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第010話:無情なる峻険と、武門の老王の誇り

【工程ログ:ミズラハ伝統暦 4月9日 / 帝国統一暦 4月11日】

【月齢:上弦の月 / 次の新月まであと21日】

【現在地:山岳国ゼレフ・バラク王の隠居所(死者の門から少し西)】


峻険な岩肌が剥き出しになった、山岳国ゼレフの裏道。


硫黄と鉄の入り混じったような埃っぽい風が吹き荒れる中、ヨシヤたちは、険しい山奥へと足を踏み入れていた。


(法面の補強も落石防止ネットも一切ない。完全な安全管理違反の獣道じゃないか……!)


俺は崖下を覗き込んで足がすくむのを堪えながら、前を歩くサギに声を張り上げた。


「おいサギ! ほんとにこっちで合ってるのか!? なんでわざわざ道なき道を登ってるんだよ!」


サギは鼻歌交じりに振り返った。


「まあ焦るな。『山の主』の居場所はこっちだ。たぶんな」


「多分て……おまっ!」


「それに!『強固な盾』を用意するってどういうことなんだ!?」


俺の問いに対し、リツィエルが息一つ切らさずにゼレフ産の山羊革アイアン・レザーの鞄を揺らしながら淡々と補足する。


「アリエル将軍との交渉で得た猶予には限界がある。サアル殿下の『暴風』が強行突破してきた場合、軍事力を持たない我々では物理的に対抗できない。

……だから、被害を最小限に抑え込む『損益分岐点のクリア』には、この『死者の門』周辺の地形そのものを我々の強固な『盾』にする必要がある」


「地形を盾にするって……まさか」


「ああ」 サギが不敵に笑う。


「この山岳国ゼレフの本来の王、バラク王を味方につける。今は帝国に内通した従弟に実権を奪われて、この辺りの岩山で監視付きの『隠居生活』を送らされてるらしいがな」


「そのバラク王に地形トラップを仕掛けてもらうのさ」


「マジかよお前」


”自ら労災を引き起こす”という高らかな宣言をしたサギに対し、開いた口が塞がらない俺だった。



***



岩壁をくり抜いたような無骨な石造りの隠居所。


ゼレフ特有の獣脂を燃やす松明の匂いと、ひんやりとした岩肌の空気が漂っている。


(アーチ構造の石積み精度は完璧だが、採光窓が少なすぎて換気効率が最悪だな……)


内心でダメ出しをしつつ、俺たちは、この山の『本来の王』と対峙していた。


「ミズラハの特命全権大使だと? ふん、小国のネズミどもが、隠居の老いぼれに何の用だ」


薄暗い部屋の奥に座っていたのは、節くれ立った屈強な手と、火を吹くような赤髪の髭を持つ大柄な老人だった。


岩肌のような灰褐色の肌には無数の傷が刻まれ、古びた軍装を纏うその姿は、実権を奪われた今でも「武門の王」としての強烈な威圧感を放っている。


「手厳しいな、バラク王。……いや、今はただの『ご隠居』と呼ぶべきか?」


サギが相手の威圧感を全く意に介さず、挑発的に笑いかけた。


「隠居とは名ばかりの、実質的な軟禁(幽閉)だろう? あんたを殺せば山の民が暴動を起こすから、卑怯な従弟はあんたを殺せなかった。

そして誇り高き『鉄岩の民』を束ねていたあんたも、民が帝国に虐殺されるのを防ぐために、自ら大人しく牙を抜かれたフリをしてこんな日陰に引きこもっている」


サギは悪魔のように目を細め、言葉の刃を突き立てた。


「……悔しくないのか? 俺たちが仕掛ける、正義も大義も無視した『生存優先のいかさま』に乗って、もう一度その牙を剥いてみせる気はないか?」


「貴様ッ!」


バラクの鋭い鉛色の瞳に怒りが走り、傍らに立てかけられていた大剣の柄を握りしめた。


「若造が、わしを愚弄するか! いかさまで山が救えるものか! このゼレフの民を帝国の怒りから守るためには、従弟の裏切りを受け入れ、わしが退くしか道はなかったのだ!」


「しかし、法的には裏切りの従弟に正当な支配権はありません」


リツィエルが冷徹な声で割って入った。


「帝国の承認プロセスにおいて、現在の公爵就任の手続きには明らかな瑕疵がある。 我々が本国へそれを突きつければ、彼を失脚させ、あなたに実権を戻す大義名分が立つ」


「法や理屈で山が動くか!」


バラクが大剣で床の石畳をドン! と叩き、怒声を響かせた。


「圧倒的な武力の前では、紙切れなど何の意味も持たん! サアルの暴風が来れば、法もろともすべてが吹き飛ぶのだ。 わしらはただ、じっと嵐が過ぎるのを待つしかないのだ!」


