作ってくれている。
「お前、咄嗟に神通力を使っただろ。もう使うな。本当に死ぬぞ」
千鶴が怒った。
実験を通して神通力を蓄えていた僕だが、徐々に蓄えられる量が減っていた。神通力が底を着くと、神ではない僕は感情を失う。生存限界を早める自殺行為だ。
爆発から身を守るために、神通力で防壁を展開したことは、千鶴にはお見通しだったらしい。僕が防壁を張らなくても、誰かが守ってくれただろうが、咄嗟の判断だった。
「心配してくれてありがとう」
「別に心配してなんかない」
いつも通りの千鶴だと安心する。
「おぉ、痛い痛い。これがとっておきか」
虎次郎はボロボロになった腕を無感動に見た。
「これでもダメなんて……」
「諦めないでください。奴が力尽きるまで打ち込めばいいだけの話です」
絶望寸前のスウィングをコードレイが励ます。
「確かに何度もこれを受け止めるのは辛いな。だが、問題ねぇ!」
虎次郎の全身から神通力が吹き荒れる。ボロボロになった腕は見る間に完治。放たれる神通力の余波が凄まじく、目を覆いたくなる。
「次は、まともに受け止めてはくれないでしょう。各自の判断で打ち込んでください。行きます!」
捨て身の指示を飛ばして、コードレイが先行した。乱戦では、誰もが不意に爆発に巻き込まれる可能性がある。防壁を張るのが間に合わなければ、即戦闘不能。
先陣を切るコードレイは、味方が攻撃するタイミングが最も計りにくく、標的にもなりやすい。一番リスクが大きいと、知っていて真っ先に走ったのだ。
取り囲んで棒を振るのは難しい。この武器は神に当たれば爆発し、僕に当たれば、爆発はせずとも、僕が死ぬ。
千鶴の神通力で意思の共有が行われる。格段に連携が取りやすく、リスクが減った。神通力を惜しみなく身体強化に使用できる三柱は華麗にヒットを重ねる。だが―――
「何で爆発しないんですか⁉」
「先端の接触時間が短すぎる」
「これでは碌に吸収できていません」
虎次郎は黒い輪に触れないように、棒を受け止め、捌いている。常識で考えるなら、棒が当たるだけでも骨折する。骨折を免れても相当痛いはずだが、虎次郎にダメージがあるようには見えない。
「もう、奥の手はないのか」
虎次郎は打撃を受けながら、涼しい顔で訊ねてきた。そして、回答が得られないことを確認し言った。
「ないなら、終わらせようぜ」
「危ない!逃げて!」
神たちの攻撃に出遅れ、俯瞰していた僕だから、異常な神通力の上昇に気が付いた。だが、叫ぶのが遅かった。
虎次郎の全身から斬撃が飛ぶ。
咄嗟の反応で、千鶴は逃げ遅れたスウィングに体当たりし、コードレイも後ろへ飛んだ。それぞれの反応は見事だったが、間に合っていない。
至近距離で飛ぶ斬撃を受けた棒が、細切れになった。
「千鶴、スウィング、コードレイっ!」
斬撃は無差別に放たれ、大地も切り刻まれる。砕けた石が舞う中、虎次郎は呟いく。
「仕損じたか」
「痛っ」
何が起こった。もうだめかと思ったが、皆傷は浅い。絶対に逃げ切れない距離だったはずだ。皆、常時神通力を使っていた。千鶴に至っては、味方が連携できるよう、意思疎通も行っていた。誰もが咄嗟に防壁を張れる状況ではないにも関わらず、高密度の防壁が現れ、僕らを守った。
達成の疑問はすぐに解決する。
「ゴールっ!無事か⁉」
「何とか間に合ったわね」
声がした方を振り向く。
「英守!照子さんっ!」
二人が駆けつけてくれた。千鶴たちが助かったのは、二人のお陰だ。余程急いだのか、かなり息を切らしている。英守が僕に向け、親指を立てる。そして、振り向いて叫んだ。
「皆さんお願いしまーす」
