悪魔の大口
「――時間だ。始めよう」
約束の夜。
頭上には蒸気に滲む赤い月。
辺りには体に張り付くような、不快な空気がたゆたう。
エドワード大公の邸宅から少し離れた場所に集まった私たちは、そのまま夜の闇に紛れて裏手へと回り込む。
「もう一度だけ確認だ。エドワード公の周囲に悪魔がいれば、そのまま交戦。もし大公が正気で悪魔の気配もしないようなら、素直に事情を説明して大公の身の安全を確保する」
「おっけー!」
「もし……わるい悪魔が『おじさま』にくっついてたら……アリスがバラバラにするんだよね……?」
「そのつもりだよ。そのために、術式の触媒も用意してきた……もしそれでだめでも、拘束さえできればもっと時間をかけてより強力な魔術を使えばいい」
今回の依頼に失敗は許されない。
最初の段取りが上手くいかなくても、できる限りの状況を考えて用意はしてきた。
なにより、今回の私は一人じゃない。
「よし、行くよみんな」
「うむ!」
私のかけ声を受けて、クロウは私と一緒に数百キロもある蒸気甲冑を着たヴィオまで抱えて一気に飛んだ。
「うひゃー! 私、クロウさんに抱っこされて飛んでるぅぅぅうう! 素敵……こんなの夢みたいっ!」
「騒いじゃ駄目だよ、せっかくクロウが静かに運んでくれてるんだからね」
「この館の周りに、何体か私の分身を残していくわ。見た目はそうね……ホタルにでもしておきましょうか」
「うふふ……みんなで行くのって、とっても楽しい……早く斬りたいな……早く、早く……!」
今ここにいるのは、誰よりも心強い私の仲間だ。
女王陛下からの依頼を無事に成功させて、誰一人傷つくことなく帰る。
それだけを考えて、私たちは夜の闇を駆ける。
「館の間取り図は?」
「とっくに頭に叩き込んであるよ。大公が籠もっているという地下室は、こっちの離れから入れる」
一般人には死ぬまで縁がないほどの広大な敷地を進み、邸宅の裏手にある離れへ。
その離れには地下へと続く階段があって、そこにはすでに小さな明かりが灯っていた。
「アリス」
「わかってるよ。どうやら、『冤罪の心配』はしなくてよさそうだ」
悪魔の気配。
地下へと続くその通路からは、ただそこを覗き込むだけでわかるほどの強烈な瘴気が漂っていた。
「行こう。ここからは事前の打ち合わせどおりに」
「さすがに私も緊張してきちゃった……すーふーすーふー……」
「ふふ……ヴィオ姉もかわいい……うふふ……」
私は最後にもう一度みんなに目配せすると、先頭を行くクロウとナイアに続いて、ミルトとヴィオと一緒に地下へと踏み込む。
長い螺旋状の階段を降りて、地下とは思えないほどに広い通路へと。
そしてその通路の突き当たりにあるぶ厚い鉄扉を、クロウはどんどんと濃くなる悪魔の瘴気ごとその爪で切り裂いた。
「待ってたぜ、クソ犬。俺様が散々『招待状』を出してやってたってのに、ダラダラ待たせやがってよ」
「おじさま……?」
「いや、違うね……ミルトはナイアの傍に」
扉の先に広がっていたのは、何体もの自動人形がずらりと並ぶ地下工房だった。
そしてその列の中央……そこにはまるで大勢の臣下を従える王のように玉座に座る、エドワード大公がいた。けど――
「お前か」
「ああそうだ、俺様だよ。デューク・ルーラー・アドラメレク……あの日はあと少しで『てめぇをぶち殺せる』ところだったってのに、地上なんぞに逃げやがって」
老齢の大公から聞こえてくる声は、まるで青年のように若々しく、あまりにも重かった。
そして大公は……いや、この大公の姿を借りた悪魔は、やってきた私たちを見て心の底から嬉しそうに笑う。
「ルーラー・アドラメレクですって……!? 悪魔王に次ぐ地獄の頂点……四大貴族の一角が、どうして地上にいるの!?」
