迷宮入りの愛
『私はロンドンの全てを手に入れる! そのために悪魔すら利用し、ここまでのし上がってきたのです! それが叶わぬと言うのなら、貴方たちも地獄への道連れにして差し上げましょう!』
導火線に火のついたダイナマイトを満載し、速度を上げてトラックが迫る。
そしてそのトラックの座席から、血走った目のボスが大声で叫んだ。
たしかに、虎の子の蒸気甲冑も伝説の殺し屋も大勢の部下も失った今、あのボスがロンドンの裏社会で組織を再建できるとは思えない。
むしろ落ち目になった彼を、これまで足蹴にしてきた大勢の同業者が八つ裂きにするだろう。どちらにしろ、彼の破滅は確定している。
「やば……! 私は平気だけど、お店は滅茶苦茶になっちゃう!」
「ヴィオは下がって! ここは私が――!」
瞬間、私は即座にトラックめがけて拳銃を構えた。
結界魔術で店を守るには、あのトラックを私の魔法でなんとかする必要がある。だけど――
「くっ……!」
駄目だ、間に合わない。
鬼気迫るトラックとボスの不安定な運転は、予想以上に狙いを定め辛かった。
「……いや。大丈夫だ」
「えっ……?」
でもその時。
私の横に立っていたクロウは、構えもせずにそう呟いたんだ。
『死ね! 私の邪魔をする者は、全て消え去ってしまえ! アハハハハハーー!!』
爆発。
そして閃光。
目もくらむような光と、耳をつんざく爆音が辺り一帯に轟く。
私は防御結界も張れず、本当なら無防備に爆発に飲み込まれるはずだった。なのに――
「あれは……」
「うそでしょ……?」
この一角全てを吹き飛ばすはずの爆発は、ただ光と音を発しただけだった。
後には爆薬のあった荷台だけが消し飛んだトラックと、その座席で泡を吹いて気絶するボス。
そしてパブの前に静かに浮かぶ、あの『悪魔の腕』だったんだ。
「あの腕……私たちを守ってくれたの?」
「もしくはあの店を……かな。一族に代々伝わる守り神……まさか、店を吹っ飛ばそうとしたボスまで助けるなんてね……」
ぼんやりと光りながら浮かぶ、禍々しい悪魔の腕。
それは異様で恐ろしい光景のはずなのに……不思議な神々しさを感じさせた。
「……久しぶりだな」
驚く私たちの前で、クロウがつかつかとその腕に歩み寄る。
そして久々に会った友達を見るように、懐かしそうに目を細めた。
「ああ、俺は楽しくやっている。お前がここに来たがっていた理由も、よくわかった」
「悪魔の腕が……」
気付けば、クロウが語りかける悪魔の腕は少しずつその輪郭を失い始めていた。
きっと、さっきの爆発から店を守ったのが最後の力だったんだろう。
「お前は凄いやつだ……また会おう」
『……』
最後、その腕が完全に消える直前。
私の耳にも、『誰かの嬉しそうな声』が聞こえた気がした。
黒い腕が光になって、蒸気に曇るロンドンの夜空に溶けて消えていく。
クロウはそれを嬉しそうに見上げて、私とヴィオはただ見ていることしかできなかった。
「あ……」
けど最後の一瞬。
ほんの一瞬だけ。
蒸気と煙で滲むガス灯の光の向こうに、遠く古い時代の服を着た優しそうな青年と、彼に寄り添う可愛らしい女性の姿が見えた気がした――
――――――
――――
――
「ごきゅ、ごきゅ、ごきゅ……ぷはーー! うんまーいっ!」
「今日もよく飲むね……」
濃密な煙草の煙が漂い、明らかに過剰な数のガス灯が室内を照らす。
辺りには香ばしくローストされた肉の香りと、モルトビネガーの香り。
どこかデジャビュを感じるその景色こそ、私たちが戦い、そしてあの悪魔が守った……歴史あるパブの日常だった。
「固いこと言わないでよー。お店を守った報酬は飲み放題に食べ放題! 使わない手はないわ!」
「だからって、ほどほどにしておかないとマスターが破産しちゃうだろう? 自分たちで守った店を自分たちで潰すなんて、笑い話にもならないよ」