英守の呼びかけに、後方から続々と神たちが現れる。
「室長!久しぶり!我ら第一研究室幹部が来たからには、もう大丈夫!」
「皆さんは受付係の面子にかけて守ります!」
「千鶴さーん。美少女メイドの発見…じゃなくて、治安維持部は救助しました」
「管理局も助太刀する」
「事情は聞いた。寝起きだが、古の神たちも参戦する」
続々と現れたのはエデンの神々。
「第一の元上司軍団、受付係、死神管理局、永久仮眠の神々。知っている顔から見知らぬ顔まで、全部署勢ぞろいだな」
あの千鶴でも想定外の様で圧倒されている。
「ゴールが水臭いから勝手に集めてきたぞ」
「また一緒に戦えるね。とりあえず、負傷した皆さんはこちらまで。傷の手当てをします」
別れの挨拶も済んでいないため、さすがにまだ転生はしていないだろうと思っていたが、どうやら英守と照子さんが、みんなを集めてきたようだ。いかなる状況でも、本当に頼もしい奴らだ。
それからは戦争だった。戦闘に不向きな者達で急造された、後方支援部で休んでいても、爆音、怒号、悲鳴が聞こえ、地面が揺れる。最前線を目視出来ない位置まで後退したが、熾烈な戦いは、この場に居ても肌で感じる。
「―――あれは化物か」
負傷した神が、運ばれながら漏らした言葉の通り、虎次郎は闘神の如く、次々と神たちを倒していく。
「このままではまずいな」
千鶴が周囲を見回す。
「負傷した神たちが多すぎます」
「力の使い方もどんどん上達しているようですし」
千鶴たちが頭を悩ませているように、神たちが集まってなお、この実力差。そう遠くないうちに、戦線は瓦解するだろう。今のうちに、新たな手を考えなければいけない。
すでにお馴染みとなった第二研究室のメンバー四人で頭を突き合わせる。
「新作の武器を強化するのは」
スウィングが提案するのは金の棒の強化。今は第一研究室の協力を得て量産し、前線の武器として配っている。
「対策が取られてしまっている以上、生産効率を下げるのは、得策ではなさそうです。強化版を作る時間も惜しいですが、もし、その策が通じなければ、物量で抑えている現状が、崩れかねません」
コードレイは顎に手を当て、冷静に分析した。
なかなか答えが見つからない。とりあえず思いついた端から口に出し、現状打破の突破口はないか考えるしかない。千鶴の神通力を温存するため、今回の作戦会議は会話で行っている。
「なんかねぇかな。あいつを一撃で吹っ飛ばせる、ドカーンとでかい力」
「大量の死神がノルマをクリアしたら―――なんて、運の良い事が、今起こる訳ないですし、多少の戦力になるかもしれませんが、神ですら手を焼く相手には、偽神ごときは焼け石に水でしょうね」
会話に加わったのは英守と照子さんだ。前線では力が足りないからと、後方支援の手伝いをしている。照子さんは「ここの四人がたぶん要です。何かあった時は、私が時間を稼ぎます」とメイド服に合わない特大の鎌まで、油断なく構えている。
何かが頭の片隅に引っかかる。なんだこれは。
引っ掛かりの正体を捕まえるために集中する。意見の声も、周りの雑音も遠ざかる。
もっと深く、もっともっと……集中する。頭の片隅に引っかかった違和感を探る。
達成が集中している間にも、会議は白熱した。
「三途の川に落とせればな」
「さっきも検討しましたが、これ以上、物量で押し込むのは無理かと」
英守が既に終えた討論を蒸し返し、コードレイが冷静に却下した。
カチリと音が聞こえた。
ハッとして顔を上げると、千鶴とだけ、目が合った。他の皆は熱く論議している。
「何か思いついたようだな」
達成は深く頷くのを見て、千鶴が手を打った。
