願いの先
「さあどうぞ。これからは落とさないように気をつけるんだよ」
「わぁー! ありがとう、アリスお姉ちゃん!」
霧と蒸気に沈む街、ロンドン。
青空はどこかくすんでいるし、日差しはいつだって弱々しい。
けれどそこに暮らすみんなの活気は、今日も暖かさに満ちている。
「本当にありがとうございました……あの子ったら、大切な宝物だっていうのに、すぐに外に持ち歩いてしまって……」
「お子さんらしくていいじゃないですか。大人だって、宝物は自慢したくなるものです。また何かあればいつでもどうぞ」
「ええ、そうさせてもらいます」
そう言って、私は依頼主の親子に手を振った。
今日の依頼は落とし物の捜索。
もう新しい悪魔は出なくなったけれど、私の魔女としての力は今も大いに役に立っている。
ラズセラフとの戦いから半年が過ぎた。
あれから地獄門の出現はぴたりと止んで、悪魔が起こす事件の数は一気に減った。
たまにある悪魔絡みの事件も、ほとんどが小さな物ばかり。
中には地獄に帰れなくて困っている……なんて、泣きついてくる悪魔もいたくらいだ。
このまま時間が経てば、悪魔事件そのものが完全に途絶える日もそう遠くはないだろう。
「まあ、そうだとしても私はしばらく地獄に帰るつもりはないわ。私だってそっちの悪魔王と同じで、ミルトを心から愛しているんだから」
「えへへ……わたしも、ナイアのことだーいすき!」
「助かるよ。いくら減ったとはいっても、すでにこっちに来てしまった悪魔はまだ残っているからね」
優雅に紅茶を飲みながら、外見だけなら完全にうり二つのミルトとナイアはお互いの手を握り合って微笑む。
「ミルトが死んだら私も去るつもりよ。地獄に帰るのか、それともミルトと一緒に生を終えるのかはまだわからないけれどね」
「だいじょぶ……天国でも地獄でも、わたしもナイアといっしょのところにいくから……えへへ……」
「ええ、私もよ。ミルト……」
おっと……この二人の前で油断していると、すぐに私はお邪魔虫になってしまう。きりのいいところで退散したほうがよさそうだね。
私はご馳走になった紅茶のお礼を告げると、そのままミルトの館を後にした――。
人間と悪魔の恋。
地獄の存在理由や、悪魔という種族の意味。
そして、地上には介入しないという自分ルール。
今の私には考えてもわからないことだけれど、どうやら神様という存在は、私たちが思っているよりずっとルーズで、人と悪魔が愛し合うことにも寛容なのは間違いなさそうだった。
「やっほーアリス! もしかして仕事の帰り?」
「あ……こんにちは、アリスさん!」
「やあ、ヴィオ。それにティムじゃないか? これはまた珍しい組み合わせだね」
館からの帰り。
私は私服姿のヴィオと、いつもと同じ格好のティムに呼び止められた。
でもなんだろうね……ティムはいいとして、ヴィオのほうは服も振る舞いも、いつもよりずいぶんと気合いが入っているような気がする。
「えっ!? えーっと……ほら、半年前のアリスの処刑未遂ってすごく話題になったでしょ? だからその時に、『ティム』からアリスについていっぱい取材を受けて……」
「そうなんですっ! 教会のみなさんも、騎士団のみなさんもアリスさんを認めていなかった頃から、ヴィオさんだけはずっとアリスさんの味方だったって聞きましたっ。なのでそれから、たまにこうしてお話を聞かせていただいているんですっ」
「それはいい考えだ。確かにヴィオは私にとって、一番の親友だからね。ただ少し……いや、かなりイケメンにだらしないところもあ――」
「え?」
「す、ストオオオオオオオ――ップ! なしなしなしなし今のなぁあああああしッ!」
その瞬間、タイミングよく街角の配管から勢いよく白い蒸気が噴き出し、突っ込んできたヴィオに私は一瞬で取り押さえられてしまった。
「あはははー! き、気にしないでティムっ! それで? 『だらしないイケメン』がどうしたのアリス?」
「????」
ど、どうしたのは私の台詞だよ……。
というかこの反応……もしかして、そういうことなの?
