魔女の願い
ラズセラフ・オールログ。
クロウがその名前を言った時。私の脳裏に、前に見たクロウの記憶が浮かび上がる。
どこまでも広大で、赤く、うねり、熱い。
燃え盛る大地で、無数の強大な悪魔とたった一人で対峙するクロウ。
そしてそんなクロウを頭上から悲しげに見下ろす、八枚羽の天使の姿を――
「だが、俺はあいつが天使かどうかは知らん。地獄にはいろいろな奴がいる。砂より小さい奴や、山より大きい奴、青や赤や緑や、よくわからん色の奴もたくさんいたからな」
「つまりなにかい? そいつの見た目がアタシらの想像する天使に似てるだけで、実際はただの悪魔かもしれないってわけか……それじゃあ、この羽の神力を説明するにはちょいと弱いねぇ……」
マーサ姉さんが片眉を上げてため息をつく。
確かにクロウの言うとおり、見た目だけでいいならナイアだって簡単に天使になれるだろう。
ラズセラフが天使のような姿をしていても、それだけでこの羽の持ち主と特定することはできなかった。
「ねえクロウ。その白い悪魔って、君とはどんな関係だったの?」
「関係か? んー…………わからん!」
「わからんって……地獄で一番長い付き合いだったんでしょ?」
「あいつが延々と俺に付きまとっていただけだぞ」
「ただのストーカーじゃないか……」
クロウは最初、唇を突き出して心底うんざりしたような顔を見せた。
だけど少しだけ考えて、やがてちょっとだけ嬉しそうに笑ったんだ。
「まあ、確かにおせっかいで鬱陶しい奴だったが、嫌いではなかったぞ。俺が顔を覚えた悪魔の中で、あいつだけはいつまでたっても死ななかったからな!」
――――――
――――
――
「次はどこに行くのだ?」
「んー……」
姉さんの工房で用事を済ませた後。
私とクロウは蒸気スクーターに乗ってロンドンの中心街へ。
そこで普段はあまり手に取らないような食材を探しながら、クロウと一緒にショッピングを楽しんでいた。
「プディングの材料は最後に買うから、次は服かな。特に君の服はまだ全然足りてないし」
「俺は服などなくてもいいのだが……」
「君はよくても私は駄目」
結局、あの白い羽の正体はわからなかった。
残ったのは、教会への疑念とゾッとするような冷たさだけ。
思えば、ロンドンタイムズで戦ったガゼットが、どうして魔女の記事を執拗に狙っていたのかもまだわかっていないんだ。
まさかとは思うけど……教会と悪魔になんらかの繋がりが?
「はは、まさかね……馬鹿馬鹿しい」
「どうした? さっきから考え事をしているようだが」
「大したことじゃないよ。ほら、あのお店。あそこで君の服を見ようか」
散々私たち魔女を異端だなんだと迫害しておきながら、自分たちは裏で悪魔と手を結んでいるかもしれないなんて。
いくらなんでも、そんな発想は私の教会への私怨が入っていると言わざるを得ない。
そもそも、百年以上前に魔女への迫害を中止させたのだって教会なんだ。
もし本当に魔女が邪魔なら、昔みたいに魔女狩りを続けるだけで済む話だからね。
「あ、これ……」
「なんだこの布は?」
いくら振り払ってもこびりつく考えを脇に置いて、私はのぞき込んだ服飾店で、綺麗に折り畳まれた『シルクの赤いリボン』に目を留めた。
「うーん……」
そのリボンを手に取って、目の前で不思議そうに首を傾げるクロウに重ねてみる。
「そうだね。これでいいかな」
少し確認してから店員を呼ぶ。
そしてそのまま購入を済ませると、広げたリボンを持ってクロウの後ろに回った。
「うん、やっぱりいい感じだね」
「なにがだ?」
「こうするんだよ。少しじっとしてて」
間近で見ても信じられないくらい綺麗な黒髪に手を添える。
そして買ったばかりの赤いリボンで、一つにまとめてあげたんだ。
「これでよしっと……ほら、鏡を見てごらん。よく似合ってると思うんだけど」
まだ不思議そうなクロウを連れて、店内にある姿見の前に。
するとそこには、黒いスーツとロングコートのワーキングスタイルに、鮮やかな赤いリボンがワンポイントになった、どこからどう見ても非の打ち所がないイケメンが映っていた。
「おおっ、赤くてかっこいいぞ! まさかこれを俺にくれるのか?」
「もちろん。喜んでくれてよかったよ」
「ありがとうアリス!」
「うんうん……って、ちょっと!?」
私からの贈り物に、クロウは大喜び……したまではよかったんだけど、クロウはそのまま私を思いっきりハグしてきた。
少し喜ばせすぎたかも……っ!
「ちょ、ちょっとクロウ……! ここ、まだ外だから……っ」
「大切にするからな……ありがとう」
「そ、そんな大げさな……けど、まあ……うん……」
正直、人前でのこれは死ぬほど恥ずかしかったけど。
それでも、私は彼の気が済むようにさせてあげた。
実は、少し前から気になっていたんだ。
クロウの首にある、契約の首輪。
彼はそれを私からの贈り物だって喜んでいるけど、本来の意味は彼を縛る鎖だ。
でもクロウは、私の奴隷じゃない。
彼とは、もっと対等な存在でいたかった。
だからなにか、鎖とは別の物を。
なにか、契約とは別の形で。
たとえそれが、私の勝手な願望だったとしても。
私とクロウが繋がっていることを、目に見えるなにかで示したかったんだ――
――――――
――――
――
「おいしい! うまい! やはりアリスは最高だ!」
「ふふ、久しぶりだったけど美味しくできたね」
その日の夜。
柔らかなオレンジ色のランプの下、焼き上げたプディングを二人で食べる。
実際に作ったのは私だけど、クロウも食器の準備とか、いろいろと手伝ってくれた。
「次は俺が作ってみてもいいか? 俺もアリスのようになりたいぞ!」
「あははっ。それなら、他の料理も教えてあげるよ。そのほうが私も楽だし」
「クックック……! ならばすぐに覚えてアリスに楽をさせてやろう。俺は利口だからな!」
「うん……そうだね」
テーブル越しのクロウが、私を見て嬉しそうに笑う。
その笑顔が、初めて会ったあの朝の笑顔と重なって、今日一日のことや、これまでのこと……いろんなことを思い出してしまった。
(やっぱり、私は……)
別に今、それ以上に特別な何かがあったわけじゃない。
ただいつもと同じように、二人で同じ時間を過ごしていただけ。
けどあの初めて会った朝からずっと。
私との約束を守り続けてくれた、この『誰よりも大切な同居人』の笑顔を見て。
必死にひねくれ続けてきた私も、溢れ出してきた想いを止めることができなかった。
(私は、これからもクロウと一緒にいたいんだ……)
今のこの気持ちが、世間で言う恋や愛なのかはわからなかった。
ただ二人で過ごした今日のような一日を、これからもずっと。
彼と一緒に、続けていきたい。
それはまるで、だだをこねる子供みたいに。
この夜、私は心の底からそう願い。
そう願う自分がいるということを、ついに認めた――。




