二人で青空を
「おおおお! 見ろアリス、本当に空を飛んでいるぞ!」
異端審問局のキリアンと実業家貴族のアシュクロフト氏。
一晩で二人の来訪を迎えた夜から数日後。
スーツとドレスで精一杯に着飾った私とクロウは、窓ガラスから見える広大な『空の世界』にすっかり目を奪われていた。
「まさかあの小さいのが俺たちの家か? 俺が肉を買った店も見えるぞ!」
「むしろどうして君はこの距離で見えるの……あと迷惑になるからあまりはしゃがないようにね」
「わかった!」
ここは最新式の超大型飛行船、『クイーン・ヴィクトリア』の展望ラウンジ。
あの夜、大慌てで事務所にやってきたアシュクロフト氏の依頼が、この飛行船の護衛だ。
なんでもこの航路を飛ぶ船が立て続けに何者かに襲われ、高価な金品や財宝を奪われているらしい。
幸いなことに被害は金品だけで、怪我をしたり、行方不明になった人はまだいない。
けど船内や乗員乗客をどれだけ調べても奪われた品は見つからず、警察はこの事件を『悪魔によるもの』と断定。
そこでアシュクロフト氏は初動の遅い教会ではなく、前回の式典で三つの悪魔門を封じ、直近でロンドンタイムズに現れた大悪魔もボコボコにした私たちに依頼してきたんだ。
「ふん、ずいぶんと浮かれているようだな。そのような調子で、悪魔からこの船を守れると思っているのか?」
けどそんな私たちに、眉間に深い皺を寄せた銀髪オールバックのエクソシスト、キリアン司祭が声をかけてきた。
「これくらいは構わないでしょう? 私も彼も、ここまで豪華な船に乗るのは初めてなんですから」
「ほう、それは結構なことだ。我らイングランド正教会は清貧を是としている。異端の徒とはいえ、貴様の清き振る舞いを主は必ずや見ていらっしゃるだろう」
やれやれ……せっかくの空の旅だけど、こんな『動く礼拝堂』みたいなのが一緒じゃ素直に楽しめないね。
私だって一応正教会の信徒だけど、守るべき教義なんて気にかけて生きてないからね。
「お前は俺の監視をすると言っていたな。それで、お前は俺がどうすれば満足なのだ?」
「はうっ……! おのれ悪魔め……馴れ馴れしくも、そのように親しげに話しかけてくるとは。その悪魔的な美貌で私を籠絡するつもりだろうがそうはいかんぞぉぉぉぉおおッ!」
クロウに声をかけられたキリアンは、真っ赤になってそっぽを向いてしまった。なんなのその乙女な反応は……。
「い、いいかよく聞け! 私は貴様が本当に人を襲わず、魔女に忠実であるかを確かめねばならんのだ! そのために貴様の身も心も、全てをくまなく見つめて……いや待て、決して変な意味ではないからなッ!?」
「変なのはお前だ」
「完全に同意だね」
ま、まあ……なんだか色々とアウトな気がするけど、正直彼が同行してくれたのは心強い。
この船は他の飛行船よりずっと大きいし、乗船人数も数百人を超えている。
そんな大型船で悪魔と戦うことになれば、私たちだけで守り切るのは厳しいからね。
「だが飛行船にも悪魔が現れるとは……ここ最近の悪魔の数は、数年前とは比べものにならん」
「同感ですね。地獄門の増加について、教会は何か掴んでいないんですか?」
「残念だが私は知らん。我が師クラインバッハも、寝る間を惜しんで調査を続けていらっしゃるのだが……」
クラインバッハか……。
忌々しいけど、あの男の実力と神への忠誠心は本物だ。
実際に上流から貧民まで、クラインバッハを悪く言う人間はほとんどいない。
そのクラインバッハでもまだ掴んでいないなら、教会側も打つ手はなしってことか。
「わかりました。なら私たちは、ひとまずせっかくの空の旅を楽しむことにしますよ。行こうか、クロウ」
「うむ! 楽しみだ!」
「ふん……好きにしろ。だが少しでも妙な真似をしたら、その時は覚悟しておけ!」
――――――
――――
――
「ここが甲板か! 素晴らしい景色だが、空と雲しか見えないぞ!」
「へぇ、こんなところもあるんだね」
細い階段を上って、鉄製の扉を押し上げた先。
そこは開放された船の甲板で、真鍮製の柵の向こうには見渡す限りの雲海が広がっていた。
このクイーン・ヴィクトリア号は、ロンドンとフランスのパリを結ぶ長距離線だ。
