動き出す歯車
「今日は暑いな……脱いでいいか?」
「だめ」
霧と蒸気に沈む街、ロンドン。
だけど今日のロンドンは珍しく太陽の光が空から差し込み、立ち上る蒸気の隙間に青い空が覗いていた。
人の姿になっていても長毛種……というか、とても長くて綺麗な黒髪をなびかせているクロウは、基本的に暑いのは苦手のようだった。
「今日はこれから出かけるんだよ? 『首輪だけの全裸の変態』と街をうろつくなんて、私が魔女じゃなくても一発でアウトだよ」
「お出かけか! ならば服も我慢する! 偉いだろう!」
早めの朝食を終え、私が今日の予定を伝えると、クロウはまるでお散歩に出かけるワンコのように尻尾を振って立ち上がった。
「なら、まずはマーサ姉さんの工房に行こう。前に依頼した『白い羽』について、色々とわかったみたいだからね。その後は、適当に街で買い物かな」
姉さんから白い羽についての連絡があったのは数日前。
あの事件から一カ月以上が経って、私もあの羽のことなんてすっかり忘れかけた頃だった。
「工房と、買い物だな。何を買うのだ?」
「この前の飛行船で、帰ったらプディングを作ってあげるって約束したでしょ? 今日はその材料を探そうと思ってるんだ」
「な、なんだとッ!? まさか本当に作ってくれるのか!?」
「そうだけど……そんなに驚くなんて、君は私をなんだと思っているのかな?」
「くぅぅぅぅ……嬉しいぞ! やはりアリスは最高だ! ならばすぐに行こう! 今すぐに!」
「ふふ、そんなに慌てなくてもプディングは逃げたりしないよ」
散歩に喜ぶワンコの次は、お菓子に喜ぶ子供だね。
いつものように喜んで、いつものように大はしゃぎする。
そんな無邪気な同居人の姿に、いつの間にか私も自然と笑顔になっていた――
――――――
――――
――
「ヒーッヒッヒッヒ! よく来たねぇ! アンタも元気そうでなによりだよ色男!」
「やあ姉さん」
「邪魔するぞ!」
背丈ほどもある歯車がぐるぐる回り、白い蒸気を噴き出す機械が力強くピストンを繰り返す。
珍しく大型機械が稼働中の工房で、私とクロウは姉さんの出迎えを受けていた。
「それで、私の銃とステッキは?」
「そこに置いてあるのがそうさね。ついでに、アタシが発明した『新型』もおまけしてあるよ」
「新型?」
油と金属の匂いが充満した工房を奥に抜けて、目に付いた台の上をのぞき込む。
そこには姉さんの言うとおり、メンテナンスを終えてピカピカに磨き上げられた私の拳銃とウィッチステッキ。
そして銃身の下に金属製のロープの巻き枠が備わった、見慣れない形をした大型の銃が置いてあった。
「これは?」
「マーサ式『ワイヤーガン』さ。使いこなすにはちょいとコツがいるが、上手く扱えば狙った場所まで一瞬で移動できる。きっとアンタの役に立つはずだよ」
ワイヤーガンね……姉さんがそう言うなら、ありがたくもらっておくに越したことはない。
「それと、前に預かったあの羽のことだがね……おい色男、アンタもちょいとこっちに来な! アンタに聞きたいことがある!」
預けていた装備を受け取った私に、姉さんは例の白い羽の話題を切り出した。
でもどうしてクロウに?
