光の使者
「どうぞ」
「いただこう」
滲むガス灯の光と、蒸気の海に沈むロンドンの夜。
かなりいい雰囲気……じゃなくて、色々と大変だった私たちのところにやってきたのは、白い法衣に『身長より大きな十字架』を背負い、煌めく銀髪をオールバックにまとめた銀瞳の青年だった。
「それで? こんな夜更けに異端審問局が何の用です?」
「この期に及んで何の用か……だと? ならば、まずは自らの胸に問うてみるがいい。異端の魔女とはいえ、まだ己の罪を自覚する一欠片の良心くらいは残っているだろう」
おっと……これはまた『強烈』なのが来たね。
「そう言われても、私にはさっぱり」
「哀れな……すでに道を外れた罪人には、大いなる主の愛すら届かないというわけか。せっかくこの私が懺悔の機会を与えてやったというのに……ああ、だがこの茶は大変美味だった。礼を言う」
私への嫌悪を隠しもせず、けど私の出したお茶は美味しそうに飲み干した青年……恐らく、法衣の装飾から司祭……は、胸の前で十字を切って堂々と哀れみと感謝の言葉を口にした。
「私は異端審問局、高位階祓魔司祭のキリアン・クロイツだ。私設魔女アリス・ベル……今宵、私は貴様にかけられた嫌疑の真偽を確かめるために来た」
キリアン・クロイツと名乗ったエクソシストは、鋭い銀色の眼光を私に向け、自分の正義に一つの疑いもない様子で言い切った。
「嫌疑だって?」
「そうだ。先日、貴様が解決したというロンドンタイムズの事件はわかるな? あの件については私も大変感謝している。人に擬態し、社会に溶け込む悪魔など断じて許容しがたき所業! ……そうだな?」
「え、ええ……まあ」
「だがあろうことか、貴様は『それと同様のこと』をしている。哀れな子羊たちの目は騙せても、我々正教会の目は騙せはしないぞ」
……なるほど、そういうことか。
どうやらあの一件で、ついにクロウが私の使い魔……つまり『悪魔を街中で連れ回している』ことがバレたらしい。
当然だけど、教会もエクソシストも馬鹿じゃない。
見る人が見れば、あの記事だけで気付かれることもあるだろう。けどね――
「もしそうだったとして、司祭の仰る嫌疑についてはやはりわかりませんね。私は特に、正教会の教義に反したと考えてはいませんから」
「まだシラを切るつもりか? 貴様が悪魔をしもべとして使役していることはわかっている。神の御名の下に、今すぐその悪魔を引き渡せ」
ほら、やっぱりね。
けどもちろん、大人しくクロウを渡すつもりなんてない。
「お断りします。私たち魔女にとって、悪魔を使役することは『当たり前のこと』です。そして貴方たち正教会は、すでにそれも含めて魔女による悪魔討伐を許可し、戦力として黙認しているはず。今さら『使い魔ごとき』でどうこう言われる筋合いはありませんね」
ここは変に言い繕うより、開き直るくらいでちょうどいい。
そもそも、今言ったことは嘘でもなんでもない事実だしね。
「先月の事件も、首謀者は伯爵の爵位を持つ強力な悪魔でした。それをあの程度の被害で討伐できたのは、私の使い魔が戦ってくれたおかげです」
「ふざけるな! そんなもの、いつ貴様の手を離れて暴れ出すかわからん。大体、伯爵級を屠るほどの強大な悪魔が危険ではないという保証がどこにある!?」
それはごもっとも。
やる気と正義感だけの堅物なら適当にあしらえたけど、どうもこの司祭はそれなりに『わかっている』手合いらしい。
「……わかりました。ならご自身の目で確かめてはいかがですか? クロウ、ちょっとこっちに来てもらってもいいかい?」
「いいぞ」
そう声をかけると、別室のドアを開けてクロウが部屋に入ってくる。
相手が相手だから、彼には警戒して外で待機してもらっていたんだ。
「は……? え……っ!? お、おい貴様! 本当にこの男が悪魔だというのか!? 私を騙そうとしているのではあるまいな!?」
「は? いえ、彼が私の使い魔ですけど……」
「ば、馬鹿な……そんなことが……!(あ、あまりにも美しすぎる……! 磨き上げられた黒曜石のように輝く黒髪! 黄金よりも美しく太陽よりも眩しい金色の瞳! そしてどうだあの鍛え抜かれた野生の獣のような、どんな彫刻よりも見事な肉体は!? これではまるで神が造りたもうた究極の美の化身……! な、なんだ……? この私の胸の高鳴りは!?)」
ん……?