僕は注目を集めたのを確認して、話始める。
「みんなに聞いてほしい。僕だけじゃ判断がつかない。いくつか確認した後に、思いついたことを言うから、みんなで実現可能か検討してほしい」
絶えず粉塵や火の粉が舞う最前線。入れ代わり立ち代わりで、神々が善戦しているが、エデン史上最悪の化物は、立ち向かってきた神を造作もなく殴り飛ばした。神通力の砲弾がすかさず飛来する。彼は巨体に似合わない、身軽なバックステップで回避。弾幕を張られ、避けられないものは遮蔽物、とりわけ、戦闘不能になった神を盾にやり過ごし、使用済みのその盾を、目障りな遠距離攻撃を仕掛けてきた神に向かって、投擲し的中させる。神が大量所持している金色の棒は、そこらに転がっている。損傷が少ないものを瞬時に選び、足で蹴り上げる。掴み取るタイミングを狙った者を、空いた腕で殴り飛ばし、背後から襲い掛かる一撃を受け止める。前方から接近する神の攻撃に、身を捩って回避。味方同士を相打ちにした後に、棒の武器の先端を押し付け爆発させる。瀕死になった者から、わずかな時間で、可能な限りの神通力を吸収。エネルギーを回復する。そして新たな敵に、出がらしとなった神を押し付け、二人同時に投げ飛ばす。全方位から襲い掛かられれば、圧倒的な神通力を全方位に放射し爆破。倒れた者から、また吸収。損失分を補給して、次に備える。
戦えば戦う程に力が馴染み、高揚する。高ぶる気持ちはあるが、限りなく冷静に戦局を見つめている自分もいる。大人数だろうと関係ない。一対一、もしくは近い形に持ち込み、時には自滅を誘う。どうにもなりそうもない時にだけ、力を使えばいい。そして失った分は、速やかに回復する。敵の攻撃は勢いが衰えてきている。
「そろそろ限界のようだな」
攻撃が止まり、虎次郎は呟いた。
疲弊した神たちの間から、一人の少年がこちらに向かって進んでくる。マントで全身を包んだ姿も相まって、さながら海を割ったモーゼのようだ。
「降伏宣言か?」
少年は静かに首を振る。
「受け入れないでしょ」
達観した表情で言う。少年の声は大きくはないが、良く通った。これまでの戦闘が嘘のように、場は静寂に包まれている。
隠れ蓑の古小屋で出会った時とは、別人のようだ。僅かな時間で、見違えた。虎次郎は思わず笑みを浮かべる。
「まだまだ楽しませてくれるのか」
それなら、まだ先がある。先へ行ける。圧倒的な力を手に入れ、それを振るうことが許される世界。現世でどこまでも憧れた境地を俺は手に入れた。だが、まだ先がある。俺が本当に掴みたいものは、この力だけではなさそうだ。
「戦闘狂だね。楽しめるかは分からないけど、そろそろ倒れてもらうよ。最後にしよう」
少年はその言葉を最後に、走り出した。踏み込みだけで地面が爆ぜる。
それを見た虎次郎は、気を引き締めた。
急接近した少年が、マントの陰から剣を抜く。振りかかる剣を、虎次郎は金の棒で受け止ようとして、中断した。瞬時に飛び退く。
「そのまま受けていれば危なかった。ガキ―――たしか達成って言ったか。その力はどうした」
驚いたことに、コイツはこれまでの、どの神よりも強い。
虎次郎は断ち切られた金の棒を見る。断面は滑らかで、最も硬度が高い先端部を、切り裂かれている。
普通の武器ではダメだと悟った。虎次郎は直感に従い、剣を生み出した。神の領域を超えた今、想像したように自在に創造でる。ただし。
「悪役が馴染みすぎてるよ。ちょっとその剣は―――」
少年が言い淀むのも無理はない。想像力が足りないのか、具体的な物を作るのには技術が必要なのか、それとも、深層心理が反映したのかは虎次郎にとっても謎だ。
