第003話:白刃の天幕と、特命大使の証明
【工程ログ:ミズラハ伝統暦 4月2日 / 帝国統一暦 4月4日】
【月齢:三日月 / 次の新月まであと28日】
【現在地:死者の門・若将軍アリエルの天幕】
「歩け! さっさと進め!」
背中を乱暴に小突かれながら、俺たちは分厚い羊毛の天幕の中へと引き立てられた。
「将軍! 陣営の周辺をうろついていたミズラハのネズミどもを連行いたしました!」
峻険な峠『死者の門』に張られた、マムラカヴ帝国軍の豪奢な天幕。
先ほどの哨戒班の兵士たちによって荒々しく軍机の前に引き出された俺たちに対し、周囲を取り囲む屈強な帝国近衛兵たちが一斉に剣を抜いた。
圧倒的な殺気が、丸腰で乗り込んできた俺たち3人に突き刺さる。
(ちょっと待て! ヘルメットも安全帯もなしで、全方位から白刃を向けられるって……これもう労災認定すら下りない、完全なる即死(重大インシデント)案件だろ!!)
俺は表面上は威厳を保って静かに佇みながらも、内心では大パニックに陥っていた。
前世で平和な日本の現場監督だった俺にとって、極限の暴力が支配するこの空間は、胃がねじ切れるほど恐ろしい最悪の労働環境だった。
天幕の奥、軍机の前に座る若き将軍アリエルは、冷徹な目で俺たちを見下ろした。
父の「平穏」と兄の「暴風」の間で葛藤する聡明な将軍は、素性の知れない不審者を前に容赦するつもりはない。
あの、足の皮が剥けようとも1,000kmを踏破してくる狂信の軍隊を率いるトップなのだ。
「……ミズラハからのネズミだと? 目的はなんだ」
アリエルの低く冷たい声に対し、サギは兵士に両脇を固められながらも、全く悪びれることなく不敵な笑みを浮かべて言い放った。
「ネズミじゃない。我々はミズラハ国王から遣わされた、特命全権大使にして『運命の修辞卿』だ」
(運命の修辞卿!? お前、さっきのテントじゃ『戦陣の弁術師』って言ってなかったか!? 将軍相手だからってもう肩書き変えてんのかよ!)
俺が内心で激しくツッコむ横で、リツィエルも呆れたように小さくため息をついた。
「本当に君のその場しのぎの舌先には反吐が出るよ。一貫性という概念がないのか」
「斬れ」
アリエルが俺たちの内輪揉めなど意に介さず短く命じ、近衛兵の刃がサギたちの首筋に迫った、まさにその瞬間だった。
アリエルの視線が、サギの後ろに無言で立つ俺の顔を捉えた。
「……待て! その男を斬るな」
静かだが、微かに震える声が天幕を制した。
アリエルの瞳が見開かれ、その顔に驚愕の色が浮かぶ。
帝国の歴史と教養を深く身につけているアリエルは、帝国の至宝たる古文書に描かれた『伝説の王』の若い頃の姿と、目の前の俺の顔がピタリと重なったのだ。
歴史と神話オタクである末の妹から、「この絵の王様、素敵でしょう!?」
と耳にタコができるほど見せられ続けていたため、嫌でも顔の細部まで完璧に覚えてしまっていたのである。
(えっ、何この将軍。なんで俺の顔見て震えてるの? 顔面セーフティでも働いたのか!?)
俺は全く理解できないまま内心で悲鳴を上げたが、横に立つサギがすかさず俺の足をつま先で小突く。
(ほら、お前は威厳たっぷりに黙って立ってろ)という無言の圧だ。
俺は必死に顔の筋肉を引きつらせ、「威厳ある表情」を取り繕った。
「賢明な判断だ、アリエル将軍」 サギは兵士の拘束を軽く振り払い、仰々しく両手を広げた。
「将軍、おめでとう。あなたが今日ここで我々を殺せば、あなたの名前は『聖地を永久に汚した呪われし将軍』として帝国の歴史に刻まれることになりますよ」
ビリビリーーーー!!
