黒ビールと親友と
「ごきゅ、ごきゅ、ごきゅ……ぷはーー! うんまーいっ!」
「相変わらず豪快な飲みっぷりだね……」
濃密な煙草の煙が漂い、明らかに過剰な数のガス灯が室内を照らす。
辺りには香ばしくローストされた肉の香りと、むせかえるほどのモルトビネガーの香りが充満して、気を抜くと咳き込みそうなくらいだ。
ガス灯の光はずらりと並べられた鏡に乱反射して眩しさを増し、賑やかに談笑する労働者や、仕事帰りの紳士淑女の横顔を色鮮やかに照らしていた。
「なになにー? さっきから私ばっかり飲んで、アリスは全然飲んでないじゃない!」
「私は君みたいにお酒に強くないからね。ほどほどにさせてもらうよ」
ロンドンタイムズの事件からしばらくして。
ここはテムズ川沿いにある大衆向けパブ、H&B。
そして私の横で幸せそうにぬるい黒ビールをジョッキで飲み干すのは、栄えある王立騎士団の師団長にして、私の親友のヴァイオレット・イングラムだ。
今夜、どうして私が彼女に付き合ってこんな場所にいるのかというと――
「ここが噂に聞くパブとかいう店か。ピカピカで楽しい場所だ!」
「クロウさんはパブに来るの初めてなんですねっ。よかったらこっちのフィッシュアンドチップスもどうぞ。このお店の人気メニューで、とってもおいしいですよっ!」
「ほう、いただこう!」
ヴィオは店に入るなりすぐさまクロウの隣の席をキープして、後はずっとこんな調子で色々と世話を焼いている。
まあつまるところ、私はクロウと飲むためのダシにされたってわけ。
「ごきゅ、ごきゅ……! むふふー、やっぱり『イケメンをつまみにして飲むビール』ってさいっこー! ひゅーひゅー!」
「あのね、ヴィオ……私は君を大切な友達だと思っているけど、さすがにそういうのはどうかと思うよ……」
「まーまー、そう固いこと言わないでよ。私も最近は悪魔だらけで忙しくてさ。たまにはこんなご褒美があってもいいと思わない?」
「はぁ……」
空になったビールジョッキを高々と掲げ、『イケメンさいこー!』なんて叫ぶヴィオの姿に、私は眉間を押さえて首を振る。
「もぐもぐ、うまうま」
「まったく……クロウも、口の周りに色々ついてるじゃないか。ほら、じっとして」
「むぐぐ……」
私はクロウの前に並ぶ明らかに多すぎる料理をヴィオに突き返すと、彼の口の周りについた食べかすをハンカチーフでごしごしと拭いてあげた。
「あーあ、アリスはいいよね……こんなにイケメンでかっこよくて声も良くて優しくてイケメンでイケメンでイケメンで声もよくて優しくて、おまけに凄いイケメンなクロウさんと一緒の家で暮らしてるなんてさー」
「うん、今夜の君は大分酔っているね。イケメンがゲシュタルト崩壊してるよ」
本当に、ヴィオはこれさえなければ騎士としても有能で、いつも明るく誰にでも優しい完璧な友人なんだけど。
「こんなの全然よゆーよゆー! それに私も、羨ましいとは思うけど別にアリスからクロウさんを取るつもりなんてないから。そこは安心して!」
「はぁっ!?」
少し落ち着いたかと思ったのも束の間。
ヴィオはことさら真面目な顔で、またわけのわからないことを言い出した。
「アリスは私の一番大切な友達だもん。それに今だって、クロウさんのお口を優しく『ふきふき』してあげたりしてさ、なんか最初の頃よりずっとラブラブって感じ……ムキィィーーーー! アリスのくせに見せつけてくれるじゃないっ! ぐぅやぁじぃーー!」
叫びながら、ヴィオはさっきまでクロウの口を拭いていた私のハンカチーフにビシッと指さす。
いや、今のアレはそういうのじゃなくてだね――
「ありがとうアリス。やはり俺はアリスがいないとだめだめだな……」
うるさい。
君は少し黙ってて。
「いや、これは『飼い主』としての最低限のマナーというか……前にも言ったけど、私とクロウはただの仕事上の――」
「あーあ……ちょっと前まで一緒にブラスゲートを走り回って遊んでたのに。いつの間にかアリスは私を置いて、大人なイチャラブ世界に飛んで行っちゃったんだね……」
「そんな世界見たこともないし、飛んで行った記憶もないよ……」
大体、そんな破廉恥な場所は君のピンク色の脳内にしか存在しないからね。
身も心も清廉潔白な私にはこれからも縁遠い話さ。うん。
「えー? でもアリスって、子供の頃は強くてかっこいい『モフモフワンコの王子様と結婚するー!』って泣いてたじゃない。たしか、アリスの大好きな絵本に書いてあったよね?」
「なぁ――っ!? な、ないないないない! そんなことないっっ! そんな絵本知らないしそんなこと一言も言ってない!! 言ってないし泣いてないから!!」
どうしてそんな昔のことを覚えてるのこの酔っ払いは!?
妙な話の流れからとんでもないことを言い出したヴィオに、私は身を乗り出して全力で否定しにかかる。
「強くてかっこいいモフモフワンコだと!? もしやそれは俺のことではないのか!?」
「あの時は確か、『絵本の中の王子様とは結婚できない』ってアリスのママに言われて、それで泣いちゃって……」
「な、なんということだ……! ちびっ子アリス……あまりにもかわいすぎるだろう!?」
「ぐぎぎ……っ! できることなら、今すぐ君を名誉毀損で訴えたいところだよ……!」
たしかに、私は子供の頃からモフモフした生き物が大好きだった。
その原因になったのが、ヴィオの言っている絵本だっていうのも……正解だ。
だから今も私の枕元には母さんが私のために作ってくれた、モフモフワンコのぬいぐるみがある。
クロウが来てからは恥ずかしくてしてないけど、一人だった頃は毎晩そのぬいぐるみと一緒に寝ていたくらいさ、はは……。
「でもだからって、人の恥ずかしい過去を許可もなく暴露しないでもらえるかなっ!?」
「あはは、ごめんごめーん!」
「よしアリス、ならば今すぐ強くてかっこいいモフモフワンコの俺とけっこ――」
「だ、だからそういうのじゃないって――!」
『おい店主! 邪魔するぞ!』
けどその時だった。
バンッ!とパブの木製のドアが突然乱暴に開け放たれて、賑やかな喧噪が水を打ったように静まりかえる。
『おーおー、今日も儲かってるみてえじゃねぇか? ああ!?』
『なに見てんだてめぇら? 見せもんじゃねぇぞ!』
そしてヴィオの胸ぐらを掴んでぶんぶんと前後に振っていた私の耳に、華やかなパブには似つかわしくない、えらくドスの利いた声が響いたんだ――。




