魔女と悪魔の物語
「――俺は、なにも知らなかった」
ラズセラフの消滅を見送ったあの日。
黒狼の姿になったクロウの背にまたがって、二人で一つの愛の結末を見送ったあの日。
数え切れない星が輝く夜の世界で、クロウは本当に……とても悔しそうにそう言った。
「ラズセラフも、俺に絵本を見せてくれたあいつも、俺よりもずっと多くのことを知っていた……俺は地獄をなにもない場所だと決めつけていたが、実際はそうではなかった。地獄を『なにもない場所』にしていたのは……俺の心だった」
今思うと、その時の私にはクロウがこのあとなにを言うのかも、どうしたいと思っているのかもわかっていた。
ラズセラフの最期を見たクロウは、これまでの長い長い時間の中で、自分が本当にたくさんのことを、大切にしてこなかったことに気づいたんだと思う。
「すまない、アリス……俺は一度、地獄に戻らなくてはならない。地獄にはまだ、アリスやこの世界を危険に晒す問題がいくつか残っている。そしておそらく、ラズセラフの行動で生まれた新たな歪みもあるはずだ……俺は王として、それを片付けなくてはならない」
「そっか……」
そのクロウの言葉に、私は思わず彼の毛並みをぎゅっと握り締めた。
「帰って、くるよね……?」
「約束する。すぐに地獄のなにもかもを片付けて、俺は必ずアリスの元に戻ってくる」
「わかった……なら、待つよ。だって君は、いつだって私との約束を守ってくれた。だから今度も……私は君を信じて、待ってるからね」
本当は、すごく辛かった。
行かないでって……行くなら私も一緒に連れていってって、本当なら子供みたいに泣きわめきたかった。
けれどその時の私は、『聞き分けのいい女』を演じた。
ひねくれた私の心が、格好のいいロンドンの魔女として愛するクロウを送り出してやるんだって……頑張ってしまったんだ。
「たとえどこにいようと、俺はアリスを愛している……だから俺が地獄から帰ったら、その時は俺と――」
――――――
――――
――
ラズセラフの残した傷痕。
それはきっと私たちの世界よりも、地獄のほうが大きいんだろう。
クロウはこれまで、王として地獄でなにかをしてきたわけじゃない。
そしてそんな自分の身勝手さが、ラズセラフを追い詰めてしまったのかもしれないって……クロウはきっと、そう思ったんだ。
だから、地上で私と一緒になる前に。
自分が生まれ育った故郷と、自分がこれまでしたことの責任を果たすために。
私とのイチャイチャラブラブ甘々生活を後回しにしてでも、先に地獄の問題を片付けに行ったんだ。
それが自分の命を救い、この世界で私と出会わせてくれた、ラズセラフへのせめてもの恩返しだと思ったから――。
「はぁ……だからって、やっぱり寂しいものは寂しいんだよ……」
すっかり日が暮れたブラスゲート13番地。
スクーターから降りて、家の玄関に続く階段を上る。
その間も考えるのはクロウのことばかり。
少し長くなった私の紺色の髪には、今もクロウの赤いリボンが結ばれている。
だってこうでもしていないと、私の気がおかしく――
「え……?」
ドアノブに触れた手が、あるはずのない『ぬくもり』を感じ取る。
それに、閉めたはずの鍵も開いていて……まさか、そんな――!
「――クロウ!?」
「アリス!!」
いた。
本当にいた。
長い黒髪に金色の瞳。
逞しい体に褐色の肌。
ギザギザの白い歯に、かわいらしいモフモフの尻尾。
そして、もちろんガチムチの全裸で!
いや、でも待って。
まだ安心はできないよ。
もしかしたら、寂しすぎておかしくなった私が見ている幻覚かもしれないからね。うん。
だから――!
