欲望の星 現実の牙
『久しいな、悪魔王』
目障りなほどにうるさいビルの外観とは打って変わり、内側にははっきりと死と終わりを感じさせる静寂の闇が横たわっていた。
そこから現れた一人の悪魔は、ひしゃげたティムのメガネをくるくると回し、赤い瞳をらんらんと輝かせながらそう言った。
「クク……こうして会うのは数千年ぶりか? あの時の俺は貴様に触れることもできなかったが、今は――」
「で? 誰だお前は?」
「ッッ……!?」
「俺はお前のような雑魚に用はない。そんなことより、さっさとティムを返せ。そうすれば一瞬で消してやる」
私を庇うように片腕を上げ、クロウが前に出る。
口調はいつもどおりだけど……私にはわかる。
クロウは、怒っている。
のぞき込むように横を見れば、そこにはどんな星よりも強く輝くクロウの金色の瞳があった。
目の前の悪魔を射抜くクロウの眼光は、並の人間ならそれだけで心停止しそうなほどに鋭かった。
「ク、クク……! アーッハッハッハ! そうかそうか、流石は悪魔王。このアール・ガゼット・ノートすら記憶するに値しないというのだな!? あはははは! 実に、実に滑稽な話じゃないか!」
「うるさい奴だ。ティムを渡す気がないのなら、死ね」
「ククク……! さて、そう簡単にいくかな? 貴様が俺を覚えていないというのなら、今度こそ記憶させてやろう。貴様の死をもってな!!」
「来る――!」
瞬間、目の前の青年の姿がまるで紙束をめくるようにバラバラと崩れる。
「俺の肉体を構成する紙片は、今やその全てにこの場所で収集した人間共の生き様が書き記されている。他者の堕落・不幸・悲劇・妬み・欲望……人間共が好むあらゆる情報が、俺をはるかに強くしたのだ!」
崩れた何千枚もの頁はそれぞれが突風に乗って室内に舞い散り、その全てからガゼットの不気味な声が響いた。
「安心するがいい悪魔王。貴様らが探す『あの能無し』はまだ生かしてある。奴にはまだ聞かねばならんことがあるからな」
「ほう、安心したぞ」
「君の狙いは? ティムが本当にただの能無しなら、わざわざこんな強行手段に出なくてもよかったはずだ。一体彼が何をしたっていうんだい?」
聞きながら、私は腰のホルスターからウィッチステッキを抜き放ち、ステッキから伝わる魔力の反響でビルの構造を探る。
さらに片手で空中に五芒星を描いて術式を発動。
私たちの周囲に燃えさかる炎の渦が生まれ、舞い踊るページの何枚かが瞬時に灰になった。
「真鍮の魔女……噂通り抜け目のない小娘だ。どうせ貴様も見当はついていたんだろう? 奴はこのロンドンで、貴様ら『魔女の側』についた。それは到底許されることではない。違うか?」
「ハッ! 悪魔のくせに、まるでどこぞの『異端審問官』みたいな台詞を吐くじゃないか。まさか教会と同じで、君たち悪魔にとっても『魔女は大敵』だとでも言うつもりかい?」
「『大敵』だろう? 違うのか? 悪魔狩りの魔女――ッ!」
辺りの大気が一斉に震える。
同時に、それまでただ周囲を取り囲んでいただけの無数の頁が一斉に並列。
鋭く巨大な刃となって、私とクロウに神速の斬撃を振るう。
「ハハハ! この俺が聞かれれば答える愚か者だとでも思ったか? 俺から情報を引き出したければ、我が肉体を読むのだな!」
「あっそう……なら、そうさせてもらおうかな!」
「下がれアリス。『しばらくは』俺がやろう」
さすがにどこぞの男爵ほど、ペラペラ喋ってはくれないか。
肩を竦ませる私を庇い、迫るガゼットの斬撃の前にクロウが出る。けど――
「おまたせ……エレベーター、遅いからきらい……ぴえん……」
「『伯爵ごとき』が、いい気にならないでもらえるかしら!」
部屋のドアが真っ二つになって吹っ飛び、サーベルを構えたミルトと、ミルトの姿をした十人以上のナイアが一斉に雪崩れ込んでくる。
「ミルト!」
「なにこれ……? 紙? なんだか、斬っても楽しくない……血も出ないし……つまんない……えい、えい……」
現れるなり、ミルトは私とクロウに迫っていた紙の大剣を一閃のもとに両断、無力化。
同時にナイア達も次々と舞い散る頁を切り裂いていく。
「『王に侯爵』か……かつての俺なら立ち合うことすら出来ずにひれ伏していただろう相手だが、今は違う! 俺はこの地上で無数の真偽を操り、あらゆる人間共の欲望を取り込んできた! 『まだ時ではない』が……このガゼット、眼前の復讐を逃すつもりはない!」
まだ、だって?
