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悪魔の品格


「さあ、今宵この瘴気男爵(バロン・ミアズム)のお相手をしてくださるのは、どちらのご婦人ですかな?」


「『爵位持ち』か……」


 薄暗い貧民街の路地が漆黒の闇に墜ちる。


 周囲に滞留していた様々な汚物が一点に集まって、黒いスーツにシルクハットを着たちょび髭の悪魔が現れる。


 地獄の悪魔にも、人間と同じように『爵位』がある。

 

 たった今、目の前の悪魔が自分で名乗った『男爵(バロン)』は、その中でも最下級。

 けど爵位を名乗れる時点で上位の悪魔であることは間違いないし、油断するのは禁物だ。


「君のダンスパーティーに招待された覚えはないね。それより、ここの人たちを襲って行方知れずにしているのは君かな?」


「これはつれませんな。ですが、私がこの土地の人間共を『襲っている』とは。実に心外です」


 瘴気の悪魔――ミアズムはそう言ってパチンと指を鳴らす。


 すると周囲にぼんやりと光る火の玉が現れ、そこに悲しげな表情の犠牲者たちの魂が次々と浮かび上がってきた。


「酷い……! こいつ、こんなに沢山の人を……っ!」


「ふふ、なにも酷いことなどありませんよ美しいお嬢様。なぜなら私がこの者たちの命を奪ったのは、『完全なる善意』によるものなのですから」


「善意だって?」


 ミアズムが浮かべた魂の数は、軽く数十を超えていた。

 その中には老若男女、まだ小さな子供らしき魂もあった。


 あまりに凄惨な光景に、私のすぐ隣にいるヴィオが奥歯を噛みしめる音が聞こえる。


「左様! 哀れにもこの薄汚いゴミ溜めで人知れず死を待つばかりの貧者たちに、この私が『死という最高の救済』を与えてさしあげたのです。これでもう、この者たちは飢えに苦しむことも、病に悩むこともない……素晴らしい善行だとは思いませんか?」


 大げさな身振り手振りと交え、ミアズムは今にも歌い出しそうな様子でそう言い切った。


 ま、元々悪魔にこっちの倫理道徳なんて期待しちゃいない。

 いつもの私なら、こんな問答なんてせずに消し去っているところだ。


「――黙りなよ」


「ほ?」


 けど、今日は特別。


 大勢の罪もない人々の命を奪い、身勝手な悦に浸る『クソ悪魔』には一つ言ってやらないと気が済まない。


「君の言うとおり、ここは確かに最悪のゴミ溜めさ。ただ生きるだけでも辛くて苦しい……いっそ殺してくれって人も沢山いただろう。けどね――!」


 得意げに両手を広げる悪魔に、私は引き抜いた拳銃の銃口を向ける。


「それでもここに住む人たちは、このゴミ溜めにしがみついてでも生きることを選んでいたんだ。たとえそれがどんな境遇だったとしても……今を必死に生きようとする命を、断ち切る権利なんて誰にもない!」


 発砲。


 瞬間、私はためらい無くミアズム目がけて引き金を引く。

 放たれた弾丸はミアズムの頬をかすめて背後の壁面に着弾。

 ミアズムは自分の顔から流れるどす黒い瘴気に、一瞬で憤怒の形相を浮かべた。

 

「薄汚い魔女の小娘が、地獄の貴族であるこの私に講釈を垂れるか……!」


「ヴィオ!」


「りょーかい! 全騎、機関点火! これより、女王陛下の敵を殲滅する!!」


「「 アイ・マム! 蒸気甲冑(スチームドレス)機関点火(イグニッション)! 」」


 私の発砲と同時、ヴィオが部下の騎士たちと並んで甲冑から大量の蒸気を噴き出す。


 騎士団の邪魔にならないように横っ飛びになりながら、私はさらに一発、二発、三発と発砲。

 すると最初の一発を基点にして、光輝く『五芒星の結界』がミアズムを中心にした辺り一帯に構築される。


「な、なんだこれは!?」


「私の弾丸は魔力をよく通す『真鍮製』でね。それを使って結界を張らせてもらったのさ。追い詰められた君が、尻尾を巻いて逃げ出さないようにね」


「結界だと!?」


 周りを光の壁に取り囲まれ、それまで怒りに震えていたミアズムの表情が驚きに変わる。


「それともう一つ……さっき得意げに語っていた君のその『醜い思想と下劣な思考』に比べれば、このイーストエンドの方がはるかに美しいよ。ねぇ、『馬鹿で自信家の下級貴族』さん?」