本当なら四時間もあればパリに到着するところ、あえて速度を落として半日の旅程に伸ばしている。
だから船内には富裕層向けの娯楽施設がいくつもあって、その数は一回の乗船では回りきれないほどだった。
「すごいぞアリス! 空が青い! 地獄の空は赤かった!」
「確かに、ロンドンの青空はこんなに綺麗じゃなかったからね……けどちょっとここは風が強すぎないかな? それに凄く寒いんだけど……!」
どこを見ても広がる白い雲の海と、その上に広がる青い空。
間違いなく感動ものの景色なんだけど、とにかく風が強くて、私が着ている薄手のドレスだとかなり寒かった。でも――
「大丈夫か?」
「あっと……」
けどそんな私を、クロウは優しく抱き寄せて風が当たらないようにしてくれた。
壁みたいに広い彼の体に包まれて、あんなに寒かったはずなのに……私の体はあっという間に温かく、むしろ暑いくらいになってしまった。
「ご、ごめん……じゃあ、せっかくだけど降りようか」
「そうだな。アリスがまた風邪でもひいたら大変だ」
「うん……ありがとう……」
――――――
――――
――
その後も、私たちは船の中を回りながら楽しい一時を過ごした。
「凄いぞアリス! 人形がワインを運んでいる!」
「あれは自動人形かな? 昔はもっと大きかったのに、最近はここまで人に近い姿になったんだね」
途中に立ち寄ったパブでは人間の給仕の代わりに石炭で動く自動人形が働いていて、簡単な注文や支払いをこなす姿にクロウと一緒に驚いたりした。
「なあアリス、この音楽を聴いていたら眠くなってきた。寝てもいいか?」
「好きにしなよ。でも静かにするんだよ」
「うむ……すやー……すぴー……むにゃむにゃ……」
「ふふ……」
パブの後には、船内のホールで有名な作曲者のコンサートを見た。
私はとても楽しんだけど、クロウには少し退屈だったみたいだね。
「うまい! この甘い食い物はなんだ?」
「それはプディングだよ。そういえば、最近はあまりデザートを作っていなかったね」
そして少し日が傾き始めた夕方。
船内のレストランで、クロウは最後に食べたデザートに大喜びしていた。
「作ってなかっただと? まさか、アリスは作ろうと思えばこれも作れるのか!?」
「同じ物は無理だけど、作れるよ。今度作ってあげようか?」
「ぐおお……! やはりアリスは最高だ!!」
いくらなんでも喜びすぎだとは思うけど。
無邪気に笑うクロウを見たら、私も悪い気はしない。
今だって、もう頭の中でプディングの材料を確認し始めているし。
食べてこれなら、私が作ってあげたらどれくらい喜んでくれるんだろうとか……そんなことを考えて、楽しみに思っている自分がいた。
クロウと出会ってから数カ月。
彼との距離は心理的にも、肉体的にも縮まってきていて、私もなんだか――
「――あの、一つ聞いてもいいか?」
「うお!?」
「うひゃあ!?」
けどその瞬間。
夢とも妄想ともつかないピンク色の物思いにふけっていた私を、突然『テーブルの下から生えてきた』キリアンが一瞬で現実に引き戻した。
「な、なな……なんなんですいきなり!?」
「何なんですじゃないが……私は貴様らを監視すると言っただろう。だから宣言どおり、朝からずっと貴様らを見ていたのだぞ」
き、気づかなかった……。
この私としたことが、あまりにもクロウと一緒に船を回るのが楽しくて、この人のことなんて完全に忘れていた。
「えーっと……なら、私たちに聞きたいことっていうのは?」
「ああ、その……もしかして貴様ら、付き合っているのか?」
「うえっ!?」
つ、付き合ってるだって!?
誰が!?
誰と!?
あまりにも唐突すぎるキリアンの言葉に、私は思考停止状態に追い込まれる。
「ほう、それは俺とアリスがつがいということか? ならばそのとおりだ!」
「つ、つがい……だと!? なんと破廉恥なッッ!」
「ちょっ!? クロウ!」
よりにもよってこんな時にそんなことを宣言するクロウに、私は大慌てで否定の言葉を発しようとした。
だけど、その時――
『誰か、誰か来てくれ! 悪魔だ! 悪魔が儂の部屋を荒らしていきおった! ええい、誰かおらんのか!?』