「あーん? てめぇ……まさか無貌のナイアルトか? ハハッ! ずいぶんと愛嬌のある見た目になったじゃねぇか!」
目の前の悪魔……アドラメレクの名乗りに、ナイアが即座にミルトの前に出る。
そしてナイアの言った四大貴族とかいう肩書……公爵級の悪魔なんて初めてお目にかかったけど、どうやらこいつはその中でも更に洒落にならない相手らしい。
「どうして俺様がここにいるのかって? 決まってんだろ……そこにいる『クソ犬』の息の根を止めに来たんだよ。あの時だって、いきなりこいつの前に地獄門が現れなければ殺せてた……だからこの俺様が、直々に出向いてやったんだよ」
「ほう、奇遇だな。俺もお前が恐れをなして逃げたか、それとも気づかぬうちにうっかり噛み殺してしまったのかと心配していたぞ」
「この、クソ犬……! 相変わらず、この俺様相手に舐めた口をききやがる……!」
「はわわ……っ!? な、なによこれ……地面が揺れてるんですけど!?」
クロウの挑発に、アドラメレクがゆっくりと玉座から立ち上がる。
同時に、放たれた圧倒的な怒気は地下工房の大気を震わせ、ぶ厚い石壁で整えられた壁面に大きな亀裂を走らせた。
「――待ちなよ。悪魔同士で盛り上がってるところ悪いけど、私たちは君が宿主にしているエドワード様を助けるために来たんだ。今から戦うっていうのなら、まずはその体から出て行ってもらってもいいかな?」
けどそんなことで怯む今の私じゃない。
私は腰のウェストポーチに手をかけながら、はるか格上の公爵級の悪魔に対峙する。
「てめぇは……クロウの契約者か?」
「初めまして、地獄の公爵様。私は私設魔女のアリス・ベル。君を野放しにするわけにはいかないけど、大人しくその体から出て行ってくれるなら、『少しだけ優しく』地獄に追い返してあげてもいいよ」
「ぷはっ! ギャハハハハハハ! こいつは笑えるぜ、さすがは悪魔王を縛り付けようなんて思う女だ。頭のネジがぶっ飛んでやがる!」
「やれやれ……ジョークを言ったつもりはないんだけど」
言いながら、私はポーチの中で『準備』を終える。
こっちだって、最初から交渉で大公を返してもらえるなんて思ってないさ――!
「気に入ったぜ女。そこのクソ犬をぶち殺したら、お前は俺が飼ってやるよ。地獄だろうが地上だろうが、お前の好きなように――」
「お断りだね。だって私は――!」
「アリスは、俺のつがいだ――!」
「ッ!?」
瞬間、ポーチから取り出した四つの瓶をアドラメレクの周囲に叩きつける。
砕けた瓶から銀色の粒子が溢れ出して、それはまるで意志があるかのように工房の床に巨大な五芒星を描く。
そしてそれと同時に、飛び込んだクロウがアドラメレクを取り押さえにかかった。
大公の体を傷つけられない以上、クロウ以外に公爵級の悪魔の拘束は不可能。
けどそれでも、クロウなら――
「つがいだぁ……? ならますます手に入れたくなったぜ。そうすれば、てめぇの苦しむツラをもっとよく見られるだろうからなぁぁあああああ――ッ!」
「ぐ、ぬ――っ」
「クロウ!?」
「くろちゃん……っ!」
けど次の瞬間。
私の目に映ったのは、これまで一度も目にしたことのない光景だった。
飛び込んだクロウがアドラメレクの放つ膨大な魔力に弾かれ、まるで弾丸みたいな速度で私たちが入ってきた入り口の壁に激突。
もうもうと粉塵を巻き上げて、瓦礫の下に埋もれてしまったんだ。
「どうした、悪魔王。まさか地上でその女に飼われて、マジで狼から犬になっちまったなんて言わねぇよなぁ!? ギャハハハハハハ!!」
地獄の公爵、アドラメレクの笑い声が地下工房に木霊する。
そしてその声に呼応するように、ずらりと並んでいた自動人形たちが、まったく同時に私たちの方を向いた――。




