使い魔の理由
『アンタ、本当はアリスの使い魔になんてなっちゃいないだろう?』
不意に姉さんの声が聞こえて、今にもノブを回そうとしていた手が止まる。
使い魔になってない?
それって、誰が?
まさか……クロウが?
「アンタの魔力……こいつは底なしだ。アンタがその気になればこのロンドンどころか、グレートブリテンの全てを消し飛ばすことだって出来る。そうじゃないかい?」
「よくわからんが、そうだろうな」
「使い魔の契約ってのは、『術者より低位の悪魔しか縛れない』。ハナから、アリスにアンタみたいな大悪魔を縛る力はないはずなんだよ」
工房から聞こえる姉さんの声に、私は息をするのも忘れて聞き入っていた。
そして少しでも中を覗けないかと思って、音を立てないように窓の隙間に目を当てる。
「あの子もロンドンじゃ五指に入る天才魔女だろうが、アンタに比べれば山と砂粒……そのアンタが、わざわざ『使い魔のふり』までしてアリスに飼われている理由はなんだい?」
「『ふり』ではないのだがな」
覗き込んだ視界の先、腰に布を巻いただけのクロウが見える。
姉さんの姿は見えないけど、クロウの前にいるのは間違いなさそうだ。
見た感じ、クロウも姉さんの追及に困っていそうだね……。
姉さんはああ言ってるけど、あの夜、私は確かにクロウと使い魔の契約を結んだはずだ。
術式は成功して、クロウの首にはちゃんとその証の首輪だってある。
今だって、クロウとの魔術的な繋がりははっきりと感じるし……。
あの時のクロウが傷ついて弱っていたから。
もしくは、地上に出て間もなかったから。
術者との力の差次第で契約が成立しないなんて知らなかったけど、やっぱり契約は成功してて、だからクロウも私にあんなに懐いてる……そのはずだ。
「どうだか……『普段はクールを気取ってるくせに実はちっとも男慣れしてない純情むっつり乙女のアリス』は騙せても、星の数ほど男を手玉に取ってきたこのマーサ様は騙せやしないよ! あの子はアタシにとって、実の孫娘みたいなもんなんだ。アンタが妙な気を起こす前に、その『ご立派なブツ』をちょん切ってやってもいいんだよ!」
「怖すぎるぞ!」
なんだろうね……なんだか、『もの凄い悪口』を言われた気がするよ。
あと、さすがにそれはクロウが可哀想だから許してやって欲しい。
「いくら聞かれても知らんものは知らん! もとより、俺は使い魔だの契約だのに興味はない。ただアリスが好きだから傍にいるだけだ」
「じゃあなにかい? まさかアンタは、自分から好き好んでアリスの鎖に繋がれてるってのかい? 悪魔王ともあろう者が、そんな首輪まで着けて?」
「そうだ。この首輪も、アリスがくれた物だから着けている」
「マジかい……」
ま、また私の許可もなしに恥ずかしいことを……。
あまりにもクロウが堂々としてるから、今度は姉さんの方がドン引きしてるじゃないか。
「なんでだい? 身内のアタシが言うのもなんだが、アリスは確かに利口で器量もいい。おまけに魔女としても超一流で、その志も立派ときたもんだ。だがそうだとしても、王なんて呼ばれる悪魔がそこまで惚れ込むほどの女かねぇ?」
「アリスはいいぞ! いい匂いがするし、優しいし、あたたかい。今朝も俺のためにうまい料理を作ってくれた。アリスは最高だ!」
「そ、そうかい……? アンタ、そこまであの子のことを……」
聞いてるこっちが恥ずかしくなるような、少しの迷いもないクロウの言葉。
あのマーサ姉さんが気圧されるところなんて、初めて見たかもしれない。
「ふぅ……わかったよ、アタシの負けだ。そこまで惚気られると、警戒してるアタシの方が馬鹿みたいじゃないか」
ふと、姉さんが窓の隙間から見えない位置に移動して、工房の椅子に腰を下ろした音が聞こえてきた。
