魔女の矜持
「クロウ!?」
一瞬、なにが起きたのかわからなかった。
これまでどんな悪魔が相手でも、歯牙にもかけなかったクロウが押し負けた。
クロウは無事なの?
どうやってこの悪魔を倒す?
今、私がするべきことは――
刹那の間に無数の疑問と取捨選択が駆け巡り、私は息を呑んでもう一度前を向いた。
「ギャハハハ! どうしたよ悪魔王? まさか俺たち悪魔を何百万と食い殺したてめぇが、このジジイを心配して本気を出せねぇとでも言うつもりじゃねぇだろうなァ!?」
大公の体から悪魔を引き剥がす術式が発動するまで、クロウが大公をその場に留める。それが作戦の初手だった。
けどクロウは私たちの目の前で吹っ飛ばされて、ここから見ても姿が確認できないくらい深く、鋭く地下に叩きつけられてしまった。
つまり……この目の前の悪魔はその公爵という肩書きに違わぬ、クロウにも匹敵する強さを持っているということだ。
「クク……さあどうするよ? どうせお前らの考えなんざ、あのクソ犬頼みの力押しだったんだろ? まあ、それも仕方のねぇことだよなァ……まさかこんなジジイに、このルーラー・アドラメレク様が入ってるとは思ってもみなかったんだろう? ギャハハハハハ!」
アドラメレクの笑い声が響く。
それと同時に、工房に並ぶ自動人形が一斉に起動。
そのすべてから、下級の爵位を持つ悪魔の気配が立ち上る。
どうやら、悪魔を自動人形に宿す儀式は完了済み。
相手はクロウすら吹き飛ばす地獄の四大貴族。
しかもこの状況を、私たちは大公を傷つけずに切り抜ける必要がある。
状況は最悪。
このままじゃ、私たちはここで全滅もありうるだろう。けどね――!
「私たちが本当にクロウ頼みかどうか……! 試してみなよ!!」
ホルスターからステッキを引き抜き、その先端を地面へと叩きつける。
瞬間、さっきばらまいた真鍮の粒子が一斉に発光。
覚醒した自動人形の軍勢すべてを同時に拘束し、さらにアドラメレクの周囲にも通常の何倍も強固な結界術式を展開する。
「ほう、練り上げられたいい魔力じゃねぇか。『もし悪魔なら侯爵級』ってところか……ますます気に入ったぜ、人間の魔女!」
「今だよみんな!」
「りょーかい! 我が剣と命は、偉大なる女王陛下のために! 蒸気甲冑、機関始動!」
「いっぱいザクザクするね。うふふ……」
「まったく困ったものね……私の地獄での立ち回りは、『自分より強い相手とは戦わない』だったのだけれど!」
私の合図に、ヴィオの蒸気甲冑が背面から大量の蒸気を噴き出す。
さらに先陣を切ってミルトが、そしてそのミルトの影から飛び出すようにして、何十人ものミルトの姿をしたナイアが次々と周囲の自動人形に飛びかかる。
「面白ぇ! そんなに死にてぇなら、せいぜい俺様を楽しませてから死にな!」
『ギ……ギギ……!』
チッ……やっぱり、とてつもなく『重い』。
アドラメレクは私が展開した結界を事もなげに破り、周囲の人形も動きは鈍いけれど完全には止まらず、すぐにヴィオたちに反撃を開始した。
私の結界じゃ、これだけの数の悪魔を完全に拘束することはできない。
なんとか先制は取ったけれど、この一瞬で畳みかけないとやられるのはこっちだ。なら――!
「はぁあああああああああ――ッ!」
「馬鹿が、人間の女がこの俺と殴り合おうってのか? 加減はしてやれねぇぞ!」
突っ込む。
乱戦になった地下工房の中央をまっすぐに切り裂き、最大展開したウィッチステッキにありったけの魔力を込め、落雷のような電流の尾を引いて、アドラメレクめがけて最上段から渾身の一撃を叩き込む。
「この程度か? 侯爵級の魔力があろうが、人間なんぞに俺様がやられるわけねぇだろうが!」
私の攻撃を軽々と受け止め、アドラメレクは大公の顔のまま凶暴に笑う。
けどもちろん、私だって殴って通じる相手だなんて思っていない。
「ふーん? でもどうやら、力は強くても『頭のほうはそうでもない』みたいだね!」
その時、一度は砕かれた私の術式がアドラメレクと私の周囲に再び立ち上がり、時間が逆行するように元の形へと再生を開始する。
「っ!? こいつは……さっきの魔術か? 確かに潰したはずじゃ……!?」
再構築された術式結界から伸びる雷撃の縄が、一瞬でエドワード公の全身を絡め取る。
そして大公の体から、アドラメレクの実体を一気に引き剥がしにかかる。
「馬鹿だね、魔術は物じゃないんだよ。この場に私がいる限り、何度だってやり直すだけさ!」
さっきは失敗したけれど、今度は術者である私が直接魔力を叩き込んでいる。
その上、普段の数十倍の精製された真鍮粒子に、今の私のありったけの魔力を込めた。
たとえ相手が誰であろうと。
真鍮の魔女の名にかけて、私は私の役目を果たしてみせる!
「グ、アアアアアアアッ!? この……! 人間なんぞが、この俺様の動きを止められるわけが――ッ!」
「君たち悪魔は、人間を下に見すぎなんだよ。そこは下級貴族の男爵も、お強い四大貴族様も同じだね!」
五芒星の魔方陣がまばゆいほどの閃光を放ち、強烈な力でアドラメレクを叩き、燃やし、打ちつける。
そして無数の雷撃に囚われたアドラメレクは、ついにエドワード公の体から分離する。
それを見た私はすぐさま大公の体を抱えると、無理やり肉体から引き剥がされて悶え苦しむアドラメレクの顔面を、思いっきり蹴飛ばして魔方陣の外に退避してやった。
「て、めぇ……ッ! よくもこの俺様の顔を足蹴に――!」
「ずっと人の体に入っているのはさぞ窮屈だっただろう? むしろ私に感謝してほしいくらいだよ。でも……これで大公は返してもらった。今度は手加減しなくていいよ、クロウ!」
「クロウだと!?」
「クックック……! やはりアリスは最高だ!!」
大公を抱いたまま、後方へと飛んだ私のすぐ横を影が掠める。
その影は入れ違いに私の術式の中へと飛び込み、燃え盛る炎のたてがみと、獅子の頭を持つ悪魔の姿となったアドラメレクに強烈な一撃を加えた。
「チィ……! このクソ犬、あの魔女が俺を引き剥がすまで待ってやがったな!?」
「そうだぞ。アリスならきっとそうするだろうと思っていた。そして俺は、この街で『待て』もできるようになったのだ。俺は利口だからな!」
「ざっけんじゃねぇええええええええ――ッ!」
炸裂。
爆発的に膨れあがる紅蓮の炎と、その赤すら飲み込む漆黒の影が地下工房の中央で激突。
それは少しの間拮抗したあと、強烈な衝撃と爆発を伴って地上めがけて上昇していく。
赤と黒。
二つの膨大な魔力の塊は地下工房の天井も、ぶ厚い大地もなにもかもを貫き、ロンドン郊外の星空へと飛んだ――。