その時、天幕の分厚い布が背後から無惨に引き裂かれた。
乱入してきたのは帝国兵ではない。
黒ずくめの装束をまとった数人の男たち。
彼らはミズラハ内部の主戦派(将軍アブネル)が秘密裏に放った暗殺部隊だった。
勝手に国を売り飛ばそうとする3人を「国賊」とみなし、背後から襲いかかってきたのだ。
(今度は不法侵入!? この大帝国の陣営、入場管理のチェック体制がガバガバすぎないか!? いつ上層部の監査が入ってもおかしくないぞ!)
俺が理不尽な状況に絶望する中、サギの顔に悪魔のような笑みが浮かんだ。
普通なら自国の使節を自国の暗殺者が狙うという矛盾で嘘がバレる絶体絶命のピンチすら、この詐欺師にとっては最高の「盤面」だった。
「アリエル将軍! ご覧の通りです!」 剣戟が交錯する天幕の中で、サギは両手を広げて高らかに宣言した。
「私が和平交渉を成立させることを恐れた『我が国の愚かな主戦派』が、私を消しに来たのです。これこそが、私が本物の特命大使である何よりの証拠!」
アリエルの目が鋭く光った。彼が一言命じると、訓練された近衛兵たちがまたたく間に暗殺者たちを制圧し、床に押さえつける。
(うわっ、腕をそんな風に極めたら脱臼するぞ! いくら暗殺者でも、もうちょっと手加減してやれよ……)
俺が制圧された暗殺者たちに同情を寄せていると、隣のリツィエルが冷たく鼻を鳴らした。
「またか、ヨシヤ。自分を殺しに来た相手にすら怪我の心配する気なのか君は」
血の匂いが漂う天幕に再び静寂が戻った時、今まで沈黙を守っていた官吏のリツィエルが、眼鏡を押し上げながら一歩前に出た。
「貴国の教典第8章、12節を引用します。『聖地は清められた者のみが踏むべし』」
リツィエルは冷徹な声でアリエルを見据えた。
「現在の貴軍の靴はミズラハの泥で汚れ、天幕には非公式の暗殺者の不浄な血が飛び散っている。
僕の計算によれば、この状況で進軍を強行した場合、それは貴国が悲願とする『奪還』ではなく、ただの『冒涜』にあたりますが?」
(お前、こんな殺気立った状況でよくそんな喧嘩腰の重箱の隅をつつけるな!? 昔からの融通の利かないその『堅物』っぷりが命取りになりかねないぞ!)
サギの強烈なハッタリ、リツィエルの完璧な理論武装。
そして、古の王の面影を持ち、自国の暗殺者に襲撃されても顔色一つ変えない(内心はパニックで固まっているだけの)謎の男、ヨシヤ。
アリエルは深く息を吐き、机の上の地図から手を離した。
「……剣を引け」
近衛兵たちが刃を鞘に収める。
「特命全権大使殿。ひとまず、貴殿らの言い分を聞くための『交渉期間』を設けよう」
(よ、よし……! これでひとまず、首の皮一枚繋がったぞ……)
アリエルが交渉に応じたことで、圧倒的な帝国の武力による即死は回避された。
だが、俺の心臓は、剣を向けられていた時よりも激しく警鐘を鳴らしていた。
(待て待て待て! 勢いで「特命全権大使」なんてハッタリかまして交渉期間もらったけど……俺たち、この後どうするかなんて『完全にノープラン』じゃないか!!)
生き延びたはいいが、俺たちは今、なんの権限も具体策もないまま大帝国全体に喧嘩を売ってしまったのだ。
(俺はただの『元・現場監督』だぞ!? なんで国家の命運を無計画で丸投げされてるんだよ!! 責任の所在が重すぎるだろ!!)
千切れそうな胃袋を抱えた俺の無言の絶叫をよそに、アリエルの鋭い眼光は、一切の逃げ場を許さぬ重圧とともに俺たちを射抜いていた。