そしてそのまま、姉さんはどこか疲れたように口を開いた。
「あの子はね……本当ならアタシの跡を継いで、技師か医者になるはずだったんだ。それなら魔女の血を引いてることも隠せるし、世のため人のためにもなる……魔女になって、世間から後ろ指をさされながら悪魔と戦うなんて、そんな『暗い道』を進むはずじゃなかったんだ」
「ならば、なぜアリスは魔女になったのだ?」
「あの子の母親、ローズマリーが死んだからね……死ぬにしても、せめて『あんな死に方』じゃなければ、アリスも魔女になるなんて言い出さなかっただろうに。まったく、娘不幸な親だよ……」
姉さん……。
とても深い後悔と寂しさが滲むその声に、私は思わず胸を押さえる。
けどそれと同時に、あの姉さんがそんなことを誰かに……それもついさっき会ったばかりの悪魔に打ち明けていることに、心の底から驚いていた。
「アタシはね、あの子に幸せになって欲しいんだ。魔女だろうと医者だろうとなんでもいい……ただ人並みに幸せになってくれればそれでいい。そのためなら、いくらでも力を貸してやろうと思ってる」
「……」
「だからアンタがあの子を不幸にするつもりなら、アタシはどんな手を使ってでもアンタを殺す。それで世界が滅びようが、何人死のうが知ったこっちゃない。絶対にアンタを許したりしない。けどね――」
そんなこと、私だってわかってる。
姉さんがどれだけ私のことを心配してくれているのか。
母さんが死んで辛かったのは、姉さんも同じだってことも。
わかっているからこそ。
私は今日まで、どんなに辛くても悪魔と戦うことができたんだから。
「けどもしアンタがあの子を本気で好きだって言うのなら……まずは使い魔らしく、必ずあの子を守ってみせな。出来るかい、悪魔王」
「当然だ。アリスとそう約束したからな」
その時のクロウの横顔は、本当に嬉しそうで。
布から突き出したモフモフの尻尾も、左右にぶんぶん行ったり来たり。
まるで飼い主との約束をドヤ顔で誇る、大型犬みたいだった――
――――――
――――
――
結局、使い魔の契約がクロウを縛れているのかはわからなかった。
けど姉さんはひとまず彼が私に危害を加える心配はないと判断したのか、それ以上追及しなかった。
私は二人に気付かれないように一度工房を離れて、少しだけ時間を潰してから戻った。
「なんだい、ずいぶんと遅かったじゃないか。まさか、こっそりこの色男の体を覗いてたんじゃないだろうねぇ!?」
「そ、そんなことするわけないでしょ!? 姉さんじゃあるまいし!」
「ヒヒヒ、どうだかねぇ!」
ま、まさかバレてないよね?
姉さんに探知魔術のたぐいは使えないはずなんだけど……。
「会いたかったぞアリス! 俺がいない間、何事もなかったか?」
そして工房の奥から顔を出したクロウは、私を見るなり嬉しそうに尻尾を振って近付いてきた。半裸で。
けど私はそんな彼を見上げながら、思わず腕を組んで色々と考えてしまう。
「じー……」
「どうした?」
「あのさ……君って、ちゃんと私の使い魔だよね?」
「つがいだが」
「……オーケー、わかった、ありがとう。うんうん、やっぱり大丈夫そうだね」
「????」
間違いない、やっぱり使い魔の契約は結ばれてる。
悪魔王かどうかはともかくとして、地獄で好き勝手していた大悪魔が、ちょっと助けてもらったくらいで人間相手にこんなベタ惚れになるわけない。
だけど――
クロウはずっと、『私に助けられた恩を返したい』なんて言っているけどさ。
あの夜、先に悪魔から助けてもらったのは私の方なんだ。
君の気持ちは契約のせいかもしれないけど、私に君への情がさっぱり無いかって言ったら、嘘になるのかもしれないね……。




