第002話:極限の尋問と、崩壊寸前の兵站
【工程ログ:ミズラハ伝統暦 4月2日/ 帝国統一暦 4月4日】
【月齢:三日月 / 次の新月まであと28日】
【現在地:死者の門・帝国軍野営地周辺(ミズラハから西へすぐ)】
やがて、木々の隙間から無数の松明の光が見えてきた。 死者の門の前に陣取る、マムラカヴ帝国・若将軍アリエルの本陣だ。
「よし、あそこだな」 サギが足を踏み出そうとした、まさにその瞬間だった。
「動くな! そこで止まれ!」
周囲の暗がりから無数の影が飛び出し、あっという間に俺たち3人は冷たい剣先で包囲された。
死者の門の警戒に当たっていた、帝国軍の哨戒班だった。
(ひいぃぃっ! だから丸腰で突っ込むなんて無茶だって言っただろ!!)
俺は反射的に両手を挙げ、内心で絶叫した。
剣の切っ先は俺の喉仏からわずか数センチのところにピタリと止まっている。
「……ミズラハのネズミどもめ。偵察か、それとも夜襲のつもりか」
部隊を率いる隊長とおぼしき男が、油断なく俺たちを睨みつけた。
「夜襲をするのに丸腰の馬鹿がどこにいる」
サギは首筋に剣を突きつけられながらも、全く悪びれることなく飄々と両手を広げた。
「俺たちはミズラハ国王から遣わされた『特命全権大使』だ。アリエル将軍に用がある。直ちに案内してもらおうか」
(おいサギ! いきなり本物の帝国兵に堂々と大使を名乗るのかよ! 命知らずにも程があるだろ!)
俺は小声で毒づいた。
「全くです。相変わらず行き当たりばったりな男だ。君のその口の軽さには本当に反吐が出る」
リツィエルも剣を突きつけられながら、冷たく吐き捨てた。
「お前ら、今は俺のこの素晴らしい言霊に命預けとけって」 サギがウィンクを飛ばす。
「小国の罪人めいた風体の男が大使だと? ふざけるな、ここで斬り捨ててやる」 隊長が殺意を込めて剣を振り上げた。
だが、サギは一歩も引かない。
「斬ればいいさ。だが、俺たちの帰りが遅れれば、ミズラハは『交渉決裂』とみなして徹底抗戦の火蓋を切る。
……あんたたち、これ以上このクソ寒い山の中で泥濘にまみれて戦いたいのか?」
その言葉に、隊長の剣がピクリと止まった。
「……武器を調べろ。身体検査の後、尋問用テントへ連行しろ」
***
防風処理が甘く隙間風が吹き込む、粗末な帆布張りの簡易テント。
汗と土の匂い、そして濃い疲労の空気が充満する薄暗い空間の中で、俺たちは屈強な兵士たちに取り囲まれ、身元や目的を執拗に問い詰められていた。
だが、サギはのらりくらりと「将軍にしか話せない」の一点張りで躱し続ける。
その緊迫したやり取りの最中、俺はテントの隙間から見える帝国軍キャンプの『惨状』に目を奪われていた。
(なんだ、この酷い現場は……!)
前世で日本の現場監督をやっていた俺の目から見れば、この軍隊のロジスティクス(兵站)は完全に破綻していた。
大帝国の精鋭部隊だというのに、見回りをしている兵士たちの顔には土気色の疲労が張り付いている。
軍服は泥と血で汚れ、なにより彼らの足元——軍用のブーツは底が異常に擦り減り、ボロボロの布を巻きつけて無理やり歩いている者も少なくなかった。
(あの靴底の擦り減り方は、規定重量オーバーの重装備を背負わされて未舗装の悪路を行軍させられた明確な証拠だ。
安全靴の規格ガン無視どころの騒ぎじゃない、これで事故が起きたら一発で労災案件だぞ!)
さらに、風に乗って食料用テントから漂ってくるのは、麦の匂いよりも酸っぱい『カビ』の匂いの方が強い。
(故郷から1,000kmも離れたこんな山奥で、あんなカビた飯を食わされて……労基署どころか保健所が飛んできて一発で事業停止レベルじゃないか!)