少年が持っている剣が、無駄を排除した戦うための堅実な剣だとすると、こちらの剣は、肉厚幅広で威力はありそうだが、刀身自体が炎のように無駄にうねり、血管のごときラインが脈動した禍々しい黒刀だ。
「まあいいだろ」
虎次郎も少年同様に虚を突かれたが、表情には出さない。
戦えるならそれでいい。あぁ分かった。俺は戦いたくて仕方がないんだ。何者も凌駕する力を欲していながら、血肉沸き立つ、戦いの中の高揚を求めていたんだ。こいつは俺に、それを与えてくれそうだ。
時間は少し巻き戻る。作戦会議で達成は確認した。
「コードレイさん、まず偵察隊のさっきの報告だと、虎次郎は倒した神から神通力を吸い上げて回復してるんだよね」
コードレイは頷いて、そのようです、と肯定した。
「一対多数じゃ逆に不利。英守が言うように、大きな力を集め、少人数で戦うことが理想」
「でも、そんな力を持った神はいないんだろ」
提案した英守が反対意見を出す。たしかに、現状そんな神はいない。
「うん、千鶴が最強だと思うけど、千鶴の数十、数百倍の力がある神はいないよね」
「そうだよ。戦闘モードになった、鬼のような先輩、数百人分を相手できる神なんて、ブヘッ」
悪口と判断されたスウィングが、千鶴の裏拳で悶絶する。
「すまん話を進めてくれ」
注目を集めた千鶴が謝罪し、たじろぎながらも、達成は話を進めることにした。
「照子さん、それはエデンでも自在に出せるの?」
急に話を振られた照子は、皆の注目を一斉に受け、驚いて肩を跳ねさせた。巨大な愛鎌を握りしめ、勇気を出して言った。
「う、うん。不思議と現世と同じように使えるよ」
「そういう事か!」
一足先に千鶴が合点したが、皆はまだわかっていないようだ。この段階で理解できる千鶴が天才すぎるのだ。皆には順を追って説明しよう。千鶴が合点した時点で、この作戦は実現可能なのだ。半信半疑だったが確信に変わった。
「その役は私がしよう」
千鶴が立候補した。
「まだみんな、話の流れに付いてきてないよ。それに、千鶴には大事な役割を引き受けてほしいんだ。そして、神通力の許容が決まっている神より、魂だけの存在が好ましい。さらにその中でも、神通力を一番使いこなせるのは僕だ。千鶴が察した役は、僕がやるよ」
「それだとお前がーーー」
千鶴が言葉を詰まらせる。心配してくれる気持ちはありがたい。虎次郎との戦闘も十分危険だが、この作戦で力を使い、負荷が増せば、今度こそ僕の身が危ないのは分かっている。でも―――
「死ぬと決まった訳じゃないさ」
「持ってきました!」
後方支援部に、スウィングと死神管理局の数名が戻ってきた。
ズドンと置かれたそれは、現世の死神を管理するための端末。
「まさか持ち運べるものなんて」
「私の設計思想が元になってるんだ。今なら、本気を出せば手帳サイズにできる。三日は時間が必要だがな」
自身で運んできた物とはいえ、他部署の事情に明るくないスウィングの驚きに、千鶴がさほどない胸を張る。
「こっちも、もう少しで出来そうです。千鶴君、仕上げと細かな調整は任せたよ」
コードレイが陣を描き、第一研究室の幹部たちが、周辺機器を組み立てている。
「では繋ぐ」
「ちょちょちょ、まだ仕上がってないんですけど」
先走った千鶴が、端末と装置の起動を開始した。
「時間がない。微調整の間に仕上げろ」
千鶴が檄を飛ばす。無茶を言ってはいるが、悠長に構えている時間がない事は、誰もが分かっている。
「時間がないのは分かりますが、ここに来て失敗しては元も子も……って、相変わらず元上司使いが荒い」
