悪魔王の帰還
「久しいな、ラズセラフ」
「クロウ……!」
「クロウ……ッ」
それは、私の胸から飛び出した灼熱の影。
たった今までちびっ子狼だったはずのそれは、目の前で黒い影を広げて自身の体を包み込むと、次の瞬間にはその影を木っ端微塵に打ち砕く。
舞い散るのは、黒く輝く影の雪。
そしてその黒い雪を越えた先……そこには私の体を優しく、だけど力強く引き寄せ、熱く逞しい腕で抱きしめるガチムチイケメンのモフモフわんこ……クロウが立っていた。
もちろん全裸で。
「クロウ……! よかった……っ、本当に……!」
「すまない、アリス……もう二度とお前を泣かせないと約束したのに、またアリスを泣かせてしまった」
「いいんだよ……君が無事なら、それで……っ」
でも今の私には、クロウの格好なんてどうでもよかった。
もう一度彼と、こうして言葉を交わせることが。
もう一度お互いの目を見て触れ合うことができる嬉しさに、私はクロウの胸に顔を埋めて、これ以上ないくらいに抱きしめた。
「馬鹿な……クロウの魔力は確かに尽きていた。だからこそ、『クロウの延命のために魔女を付けていた』のです。そしてただの魔女ごときに、この短期間でクロウの魔力をここまで回復させる力はないはず……!」
現れたクロウに、ラズセラフは激しく動揺して後ずさる。
なるほど……ラズセラフはクロウを縛りたいとは思っていても、死なせたいわけじゃない。
だから瀕死のクロウを癒やすために、私と同じ牢に入れたんだね……。
「俺にとって、アリスはただの魔女ではない。アリスは俺が眠っている間も、ずっと俺に力を注ぎ続けてくれていた……俺が地上にやってきた、あの夜のように」
そっと私の肩を抱き寄せて、クロウはとても嬉しそうに笑う。
確かに、私はあの大公の館でクロウを見つけてからずっと、それこそ寝ている間も絶えず魔力を送り続けていた。
私とクロウの契約はとうに切れていたけれど……いや、むしろ切れていたからこそ、私が集められるありったけの魔力を、クロウのためだけに注ぎ込んでいたんだ。
「そして、アリスが俺にくれたものは魔力だけではない。暗い闇の底に沈んでいる間も、俺にはずっと聞こえていた……アリスが俺を呼ぶ声が。アリスが俺を求める声が。アリスは俺に、最も大事なことを教えてくれた!」
「――っ!?」
瞬間、クロウの漆黒の影が巨大な黒い火柱となって天に昇った。
その黒い炎は目の前のラズセラフを弾き飛ばし、空を覆っていた灰色の雲を一瞬で消し飛ばすと、そのままロンドン上空から光の火の粉となって降り注いだ。
「なに、これ……?」
「見て、私の怪我が治ってる!」
「傷だけじゃねぇ! あの化け物にやられた家も、道も、全部元通りになっちまったぞ!?」
奇跡。
それは、復活したクロウが起こした正真正銘の奇跡だった。
ラズセラフが破壊したなにもかも……傷を負った人や倒壊した建物、その下敷きになって犠牲になった人や動物の命までも。
すべてがクロウの降らせた火の粉によって癒やされて、まるで時間が過去に戻ったみたいに、元通りになってしまったんだ。
「な……なんですかこの力は? これは決して、貴方が本来持っていた絶無の力ではない。むしろこの力は神の……! 神の奇跡と同質の力ではないのですか!?」
その光景を見たラズセラフはがたがたと体を震わせ、絶世の美貌を青ざめさせて膝を突く。
「俺にはずっとわからなかった……アリスのことを想うたび、俺の胸はとても苦しく、抑えられないほどの感情がこみ上げてくる。だが俺にはその感情がなんなのか……好きだけでは言い表せないこの想いがなんなのか、どれだけ考えてもわからなかった」
「クロウ……」
「だがアリスは教えてくれた。この感情の名を……傷つき、眠りについた俺に、アリスはずっと伝え続けてくれた。そしてそれこそが、俺にこの力を与えてくれた!」
クロウに抱きしめられながら、私はじっと、まっすぐに私を見つめるクロウの瞳を正面から受け止めていた。
抱き合って、重なったままの私と彼の鼓動が、私にその先にある言葉をはっきりと予感させた。
「俺はアリスを愛している……この世のなによりも、誰よりもだ」
「うん……っ。私もクロウを愛してる……大好きだよ、クロウ――!」
燃え上がる黒い炎に包まれながら。
クロウはこれまでと同じ、その瞳に私だけを映しながら愛を口にした。
だから私も今度こそ自分の言葉で、彼の目を見ながら気持ちを伝えた。
好き。
大好き。
愛してる。
本当に、心の底から君を愛しているんだ。
それは嬉しいとも、楽しいとも全然違う。
わけのわからない感情の津波。
もしクロウに抱きしめられていなかったら、頭に血が上った私はそのまま気絶して倒れていたかもしれない。
それくらい、どんな言葉でも足りないくらいに彼のことが愛おしくてたまらなかった。
「そしてラズセラフ……俺はお前にも感謝している。確かに俺はお前に救われた……なにも知らなかった俺は、ここでアリスと出会い、アリスとの日々を知ることができた。お前がここでなにをして、なにを考えていたとしても……その事実は変わらない」
「…………」
けど、まだだ。
本当なら、このまま彼を押し倒してイチャイチャしたいところだったけど……いや、さすがにそこまではしないよ? 多分ね?
クロウの力でロンドンが癒やされて、街を燃やす炎も消えた。
けれど今も目の前には、俯いたままぶつぶつと呟くラズセラフがいる。
きっとクロウは、今も本心から感謝を伝えたんだと思う。
けれど正直……もし私がラズセラフの立場だったら、今さらそんなことを言われても――。
「認め、ない……ッッ!」
「……っ!」
刹那、光が弾ける。
ラズセラフの八枚の翼が同時にまばゆい光を放ち、それはこの広場を中心とした円状に、八つの光の柱を天から降臨させた。
「認めない認めない認めない認めない、認めなぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――いッッ!!」
叫びと同時に、頭を上げたラズセラフの顔、その半分が崩れる。
八枚の翼はまるで焦げるようにして黒く煤けて、美しい白い肌には黒く染まって浮き上がる血管が蜘蛛の巣のようにのたうった。
「殺してやる……! 絶対に消してやるぞ、女狐め……! クロウ……? クロウはどこにいるのです? 私のクロウを、どこにやったのです!? クロウクロウクロウクロウ……! 私だ……! 私こそがクロウを最も深く理解し、救い、縛ることができる存在なのだ! そうでないのなら……この世界がそうでないというのならッ! もうなにもかも、すべて消えてなくなるがいいッッ!!」
それは、泣いているような叫びだった。
聞くに堪えない悲鳴を上げながら、ラズセラフはどす黒いヘドロと灰色の液体をまき散らし、その腐り落ちた翼を広げて天上へと昇った――。




