欺瞞の魔城
「ティムが行方不明になっただと!?」
「しっ、声が大きい。悪いけど、そっちのカーテンを閉めてもらっていいかい? 出来る限り平静を装ってね」
ティムの取材からさらに数日後の夕刻。
私は事務所を訪ねてきた警官の聴取を終え、驚くクロウを制止して沈痛な面持ちでソファーに腰を下ろした。
「どういうことだ? ティムに何があったのだ!?」
「今の警官が教えてくれたんだ。二日前から行方不明になっているティムを探して、直前の彼の足取りをしらみつぶしに当たっているらしい。もちろん、ここも含めてね」
警官の話はこうだ。
私たちへの取材を終えてから数日後、ティムは突然無断で仕事に来なくなった。
心配した同僚が彼の自宅に赴いたところ、『部屋は酷く荒らされて』もぬけの空。
警察はその状況から、ティムがなんらかの事件に巻き込まれたとみて捜査を開始。
不幸中の幸いと言えば、彼が消えてからまだあまり時間は経っていないことくらい。
この状況でただでさえ疑われやすい魔女の私が、さっきの警官に何ごともなくお帰りいただけたのは奇跡に近かったね。
「馬鹿な! ティムはまだこの街では小者なのだろう? 金も地位もないだろうに、誰が襲うというのだ!?」
クロウが吠えた瞬間、室内の空気が軋み、窓ガラスがビリビリと悲鳴を上げる。
彼が私以外のことで、ここまで感情を表に出すのを見たのは初めてだった。
「考えたくはないけど……心当たりがあるとすれば一つだ。そしてもしそうなら、このまま彼を放っておく訳にはいかない」
そう、思い当たることは一つしかない。
教会の権威が隅々まで行き届いているロンドン一の新聞社で、彼は魔女の礼讃とも取れる記事を書こうとした。
でもだからって、教会が人ひとりを消すような無茶をするとは思えないけど……。
「ティムを探すのだな、アリス」
「動くなら早いほうがいい。探知魔術がどこまで有効かはわからないけど、以前彼が置いていった名刺を触媒にして、関係がありそうな場所に網を――」
「――いいえ、その必要はないわ」
ソファーから立ち上がって、いつになく不安そうなクロウを安心させるように頷く。
けどそんな私の耳に、私たち以外誰もいないはずの室内から声が聞こえた。
「ほう、今回はうまく気配を消していたな。気付かなかったぞ」
「君はミルト……いや、ナイアだね」
カーテンが閉められた室内にできるいくつもの影。
その影の一つが不自然に揺れて、やがて一人の少女の姿に変わる。
剣刃の魔女、ミルトレット・リトルホワイト――その使い魔のナイアルト・ブラックリリーだ。
「どういうことだい? なぜ君がこの件のことを……」
「心配しないで、『彼の居場所』はこっちで掴んでる。けどそう長くは持たないわ。詳しい話は向かいながらするから、急いでついてきて!」
――――――
――――
――
「悪魔だと!?」
「ええそうよ、悪魔王」
スクーターのアクセルを全開に、クロウと二人乗りでロンドンの大通りを駆け抜ける私の耳にナイアの声が届く。
今の彼女は、このスクーターの影に同化している。
ナイアは自分のことを『無貌の悪魔』って言っていたけど、とてつもなく便利な能力だね。
「貴方たちへの取材の後、彼はミルトのところにも取材に来ていたの。ミルトも喜んでいたし、取材は問題なく終わったわ。けどその後……彼は『もう一度』私たちの元にやってきた」
「もう一度だって?」
ナイアが言うには、やっぱりティムは魔女の記事掲載をロンドンタイムズの上役に蹴られていたらしい。
けどそこで諦めきれなかった彼は、記事を自費で街中に配ろうと考えた。
自費配布ならロンドンタイムズとも無関係だし、私との約束を破ることにもならないと思っていたようだ。
「けど記者見習いの彼の賃金じゃ、自費で配れる記事の数なんてたかが知れてるわ。だから新興貴族のミルトの家に、出版の協力を求めにやってきたの」
「やれやれ……なんとも諦めが悪いというか。そういうところも『誰かさん』に似ている気がするよ……」
「ティム……! お前はそこまでして、アリスの活躍を広めようとしてくれていたのだな!」
結局、ミルトはティムの提案を喜んで受け入れたらしい。
けど諸々の準備が整って、後は実務的な契約だけになったその日……ティムはミルトの元に現れなかった。
「私はすぐに数万の影に分かれて街中を探したわ。そしてようやく見つけたの……『ロンドンタイムズの本社』で拘束されている彼をね。やったのは、彼の上役に擬態していた悪魔……ガゼット・ノートよ」
「悪魔の擬態ね……つまりティムは、ピンポイントで当たりを引いてたってわけだ。だけど、もしそうだとしたら……」
教会ならともかく、どうして悪魔がティムの記事を……?
