Scene 4 おれはあなたの配下じゃない
「たしかに、ここはレンフォス領内だ。だけんど」
辺境の者らしく、言葉の端に訛りがある。農民だろう男は、俺たちを上から下まで、じろじろと眺め回す。
子ども。俺――、そして、犬。
わずかあれから三日ほどだが、格好は薄汚れている。
いくつか脳内を過ぎたらしい質問を飲み込んで、彼はそれだけを口にした。
「な? ずいぶん遠くから旅してきたみてぇだな」
麦わらぼうしの縁を、軽く持ち上げた。
「……そうだな。
キーナ、行くぞ」
踵を返した俺が言うのに応え、キーナも背を返す。
「お……おお。気をつけてなぁ」
おそらくは首をかしげながら、農民は言う。
俺たちは歩き出したが、キーナが幾度か、興味を引かれたようにそちらを振り返っていた。
*
「――ほら」
「?」
道端。俺の差し出した花を見て、キーナは不審げな視線を向けた。
「蜜、吸うと甘いぞ」
道端にさっきからちらほらと咲いている。春先に咲く一年草だ。
浅黄色の髪の子どもは、顔色を変えないまま、それを手のひらに受け取った。
脇を歩いていたセトが、キーナの手にした黄色の大きめの花の匂いをかぐ。
――本当に、犬みたいだぞ。
「――あまい」
少しだけ、キーナは表情をゆるめた。
「おじちゃんは」
「フロウだ」
「ふろう は」
俺がキーナの手を引いて、犬がその斜め後ろを、一歩遅れてついて歩く。
道の両脇は崖で、斜面には野花がちらほらと見える。道幅は、大人が二人並んで通れるほど。それなりに人通りはあるのか、土は踏み締められている。
丘国バーナヒルから、樹国オルバドの端を通り、湖国レンフォスへ出る道行きは、そろそろ終わりに近かった。
「せと と、どこで会ったの?」
「なに?」
「……キーナも、セトみたいな犬、ほしいなぁ」
警戒したこちらの気を知ってか知らずか、淡い金髪の子どもは、小さな手で、白犬の肩口をぽんぽんと叩く。
……。
俺は思わず、苦笑していた。普通の犬は、竜になったり、ヒトの姿になったりはしない。
「だとさ、セト」
「……ウォゥ~」
困惑気味に、白犬が唸った。
*
そうして街道――とは言っても、細い山道だ――を歩いて、昼近くだろうか。
ざわざわと下生えが鳴る音を俺たちは聞いた。
身構えるでもなく、歩を早める。キーナの手は俺が引いているし、セトはそれについて来ているから、意思を声にして疎通する必要はない。
「――っ」
とうとう、俺は走り出した。
かなりの数だ。潜んでいた者はもう隠すつもりもないのか、下生えの鈴鳴草が触れあう音が、うるさいくらいに響いた。
負けるつもりはないが、確実にこの姫様を守りきる自信もない。
かといって、姿を見ずに攻撃するのも気が引ける。
だが――。
この際、文句は言っていられないか。
「フロウ!」
!?
脇から聞こえた聞きなれた声に――俺は思わず、足を止めていた。
「――本物です」
俺に聞こえるか聞こえないかくらいの声で、セトがつぶやく。
俺は改めて声のしたほうに顔をむける。
「ローザ?」
見れば、その後ろにいるのは騎士団の連中だ。ということは、おそらくこの場の指揮官なのだろう真紅の髪の騎士が、大股にこちらへやってくる。
「こっち よ」
――え?
ローザクリスは俺の手を引いて、森のわき道へいざなう。他の数人は、その場へ留まる。
どういうことだ?
いぶかしむ俺に、ローザの声。
「自分が何をしているか判っている?」
……。
「グラム・バーナヒルは血眼でお姫さまを探しているわ。威信がかかっているとか何とか言いながら、ね」
「あなたには――」
振り返る。
「全てを犠牲にしてでもそれを護る覚悟がある?」
「俺、は」
「あるの?」
ローザの声は、きびしい。
俺はキーナを振り返った。
怯えたような瞳。
俺たちは一体、何を犠牲にして、――
何に目を瞑り、何を欺いて――平穏な顔をして暮らしていられるんだ。
「子どもひとり守れなくて、何が騎士だ」
「その『子ども』だって、その社会の中で生きていかなくちゃならないのよ?