作業の遅れが、失敗を意味する状況に追い込まれたコードレイは、文句を言いつつ、手を動かす。慌ただしく動く手の横から、新たに手が加わった。
「僕も手伝います」
「申し訳ない」
自分のしたことに、まだ微妙に折り合いが着けられず、コードレイは申し訳なさそうに頭を下げた。
「この戦いが終わったら、また転生の研究が必要になります。元室長さんには、僕を一人前の研究員に育ててもらいます。それをもって、罪滅ぼしとしませんか」
スウィングが笑いかけ、コードレイが苦笑する。
「先輩が先輩なら部下も部下で、器がデカい。君は、もう充分立派さ。さて、あのじゃじゃ馬に振り落とされないように踏ん張るぞ」
「「痛っ」」
二人の後頭部に、小石が当たる。
「スウィング、『この戦いが……』は死亡フラグだ。不吉だ、死ぬなよ。それと室長、誰がじゃじゃ馬だ」
全力全速で精密作業を進めつつ、周囲に目を配り、小さな悪口も適度に成敗する。常人離れした所業。バイタリティーの無駄遣いに、二人は吹き出す。
「笑っている暇があったら、死に物狂いで進めろ!」
そして、千鶴の檄が飛ぶ。緊迫しているが、研究者たちは充実感を噛みしめていた。
千鶴たちが製作しているのは、神通力の発信装置。死神管理局の端末は、神通力を現世の魂たちにも利用できるように変換し、持続的に死神に供給していた。その機能と陣の力の応用で、限界値を迎えていた僕を、虎次郎を超える【最強の魂】にアップグレートする作戦。
大気中にある神通力の源や、余力がある神も、力を供給する。エデン中の神の力を一点に集める。装置の完成で、初めに英守が言った『ドカーンとでかい力』を生み出すことができる。
装置の完成まで達成は、英守と照子と話していた。名目上は、元死神の照子から、力の扱いのレクチャーと戦闘前の最後の休息となっている。
「また無茶な役割を引き受けて。本以外に興味を広げたのは良い傾向だと、普通は思うだろうけど、お前の場合、世界を広げすぎて心配が増える」
英守が呆れながら言った。
「そうですね。あなたは分相応という言葉を知っていますか」
追い打ちをかける照子も、息ぴったりで容赦がない。
「小説家、英雄になる親友が、これから最大の敵との戦いに挑むシーンなんだけど?もっと他の言葉はない訳?」
達成の反論に二人は目配せをして、こちらに向き直った。
トン
二人の拳が胸に当たる。
「お前なら大丈夫。まあ、ダメな時は俺の出番だ。肩の力抜いて行けよ」
「信じてますから」
二人の信頼しきった笑顔が堪える。
「お前の出番なんてねぇよ。肩の力抜いたら、お前みたいに脱臼するだろ」
「お、おまえ。あれをネタにするなよ」
「ん?何がネタなの?」
虎次郎との最初の遭遇を、詳しく知らない照子は首を傾げた。
「照子は知らなくていい!待てっゴールも耳打ちしようとするなっ!」
「さて、エースの肩の敵討ちにでも行きますか」
涙を隠すため、ふざけて誤魔化した。僕は二人がくれた勇気に感謝し、背を向けて歩む。
時は戻る。
千鶴の神通力で念話が行われ、前線に出ていた神のほとんどが退避した。研究室の主要メンバーは機器の稼働や、随時メンテナンスが必要なため、前線には出てこれない。少し離れた場所に、偵察隊がいて、連絡を取っているはずだが、身を隠しているため、どこに潜んでいるのかは分からない。
達成と虎次郎は向かい合う。どちらとも言わず、互いに踏み込んだ。地面が炸裂した瞬間には、眼前に火花が散る。鍔迫り合い。ガチガチと剣が鳴る。互いに剣を押し合いながら、虎次郎がしみじみと言った。
「まさかお前と、ここまで因縁めいた関係になるとはな」