(……またか) 俺はたまらず一歩前に出ていた。


「嵐が過ぎるのを待つって……あんた、自分の国の民が今、外でどんな目に遭ってるか知ってるのか?」


「なに?」 バラクが怪訝そうに俺を睨みつける。


「死者の門を越えようとする帝国軍のために、あんたの国の民(工兵たち)が、無理な突貫工事や道幅の拡張で毎日こき使われてるんだぞ。

落石対策もろくにないブラックな現場で、あんたの誇り高い民が使い捨ての道具みたいに扱われてる」


俺は、ここに来るまでの道中で見てきた劣悪な山道の工事現場を思い出しながら、拳を握りしめた。


「俺は……現場で汗水流して働く奴らを、あんな無茶な環境で無駄死にさせたくない。安全管理すらまともにできない奴らに、現場を任せたくないんだ」


「小僧、貴様……」


「あんたが『本来の王』なら……あんたの民の命と安全を守るために、その武門の誇りをもう一度立ち上がらせてくれよ。

誰も血を流させない『現場の落とし所』を作るために、俺たちがあんたの足場(法的な大義名分)を固めるから、あんたはこの山を、民を守るための最強の防壁にしてくれ!」


俺の泥臭く、真っ直ぐな言葉が石室に響き渡った。


「ヨシヤ。敵国(属国)の民の労働環境にまで世話を焼こうとするとは……君のその誰にでもいい顔をしようとする癖には呆れるよ」


リツィエルがやれやれといった様子でため息をついたが、バラクは目を丸くして俺の顔をじっと見つめ、やがてその鉛色の瞳の奥に、かつての闘志の炎が静かに、だが確かに灯るのを感じた。


「……現場の者たちを案じる王、か。わしにもかつて、そんな時代があったわい」


バラクはほう、と深く息を吐き出すと、大剣から手を離し、部屋の奥から小さな樽と素焼きの杯をいくつか取り出してきた。


トクトクと無骨な音を立てて注がれたのは、澄んだ無色透明の液体だ。


「ゼレフ特産の火酒『岩砕き』だ。よそ者には滅多に振る舞わん代物だが……小僧、貴様のその真っ直ぐな目に免じて、一杯だけくれてやろう」


「お、おう。ありがとう」 俺が杯を受け取り、一口あおった瞬間――。


「ぶふぉおぉぉぉッ!? げほっ、ごほっ! な、なんだこれ! アルコール度数エグッ! 喉焼ける!!」


あまりのキツさに俺が涙目でむせ返ると、バラクはそれを見て「ガハハハ!」と豪快に笑い声を上げた。


「その酒が飲めるなら、わしらの同志だ。……よかろう、特命全権大使殿。正義も大義も無視した『生存優先のいかさま』とやらに乗ってやる」


バラクは自分の杯を一気に飲み干し、口元の酒を乱暴に拭った。


「帝国の暴風が来ようと、わしの民はこれ以上一歩も引かせぬ。この地の岩一つ、木一本、わしが許可せぬものは絶対に通さぬと誓おう」


「交渉成立だな」


サギが満足げに笑い、リツィエルが静かに一礼した。


かくして、俺たちは帝国本国からの増援を物理的に足止めするための『地形トラップ』という最強の仕込みを完了した。


「さて、山の主との盟約は結べた。次は本命……皇女殿下と資金のハブが待つ、アフィクだ」


サギの軽い言葉に、俺の心臓は再び激しく警鐘を鳴らした。


(待て待て待て! ここからアフィクまで、また何百キロもあるんだぞ!?

しかもアリエル将軍からの護衛も追加予算も一切なしで、今度は皇女殿下が滞在してる敵陣のど真ん中に突っ込むのか!?)


前線から敵の重要拠点への強制移動。 仕様書も経費精算の当てもない、完全なるノープランの連続。


(ただの死刑囚に大帝国の官僚システム解体を押し付けた上に、今度は過労死確定のブラック出張デスマーチじゃないか!!)


千切れそうな胃袋と火酒で焼け焦げた喉を抱え、老王の力強い背中に見送られながら、俺たちはさらなる地獄の補給路へと、無理やり駆り出されるのだった。



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