第008話:大国の重圧と、震える詐欺師の夜
【工程ログ:ミズラハ伝統暦 4月6日 / 帝国統一暦 4月8日】
【月齢:上弦の月前 / 次の新月まであと24日】
【現在地:死者の門へ続く山道〜アリエル将軍の天幕】
ミズラハ王宮の正門を堂々と抜け、俺たちは街の外れから前線へと続く暗い山道を歩いていた。
(足元は舗装されていないむき出しの土と岩。街灯もなく、月明かりだけが頼りの完全な夜間作業環境だ……)
冷たい夜風が吹き抜ける中、俺は前を歩く幼馴染の背中に声をかけた。
「……おい、サギ。さっきから変だぞ」
いつもなら鼻歌交じりで飄々と歩くはずのサギの足取りが、どこかぎこちない。
よく見れば、王の印璽が押された「特命全権大使の任命証」を握る彼の手が、微かに、だが確実に震えていた。
「……あー、悪い。夜風がちょっと冷えてな」
サギは誤魔化すように笑おうとしたが、その声の端は明らかに裏返っていた。
無理もない。
今までの彼はただの「命知らずで軟派なペテン師」だった。
失敗して殺されても、自分一人が愚かな詐欺師として死ぬだけで済んだ。
しかし今は違う。
ゼデキヤ王から正式な任命証を受け取った瞬間、彼がついた「特命全権大使」という大嘘は、国家の公式な命運へと昇華してしまったのだ。
もしアリエル将軍の前で少しでもボロを出せば、俺たち3人だけでなく、故郷ミズラハの民全員が撫で斬りにされる。
その未曾有の重圧と、何より「自分の嘘のせいで、唯一の親友たちを死なせてしまうかもしれない」という切実な怯えが、
決して恐怖を見せないはずのトリックスターの心を音もなく摩耗させていた。
「お前、今更ビビってんのか」 俺は呆れたようにため息をつき、サギの横に並んでその肩をバンと叩いた。
「い、痛ぇな! 誰がビビってるって……!」
「ビビって当たり前だろ。現場に全権と見せかけた『全責任』を丸投げされるなんて、下請けの現場監督が一番胃を壊すパターンなんだからな」
俺の言葉に、サギが目を丸くしてこちらを見た。
「あのトカゲの尻尾扱いには腹が立ったが……俺はお前のついた『軟派な大嘘』のおかげで、一度首が繋がったんだ。
だから、お前一人が背負い込むな。現場の火消しなら、俺の昔からの得意分野だ」
「ヨシヤ……。お前、相変わらず都合のいい時だけ『八方美人』を発揮しやがるな」
サギが皮肉っぽく笑いながらも、その手の震えは少しだけ収まっていた。
「すでに王の印璽を受け取った以上、僕たちに後戻りという選択肢はない」
背後から、リツィエルが冷徹な声を投げかけた。
「安心しろ、サギ。君のハッタリを『真実』にするための完璧な武器は、僕が用意した」
リツィエルはゼレフ産の山羊革鞄をポンと叩き、眼鏡の奥で鋭い光を放った。
「さあ、行くぞ。あの巨大な帝国を、内側から『修理』しに」
3人の視線が静かに交差する。
俺たちは誰も血を流させない「現場の落とし所」を探すため、再び死地へと足を踏み出した。
***
分厚い羊毛の匂いと、微かに漂う防錆油の鉄臭さ。 赤々と燃える松明が影を揺らす、帝国軍の巨大な天幕。
(照明の配置は悪くないが、換気が不十分で一酸化炭素中毒のリスクがあるな……)
そんな俺の現場チェックをよそに、若将軍アリエルは静かに俺たちを迎え入れた。
サギの足取りにもう震えはない。
彼は悠然とした足取りで進み出ると、懐からゼデキヤ王の印璽が輝く「公式の任命証」をアリエルの軍机にバサリと広げた。
「お待たせしました、アリエル将軍。我々はミズラハ国王よりすべての権限を委ねられた『蒼穹の代行者』 これより、両国の未来のための『正式な交渉』を始めましょう」
完璧な大使の仮面だった。
(蒼穹の代行者!? お前、この前の王様との謁見じゃ『深淵の調停者』って名乗ってただろ! 毎回毎回、息を吐くように肩書き変えるのやめろ!)