男一人を片手で振り回すヴィオに全力で抑え込まれ、私はすぐさまパンパンと腕を叩いて了解の意志を伝える。
その間もヴィオは笑いながらティムに色々と声をかけているけど、やっぱりその様子はいつもの彼女とは全然違う、それこそ『初心な乙女』そのものって感じだった。
「やれやれ……私はてっきりクロウみたいなのが好みなんだと思っていたよ」
「う、うるっさいわね! 自分でもびっくりしてるんだから、仕方ないでしょ!? それに、ティムにはティムのいいところがいっぱいあるんだからっ!」
「ふふ、そうだね。私もそう思うよ」
照れながら、でもどこか嬉しそうなヴィオに思わず笑みが漏れる。
確かに、どこの誰とも知れない顔だけのイケメンに比べれば、ティムの誠実さと真面目さは何百倍も信用できる。
「あの、大丈夫ですか? もし僕がお邪魔なら、また日を改めてでも……」
「ううん、邪魔をしたのは私のほうさ。またね二人とも、良い一日を」
「ありがとアリス! クロウさんが帰ってきたら教えてねー!」
――今、クロウはここにはいない。
ラズセラフが消えた後、クロウはラズセラフがやってしまったことの後始末をするって言って、自分で門を開いて地獄に向かった。
もちろん、寂しくないって言ったら嘘になる。
夜になると涙が出そうになるし、毎朝起きるたびに、もしかしたらあの時みたいに、クロウがベッドの横に立ってるんじゃないかって……そんなことばかり考えているんだ。
「ヒーッヒッヒッヒ! なんだいなんだい、ずいぶん寂しそうな顔をしているじゃないか。どうせまた、あの色男のことを考えてたんだろう?」
「ちょっ……!? 別に、そんなわけ…………いや、まあそうだけどさ……」
「ヒッヒ! まったく……ロンドンを救った英雄、真鍮の魔女ともあろうものが可愛らしくなっちまってねぇ……」
最後に立ち寄ったマーサ姉さんの工房で、整備を終えた蒸気スクーターを受け取る。
最近は魔女の仕事も暇だから、姉さんのところで機械いじりの手伝いもしてるんだ。
「教会の異端審問局はクラインバッハの失脚で解散……魔女への異端認定も見直しが入った。改革を指揮しているあの『なんとかって司祭』も、なかなかやり手みたいじゃないか」
「キリアン司祭は信用できるよ。それにクラインバッハだって、本当はラズセラフに操られていただけだった……なんだか、どれもこれも遠い昔のことみたいに感じるね」
姉さんの言葉どおり、正教会には王室と議会から直々に改革の手が入ることになった。
教会側の代表にはあのキリアン司祭が選ばれていて、今も彼からは定期的に改革の内容や査察についての資料が共有されている。
「そうさね……きっとローズマリーも、天国で喜んでいるだろうよ。自分の娘がこんなに立派な魔女に育った上に、『この世で一番の色男』を捕まえちまったんだからねぇ!」
「……母さんは、本当に喜んでくれているかな?」
「ああ……このアタシが保証する。アンタはこのロンドン……いや、この世界で一番の魔女だ。アンタはどこに出しても恥ずかしくない、私らの誇りだよ……アリス」
工房から覗くくすんだ青空を見つめながら、姉さんは目尻にたっぷりの皺を寄せて、とても嬉しそうに笑ってくれた。
それはきっと、母さんもそう思ってくれているだろうって。
そう思えるくらいの、とびっきりに素敵な笑顔だった。
(だから、君も早く帰ってきてよ……クロウ)
ロンドンのみんなに認められて。
母さんみたいな魔女の戦いを、みんなにも知ってほしかった。
半年前……私が望んでいたたくさんのことは、きっともう叶ったんだと思う。
それなのに、私の心は今も埋められないまま。
大好きな『強くてかっこいいモフモフの王様』のぬくもりを求めて、今もその青空の先に手を伸ばし続けていた――。