それを甘やかして、何になるっていうの」
――許せないのは、何かを踏みつけにして、自分もかつて踏みつけられたからと、平穏な顔をしていられること。
何を真とも、善とも、信じることも、考えることすらせずに。
古いものをただ正しいと、覚えこむこと。
「――護るさ」
少なくとも、あんたみたいな大人からはな。
「上等――」
ローザは剣を、抜き放つ。
初めて、かもしれない。コイツを、怖いと思ったのは――
熱が、巻く。ローザクリスは炎術を少し扱う。
「――セト」
俺はささやく。
俺が掲げた手の先では、くすぶるように、電子が跳ねた。
「行けっ」
草を横切る音が響いた。
「あっ、卑怯――」
「うるせッ」
俺は地面を蹴る。乗って、と、セトがキーナに向けた声が聞こえた。
ば……りっ
雷を帯びたまま叩き付けた掌が、地表に積もった落ち葉を、広範囲に吹き飛ばす。
それをものともせず、ローザの突きが伸びてきた。――鋭く。
篭手で、それを弾く。同時、俺は術印を召んだ。
ローザの背後から、俺の手元へ。白い竜が、走り抜ける。
彼女は膝をついたが――それだけだった。
「マジメに戦うつもり、あるの?」
駆け出した俺の背後から、そんな声がした。そりゃ、こっちの台詞だ。
「どうするのですか。先には、おそらく――」
「……ああ」
セトが淡々と言い、俺は声で肯いた。
「フロウ、ずるい! カケオチなんて楽しそうなことするなら、なんでぼくにひとこと相談してくれないんだよっ!」
明るい橙髪の順騎士が、滝切の勢いで得物の長剣を走らす。俺は身をかがめたが、逃げ遅れた髪の端にはそれが触れた。
『天を突く雷――』
俺が召んだ術印で、順騎士――アルカネットの足元から、真上へ、数筋の雷弧が駆ける。
騎士団の雇われ剣士、ことシージャは端に立ったまま、冷めた眼で成り行きを眺めている。
「……通してやれ。それとまともに戦りあったって、何も特はないぞ」
やがて、アルカネットが地に伏したのを見て取って、俺の進路を阻もうとする騎士たちに、のんびりと言う。……ほんとやる気ねぇな、コイツ。
し、しかし……。
つぶやくように言って、真面目な何人かが、ためらうように遠巻きにする。
「そうはいかんな」
聞こえた声は、低く、重い。
がちゃり、と、鎧の繋ぎが鳴った。
「――」
シージャがわずかに息を呑んで、そちらを振り返る。
森を出た先は、なだらかに上へ傾斜し、丘になっているが、そちらから、完全装備の戦士が姿を現していた。
「戻ってくるのだ、キーナ。今ならばまだその罪を許そう」
――。
麦穂色の髪の子どもは、ゆっくりと犬の背から降りると、戦士――グラム・バーナヒルを見上げた。 その表情には相変わらず、何の色もない。
「――せと。この人は、味方? それとも、敵?」
「選ぶのはあなたです、キーナ」
「わたしは――」
それは、満面の笑みと呼ぶには、あまりにもいびつだった。
*
俺は、キーナとグラムの間に、雷流を走らす。
「罪? 人に生まれた罪か? だとすればあんたは、よほど偉いんだな」
「――若造がっ!」
グラムは、大剣を振り上げる。次の瞬間にはもう、こちらへ踏み込んでいた。
――!?
着地してからようやく、飛ばされたことと、剣撃を防いでいたことを自覚する。
俺の場合、防御も雷術でしているから、鎧も含めて、グラムとの重量差は、かなりのものだ。グラムは、出てこようとする周囲の兵を、手で制する。
俺は無意識に顔を手で拭ったが、そこに生ぬるい血が付いている。
ちっ。
地面から、雷流を呼ぶ。グラムの胸元を貫いて流れ、俺の手元へ。だが、その量は大分減っていて、大方は、グラムの鎧に、そして、再び地面へと、飲み込まれたらしい。
――大抵の鉄鎧なら、貫けるのに。
「おぉお……っ」
剣を構えたグラムが突進してくる。
俺は盾の術印を編む。
(……ふっざけんな)
飛ばされる、着地。
『古代の英雄、魔物狩る王よ。その猛き剣は全ての敵を打ち、剛岩をもってしても止めること能わず』
「うぉお……ッ」
――ジーグムンド
剣と雷剣が、打ち合う。剣を形作るいかづちは、筋力差を補う。
ぎ……りっ
グラムの瞳は、恐ろしいほどに光っていた。
――つまり、ワシは、必死だったのだ。
相手が掲げた剣は、見たこともない白い光でできていて、縁を、ぱちぱちと細かい粒が跳ね回っている。
倒さなければ。
ひたすら、そのささやきに突き動かされるように、ワシは剣を振るった。
だが、小僧は、なかなかしぶとく、打っても、打っても、起き上がってくる。
ワシは、恐れていた。
雷の技を使う相手に、当たったことがないわけではない。それではない。
別の――何か。得体の知れない。不可解な、力。
現実を知らない。
『――ならば、現実は変えられないのか?』
がっ
ワシの手元を、衝撃が揺らした。
「そこまで、だな」
向こうでは小僧が倒れていて、ワシの剣を逸らせた戦士の、緑色の瞳がこちらを見ていた。ワシより背はないが、そのまま掴まれた腕を動かすには、相当な難儀が要りそうだった。
「――ワシの配下のくせに、ワシの邪魔立てをするかっ」
「あいにくと」
黒髪の剣士は小憎らしいほど落ち着いたまま、言った。
「おれはあなたの配下じゃない」