「なんだ?」
姉さんに呼ばれてクロウがひょいと部屋に顔を出した……んだけど、なぜか彼の顔は『煤と油』でところどころ黒く汚れていた。
「ねえクロウ……どうして君の顔はそんなに汚れてるのかな? ほら、鼻にも油が付いてるじゃないか」
「クックック……! 向こうにある棒と歯車で遊んでいたのだ! ここには面白い物がいっぱいあるぞ!」
ち、ちびっ子すぎる……。
どうやらこの『お子様悪魔王』は、あのほんの少しの間に工房の機械をぺたぺた触っていたみたいだね……。
ため息をつきながら、私は取り出したハンカチーフでとりあえず鼻の汚れだけ拭いてあげた。
「ヒーーッヒッヒッヒ! なんだいなんだい、最初の頃に比べたらずいぶんと見せ付けてくれるようになったじゃないか? けどあまり刺激的なのは勘弁しておくれよ?」
「えっ? あ、いや……! これはただ、クロウが……!」
「アリスは俺が汚れていると、いつも拭いてくれるぞ!」
「ま、待って待って! いつもじゃない! いつもじゃないからっ!」
「ヒヒヒ! 結構なことじゃないか、あのアリスがここまでしおらしくなっちまうところを見れるなんて、やっぱり長生きはするもんだねぇ……!」
思わずいつもの癖で取った行動のせいで、姉さんに思いっきり茶化されてしまった……それもこれも、目を離すとすぐ汚れて帰ってくるクロウが悪い。間違いない。
「さて、それじゃあ早速本題といこうか。まず最初に言っておくがね……今から話すことは、絶対に他言無用だよ。特に教会の奴らには絶対にだ。いいね?」
「教会に……? なら、あの羽はなにか教会に関係があったってこと?」
「まだそうと決まったわけじゃない……だが、そうでも考えないと説明がつかないのさ」
言いながら、姉さんは何枚かの薄汚れたファイルと、そこに殴り書きされたデータの数値を私たちの前で広げた。
「結論から言う……あの羽は『魔力の塊』だ。それも、アタシら魔女や悪魔の扱う地獄の力じゃない。教会のエクソシストが扱う神力……つまり、『神の力』を帯びた羽なんだよ」
「え……?」
一瞬、理解が追いつかなかった。
それくらい、姉さんの説明は私の想像を超えていた。
「あの羽を見つけた時、アンタはあの羽から『魔力を感じなかった』はずだ。そしてそれはアタシもそうだった……だがアタシが作った魔力計測機だけは、それこそとんでもないレベルの魔力をこの羽から計測したんだよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ! そんなに凄い魔力があったのなら、私が気づかないわけないじゃないか!」
「だからさ。アタシの計測機は、このロンドンに存在する魔法的な力を全て測定できる。そしてアタシら魔女には扱えない。だが同じように奇跡を起こす力は、アタシが知る限りこの世界に一つしかない」
姉さんのその話に、私は心の底からゾッとしていた。
私たち魔女と悪魔が使う力は、どちらも地獄由来の魔力だ。
悪魔は地獄の魔力で生きているし、魔女は地獄から魔力を汲み上げて魔術を使う。
けど正教会のエクソシストは違う。
彼らは父なる神への信仰と祈りへの対価として、神から力を分け与えられている。
少なくとも私はそう教えられたし、教会だってそう信徒たちに説明している。
「ならあの時、あそこには教会の誰かがいたってこと!?」
「さあね……それによく考えてもご覧よ。いくら教会が熱心に神だ天使だって言っていても、教会のどこを探せば、『背中にこんな羽を生やした人間』がいるっていうんだい?」
「それは……」
姉さんの言うことはもっともだ。
目の前に置かれた白い羽は、私が拾った時とまったく同じ、少しの輝きと金属のような冷たさを宿したまま。
どれだけ見ても、それが作り物には思えなかった。
「私も長く生きてきたが、天使なんざ一度もお目にかかったことなんてない。そしてだからこそ……アンタに確認したいのさ、色男」
「ほう?」
「アンタは仮にも地獄で王と呼ばれていた大悪魔だ。アタシらは見たことがなくても、アンタならどこかで天使……いや、この白い羽を持つ『なにか』を見たことがあるんじゃないかと思ってね」
「ふーむ……」
姉さんの言葉にクロウはその白い羽をひょいとつまみ上げ、目の前でくるくると回すと、思い出すように少しだけ考えて口を開いた。
「一人いるぞ。いつも俺の周りをパタパタと飛んでいた、『白くて紅茶が好きな変な奴』だ」
「白くてお茶が好き? もしかしてそれって、前に私に話してくれた……」
思わず呟いた私に、クロウは白い歯を覗かせて嬉しそうに頷いた。
「ああ、そいつだ。奴の名前はラズセラフ……ラズセラフ・オールログ。俺にとって、地獄で一番長い付き合いだった男だ」




