臆病の報い
「どっせえええええええいっ!」
ヴィオの蒸気甲冑がうなりを上げ、巨大な戦斧の一振りで何体もの自動人形を粉々に打ち砕く。
「えい、えい……うふふ、斬っても血は出ないけど、黒いドロドロがいっぱい……ちょっといいかも……あはは!」
「ここは公爵の領域。昔の私なら、絶対に刃向かったりはしなかった。けど今は違う……ミルトを傷つける奴らは、公爵だろうと悪魔王だろうと容赦はしない!!」
地下工房に蠢く無数の自動人形。
男爵か子爵程度の悪魔を封じられた人形の群れを、同じく百人近くまで増えたミルトとナイアがバラバラに切り裂く。
攻防は一進一退。
私の展開した結界術式はすでに効力を失っている。
ヴィオやミルトの力量を考えても、さすがにこの数の爵位持ちを早々に殲滅することは難しい。
けれどそんな中でも私の視線は、たった今開いた地上への大穴に向けられていた。
「クロウ……」
大穴の先に見えるのは、漆黒の空にまたたく小さな星。
そしてその空を震わせる、二体の悪魔の激しい力と力のぶつかり合い。
けれどクロウと契約している私には、はっきりと伝わっていたんだ。
クロウの『黒』が、アドラメレクの『赤』に少しずつ押し負けていることが。
「ちょっとアリス! さっきからなにぼーっとしてるのよ!?」
「っ! ごめん、まずはここの悪魔を――!」
「はぁー!? 違うでしょ!? あんたは早くクロウさんのところに行けって言ってるのよ!」
クロウのところに。
目の前の人形軍団をなぎ倒しながら、ヴィオはそう私に叫んだ。
「大公の身柄は私が引き受けるわ! いくら悪魔王でも、相手は四大貴族の一柱。それにクロウは、アドラメレクにロンドンを盾に取られたら全力を出せないわ!」
「いって、アリス……きっとくろちゃんには、アリスがひつよう……だってわたしもナイアが……ナイアにも、わたしがひつようだから……」
「ここであのヤバすぎる悪魔を倒せるのは、クロウさんだけよ! そしてクロウさんをサポートできるのは、アリスだけでしょ!?」
みんなのその声に、私の全身に火が灯った気がした。
頼れる仲間に背を任せて、誰よりも信じる相棒の元へ向かう。
だって私は……クロウのパートナーなんだから!
「……ありがとう、大公のことは任せたよ!」
決意を固めた私はすぐさまワイヤーガンを抜き放ち、頭上の大穴めがけて引き金を引く。
鈍い発砲音と共に巻き枠が回り、先端にかぎ爪のついた弾丸が射出され、それは見事に大穴の先に見える門柱に食い込む。
そして地下の淀んだ空気を置き去りにして、私を冷たい夜風と燃えるような魔力が渦巻く空の下へと引き上げた。
「――っ!? クロウ、どこにいるの!?」
けれど地上に出た私を待っていたのは、ロマンチックな再会でも、クロウの無事な姿でもなかった。
私が周囲を見渡すのと同時に、花火よりも眩しい閃光と爆音が辺りを包み、まるで隕石みたいな勢いで上空から落下した『何か』が地面に叩きつけられる。
「クロウ……!?」
「ちっ……」
もうもうと舞い上がる土煙の向こう。
そこにはあちこちに傷を負い、ボロボロになったクロウがいた。
どうして?
アドラメレクは、もう大公の体から引き剥がされている。
今のクロウなら、手加減なしで戦う方法はいくらでもあったはずだ。
まさか……。
まさか本当に、アドラメレクの力がクロウを上回っているの?