「僕にとってもまさかだよ。あんたとは、運命めいたものを、共有したくないけどね」
「言うじゃねぇかガキ。俺は感謝してるってのによ」
互いに弾かれ、距離を取る。手をかざした瞬時の砲撃も同時、同威力。過剰なまでに撃ち合うが、その全てがぶつかり合い、相殺する。直撃していないはずの大地が、余波だけで、砕かれ、焼かれ、吹き飛び、形を変えていく。出し惜しみのない攻撃の数々は、どちらも止めることができない。温存を考えた一手を打った瞬間に、劣勢になる事はどちらも理解していた。爆炎も衝撃波も収まらぬ内に、再び剣がぶつかり、火花を散らす。
「あんたは何がしたいんだ」
「初めは、誰よりも圧倒的に強くなりたかった。そして誰よりも自由に生きたかった。けどな、その先があったんだよ。お前が気付かせてくれた。だから感謝している」
剣戟が始まった。仕掛けては受けられ、反撃に反撃を重ね、相手の剣筋を読み合い、潰し合う。
敵よりも強い一撃を。早い一撃を。攻めつつも身を守る。守りながらも攻める。敵の予測を、想像を超えた一撃を狙い、一筋一筋に意味を乗せる。高度な読み合い。一太刀毎に読み合いは深まる。深まり続ける。――――――更に先へ。
二人の剣筋が互いの予想を裏切ってことごとく噛み合った。まるで、示し合わせたように斬り結ぶ。
虎次郎は磨き上げた暴力と野性的勘を、神通力で昇華し、高次元で発揮する。
達成はまるで本を読むように、自然体でありながら、高速で動きを読み取り、先を想像する。戦闘経験の未熟さは、神通力の豊富な知識で対抗する。
「踊っているようだ」
偵察隊の一人が、美しく力強い剣舞のような二人の戦いに、感嘆の声を上げた。
互いに力押しだった序盤。二人は、瞬く間に、ステージを駆け上がり、進化した。二匹の化物が生まれた瞬間だった。既に常人には、一筋一筋を目で追う事すら敵わない。刮目していても、姿を見失う事さえある。
「自由に生きて、何をするの?」
達成の質問に斬撃を受け止めながら、虎次郎が言った。
「戦うのさ」
「あんたはもう、親の暴力に怯える必要はない。暴力や非道を強要される職場でもない。もういいんだ。もう、戦う必要はないんだ」
「違う。俺は戦いたいんだ」
「幸せになれるの」
「自分が決めることだ」
「そうだね」
「そうだとも、だがよ」
虎次郎はそこで言葉を区切り、左手に二刀目の武器を生み出す。二刀同時に振り下ろしながら言った。
「俺は今、幸せだな」
刀身と防壁で受け止めた達成の顔が歪む。二刀の刃は重たかった。強すぎる圧力で、防壁の罅割れが徐々に広がっている。噛みしめた奥歯が割れそうだった。だが、食いしばりながらなぜか笑った。自分がなぜ笑ったのか。達成にも分からない。
もしかしたら、僕も楽しんでいるのかもしれない。楽しいってことは、これが幸せの形なのか、いや―――
「違う。僕はみんなの力になれることが嬉しい。もっと、幸せな力の使い方があるはずなんだ」
僕の幸せは他にある。刹那的な快楽に惑わされてはいけない。
「ガキ。もしも、お前が勝ったら、何をするんだ」
質問を返される。
「本を読むに決まってるだろ」
親友が人生を賭けて書いた本を読むんだ。くだらない言い合いをするんだ。その言い合いに、お世話になったメイド服の死神を巻き込むのもいい。千鶴から本を借りよう。今度はその本で、彼女の後輩や元上司も交えて意見を交わそう。未だ見ぬ物語を探そう。僕と繋がりを持った人々と、分かち合えるものを見つけよう。
これまで出会った、多くの人の笑顔がフラッシュバックする。
そして、僕は、僕の物語を―――