「おのれ、小娘ぇえええ!!」


 『答え合わせ(馬鹿で自信家)』は完璧。

 

 徹底的に煽ったおかげで、ミアズムの注意は私に向いた。


 騎士団が扱う蒸気甲冑の力は、並の悪魔なら片手でひねり潰せるほどだ。

 奴が私に気を取られている隙に、甲冑の一撃が決まればそれで終わる。


 けど怒り狂ったミアズムは、周囲の魂に集めた排煙と汚水を混ぜた爆弾に変えて次々と撃ってきた。

 しかもそれと一緒に、顔を真っ赤にした本体まで突っ込んでくる。


 ここは華麗に回避したいところだけど、少し難しそうだね。なら――!


「殺してやるぞ人間ッ! 貴様の魂も、私のコレクションにしてやろう!!」


「やれやれ、野蛮な殴り合いは私の趣味じゃないんだけどね!」

 

 咄嗟に腰から真鍮製のウィッチステッキを引き抜く。


 構えると同時に延伸したステッキに魔力を込めると、それはすぐにバチバチと弾ける蒼白い雷に変わって――


「俺のアリスに触れるな」


「な!? ギッ……――」


「えっ……?」


 けど、その時だった。

 ステッキを構えた私の前に、岩みたいな影――クロウが音もなく割り込んできた。


 そして次の瞬間。


 ミアズムの爆弾がクロウの目の前でぐにゃりと歪み、空間ごと削り取られるようにして跡形もなく消滅。

 勢い良くクロウに迫ったミアズムも、『何かに気付いて』目を見開いた後……黒い砂になって、その場に飛散した。


「雑魚が」


 あまりのことに、ぺたんと腰を落としてしまった私の前。

 クロウは退屈そうに吐き捨てると、コートの肩を軽く払った。


「あの……? えーっと……さっきの悪魔は?」


「死んだぞ。雑魚のくせに俺に近付いたから」


 ????

 

 死んだ?

 あの一瞬で? 

 ただ近付いただけで?

 爵位持ちの悪魔が?


「これでアリスの仕事は終わりか?」


「あ、いや……っていうか本当に? 本当に死んだのあの悪魔!?」


 言われて、確かに結界の内側にはなんの反応もないことを確認する。

 さっき悪魔が消えた瞬間も、どこかに逃げたような気配は少しもしなかった。


 つまり……やっぱりあの悪魔は本当に死んだんだ。

 クロウに触れることもできずに、ただ近付いただけで死んだ。


「終わりなら早く帰らないか? ここは臭すぎる!」


「ま、待ってよ! その前に犯人が悪魔だった証拠を集めないと……ほら、君も手伝って!」


「ぬぬ、わかった」


 もしかして私、本当にとんでもない奴を使い魔にした?


 悪魔王。


 あの初めての朝。

 クロウが私に名乗った、冗談みたいな肩書き。


 その言葉が心の中でずしりと重みを増したのを、私ははっきりと感じていた。


「あれ? もしかして、私たちの出番ってもう終わり? あんなにかっこよく準備したのに? 流石にひどくない? ねえ、アリス!? クロウさん!?」


 少し離れた場所から、戦斧を振り上げてエンジン全開のまま固まる可哀想なヴィオの声が聞こえてくる。


 そしてこの事件から数日後。


 怒り心頭の彼女からパブに呼び出された私がどうなったのかは……まあ、言うまでもないね。



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