んんんん?
この人、小声な上にもの凄い早口で今とんでもないことを言わなかった?
私の気のせいかな?
部屋に入ってきたクロウを見るなり、なぜかキリアンは一瞬で茹でロブスターみたいに赤面してしまった。
まあ確かに、最近はクロウが外を歩くだけで老若男女問わず何人も失神してるし、初対面の人がこうなるのも仕方ないのかもしれない。
「俺はクロウゼル・エルドブレイズ。アリスのつが――」
「はいそこまで。では今から、彼がいかに安全で人畜無害かをお見せしましょう」
「じー…………えっ? あ……う、うむ。頼む」
その青白い頬を真っ赤に染めたキリアンは、何度も深呼吸して息を整える。
そしてようやく元どおりの、眉間に深い皺を寄せた険しい表情でクロウをじっと見つめた。
「クロウ、お手」
「ほい」
「伏せ」
「ほむ」
「お回り」
「クックック……!」
まあこんな感じで、とりあえずクロウがちゃんと私の言うことを聞くところを実演して見せる。
「どうです? ご覧のとおり彼は私に大人しく従ってくれますし、今では近隣の住民とも良好な関係を築いています。危険なことは何もないと思いますが」
「そうだぞ。最近は一人で買い物もできるようになったのだ!」
私に人前で褒められたのが嬉しかったのか、クロウは凄くいい笑顔でお尻の尻尾も全力でふりふりしている。
いつもなら隠すところだけど、この人にはバレてるんだからその必要はないかな。
「そ、そうか……確かに、貴様の言うことは聞くようだな。だが悪魔が犬の芸真似をした程度で私は騙されん! 我が師クラインバッハも、悪魔の外見に騙されてはならぬと常々仰っていた!(な、なんだあの健気で愛くるしいモフモフ尻尾は……!? まさに悪魔的にキュートではないか! ああ、神よ……! 私に彼を全力でモフるお許しを……!)」
さっきから変だなこの人……。
しかもクラインバッハの弟子なんだ……最悪。
なぜか一人で頭を抱えて悶え苦しむ彼に、私は思わず肩をすくめる。
ただまあ、とりあえず今夜はこのくらいで帰ってもらって――
『失礼! 夜分遅くにご容赦願いたい! 以前ロンドン地下鉄の式典護衛を依頼した、アッシュ商会のジュリアン・アシュクロフトです! 私設魔女のアリス・ベル嬢に、急ぎの依頼をお願いしたく参りました!』
「客? だが、なぜ我々教会ではなく魔女などに……」
「アッシュ商会……実業家のアシュクロフト氏か」
「前に来た『片眼鏡男』だな。俺も覚えているぞ!」
やれやれ、ずいぶんと来客の多い夜だ。
私はクロウと目配せすると、キリアンに向き直る。
「どうやら私への依頼のようです。私はこのままここで話を聞こうと思いますが、司祭はどうされますか?」
「無論、同席させてもらう。異端審問局のエクソシストとして、もしも悪魔が関わる事件ならば放っておくわけにはいかない。それに――」
「どうしました?」
私の言葉に同意しつつ、彼は大きく深呼吸してから熱っぽい瞳でクロウを見た。
「その使い魔が本当に無害なのかどうか、私は監視する必要がある。その依頼とやらに私が同行すれば、貴様らもいちいち他の者に説明する手間が省けるだろう」
監視ね……。
厄介ではあるけど、確かに後で面倒になるくらいならここで『教会の追認』は取っておいた方がいいだろう。
「わかりました。ではこちらでお待ちください、依頼人を連れてきます。ほら、行くよクロウ」
「うむ!」
最後にそう言って、私はクロウを連れて部屋を出た。
「はぁ……」
部屋を出るなり、思わずため息が漏れる。
あのエクソシストの前では強気に対応したけれど……本当は、それなりに焦っていたんだ。
「どうした?」
「……なんでもないよ、ばか」
私の横顔を心配そうにのぞき込むクロウに、思わずそんな言葉が漏れる。
まったく君は、こっちの気も知らないんだから。
(今さら君がいなくなるかもなんて、考えられるわけないだろ……)
心の中でそう呟いて。
私は隣を歩くクロウの服の裾をそっと、つまむようにして握った――。




