水牢の炎
「――ここよ。面会の許可は取ってあるわ」
「ありがとう、ヴィオ」
重苦しい解錠の音がぶ厚い石の通路に反響し、ぼんやりと光る小さなガス灯が滞留する湿った蒸気の向こうに揺らめく。
ここはテムズ川の川底に建造された大監獄、ブラック・ヘイズン。
最新技術の粋を集めて作られた脱獄不可能と言われるこの監獄には、イングランド全土から集められた超凶悪犯が収容されている。
「クックック……! ここに『あの男』がいるのだな? ならば早く行こう。出発進行だ!」
「えーっと、クロウさん……? どうしてあんなにノリノリなの?」
「きっとクロウは、狭くて暗くて細い場所が好きなんじゃないかな。ほら、ちびっ子は地下室とか屋根裏とか好きだから……」
今も私たちの頭上からは、流れる川の水圧で天井が鈍く軋む音が聞こえてくる。
正直、どこからどう見ても楽しい場所じゃないんだけど、なぜかクロウは大興奮。
しかもいつの間にか、機関車の発進コールまで覚えてるし……。
「ふーむ、ここにネズミはいないのか? いたら俺の弟子にしてやったのだがな! わははー!」
「……うん、やっぱりちびっ子だね」
「ま、まあ……クロウさんが楽しいならそれでいっか! 子供っぽいイケメンもかわいくて素敵っ!」
私はヴィオと顔を見合わせて肩をすくめると、手に持ったランタンの火を灯して後に続いた――
ヴィクトリア女王陛下直々の依頼。
それは、陛下の叔父にあたるレオポルド・エドワード大公についてだった。
エドワード公と言えば、国民からの人気も高い王族屈指の良識派だ。
けどここ最近、大公は自らの邸宅で自動人形の研究と作成に没頭していて、滅多に公の場に姿を現さなくなった。
陛下も心配しつつも、これまでは信頼ある彼の行動に直接介入することはなかった。だけど――
「作り物の自動人形に、悪魔の魂を宿す儀式……本当にそんなことできるの?」
「さあね……少なくとも私たち魔女にそんな芸当はできない。もちろん、教会だって同じはずだよ」
でもここに来て、大公にまつわる不審な噂が届くようになる。
夜な夜な邸宅の地下で悪魔を礼讃する儀式をしているとか、大量の悪魔素材を使って自動人形に悪魔を憑依させているとかだ。
実際、長年大公に仕えていた執事や侍従が行方不明になり、陛下がそれとなく大公の身辺に送り込んだ臣下とも連絡がつかなくなった。
この状況を受けて、ついに陛下が直接動かざるをえなくなってしまったんだ。
「だから私たちはこれから、大公と悪魔の繋がりに関する証拠を手に入れる必要がある。証拠もなしに王族を拘束するなんてできないからね」
「それはそうだけど……本当に上手くいくの?」
「心配するなヴィオ。アリスは俺よりもずっと利口だ。しかも料理も掃除もよくわからん機械の修理もできて、さらにとてもいい匂いがする! とにかくアリスは最高だ!」
「…………ちょっとアリス。後ですーーーーっごく大事な話があるから、この仕事が終わったらいつものパブに集合。もちろん全部アリスのおごり」
「言っておくけど、私はなにも悪くないからね……」
暗く湿った通路を進み、いくつものぶ厚い扉を超えた先。
枝分かれした通路の突き当たりにある最奥の牢屋の前で、数人の警官と看守が私たちを敬礼で出迎えてくれた。
「お疲れ様。第四騎士団師団長のイングラムよ。様子はどう?」
「特に変わりはありません。囚人への聞き取り可能時間は二十分です。それ以上は、別途調整をお願いいたします」
「ありがとう。すぐに済ませるよ」
看守の説明に軽く頷いて前に出る。
そこは他の独房とは違う、暗く広く冷たい個室。
国家に仇なす危険人物だけが入れられる、特別待遇の牢獄。
そこにその男は、虚ろな瞳を私に向けて静かに座っていた。
「久しぶりだね。私のことは覚えているかい?」
「何の用です……? 文字通り地の底まで落ちた私を、あざ笑いにでも来たのですか?」
薄汚れた囚人服に、乱れた髪と伸び放題のヒゲ。
見た目はだいぶ変わったけど、私たちに向けられる憎悪と怒りは、彼が確かに目当ての人物であることを教えてくれる。
この男の名はデクスター・ヴァンス。
かつてロンドンの新興ギャング、『リッパーズグレイのボス』として私たちと戦い、フルボッコにされた男だ。
まあ、私も名前を知ったのはこいつを逮捕した後だったんだけどね。
