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魅了の魔法


 オレンジ色のガス灯の光が、点々と後ろに流れていく。


 ロンドンの通りは夜でもお構いなしに蒸気に包まれていて、星は消えて月は赤く、ランプの光はぼんやりと滲んでいた。


「便利な乗り物だな」


「この前買った『最新式の蒸気スクーター』だよ。少しの燃料でよく走るし、音も静かで気に入ってるんだ」


 後部座席に座るクロウが、目をキラキラさせてあたりを見回すのがサイドミラーに映る。


 スクーターとしては大型の車体は、ガチムチのクロウと二人乗りでもビクともしない。

 荷物も運べるようにと思ってこのタイプにしたんだけど、正解だったね。


 ハワード氏の依頼を引き受けてから、三日後の夜。

 私たちは事件の調査のため、自慢の愛車にまたがって貧民街に向かっていた。


 三日もあったおかげで、クロウの服もひとまず用意できた。


 上は黒シャツにブラウンのジャケットとコート、下はワークパンツと作業用ブーツ。

 店にあった出来合いの服では一番大きなサイズを選んだんだけど、それでもまだ張り裂けそう。


 ぱっと見は助手というより、マフィアかギャングだね……。 


「だがアリスは魔女なのだろう? 魔女というのは、『ほうきに乗って空を飛ぶ』と地獄にあった絵本で読んだぞ!」


「この前のお茶の手際といい、君って見た目によらず物知りだよね」


「クックック……! アリスもようやく俺の凄さを理解したようだな!」


 皮肉のつもりだったんだけど、クロウは凄い勢いでロングコートに隠れた尻尾をぶんぶんさせている。


 どうやら、英国人(ジョンブル)には通じる『社交辞令』も彼にはさっぱり通じないらしい。


「まあたしかに、大昔の魔女は魔法で空を飛んでいたそうだよ。けどつい最近まで、魔女は酷い迫害を受けていてね。人目を避けてひっそりと隠れているうちに、そんな目立つ魔法を使う魔女は誰もいなくなってしまったんだ」


「迫害だと?」


 父なる神の加護を宿して悪魔と戦う教会に対して、魔女は地獄の力を利用している。


 そして悪魔と同じ力を扱う魔女は、世間の人々に受け入れられなかった。

 それが今では表面上だけでも受け入れられているのは、地上に現れる悪魔の数が馬鹿みたいに増えたからだ。


『猫の手も借りたい』ならぬ、『魔女の手も借りたい』ってやつだね。


「もちろん、今だって魔女を快く思っていない連中は山ほどいる。私の母さんも、そのせいで死んだ」


 後ろから聞こえるクロウの声に答えながら、バイクゴーグル越しに映るガス灯の光に目を細める。


 今から五年前。


 魔女だった母さんは、ロンドン大聖堂のすぐ近くに現れた地獄門を封じるために戦った。


 その門はとても大きくて、この前の私がそうだったように、とても母さん一人でどうにかできるような状況じゃなかった。


「それなのに、騎士団も教会も母さんを助けようとはしなかった……特に教会にとって大聖堂は一番の拠点なのに、そのすぐ目の前で母さんが悪魔と戦っているのを見殺しにしたんだ」


「……」


 ほんの少し、私の腰に添えられたクロウの手に力が入る。


「許せんな……俺ならば母を殺した悪魔も、見殺しにした人間共も全て消し去っていただろう。もしアリスが望むのなら、今からでも俺が代わりにそうしてもいい」


「勘違いしないでよ。たしかに私は教会や騎士団を恨んでるけど、それ以上にこの辛気くさい灰色の街が気に入ってるんだ」


 私が魔女として生まれたことも。

 魔女が異端の嫌われ者だったことも。

 別に私が選んだわけじゃない。


 ただ、そうだっただけだ。


 けどこの街を好きになったこと。

 この街の皆を守りたいと思ったこと。

 魔女として悪魔と戦うと決めたことは、全部私が選んだことだ。


「だから、私は悪魔からこの街を守れるなら騎士団とも教会とも喜んで協力するし、無駄に事を荒立てたりもしない。それに母さんを殺された恨みなら、悪魔相手にいくらでも発散出来るからね」


 いけない。私としたことが、少し話し過ぎた。


 すぐに脱ぎたがるガチムチの変態だけど、やっぱり母さん以来の話し相手が出来て嬉しかったのかもしれない。


「クク、クックック……! アーッハッハッハ!」


 けどその時、クロウは通りに響き渡るほどの大きな笑い声を上げた。


「なに? もしかして、私の健気な身の上話を聞いて笑っているのかな?」


「そうではない。俺は今の話を聞いて、さらにアリスが好きになったぞ!」


「は?」


 ちょ……!?

 この変態、いきなりなにを言って……!?


「やはり俺はアリスが好きだ……だからアリスも、アリスが好きだというこの街も、まとめて俺が守ってやろう! どうだ、嬉しいか?」


「み、道のど真ん中で変なことを言わないでよ! それに君に守られなくたって、私は今日まで一人で立派に生きてきたんだからね!」


 けどそんなことお構いなしに、クロウは私の背に寄り添うみたいにして距離を詰めてきた。


 ジャケット越しでもわかるぶ厚い胸板と、火傷しそうなほどの熱。

 それにスクーターのエンジン音でもかき消せない、激渋重低音ボイス。


 全身の感覚が一瞬でクロウに埋め尽くされて、スクーターが思いっきり左右に蛇行する。


「もう一人ではない。これからは二人だ……そうだろう?」


「うひゃあっ!?」


 そ、そんな耳元で囁かれたら、変な声が……っ!


 普段のクロウとは全然違う、妙に甘ったるい声。


 そんなものを突然耳元で囁かれた私は、訳もわからずアクセルを全開に。

 車体の後ろから蒼白い蒸気が一気に吹き出して、スクーターの前輪だけが高々と持ち上がる。


「まっ……待って! ちょっと待って! 運転、運転できないから! わかったから、君の言うとおりだから大人しくしてっ!」


「ありがとうアリス。嬉しいぞ!」


 こ、この変態悪魔……っ!

 こんな状況であんなことをしてくるなんて卑怯すぎる!


 それに、あんなに堂々と私のことが好きだなんて……。


 使い魔の契約のせいとはいえ、いくらなんでも効き過ぎじゃない!?


「安心しろ。俺はアリスが好きだ。だからアリスを困らせるようなことはしない。俺は利口だからな!」


「い、いつも散々困らせた後でその台詞……何かのジョークなのかな?」


 もしかして私、使い魔の魔術と魅了の魔術を間違えた?


 あまりのことに暴走しっぱなしの鼓動を必死に抑えながら、私はなんとかスクーターの体勢を立て直し、ガス灯の群れを抜ける。


 やがて少しずつ蒸気の質が変わって、まとわりつくような大気と鼻を突くような腐臭が漂ってくる。


「臭うな」

「もちろん」


 そこはロンドン東の果て。

 イーストエンド99番地。


 濃密さを増す蒸気と煤の向こう側。

 私は目指す場所を示す、赤錆びて傾いた看板をはっきりと見据えた。


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