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工房の魔女


「ヒーッヒッヒッヒ! 誰かと思えばアリスじゃないか。今日もアタシの次に美人だねぇ!」


「ありがとう。マーサ姉さんも元気そうだね」


 クロウとの朝のあれこれを終えて。


 私たちは『瘴気男爵(バロン・ミアズム)だった黒い砂』を持って、ロンドン東部の工業区画にある小さな工房にやってきていた。


 混沌と理論が高次元で融合したような、複雑な工房の室内。

 辺りには蒸気機関のピストン音と、鼻を突くオイルの臭いが立ち込めている


 そこで出迎えてくれたのは、しわしわの肌に長い白髪を航空帽でまとめたお婆ちゃん、マーサ・フォーセット。


 彼女は母さんの古い友人で、今は私の後見人にもなってくれている恩人だ。


 私にとっては実の祖母みたいな人だけど、軽々しくお婆ちゃんなんて呼んだら新しい機械の実験台にされかねない。だから『マーサ姉さん』ってわけさ。


「それで? ちゃんと新鮮な悪魔の死体は持ってきたんだろうねぇ!?」


「もちろん。ただ今回は少し『状態が特殊』なんだ。一度確認してもらってもいいかな?」


「はーん? どれどれ?」


 言われて、私は部屋のど真ん中にある作業台の上に麻袋を置く。


 姉さんはゴーグルの拡大率調整ダイヤルを弄って袋を覗き込むと、黒い砂粒を見て興味深そうに眉を寄せた。


「こいつはたまげたね、一体なにをしたらこんなことになるんだか……ところで、さっきからそこに突っ立ってる色男はアンタの彼氏かい?」


「はあっ!? 違うからね!? こいつは別に彼氏とかじゃなくて――!」


「ほほう、鋭いな……!」


 姉さんの指摘に焦る私と違って、クロウは余裕たっぷりに腕を組んで嬉しそうに頷いた。


 もう、本当にこいつは……!


「ヒッヒッヒ! そう慌てなくてもわかってるさ。本当はアンタの使い魔なんだろう?」


「わかってたなら、どうして彼氏なんて……!」


「ちょいとからかってみただけさね! にしても、あのローズマリーの娘ともあろうものが、この程度で真っ赤になっちまって。アンタももう十九だってのに、相変わらず乙女なこったねぇ!」


「うぐ……」


 さ、さすがマーサ姉さん。


 からかわれたのにはムカッとしたけど、クロウが私の使い魔だってことには気付いていたらしい。


 こんな魔術とは縁のなさそうな工房の主だけど、実は姉さんもれっきとした『魔女』だ。


 けど姉さんは、私や母さんみたいに直接的な魔術は得意じゃなくて、たとえば薬草の調合とか、悪魔を殺す毒とか……いわゆる『錬金術』が専門。


 真鍮が魔力を通しやすいことを発見したのも姉さんだし、私の弾丸やステッキを作ってくれたのも姉さんだ。


 私がロンドンで真鍮の魔女(ブラスウィッチ)なんて二つ名で持てはやされているのも、姉さんのおかげってわけだね。


「アンタだって年頃の娘なんだ。たまには悪魔の死体ばかりじゃなくて、いい男の一人や二人でも連れてきてくれりゃねぇ……アンタを幸せにしてくれるなら、そこにいる『悪魔の色男』でもアタシゃ一向に構わないんだよ?」


「お、大きなお世話っ!! とにかく、彼はただの使い魔でそういう関係じゃ――!」


「俺の名はクロウゼル・エルドブレイズ、アリスのつがいだ。お前とは気が合いそうだな!」


「あの……今の私の話聞いてた?」


「ヒーッヒッヒ! いいねぇ、いいねぇ! アンタにその気はなくても、こっちの色男はアンタに夢中ってわけかい? こいつは期待しても良さそうだねぇ!」


 油で汚れたゴーグルを布で適当に拭きながら、姉さんは心底嬉しそうに白い歯を覗かせて笑う。


 母さんが死んだ後……姉さんがどれだけ私を心配して、支えてくれたかはよくわかってるし、心から感謝してる。


 だから私も、少しでも早く姉さんを安心させてあげたいとは思ってる。

 思ってはいるんだけどさ……。


「しっかしアンタ、見れば見るほどとんでもない色男だねぇ? それにこの鉄板みたいな胸板……『こんな男に首輪をつけて飼い慣らす』なんざ、こう見えてアリスも『そっちの趣味』は過激そうだねぇ! ヒーッヒッヒ……!」


「クックック……! アリスにならいくらでも飼われるぞ!」


「二人して馬鹿なこと言わないでもらえるかな!?」


 やっぱり無し。

 姉さんには悪いけど、どう考えてもありえない。


 こんな変態悪魔と仲良くなりましたなんて、姉さんは良くても天国の母さんや父さんに顔向けできないよ。


 私ももっと心を強く持って、破壊力高めの顔面やバキバキの筋肉や激渋のイケボに惑わされないようにしないと!

 

「ヒーッヒッヒッヒ! それで、今日はこの死体だけでいいのかい?」


「あ、いや……今日はそれだけじゃなくて、クロウのことも一緒に調べてもらいたいんだ」


「この色男をかい?」


 私の言葉に、ゴーグル越しに見える姉さんの目の色が変わる。


「実は、私もまだクロウについては何も知らないんだ。色々と尋ねてはいるんだけど、返ってくる答えがどれもぶっ飛んでるというか……たとえば、自分のことを『悪魔王』なんて言ったり……」


「それは本当なのだが……」


「悪魔王、ねぇ?」


 姉さんは片眉を上げてクロウを見つめると、何度か頷いて彼の胸板をポンポンと叩く。


「わかった。なら、ちょいと調べてみよう。アタシもろくなことは調べられないが、アンタがどれだけの魔力を持っているのか、力がどれくらいなのかは測定できるからね」


「ありがとう、姉さん」


「いいってことさ。なら、アリスはちょいと外で待ってな。調べるとなれば、こいつにも『素っ裸』になってもらわないといけないからねぇ! ヒーヒヒヒ!」


「えっ!? そ、そうなんだ? なら私は外に出てようかな……クロウもちゃんと言うことを聞いて、大人しくしてるんだよ?」


「わかった。アリスも何かあればすぐに俺を呼べ。たとえ地平の果てであろうと必ず駆けつける!」


「はいはい、ありがとね」


 そういえば、生きてる悪魔を姉さんの工房に連れてきたのは初めてで、どうやって調べるのかも知らなかった。


 しかも姉さんが変なことを言うから、今朝に見たクロウの裸をまた思い出しちゃったじゃないか……!


 なんとか手短にクロウに言い聞かせた私は、赤くなった顔を隠すようにして工房の外に出た。


 ――――――

 ――――

 ――


 ――遅い!


 工房の外で待つこと数時間。

 朝早くに来たっていうのに、時間はもう正午を過ぎている。


「まったく、せめて何時頃に終わるのか聞いておけばよかった……!」


 なにも聞かずに飛び出したのはこっち……なんだけど、空腹のまま待たされていた私には、そういう反省の気持ちは少しもなかった。

 

「あーもう。こうなったら、今日のランチは姉さんのおごりで――」


 さすがに声をかけようと工房に戻り、出入り口のノブに手をかける。


 もしその時……『二人の会話』が聞こえて来るのが一瞬遅かったら、きっと私はそのままドアを開けていただろう。


『――アンタ、本当はアリスの使い魔になんてなっちゃいないだろう?』



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