この異世界における『帝国軍の脅威』は、俺の現場基準からするとただの『命をすり減らす最悪の労働環境』という生々しい絶望として突き刺さってきた。
(あんなカビたパン食わされて、足の裏から血を流して……。いくら敵とはいえ、同じ現場で働く人間として見過ごせねえよ……)
俺が思わず痛ましそうに敵兵たちを見つめていると、隣に座るリツィエルが冷たく鼻を鳴らした。
「相変わらず、君のその『八方美人』には呆れるよ、ヨシヤ。敵にまで同情してどうする気だ」
「八方美人って言うな! お前みたいに血も涙もない『堅物』には、現場の過酷さがわからねえんだよ!」
「計算に感情は不要だ」 リツィエルは眼鏡の奥で冷たく光る目を野営地に向けながら小声で呟いた。
「僕の計算通りだ。どんな大帝国であろうと、1,000kmも延びきった補給線を完璧に維持することなど不可能。長引けば、彼らは戦う前に自滅する」
「ああ、限界の匂いがプンプンするぜ」
サギが二人のやり取りに割って入り、ニヤリと笑った。
「堅物も八方美人も少し黙ってろ。ここからは俺の『戦陣の弁術師』の戦場だ」
(戦陣の弁術師!? お前、大使だって名乗ったばかりなのに、今度は『戦陣の弁術師』かよ!? 毎回適当に肩書き変えてんな!)
俺が内心で激しくツッコむ中、リツィエルも呆れたように小さくため息をついた。
「……行く先々で適当な役職をでっち上げる軟派な癖は、相変わらずだな」
「うるせえ。相手の懐に一番刺さる『看板』を用意するのも、一流の仕事だ」
サギは悪びれず、テント内にいる兵士たちの「焦り」を正確に嗅ぎ取っていた。
隊長が再びテントに戻ってきて、剣の柄に手をかけながら凄んだ。
「貴様らの素性は知らんが、将軍の時間を無駄にするわけにはいかん。吐かないなら、ここで指を一本ずつ切り落として……」
「隊長さんよ」
サギがそれを遮り、ゆっくりと立ち上がった。
「あんたも部下たちも、本音じゃもう限界だろ? 故郷から1,000kmも離れたこんな辺境の石っころを更地にするために、カビた飯を食って擦り切れた靴で戦い続けるのは」
「……貴様、何を」
「俺たちをここで殺せば、ミズラハは間違いなく死者の門を封鎖して徹底抗戦を選ぶ。
そうなれば泥沼の包囲戦だ。飢えと寒さで、一番先に死ぬのは最前線にいるあんたたちだぜ?」
サギの言葉が、兵士たちの痛いところを的確に抉る。
周囲の兵士たちが、動揺したように顔を見合わせた。
「だが、俺たちをアリエル将軍の元へ通せば……ひょっとすると今日にでも、あんたらに温かい飯と、ふかふかのベッドでの休息が約束されるかもしれないぜ?」
戦陣の弁術師の甘い囁きが、極限状態の兵士たちの心に毒のように染み込んでいく。
「……俺たちの交渉カードは、あんたらの『命』だ。将軍に合わせるか、ここで俺たちを殺して自分たちも泥沼で死ぬか。選べよ」
重苦しい沈黙がテントを支配した。
隊長の額から冷たい汗が流れ落ちる。
彼はサギの目と、そしてその後ろで無言のまま威厳を放つ(内心では心臓がバクバク言っているだけの)俺の顔を交互に見比べた。
やがて、隊長は深く息を吐き出し、剣から手を離した。
「……貴様らが何者であれ、命運は将軍に委ねる」
(よ、よし……! サギの野郎、本当にハッタリだけで死地を切り抜けやがった……!)
俺が内心で深く安堵の息を吐き出した、次の瞬間だった。
「だが……」 隊長は冷酷な笑みを浮かべ、不吉な一言を付け加えた。
「もしその特命大使というのが出任せの嘘だったなら、将軍が貴様らをどう『処理』するか、せいぜい楽しみにしていることだな。
……おい、こいつらを天幕へ連れて行け!」
「痛っ! ちょ、引っ張るな! 歩けるから!」
俺の情けない抗議など完全に無視され、俺たちは両脇をガッチリと固められ、有無を言わさず夜の野営地を荒々しく引きずられていった。
そして、陣営の中心にそびえる最も巨大な天幕の前に引き出される。
「将軍! 陣営の周辺をうろついていたミズラハのネズミどもを連行いたしました!」
俺たちが心の準備をする間も与えられず、兵士が乱暴に天幕の分厚い布をめくり上げた。
「ッ……!!」
目に飛び込んできたのは、軍机の奥で氷のような威圧感を放つ若将軍アリエルと――俺たちを待ち構えていたかのように一斉に抜かれた、数十本の近衛兵の白刃だった。
ギラリと光る圧倒的な殺意が、丸腰の俺たちの全身に突き刺さる。
(待て待て待て! サギ、お前のこの行き当たりハッタリ、ここで本当に通じるのか!?)
俺の心臓が早鐘を打ち、胃袋が裏返るような極限のパニックに陥ったところで、俺たちの退路は完全に断たれたのだった。