「今日は君にいい話を持ってきたのさ。今から私の質問に答えてくれれば、イングランド国法に基づく正当な司法取引として、君の罪を軽減してもいい」
「これはこれは……またずいぶんと気前がいい話ですね。それで、この私になにを答えろと?」
「君たちリッパーズグレイは、他のギャングと比べても異常な量の悪魔素材を仕入れていた。けど君たちは仕入れた悪魔素材を、すべて自分たちで使っていたわけじゃない……仕入れた素材のいくらかは、さらに高値で買い取ってくれる『とある大口の顧客』に売りさばいていた。そうだろう?」
「…………」
私の言葉に、デクスターはぐっと息を止めて押し黙った。
そしてその反応に、私は『このハッタリ』が見事的中したことを確信する。
デクスターが驚くのも無理はない。
だってこの話は、マーサ姉さんが調べてくれた悪魔素材の流通ルートと傾向を見て、私が『もしかしたら……』と当たりをつけて、なんの根拠もなしに突きつけたんだ。
だから当然、警察だってまだ掴んでいない。
「一体どこで……なぜそのことを? 組織の取引については、普段から一つの痕跡も残さぬよう徹底していたというのに」
「魔女に隠し事はできないってことさ。さあ、ここからが本題だ……君が仕入れた悪魔素材を高値で買い取っていた相手について、知っていることを教えてもらおうか」
陛下からの依頼について、私はすぐに二つの点に目をつけていた。
一つは、自動人形の作成。
そしてもう一つは、大量の悪魔素材を使った闇の儀式だ。
そのどちらも、本当に大公がやっているのなら、必ずその痕跡は物流に残る。
特に悪魔素材の大量売買は、個人がそんなことをすれば即異端裁判行きの大罪だ。
大公と悪魔の関わりを立証するには、十分すぎる証拠になる。
「いいでしょう……どうせここに囚われていては、貴方がたへの復讐もままなりませんからね」
デクスターはしばらく考えた後、ため息をついて頷く。
それにしても、この期に及んでまだ復讐を口にするなんて。
さすが、ダイナマイトで自爆しようとした男はしつこいね。
「ですが残念ながら、私もあちらの詳しい正体は知りません。ご存じかと思いますが、闇ルートでの取引で身分を明かす馬鹿などいませんから」
「そうだろうね」
「ですから、我々はお互いを本物だと確認するための紋章を用いていました。我々の紋章は胸に突き立てられたナイフ。そしてあちらの紋章は……『黒い大鷲』。実のところ、例のパブに質のいい悪魔素材があるという情報を流してきたのも彼らでしてね」
「黒い、大鷲だって……?」
黒い大鷲?
その単語に、私の知る限りの紋章のデザインと家名が脳内を駆け巡る。
だけど、その中に一致する紋章は――
「さあ、私が知っていることはこれがすべてです。貴方がたのご期待に添えたかどうかはわかりませんが、約束は――」
「えっ……!? 待って、ちょっとあんた……火が!?」
「っ!?」
けどその時だった。
必死に当てはまる紋章を探していた私の目の前で、デクスターの全身から『青白い炎』が噴き出すように燃え上がったんだ。
「火……? ……ぎ、ガアアアアアアアアアアアアアア!?」
「嘘でしょ……!? 火が出るようなものなんて一つもなかったのにっ!?」
「驚くのは後! やるよクロウ!」
「任せろ――!」
瞬間、クロウの鋭い爪が牢獄の鉄格子を紙切れのように切り裂く。
同時に私が描いた五芒星が輝き、壁面に滴る水分を一点に集中。
炎を消し止めるために浴びせかける。
「っ!? 消えない!?」
けど水流を受けた炎は、衰えるどころか油でもかけられたみたいに勢いを増す。
どう考えても、普通の炎じゃない!
「ちぃ……ッ!」
「クロウ!?」
それを見て、燃え盛る炎めがけてクロウが飛び込む。
それでも炎は抵抗するようにのたうち回ったけど、やがて少しずつ大人しくなって……完全に消えた。
「クロウさんっ! 大丈夫なんですか!?」
「……ああ、『俺は』な」
原理不明の炎が収まった先。
そこには、炎で服を焼かれた半裸のクロウ。
そしてクロウが助けようとした、すでに息絶えたデクスターの亡骸があった。
「嫌な気分だ……『あいつが救った命』を、勝手に奪われた」
「クロウ……」
あいつが救った命。
それはあの『悪魔の腕』が、自爆しようとしたデクスターの命も助けていたことを言っているんだろう。
もう動かないデクスターの体を、それでもまだ何かから守ろうとするように。
クロウはずっと、彼を抱きかかえていた――。