「おかえりなさいっ!」
「すまないアリス。遅くなってしまった!」
「遅いっ! 本当に遅いよ! 君がいない間、どれだけ寂しかったか……っ」
だから本物か確かめるために、思いっきり抱きついてやった。
クロウはそんな私を軽々と受け止めて、すぐにその大きな体で包むみたいにして抱きしめてくれた。
むふー……これこれ、これだよ……。
このガチムチな肌触りは間違いなく本物だ。はふぅ……。
「待たせてしまってすまない……だが約束どおり、地獄のことはすべて片付けてきた! 俺は今度こそ、アリスのそばを絶対に離れないぞ!」
「よかった……そうしてもらえると、私もすごく嬉しいよ……っ」
彼のすべてに埋もれながら、私は頭がおかしくなるほどの多幸感に溺れきっていた。
もしかすると溺れすぎて、涙とかよだれとか鼻水とか……とにかく、とても人様に見せられるような顔じゃなかったかもしれない。
だからやっぱり……私はラズセラフを憎みきることなんてできない。
こんな幸せを知ってしまったら、失った時に正気でいられる自信なんて私にもないからね。
「そしてもう一つ……アリスにこれを受け取ってほしいのだ」
「それは……」
そう言ってクロウは優しく私から離れると、テーブルの上に置かれた真っ赤な薔薇の大きな花束を私に向かって差し出した。
「俺と結婚してくれ、アリス……! このロンドンだけでもわからないことばかりの俺だが……地上のことも、人間のことも頑張って勉強するつもりだ! だから頼むっ!」
「はは……」
そうだね。
確かに君は、『戻ってきたら結婚しよう』って……そう言って地獄に向かったんだ。
私が断ったりするわけないのに、クロウはなんだかそわそわしていて、とても不安そう。
モフモフの尻尾も緊張して、『ぴーん』ってなっているし……。
っていうかね?
もっと重要なことを言うと、この人ってさっきから『ずーっと素っ裸』なんだよ。
もしかして、その花束を買った時も全裸だったんじゃないだろうね?
だとしたら、私が『結婚早々夫が変質者として逮捕された哀れな新妻』になる危険性があるんだけど大丈夫そう?
「ふふ……っ」
「どうしたのだ?」
なんてね……まったく、せっかくのプロポーズだっていうのに、初めて会った時からずっと変わらないんだから。
「そんなに緊張しちゃって……私が断るわけないでしょ?」
「うぐ……っ。いや、その……半年も待たせてしまったから……もし嫌われていたらどうしようかと……」
「なら、もう二度と離れないことだね……それで全部許してあげる。大好きだよ……クロウ」
「……俺もだ、アリス!」
クロウのくれた薔薇の花束をやんわりと押しのけて、私はもう一度クロウの胸に飛び込む。
そしてそのまま、嬉しそうにはにかむ彼の顔を見上げて。
ありったけの想いを込めて、唇を重ねた――。
――――――
――――
――
いつかの時代。
人々から迫害されていた魔女は、恐ろしい悪魔から世界を救い、英雄になった。
でもそれは同時に、魔女や悪魔、神様の時代の終わりでもあった。
世界から悪魔は消えて、悪魔を狩る魔女の存在も少しずつ忘れ去られていった。
ロンドンを救った英雄……真鍮の魔女アリス・ベルの物語も終わり。
けれどだからといって、私の物語が終わったわけじゃない。
ロンドンは今日も変わらず霧と蒸気に沈んでいて、歯車の噛み合う耳障りな音と、そこに生きる人々の日々が止むことはない。
魔女としての私の物語は終わっても、ロンドン一の仲良しイチャイチャラブラブ夫婦、アリスとクロウの物語はこれからも続くんだ。
この街に広がる青空が、そこに住む人々の営みでくすみ続ける限り。
いつまでも、ずっとね――。
ロンドンの魔女と悪魔王 完
ロンドンの魔女と悪魔王を最後までお読みくださりありがとうございました!
今回は全裸の悪魔王による激重溺愛ラブコメ&スチームパンクバトルを書いてみました!
少しでも笑って(あるいはキュンと)いただけたら、ぜひ評価をいただけますと、作者のモチベが天元突破します!
皆様からいただいたお言葉を糧に、次回作も頑張ります!!