一瞬、私の脳裏に疑問が浮かぶ。
けど浮かび上がったその疑問は、目的地への到着で一旦遮られてしまった。
ナイアの話が終わるのとほぼ同時。
いくつものガス灯が輝く大通りの先。バイクゴーグルのレンズ越しに、見上げるほどの巨大なビル……ロンドンタイムズの本社が見えてきた。
ビルの頂上部分には大きく張り出した『LONDON TIMES』の看板がライトアップされ、剥き出しになった金色のパイプからは白い蒸気が、そして屋上に設置された拡声機からは、今もくぐもったラジオの音声広告が垂れ流されている。
はっきり言って、『悪趣味の権化』みたいなデザインだ。
きっとこのビルのデザイナーは、『コーヒー好きのアメリカ人』に違いないだろうね。
「やっほ……アリス。クロウも、今日もかわいいワンコ……うふふ……」
「ミルトか、お前も元気そうでなによりだ。だが俺はワンコではないぞ!」
「やあミルト。今回は教えてくれてありがとう、助かったよ」
本社ビル手前の路地。
隠れていたにしてはあまりにも目立つ白いドレス姿のミルトが、人形のような笑みを浮かべて私たちを出迎えた。
「時間がないわ。位置はあのビルの七階……私が貴方たちの外見を偽装するから、今すぐ中に――」
「七階だな? なら俺とアリスは先に行くぞ」
「は? ちょ……っ!?」
だけどその瞬間。ナイアから大まかな位置を聞いたクロウは、私の腰に手を回して思いっきり抱き寄せてきた。
こ、こんな人前でいきなり……!?
「ちょ、ちょっとクロウ!? どうしてこんな!?」
「飛ぶぞ。しっかり掴まっていろ」
「っ!?」
その言葉が終わるより早く、逞しい腕と胸板に挟まれた私の体が、凄まじい風圧と共にふわりとした浮遊感に包まれる。
一瞬でミルトとナイアが小さくなって、ロンドンの夜景が遠くまで見えて――って、もしかして私、飛んでる!?
でもそう思ったのも束の間。
クロウの体に抱きすくめられた私は、鈍い衝撃と共に暗闇の中に。
辺りにガラスの砕ける音と、重い何かが落ちる音が響く。
「着いたぞ。どうやらここで間違いないようだ」
「ふえっ……?」
クロウに守られた私は無傷のまま、エスコートされてゆっくりと冷たい床に足を着けた。
割れたガラス窓からはさっき見た夜景が覗いていて、屋上の拡声機から流れるラジオ放送の音がやけに近くで聞こえた。
そして――
『予想よりも早かったな。だが私も、『この人形』で遊ぶのには飽きてきたところだ』
まだ目が慣れない闇の奥。
人ならざる二つの赤い瞳が私とクロウを射抜く。
その闇から傷だらけの『ナイアの分身体』が無造作に放り出され、私とクロウの目の前で灰になって消えた。
『久しいな、悪魔王……まさか我が社の落ちこぼれ一人から、貴様のような大物が釣れるとは。クク……あの能無しも、最後の最後で役に立ったというべきか』
赤い瞳が闇の中で笑みの形に歪む。
室内に革靴の硬質な足音がゆっくりと響く。
やがて窓から差し込む街の光の下に現れたのは、仕立ての良いスーツを着た一人の青年。
そしてその男の手には、持ち主を失ってひしゃげたティムの丸眼鏡が弄ばれていた――。