俺の内的ツッコミと、リツィエルの「またか」という冷ややかな呆れ顔を背中に受けながらも、サギは堂々と振る舞う。
だが、天幕の隅には更に冷ややかな視線を送る者たちがいた。
長兄サアルが監視役として送り込んでいる、過激派の監察官たちだ。
彼らは俺たちの正統性を疑い、少しでも隙を見せれば即座に処刑して進軍を強行しようと目を光らせている。
一歩間違えれば死、という張り詰めた空気が天幕を支配していた。
「……よかろう。だが大使殿、我が帝国が求めるのは聖地ミズラハの『完全な明け渡し』と『更地化』だ。 それ以外の条件を提示するつもりなら、交渉は今この瞬間に決裂する」
アリエルが鋭い視線で牽制する。
「ええ、もちろん理解しております」
サギが薄く笑って一歩退くと、今度はリツィエルが静かに進み出た。
「その前に、特命全権大使の権限を行使し、貴軍の『補給帳簿』と『兵站の運用記録』の開示を求めます」
「……何だと?」
アリエルの眉がピクリと動いた。
サアル派の監察官の一人が「小国の罪人風情が、帝国の軍規に口を出す気か!」と声を荒げる。
「交渉を円滑に進めるための『現状確認』ですよ」
リツィエルは顔色一つ変えずに言い放った。
「平和的な明け渡しを行うにしても、貴軍には数万人規模の難民を一時的に収容・管理するだけの『余裕』があるのか。それを確認する義務が我々にはある」
正論の皮を被った要求。
アリエルはしばし沈黙した後、顎で部下に指示を出した。
分厚い帳簿が何冊も机の上に積まれる。
リツィエルはそれらを手に取ると、凄まじい速度でページを捲り、数字の羅列を頭脳に叩き込んでいく。
その間、俺は天幕の外――野営地で待機している帝国兵たちの様子を観察していた。
(……やっぱり、酷い有様だ) 元現場監督の目から見れば、彼らの消耗具合は「限界」をとうに超えていた。
「将軍。失礼を承知で言わせてもらいますが……」
俺は思わず口を開いていた。
「あんたたちの兵士、靴の底が完全に擦り切れてる奴ばかりじゃないか。
補給の馬車も車軸が歪んでるし、テントから漂う麦の匂いには、明らかにカビが混じってる。 こんなブラックな労働環境(現場)で、数万の難民の管理なんてできるわけがない」
「ヨシヤ……君のその敵にまで世話を焼こうとする八方美人には呆れるよ」
リツィエルが小声で俺を嗜めつつ、パタン、と帳簿を閉じた。
「だが、ヨシヤの言う通りだ。……驚きましたよ、アリエル将軍。大帝国の兵站が、これほどまでに『中抜き』と『欠陥』に塗れているとは」
「言葉を慎め、官吏」
アリエルの声が低く沈む。
「事実を申し上げているだけです。首都からこの死者の門まで、1,000kmの補給路。
その途中に位置する『旧諸国連合』の傀儡領主たちが、軍費と物資をどれほど着服しているか。 この帳簿の不自然な数字のズレを見れば一目瞭然だ」
リツィエルは、山岳国ゼレフ、水路国アフィク、商業国ヤムといった補給路の要衝で隠されていた腐敗を、帝国法と数字の矛盾を用いて次々と白日の下に晒していった。
「本来届くはずの新しい軍靴の予算は商業国で消え、食料は水路国で滞留している。
アリエル将軍……あなたは軍事の才能では優れているのかもしれない。 だが、こと『管理能力』においては、武力ですべてをねじ伏せる長兄サアル殿下に、完全に負けていますよ」
その融通の利かない『堅物』の強烈な言葉が、天幕の空気を完全に凍りつかせた。
サアル派の監察官たちが嘲笑うように鼻を鳴らす中、主君を侮辱された近衛兵たちが激怒し一斉に剣の柄に手をかける。
だが、アリエルは彼らを制止し、ギリッと奥歯を噛み締めた。
図星だったのだ。彼は1,000kmもの官僚主義の腐敗を正す政治力が足りず、前線で苦しんでいた。
「……だから、どうしろと言うのだ」
絞り出すようなアリエルの問いに、サギが再び前に出た。
「簡単なことです。俺たちが、あんたの狂った兵站を『修理(再編)』してやる」
詐欺師の口元に、不敵な笑みが浮かぶ。
「大使の公式ルートを使って、補給路の要衝にいる『本来の王たち』と接触する。
帝国の腐敗した傀儡どもを排除し、あんたの部下たちに真っ当な飯と靴を届けてやる。 ……その代わり、ミズラハへの進軍は完全にストップしてもらうぜ」
「……っ! 狂人の戯言を!」
サアル派の監察官たちがついに激昂した。
「進軍の停止だと!? 聖地の奪還と浄化こそが、先代から続く我が帝国の大義! ましてや皇帝の任命した領主を排除するなど、完全な反逆行為ではないか!」
彼らが一斉に剣を抜き放とうとした、その時――。
「控えろッ!!」
アリエルの怒声が、雷鳴のように天幕を揺るがした。
「……カビた飯と破れた靴で、どうやって聖地を勝ち取るつもりだ。兄上の『暴風』の如き大義を成す前に、我が軍は自滅する危機にあるのだぞ」
アリエルの冷たく、しかし静かな怒りを孕んだ視線に射抜かれ、サアル派の監察官たちは歯ぎしりしながらも渋々剣を引くしかなかった。
(よ、よし……! サギのハッタリとリツィエルのロジックが、将軍の痛いところを突いて『進軍停止』の口実を作り出したぞ……!)
俺が安堵の息を吐き出した、次の瞬間だった。
「……特命全権大使殿。貴様らの提案、一考の余地はある」
アリエルは冷酷な目で俺たちを睨み据えた。
「だが、もし貴様らが補給路を『修理』できず、結果として我が軍をただ足止めしただけだと判明した場合……。
私は、貴様らの四肢を一本ずつ切り落とし、その首をミズラハの城門に掲げて進軍を再開する。……よいな?」
(ヒィィィッ!!) 俺の心臓が、先ほどよりもさらに激しく跳ね上がった。
(待て待て待て! 勢いで「俺たちが直してやる」なんて言ったけど、予算も人員もゼロの俺たち3人が、どうやって1,000kmにも及ぶ大帝国の官僚システムをハックするんだ!?)
ただでさえ全責任を丸投げされたブラック現場なのに、今度は「失敗すれば四肢切断のうえ即死」という最悪のペナルティまで追加されてしまったのだ。
(俺はただの元・現場監督だぞ!? なんでこんな大帝国の国家規模の構造欠陥の修理を、命懸けでやらされてるんだよ!!)
完全に千切れそうな胃袋を抱え、俺たちは逃げ場のない「大帝国の補給路(ブラック現場)」のど真ん中へと、強制的に放り込まれることになったのだった。




