童話
「――出ろ。これより、お前たちを処刑場へ連行する」
投獄から三日後。
顔まで白い布で覆った正教会の執行者が、地下牢の扉を開けながらそう告げた。
抵抗する気はなかった。
少なくとも、今はまだ。
「これより、お前たちを連れて中央広場へと向かう。クラインバッハ師父からは、可能な限り多くの者の目に触れる形での処刑をと申しつけられている」
手錠から伸びる鎖に繋がれ、私はクロウを抱いたまま淡々と前を向いて歩みを進めた。
クロウは、ずっと眠ったまま。
今も私の腕の中で、弱々しい吐息を繰り返している。
ヴィオやミルトからの接触はない。
そういえば、牢獄で一度だけキリアン司祭の姿を見た。
必死に目を合わさないようにしていたから、きっと気づいてはいたと思う。
まあ、彼の立場を考えれば、私たちになんて関わらないほうがいいに決まっているからね。
「聖堂から出れば、もはや戻ることはできない。最後になにか言い残すことはあるか?」
大聖堂を出る前、執行者はそんなことを聞いてきた。
けれど私は鼻で笑って、先に護送用の馬車に乗り込んでやった。
「特にないね。こんなくだらないことで街のみんなを待たせてしまっているんだ、さっさと連れて行ってもらえるかな?」
「ふん……異端者め」
馬車のドアが閉まって、ゆっくりと動き出す。
窓には布がかけられていて、外の景色を見ることはできなかった――。
――――――
――――
――
――強くてかっこいい、モフモフわんこの王子様の話。
ずっと昔、ある国にとても強くて優しい王子様がいた。
けれどその王子様には犬のような尻尾や耳が生えていて、体も毛むくじゃら。
人々はそんな王子様を怖がって、誰も王子様と仲良くしようとしなかった。
――でも私は、そんな王子様が好きだった。
その犬みたいな見た目のせいで怖がられたり、馬鹿にされたりしながら。
それでも、みんなのために頑張る王子様のことが大好きだった。
だってその王子様は……魔女であることを理由に嫌われながら、それでもみんなのために悪魔と戦う母さんに似ていたから――。
「大いなる神の光に背を向け、深遠なる邪悪に魂を売り渡した異端の魔女……アリス・ベル。今日これより、神と民の立ち会いの下、汝の穢れきった身と心の浄化をこの地にて執り行う」
やがて馬車から降ろされると、そこは見慣れた中心街にある広場だった。
目の前には古めかしい磔刑台があって、根元部分には実によく燃えそうな木や藁が積み重なっている。
周囲をぐるりと見渡せば、軽く数百人は下らない人たちが、百年以上行われていなかった魔女の処刑を見るために集まっていた。
「ああ、アリスちゃん……」
「アリス……」
でも、そこにはただの野次馬だけじゃない。
中には以前仕事で関わった人や、ブラスゲートでよくしてくれたご近所さんが、とても辛そうな顔をして私を見つめていた。
――嫌われ者の王子様は、最後には彼の優しさと愛を知った美しいお姫様と結ばれる。
そしてそんな彼女と二人で懸命に国を治めて、最後には大勢の人々から祝福されて物語は終わる。
小さい頃の私は、いつかきっと母さんもそうなるんだって信じていた。
いつかは母さんの戦いが認められて、みんなから感謝される日が来るって思っていた。
でも、そうはならなかった。
母さんは誰にも助けてもらえず、冷たい雨に打たれるままに死んだ。
きっとあの時。
童話の中の優しい王子様に憧れていた私も、一緒に死んだんだ。
ずっと、そう思っていた――。
「私なら大丈夫、心配させてごめんね」
「アリスちゃん……!」
せめて知り合いだけでも安心させようと、少し大きな声を上げて笑う。
結局、『私の復讐』は達成できなかったけれど……それでも、こうして私を心配してくれる人が何人もいる。
それだけで、私は最後まで前を向いて立つことができた。
「異端者、アリス・ベル。処刑を執り行う前に、汝に『最後の慈悲』を与える」
「慈悲だって?」
「左様。汝が犯した最も大きな罪……その胸に抱く悪魔の力を用いて、大公エドワードを殺害したとこの場に集まった民衆の前で認め、神に許しを請うのです。そしてその悪魔を自らの意志で奈落へと手放し、大いなる神に頭を垂れなさい。さすれば、神は汝の魂に寛大な救済をお与えになるでしょう」
処刑台の前に立つクラインバッハは、連れてこられた私に、広場中に響き渡る賛美歌のような声でそう突きつけた。
そしてそのクラインバッハの言葉に、私はどうしてこの男が私からクロウを引き離さなかったのかを理解する。
すべては、この場で『私にクロウを捨てさせる』ため。
神の名の下に、大衆の前で魔女を屈服させること。
そのために、クラインバッハは私にクロウを預けたままにしたんだ。
まったく、どこまでも陰湿で忌々しい奴じゃないか。
だけどね――
「ふふ……」
「……? なぜ笑うのです?」
なぜって?
そんなの、決まっているだろ。
「――司祭クラインバッハ。私とこの悪魔は、神に誓ってエドワード様を手にかけてはいません。この子は最後まで、恐ろしい悪魔の盾にされた大公を助けようとしてくれました」
クロウを胸に抱いたまま。
私が彼に贈った、赤いリボンを握りしめたまま。
勝ち誇るクラインバッハの青い瞳をまっすぐに見上げ、自分でも驚くほどの大きな、澄んだ声で。
この場にいるすべての人の耳に向かって、ありったけの想いを伝えた。
「それだけではありません。この子は今日までずっと、私たちを守るために悪魔と戦い続けてくれました。たとえ悪魔でも……この街のために命がけで戦ってくれた彼を、私は誇りに思います」
感謝しているよ、クラインバッハ。
最後の最後で、私にこんな大舞台を用意してくれるなんて。
初めから、助かるつもりなんてない。
救われたいなんて思っていない。
クロウを守る。
それだけを考えて、私はここに立っているんだから。
「愚かな……自らの罪を認めず、それどころか正当化しようとするとは。ならば貴方は、この期に及んでまだその悪魔を手放すつもりはないというのですか? なぜ……どうして貴方は、そこまでその悪魔に執着するのです!?」
「それは……」
――強くてかっこいい、モフモフわんこの王子様。
母さんと一緒に死んだと思っていた憧れはあの夜、まるで絵本の中から飛び出したみたいに、再び私の前に現れた。
けれど、憧れと一緒に暮らすのは想像以上に大変で。
苦労して着せた服はすぐに脱いじゃうし。
気を抜くとすぐに私のベッドに潜り込んでくるし。
誰彼構わず自分のことを私のつがいだって紹介するし。
鉄道を見つけると、もっと見たいって言って動かなくなっちゃうんだ。
彼との毎日は本当に大変で、とてもじゃないけど、王子様との甘い日々なんて……そんなロマンチックなものじゃなかったけれど。
それでも。
あの日、あの夜。
全裸で私の前にやってきた『モフモフわんこの王様』は、子供の頃に憧れていた王子様よりもずっとかっこよくて、優しかった――。
『俺はこれからもずっと……アリスが好きだ』
ありがとう、クロウ。
あの赤い月の夜を越えて。
初めて君と話した朝。
モフモフの尻尾を嬉しそうに振って、私を見て笑ってくれた君に。
私は初めからずっと……心を奪われていたんだ。
「それは、私が――」
ごめん。
できることなら、こんな形じゃなくて。
ちゃんと君に伝えてあげたかった。
本当に……臆病なパートナーで、ごめん。
「私が彼を……クロウのことを、誰よりも愛しているからです」