「なるほどな……どうやら『あの野郎』が言っていたとおり、さすがのてめぇもこの地上で、ずいぶんと魔力を失ったみてぇじゃねぇか」
「魔力を失った……!?」
急いでクロウを助け起こした私の前に、全身に紅蓮の炎を纏った燃えるたてがみと獅子の頭を持つ悪魔――アドラメレクがゆっくりと舞い降りる。
「ああ、そうだ。俺たち悪魔は地上では常に魔力を消費するからな。このクソ犬にも地獄じゃかなりボコられたが、『ここまで弱ってる』なら俺一人でも余裕ってわけだ」
「そんなことは知っているさ……! だから私は、クロウの契約者としてずっと魔力の補給をしてきたんだ! それなのに、クロウの魔力がそこまで減っているなんてあるわけがない!!」
「魔力の補給だぁ? ……ぷ、ぷはっ! ギャハハハハハハハ! おいおいおいおい、馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ! ギャハハハハハ!」
嘲笑。
私のぶつけた疑問に、アドラメレクは心の底からの嘲笑で応じた。
「クク……! いいか魔女……てめぇの契約なんざ、ハナからこのクソ犬には少しも効いちゃいねぇんだよ!」
「え……?」
「そのクソ犬の首輪も、てめぇと魔力が繋がってるように見えるのも、どれもただこいつに『抵抗する気がなかっただけ』だ。その証拠に、こいつは今も契約の効果も制約も受けてねぇ。つまりてめぇが言ってる魔力補給なんぞ、このクソ犬には『なんの意味もなかった』んだよ!」
嘘、でしょ……?
ならクロウがアドラメレクに押されてるのは、大公のために手加減してたからじゃなくて、私がクロウに魔力を与えてなかったからだっていうの?
嘘だ。
前にマーサ姉さんもそう言っていたけど、そんなはずない。
首輪も、魔力の流れも、私とクロウは今もちゃんと繋がってる。
契約による記憶の共有だってそうだ。
私はこれまで、何度もクロウの記憶を夢に見てきた。
契約だから。
だからクロウは、ずっと私の言うことを聞いて、私に優しくて、私を好きだって言ってくれて。
それに、それに――っ!
『俺は、アリスが好きだ』
……。
違う。
……違うよね?
本当は、ずっと気づいていたくせに。
ずっと、わかっていたくせに。
彼が私の傍にいてくれることに、使い魔の契約なんて関係ないことも。
彼が契約なんて抜きに、純粋に私のことを好きでいてくれたことも。
全部、気づいていた。
目を逸らしていたのは私。
彼の想いから、逃げていたのは私。
彼の暖かな想いに甘えて。
本当に大切なことに背を向けていたのは、私だ。
「私は……っ」
「てめぇさっき、俺様に馬鹿だの頭が悪いだのと散々言ってくれたよなぁ? だがてめぇはどうなんだよ……? そのクソ犬が弱ってることにも気づかねぇ上に、エサの一つも与えねぇでパートナーだと? ククッ……とんだ笑い話だぜ、なぁ!?」
「っ……」
本当なら、正面から言い返してやりたかった。
けど、できなかった。
この悪魔の言うとおりだった。
私は馬鹿だ。
それもこの世で一番の、最低の大馬鹿だった。
クロウは、ずっと私に伝えてくれていたのに。
私はそんな彼の想いを、踏みにじり続けていた。
契約を言い訳にして。
傷つくのが怖くて、彼の想いに向き合うことから逃げて――っ!
「そんなことはないぞ……アリス」
「クロウ……?」
でもその時。
私の頬を伝う涙を、クロウの泥で汚れた指が拭った。
「契約だの魔力だのと……小難しいことは俺にはよくわからん。だが俺はここで、アリスからたくさんのものをもらった」
初めて会った時と同じ。
クロウはとても優しい顔で、両目に涙を溜めた私を見て笑った。
「アリスといると、俺の胸はいつもぽかぽかと温かくなる……アリスのことを考えると、それだけでとても嬉しくなる。俺はこれからもずっと……アリスが好きだ」
「そんな……っ。でも、私は君を――っ!」
けど私が彼に向かって口を開くより前に、クロウは私の頭をそっと撫でてから立ち上がり、ボロボロになった上着を脱ぎ捨てた。
「俺様に殺される覚悟はできたみてぇだな……クソ犬」
「死ぬのはお前だ。俺のつがいを泣かせた罪……その命で償ってもらうぞ」