「はーい!」
結局、あの悪魔の腕は消えてしまった。
けどそれを伝えたマスターは悲しむどころか、まるで全てを理解しているみたいに納得してくれた。
『これからは、自分たちの力で店を守っていきます。それに私たちの守り神は、この先もずっと見守ってくれているでしょうから……』
あの腕の力で命拾いしたボスは逮捕。
リッパーズグレイも壊滅して、悪魔素材の非合法ルートにも警察の捜査が入るだろう。
けどその時、もしこのパブが本当に悪魔の腕を隠し持っているってバレれば、あらぬ容疑をかけられる可能性もあった。
そう考えると……もしかしたらあの悪魔は、これ以上この店の人たちに迷惑をかけないようにしたのかもしれないね。
「でもでも、アリスもほんっとーに水くさいじゃない! まさかクロウさんがあく――」
「そこまで! ここでその話はなしだよ」
「ごめーん! でもそっかぁ……ショックだけど、うーん……クロウさん、すっごくかっこいいし、そこらへんの男よりずーっと優しいし……全然アリだと思う!」
あの後、ヴィオにはクロウが悪魔だと打ち明けた。
元々魔女が悪魔を従えることは周知の事実だけど、実際に世間に知られればどんな悪評を立てられるかわからない。
だからここまで隠していたんだけど、話を聞いたヴィオは『三分くらい悩んでから』、すんなり受け入れてくれた。
「あのあの……っ! やっぱり、クロウさんってアリスが好き……なんですか?」
「好きだぞ」
「あう……なら、クロウさんはアリスが好きだから使い魔になったんですか?」
「つがいだぞ」
「はうぅぅぅう……やっぱり、私が割って入る隙とか少しもなさそう……」
「あのね……私の助手にあまり変なことを聞かないでもらえるかな……」
悪魔でも人間でも、ヴィオのイケメン好きは変わらないらしい。
勝手にショックを受けて肩を落としたヴィオは、やけになったみたいにジョッキの黒ビールを一気に飲み干した。
「なら決めたっ! 私も人間ばっかりに目を向けてないで、人間以外でもイケメン探してみる! それで、どうすればイケメンの悪魔って拾えるの?」
「どうして私に聞くのかな……」
「だってだって、アリスはそれでクロウさんを引いてるじゃない! 私も引きたーい! クロウさん引きたーい! えーん!」
「フハハハハ! 諦めろ、なぜなら俺は一人しかいない! 王は一点物なのだ!」
「びえーん!」
はぁ……これは完全に酔ってるね。
クロウも一点物なんて言葉どこで覚えてきたの……。
私はやれやれと首を振って、ふと視線を店のカウンターに。
そしてそこで和やかに接客をするマスターをじっと見つめた。
「でももしかしたら、マスターの一族は……」
人と悪魔の恋。
命を落とした後も、何百年も守り続けた悪魔の想い。
そして、最後に見た仲睦まじい二人の姿。
そう考えると、やっぱりマスターには『悪魔の血』が――
「――いや、やめておこう」
「どうした?」
思わず深い思索にふけっていた私は、ふうと息を吐いて薄く笑う。
「謎は謎のままの方が美しいこともある。私ともあろうものが、実に野暮な詮索をしてしまうところだったと思ってね」
本当に大切なことは、あの悪魔がマスターやそのご家族を守り続けていたことだ。
実際の過去に何があったかなんて、今を生きる私たちが考えても仕方ないことなんだろう。
(それに、もしかしたら私も――)
いつもと同じ、うるさいほどの喧噪と眩しいくらいのガス灯の光。
仕事終わりの労働者たちの笑い声が響くパブの一角。
その中で嬉しそうに今を楽しむクロウの横顔を見つめながら。
私はふと浮かんでしまった考えを誤魔化すように、グラスに注がれたエールを柄にもなくあおった――。




