笑わない
『認めない……! 認めない認めない認めない! わ、私のクロウが……に、人間の魔女をあ、ああ……ああああ、愛するなどと!! そんな、そんなことあってはならないッ! そんな世界は、すべて消し去らなくてはならない! 消えなくてはならないのです――ッッ!!』
「ラズセラフ……」
どす黒いヘドロをまき散らし、絶世の美青年だった面影を失い、腐り落ちた八枚の翼で蛇行しながら天へと昇る天使。
そして悲鳴を上げて崩れていくラズセラフの姿に、クロウは辛そうに奥歯を噛みしめた。
「ちょ、ちょっとアリス! クロウさんも、なにがどうなってるのっ!?」
「さっきのアリス……とってもかっこよかったね……うふふ……」
「どうでもいいけど、いつまでそんな格好でいるつもり? このままじゃ異端者としてじゃなくて、『変質者』として逮捕されることになるわよ」
ラズセラフがその場から飛翔したのと同時に、それまで様子をうかがっていたヴィオやミルト、ナイアが一斉に駆け寄ってくる。
特にナイアは、素っ裸のクロウのために厚手のローブまで放ってよこしてくれた。
さすが、地獄の侯爵は配慮も一流だね。
「ありがとうみんな。私とクロウならもう大丈夫……だけど、まだやらないといけないことが残っているみたいなんだ。そうだろう、クロウ」
「そうだな……だが、俺はあいつを……」
私はナイアから渡されたローブをクロウの体にかぶせながら、今も何かを思い悩んでいる彼の顔を見上げた。
「わかっているよ……確かにあいつは母さんの仇で、大勢の人を苦しめた元凶だ。けど君がまだ彼にしてあげたいことがあるのなら、私は喜んで力を貸すよ」
「アリス……」
柄にもなく遠慮するクロウに、私は首を傾げてからかうように笑った。
「当たり前だろう? だって私は……『君のつがい』なんだからね」
「……まずいな、嬉しすぎて泣きそうだ」
「なら、もっとしてあげるよ――……」
そのままどちらからともなく。
私とクロウは、触れ合うように唇を重ねた。
ん、んん……っ?
んぅ、はぁ……っ。
……うん。
な、なるほどね……?
こんなことをしたのはもちろん初めてだけど、予想以上に強烈で、思わず意識が遠のいてしまった。
今後もする時は、気をつけたほうがよさそうだ。
そしてそれを見ていたヴィオが天にも届くような絶叫を上げていたような気がするけれど……私もかなり興奮していたせいで、さっぱり耳に入ってこなかった。
「こほん……というわけだから、ちょっと行って片付けてくる。陛下やみんなのことは頼んだよ」
「びぇーーーーん! わかったわよぉぉぉぉぉっ! やればいいんでしょやれば!? えーーーん! やっぱり私もクロウさんみたいな神話級のガチムチイケメンとゴールインしたいよーーーーっ!」
「いってらっしゃい……まってるね、アリス。くろちゃん……」
「気をつけて。油断しないようにね、悪魔王」
初めての口づけを終えて、クロウは私をさらに強く抱き寄せる。
けれどその力はとても優しくて、全力で私のことを考えてくれているのがよくわかった。
だから私も彼の想いに応えて、クロウが抱えやすいように身を寄せた。
「ならば……行くぞアリス!」
「いつでも!」
クロウの腕に抱かれたまま、私の体は宙に飛んだ。
広場も、処刑台もなにもかもが一瞬で小さく遠ざかっていく。
すごい勢いの風がごうごうと耳元で鳴り響いて、目の前でいくつもの白い雲が近づいては消えていく。
本当ならとても寒いはずなのに、火傷しそうなほどに熱くて逞しいクロウの体に包まれた私は、寒さなんてちっとも感じなかった。
『認めない……! 私は、私はずっとクロウと共に過ごしてきた。彼のためなら、彼を救うためならば神にすら抗ってみせると覚悟して……! なのになぜ……なぜクロウは私を拒絶する? あの薄汚れた魔女よりも、私のほうがずっと長く、深く、誰よりもクロウを想っているはずなのに!』
空の終わりが近づくにつれ、悲鳴みたいなラズセラフの声が四方から響いてくる。
それはとても身勝手で、独りよがりな想い。
永遠に届くことのない、とても悲しい想い。
けれど今の私は、あれだけ憎んでいた母さんの仇が吐くその叫びを、当然の報いだ、ざまあ見ろと……そんな風に喜ぶことはできなかった。
「……私は、君のことが好きだよ」
「俺もだ」
「だから君がボロボロになって眠っている間、心配で頭がどうにかなりそうだった……胸が張り裂けて、いくら泣いても足りないくらい心細くて。本当にすごく、辛かったんだ……」
「はうあ……!? す、すまない……俺のせいでアリスを悲しませてしまった……」
空を駆け上がりながらしゅんと肩と尻尾をすくめるクロウの胸に、私は笑いながら頬を寄せる。
大丈夫。
今はもうそんなことないよって、伝えるために。
「今ならわかるんだ……人を愛すること、好きになることは嬉しいことばかりじゃない。辛くて、悔しくて、不安で悲しい……好きだから怒ることも、愛しているから憎むこともある……そして愛する気持ちが強ければ強いほど、苦しい気持ちも大きくなってしまうものなんだって……」
「アリス……」
だから……私はラズセラフを笑わない。
大切なクロウを愛して泣くあの天使を、憎みはしても嘲ることはできない。
どんなに自分勝手で、大勢の命を踏みにじってきた最悪の悪魔でも。
愛することの喜びと辛さは、人を簡単に狂わせるって……もう、知ったから。
「ラズセラフを止めて、みんなも守る……そしてそれが終わったら、二人で思いっきりイチャイチャするんだ。どう? 最高のプランだと思わない?」
「絶対にそうするぞ! やはりアリスは最高だな!」
「ふふ、もちろん!」
青い大地の果てが緩やかに弧を描く頃。
夜と昼が交差する世界まで飛翔した私たちは、いつしか互いの魔力を完全に繋ぎ合わせた『一つの光と影』になって交わる。
私の魔力とクロウの力。
その二つが溶け合い、一つになって弾けた先。
燃えるような輝きを宿す黒狼の姿になったクロウの背にまたがり、私はついに地上から遠く離れた星々の世界に躍り出る。
そして今もどす黒い涙を流し、星すらも飲み込むほどの愛で膨れあがった堕天使――ラズセラフの前に立った。




