第009話:圧倒的な武力と、不敬な共犯者
分厚い羊毛の天幕に、夜の静寂が重くのしかかる。
高品質な獣脂の蝋燭が燃える微かな匂いと、時折入り込む冷え切った山風が肌を刺す帝国軍の本陣。
(暖房器具の配置が偏っているせいで熱効率が悪いな……一酸化炭素中毒にはならないだろうが、これでは将軍の体が冷え切ってしまうぞ)
俺が現場の空調環境にダメ出しをしていると、軍机の奥で腕を組んでいた若将軍アリエルが、鋭く冷徹な声を発した。
「……特命全権大使。いや、稀代の詐欺師と呼ぶべきか」
アリエルの眼光が、俺たち3人を射抜く。
「貴様らの言葉には、国家を背負う重みより、泥にまみれた罪人の焦りが透けて見える。大方、適当なハッタリで死地を逃れようとした小悪党だろう」
「フッ、買い被りすぎですよ将軍」
完全にバレかかっているというのに、サギは全く悪びれずに優雅に肩をすくめた。
「俺たちはただの『星辰の盤上師』に過ぎません。星の巡りを読み、正義も大義も無視した『生存優先のいかさま』を指し示すだけの存在です」
(星辰の盤上師!? お前、この前の王様との謁見じゃ『深淵の調停者』って名乗ってただろ! なんで夜になったからって適当に星空モチーフに看板変えてんだよ!)
俺が内心で激しくツッコむ中、隣のリツィエルもまた冷ややかなため息をついた。
「相変わらず息を吐くように看板をすげ替える。君のその場しのぎの浅薄さには反吐が出るよ」
「うるせえ。夜の密談には、夜にふさわしいロマンチックな肩書きが必要なんだよ」
俺たちのいがみ合いを、アリエルは呆れたように、だがどこか深い疲労の色を滲ませて見つめていた。
「……長兄サアルの『暴風』は止まらん」
アリエルはポツリと、独り言のように呟いた。
(『暴風の皇子・サアル』。その異名と恐ろしさは、遠く離れた故郷ミズラハの王宮にまで轟いていた。
……だが将軍の口ぶりからすると、それは単なる『例え話』ではないらしい)
「兄上は怒りや昂揚が高まると、文字通り周囲の空気が震えるほどの異常な重圧を放つ」
アリエルの声には、肉親への敬愛と、超えられない壁への深い畏怖が混じっていた。
「かつて西方で反乱が起きた際、兄上はたった一人で堅牢な城塞の前に立ち……
その怒号と、愛用のバトルアックスの一振りだけで、分厚い城門ごと数百の守備隊を『物理的に吹き飛ばした』のだ。
あれはまさしく、意思を持った災害(暴風)だった」
(一人で城門吹き飛ばす人間台風かよ!? 現場の強風制限(風速10m/s以上で高所作業中止)どころの話じゃない、
絶対に関わっちゃいけない天災(重大インシデント)じゃないか!!)
俺が激しく胃を痛めていると、アリエルはギリッと奥歯を噛み締めた。
「兄上は1,000年の怨念と狂信に囚われている。貴様らの小手先の細工でどうにかなる相手ではない。私が軍を退けば、兄上が直々にミズラハを更地にするだけだ」
その言葉には、部下を死なせたくない思いと、狂信に囚われた兄を止めることができない自分への無力感が滲んでいた。
「なら、俺たちを下請けに使えよ」
俺は思わず、一歩前に出ていた。
「あんた、一人で全部の責任を背負い込んでるから胃が痛くなるんだ。中間管理職がプレッシャーで潰れたら、現場の兵士たちはどうなる?
誰も血を流させない『現場の落とし所』を探すための泥ヨゴレの仕事なら、俺たちが引き受けてやる」
「ヨシヤ……君のその、敵の将軍の胃袋まで心配する全方位への愛想の良さには呆れるよ」
リツィエルが小声で俺を嗜めるが、すぐにアリエルへ向き直り、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「しかし、計算に感情は不要だがヨシヤの言う通りだ。僕たちが兵站の欠陥を突き、法と経済でサアル殿下の足を止める。
1,000kmに及ぶ補給路の要衝である山岳国ゼレフ、水路国アフィク、商業国ヤム。
そこにいる『本来の王たち』の権限を帝国法を用いて回復させれば、中央のシステムは完全に麻痺する。
……どちらの面子も潰さずに済む『無血の合意』を目指すなら、あなたは我々に騙されたふりをして、ここで陣を維持していればいい」
「共犯者になりなよ、将軍」 サギが悪魔のように笑いかける。
己の騎士道と、兄への家族愛、そして部下への責任。
名誉を傷つけずに誰も死なない守護の道を探していたアリエルにとって、それは悪魔の誘惑だった。
『100%の正義(更地化)』を捨てて選ぶ、『生存への妥協』。
激しい葛藤の末、アリエルは深く息を吐き出し、軍机に置かれた剣から手を離した。
「……よかろう。狂信と暴力を『書類と嘘』で抑え込む平和か。貴様らの『毒』を飲もう。だが、少しでも裏切る素振りを見せれば、即座にその首を刎ねる」
「交渉成立だ」 サギが満足げに指を鳴らした。
「まずは、兄上の軍勢を物理的に足止めするための『強固な盾』を用意する。ここからすぐ先の山岳国ゼレフだ」
「ゼレフの公爵は帝国に従順な男だぞ」
「それは『今の』傀儡の公爵の話です。僕たちが狙うのは、隠居させられている本来の『バラク王』です」
「……あの男か」
その名を聞いた瞬間、アリエルは少し驚いたように眉を上げ、やがてふっと短く息を吐いた。
「帝国でも正直なところ、山の民の反乱を恐れてその処遇を持て余している厄介な老王だ。
……なるほど、彼を懐柔できるというのなら、帝国にとっても利がある。やれるものなら、やってみせろ」
かくして、帝国軍の若将軍と3人の死刑囚による、国家反逆ギリギリの『夜の盟約』が結ばれたのだった。




