第001話:絶望の地下牢獄と、死刑囚たちの脱獄劇
【工程ログ:ミズラハ伝統暦 4月2日/ 帝国統一暦 4月4日】
【月齢:三日月 / 次の新月まであと28日】
【現在地:聖地ミズラハ・地下牢獄】
「敵兵に包帯を巻いて水を与えて死刑囚になるとは。
昔から誰にでもいい顔をする『八方美人』だと思っていたが、とうとう敵にまで愛想を振りまいて首を飛ばされるとはね。本当に呆れるよ」
冷たく湿った石造りの地下牢獄。カビと鉄の匂いが立ち込めるその場所で、右隣の牢屋から冷徹な声が響いた。
声の主は幼馴染のリツィエル。
ミズラハ王宮の優秀な中堅官吏であるはずの彼は、死刑囚の分際で、どこからか持ち込んだ羊皮紙に何やらびっしりと数式や条文を書き込んでいる。
「八方美人って言うな! 明日にも俺たち、首を刎ねられるかもしれないんだぞ!?そんな事言わなくてもいいだろ!」
頭を抱えてしゃがみ込んでいた俺は、たまらず声を荒げた。
(いや、目の前で人が血を流して倒れていたら助けるだろ普通! 現場監督の労基基準じゃ、この異世界の『首を刎ねられる理不尽』は到底処理しきれないぞ!?)
俺は前世――現代日本で現場監督として働いていた記憶を持っている。
だが、この血で血を洗う覇権争いが日常の異世界では、俺の常識的な「安全管理」や「人命尊重」は、ただの「利敵行為」として処理されてしまったのだ。
「自業自得だ、ヨシヤ。計算が狂うから静かにしてくれ」 リツィエルは羽ペンを走らせながら、顔も上げずに言い放つ。
「そういうお前はどうなんだリツィエル!おおかた無能な上層部の尻拭いを断ったんだろ!昔から融通が利かない性格だったもんな!計算だの法律だのばかりで、少しはうまく立ち回れないのか!『堅物』すぎんだよお前は!」
俺が怒鳴ると、リツィエルは小さくため息をつき、眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。
「……王宮の主戦派が『開戦布告』の決裁書類を持ってきたんだ。
だが、もし戦争になれば、難民対応や戸籍の整理、物資の再計算で僕の事務処理がこれまでの100倍に膨れ上がる。
……そんな面倒なことは御免だ。だから、法の抜け穴を使って書類ごと握り潰した」
「はぁ!?」
「国が滅びる前に、僕が過労死してしまうからな。僕の完璧な計算に、感情の入る余地はない」
(いや、マジで無能な上層部の尻拭いを拒否した結果、投獄されてるじゃないか!)
「はははっ! 相変わらず面白ぇ国だな、ミズラハは!」 今度は左隣の牢屋から、飄々とした笑い声が上がった。
壁にもたれかかり、鉄格子越しに手を振っているのはサギ。
裏社会にも顔が利く、もう一人の幼馴染である。
「笑い事じゃないだろ、サギ! どうせまた、どこかの女を口説こうとしてついた『軟派』なハッタリがこじれた結果なんだろう!
息を吸う様に手あたり次第に口説きまくるもんな!昔から!」
リツィエルもまた、サギへ冷たい視線を向けた。
「全くです。君のその口の軽さと軟派な振る舞いには、昔から反吐が出る。本当に信用ならない男だ」
「おいおい、二人揃って手厳しいな。今回は女絡みじゃないさ」
サギは悪びれる様子もなく肩をすくめた。
「俺のついた出任せのホラ話を、お前らが何年も信じ続けてたからさ。
その気まずさに耐えきれなくて、いっそ大嘘を現実に書き換えてやろうと思ってな。
……まさか、王宮の門を叩いた瞬間に『国賊』扱いされるとは誤算だったが」
敵兵を助けたお人好し(八方美人) 事務処理を嫌って開戦布告を握り潰した官吏(堅物) 特命大使を騙った詐欺師(軟派)
三者三様のブラックすぎる理由で死刑囚となった俺たち3人は、奇しくもこの地下牢獄で再会を果たしてしまったのだ。
とはいえ、特段深い友情があった訳でもなく、互いの欠点にはそれぞれ昔からうっすらと嫌悪感を抱いており感動の再会というよりは
「なんでこんな奴らと一緒に死ななきゃならないんだ」という打算と呆れの方が強かった。
「……で? その前にこの国が更地になるわけだが」 リツィエルが、残酷な事実を口にした。
現在、マムラカヴ帝国軍の若将軍アリエルが率いる大軍は、このミズラハの喉元である峻険な峠『死者の門』まで迫っている。
帝国の要求は「降伏」ではない。
「街の地下にある古帝国の礎石を返せ。その上の建物はすべて壊して更地にしろ」という、物理的な滅亡の要求だ。
「マジですか……。俺、魔法もチート能力もないただの『元・現場監督』なんですけど。完全に詰んでないか……?」
俺が絶望の底に沈みかけた、その時だった。
カツン、カツンと、冷たい石畳を鳴らして見回りの屈強な牢番が現れた。
(……ん?) 俺の目は、牢番の足元――彼が寄りかかった牢屋の石柱の根本に釘付けになっていた。
「おい、あんた!」
俺は鉄格子に駆け寄り、牢番に向かって叫んだ。
「その柱に寄りかかるな! 湿気で根本の石が完全に腐食してる。上の階で大きな振動があったら、座屈して一発で崩落するぞ! この地下牢、安全管理がガバガバすぎる!」
「はぁ? 罪人が何を寝言を言っている。この地下牢が作られてから100年、崩れたことなど一度も……」
ドドォォォンッ!!