「生きるんだぁぁぁあ!」
全身が、剣が、眩い光を放つ。渾身の一撃が、二本の武器を砕く。
血しぶきをまき散らしながら、虎次郎が吹き飛ぶ。
静寂が訪れた。
虎次郎は遅れて理解する。負けた。少し意識が飛んだようだが、まだ生きている。生きてはいるが、指一本動かせそうにない。視線を手に向けると、指先から灰が風に舞うように消えていく。このまま、消滅することを悟る。
「なあガキ。俺とお前の」
差は何だったのか、と聞こうとして、思いとどまった。
「そんなの分からないよ」
結んでもいない言葉の先に、答えが返ってきた。苦笑するしかない。
少年は言葉を続ける。
「でも、みんなの顔が見えたんだ」
背負うものの大きさが違ったのか。俺は誰かのために戦ったことが、あっただろうか。
脳裏に唯一、信頼を寄せた兄の顔が浮かぶ。更に苦笑が増す。
「しばらく会ってねぇな。今更出てくるなよ。―――ガキ、お前の勝ちだ。最高に楽しかったぜ」
虎次郎の声に、遅れて返事が戻ってくる。
「これを勝ちって言えるならね」
限界を超えた身体に鞭を打ち、首に力を込めて少年を見る。少年が見つめる指先も灰のように舞い始めていた。
その言葉を最後に達成は倒れ、虎次郎の意識も途切れた。
何も見えない、果てしない暗闇の中に達成はいた。
自分の身体が、存在するのかどうかも分からない。いつから漂っているのか、無心でただ暗闇の中に長い間いたような気がする。
「………………」
何か、音が聞こえた―――いや、声だ。
「おい、ゴール!何年寝ているつもりだよ。さっさと俺の傑作を読め!泣いて絶賛しろ」
この声をよく知っている。実はもう読んだんだ。粗探しには、まだ時間がかかりそうだ。
「達成君が起きないと、結婚式できないんですけど」
この声も知っている。誰の結婚式だろう。
「あーあ、勝ち逃げは認めねぇからな。さっさと起きろ!ぶっ飛ばすぞ……あと、言いそびれたけど、ありがとな」
知っているが、あまり聞きたくない声だ。
「勝ち逃げは同感です。先輩の一番の後輩は、僕が頂きます!」
最初からそこは、お前の物だろ。無駄に元気だ。
「まだ、大人のコーヒーの味を教えていませんよ」
苦いのは得意じゃない。はぐらかしているの、実は知ってるだろ。
「た、達成、寝ている間に準備はできた。グズグズしてないで、さ、さっさと起きろ!読むだけの、受け取ってばかりの物語は終わりだ……いや、読書は辞めはしないけど―――な、なんだ、あれだ、私はお前とも、新しい物語を紡ぎたいんだ」
やっと名前を呼ぶ気になってくれたんだね。グズグズなのはどっちだよ。相変わらず、素直に話すのが苦手なんだから。
さて、目覚めようか。新しい世界も、みんなと紡ぐ物語も楽しそうだ。
The beginning is the end
どうでしたか?
落選作品なので、コメントなど多くは求めませんが、アドバイスなど頂けると嬉しいです。
では、ここまでお付き合いいただけたあなたに、少しお話させていただきたいと思います。
私はあなたと同じように小説、物語に触れるのが好きな人間です。
そんな私は、一生に一冊くらいは作品を世の中に出したいと思っています。
今回は次回作に向けて気持ちを切り替えるためと、落選作品でも少しでも小説界の役に立てればと思い投稿に踏み切りました。
今後、世の中に出せるような作品で、あなたと再会できることを祈っています。いや、祈るだけでなく研鑽します。(笑)
最後までお付き合い本当に、本当にありがとうございました。
令和元年(2019)5月17日 1時36分 夜勤明けで睡眠周期を乱しながら……