こいつ、何を言ってる?
けど疑問に思う私の前で、ミルトとナイアの乱入を見たガゼットの魔力がさらに上がる。
紙片がもう一度一カ所に集まり、それはやがて巨大な人型に。
オフィスの高い天井をさらに砕いて突き破り、膨張し続ける巨体はついにビルの屋上にまで到達。
贅の限りを尽くしたロンドンタイムズの本社ビルは、その上階部分に『紙の巨人』を生やした異形の魔城へと変貌してしまった。
「わー……おっきなおにんぎょうさん……あれなら、斬ったら楽しそう。うふふ……」
「なによ、ただ大きくなっただけでしょ」
「巨大化は負ける側の最終手段だって、『東洋の画集』で見たことがあるよ」
「クックック……ただ大きくなっただけではないぞ」
半壊したビルの上。
なんとか瓦礫から飛び出した私達の前で、ガゼットはその巨体を誇らしげに広げる。
「万を越える人間共の欲望を取り込んだ今の俺は、あらゆる人間の願いと妄想を具現化することができる! 見るがいい、我が力を!」
ガゼットがその太い腕を夜空に掲げる。
するとどうだろう、夜の闇に小さな光が見えてきて、それはやがてはっきりと……どんどんと大きな火の玉になって、まっすぐこっちに向かってくる。
「もしかしてあれ……隕石!?」
「わー……きれーい……」
「アーーーッハッハッハ! そのとおりだ! ある日突然夜空より星が墜ち、ロンドンの全てを焼き尽くす……実に人間らしい、くだらない妄想じゃないか! 貴様らは、守るべき人間の妄想に焼かれて死ぬのだ!」
無数の人の欲望を取り込み、どんな妄想も具現化できると語るガゼット。
実際、本当に隕石を降らせるなんて神様みたいな力だ。けどね――!
「これでよしと……お待たせ、クロウ。『ティムの安全』は確保したよ」
「流石だな、アリス。助かった」
「なんだと……? 何をしている? あの星が落ちれば、この街の全ては一瞬で消し飛ぶ! 貴様らは俺が生みだした星の炎に潰されて死ぬんだぞ!? 恐ろしくはないのか!?」
まるでもう終わったとばかりに頷き合う私たちに、ガゼットはその大きな体を震わせて動揺を露わにした。
まあ、実際にもう終わってるんだけどね。
「何をって……君が馬鹿みたいに喋ったり大きくなったりしている間に、このビルの真鍮製の配管を通じて、ティムが捕まっている場所を特定していたんだよ」
「そしてアリスには、ティムを守るためのピカピカを張ってもらっていたというわけだ」
「あのマヌケを守るだと……? これから街ごと消え去ろうというのに、今さら何から守るというのだ!?」
「やれやれ、そんなの決まってるだろう?」
瞬間、比喩でもなんでもなく……世界は抉り取られた。
「――俺の、牙からだ」
「なっ!?」
崩れたビルの屋上。
巨大化したガゼットの体と、その向こうから飛来する流星。
その二つを直線上に捉えたクロウが、両腕から全てを飲み込む影の一閃を放つ。
「か、は――ッ!?」
放たれた影は、眼前の紙束の巨人を一瞬で食い殺す。
そしてその後方、軌道上にある空間も、景色も、何もかもを消し去って空の彼方、星々の世界にまで到達。
迫っていたガゼットの巨大隕石すら事も無げに飲み込んで食らいつくし、まだ食い足りないとばかりに無限に広がる闇の果ての果てまで飛んでいって……そのうち見えなくなった。
「なによそれ……? 相変わらず馬鹿げた強さね、悪魔王」
「はわー……」
「終わったぞ。よく喋るゴミだった」
「そ、そうだね……うん」
後には、何も残っていなかった。
ただ崩れたビルと、えぐれた瓦礫。
ついでにパラパラと舞い落ちる、巨人に合流していなかった数枚の紙切れ。そして――
「あれは……?」
けどその時、瓦礫を越えてティムを迎えに行こうとする私の目に、不自然なものが映った。
「白い、羽……? どうしてこんなところに……」
思わず駆け寄って拾いあげたそれは、見たこともないほどに綺麗で、一つの汚れも付いていない純白の羽だった。
けれど、私がいくら夜の空に目を向けても。
そこにはもう、この羽の落とし主の姿はどこにもなかった――。