牢番が鼻で笑った瞬間、地上の街から帝国軍の威嚇砲撃(あるいは主戦派の軍事演習)らしき巨大な振動が響き渡った。
パラパラと、俺が指摘した柱の根本から嫌な音を立てて石の粉がこぼれ落ちる。
「ヒッ!?」 牢番の顔色が一気に蒼白になった。
「ほら見ろ! 明らかな強度不足だ! あんた、ここで瓦礫の下敷きになって死ぬ気か!」
俺の現場視点のツッコミに、隣の牢屋からリツィエルが即座に反応した。
「……なるほど。おい、牢番」
リツィエルは手元の羊皮紙を置き、眼鏡を冷たく光らせた。
「ミズラハ王国・建築管理法第4章ならびに囚人処遇規定第12条によれば、規定の強度を満たさない施設に囚人を収容し、
過失により死亡させた場合、管理責任者である君は『王室財産(囚人)の損壊罪』に問われる。……つまり、君の首が飛ぶ」
「な、なんだと……!? い、いや、だが俺には勝手に牢を開ける権限が……!」
「権限なら、あるぜ?」
パニックに陥る牢番に対し、今度はサギが鉄格子越しに悪魔のような笑みで囁いた。
「俺たちはただの死刑囚じゃない。この国を救うために王が遣わした『特命全権大使』だ。俺たちがここで瓦礫の下敷きになれば、お前は国家反逆罪で九族皆殺しだぞ?」
「なっ……!?」
「さあ、どうする? 責任を問われて首を刎ねられるか、俺たちを『安全な場所へ避難』させて特命大使の命を救った英雄になるか。選べよ」
崩れかけの柱(物理的危機)、リツィエルの法的脅迫(社会的危機)、そしてサギの甘く恐ろしいハッタリ。
極限状態に追い込まれた牢番の思考は完全にショートした。
「ひ、ひいぃぃっ! へ、英雄! 英雄になります!!」
ガチャン! 牢番は震える手で鍵の束を取り出し、あっという間に俺たち3人の鉄格子を開け放ってしまった。
「よし、よくやった」 サギが笑いながら牢番の首筋に手刀を落とし、気絶させる。
「おいおい……本当に口八丁だけで脱獄しちまったよ」
俺が呆然とする中、リツィエルは懐に教典をしまい込み、サギは不敵に首を鳴らした。
互いにいがみ合っていた3人だが、俺の現場の知識、リツィエルの法務ハック、そしてサギの悪魔的なハッタリが噛み合ったこの瞬間だけは、恐ろしいほどの突破力が生まれるのだと嫌でも自覚させられた。
暗い通路へと出た3人。
外へ続く階段へ向かおうとした時、壁の窪みに置かれていた『小さな革袋』にサギが気づいた。
「ん? なんだこれ」 革袋を開けると、中にはずっしりと重い金貨と、ミズラハ王の印璽が押された『正式な特命大使の身分証(の精巧な偽造品?)』が入っていた。
そして、それらの品は、ミズラハ王室の奥深くでしか使われない高貴な香が焚き染められた『アフィク・ブルーの青染めの絹布』に丁寧に包まれていた。
「……おいおい、こりゃあ誰かが俺たちの脱獄を最初から『お膳立て』してたってことか?」 サギが口笛を吹く。
「この布の質、そしてアフィクの染物……。おそらく、主戦派の暴走を止めたいヘフツィバ王妃様の手の者が用意したものだろう」
リツィエルが布を手に取り、冷徹に分析して身分証を回収した。
「僕たちを盤面を乱すための捨て駒……いや、時間を稼ぐための『僅かな希望』として利用するおつもりのようだ」
(裏で王妃様が糸を引いているにせよ、これで俺たちは本当に『大使』になっちまったってわけだ……!)
「さて、上の階で泥沼の会議をやってる間に、俺たちで勝手に大帝国を騙しに行こうぜ」 サギが俺の肩をバンと叩く。
「いてっ!おまっ!」
「いや、だからなんで丸腰で敵の大将のところに直行する気なんだよ!? 安全帯もヘルメットもなしで高層ビルの鉄骨を歩くようなもんだぞ!! 死ぬって絶対!」
俺の真っ当すぎるツッコミは、カビ臭い地下牢獄の闇に虚しく吸い込まれていった。
剣も魔法も使えない、ただの死刑囚3人組は重い鉄の扉を押し開け、冷たい夜風の吹く外の世界へと足を踏み出した。




