薄氷の願い
「では、本日はよろしくお願いしますっ」
「よかろう!」
「やれやれ……ま、ほどほどに頼むよ」
ロンドンタイムズの記者見習い、ティモシー・リードの取材申し込みから数日後。
朝の炊事であちこちから白い蒸気が噴き出すロンドンの通りを、私とクロウ、そしてティモシー……いや、ティムの三人はのんびりと歩いていた。
「それで、今日はどんなお仕事をするんですか?」
「大したことじゃないよ。実はこの前、ご近所さんに『簡単な雑用』を頼まれてね」
「雑用?」
なし崩し的に取材を受け入れてしまったとはいえ、こちらとしては特に変わったことをするつもりはない。
クロウともちゃんと相談して、私たちはいつもどおりに活動すると決めていた。
もちろん、クロウが悪魔だってことはバレないようにだけど。
「そ。まあ、君が期待しているような仕事じゃないかもしれないけど」
「そんなことありません。どんなに些細なことでも、一字一句逃さずに記事にしてみせます!」
「いい心がけだ! ならば俺も、アリスの素晴らしさについて余すところなく教えてやろう。遠慮せず全ての人間共に伝えるがいい!!」
「わかりました、クロウさん!」
「二人で盛り上がってるところ悪いけど、そういうのはいいからね……」
まいったな……この前も思ったけど、どうもこの二人は妙に気が合うらしい。
ガチムチワイルドなクロウとふわふわ童顔のティム……外見も雰囲気も正反対のくせに、子供っぽいところとか、表裏がないところは確かに似ているのかもしれない。
意気投合する二人の姿に肩をすくめながらも、クロウが私以外の人間とも個人的な繋がりを持ち始めているという事実に、私はどこか温かい感情を抱いていた――
――――――
――――
――
「みゃー」
「ふふ、よしよし。君はずいぶんと隠れんぼが得意なんだね?」
大通りから三本ほど裏に回った狭い路地。
私はそこで、数日前に仕掛けた『真鍮製の誘因トラップ』の中ですやすやと寝ていた首輪付きの白猫を抱き上げる。
「さあ、お家に帰ろう。君のご主人様がとても心配しているからね」
「みゃーみゃー」
「ほほう、なかなか可愛らしい猫ではないか!」
「雑用って……迷子の飼い猫探しだったんですか!?」
「そうだよ。魔女の魔術……特に私の魔法は応用が効くからね。悪魔関連の依頼がない時は、こうしてご近所さんからの頼まれ事を引き受けたりもしているのさ」
そう言って、籠の扉を閉めて持ち上げる。
籠の中には、この白猫の好きなエサと飼い主から預かった白い毛が入ってる。
そしてこの籠には『選別の魔術』がかけてあって、この体毛の持ち主だけが中のエサを認識できるようになっていた。
だからこの猫だけがトラップに引っかかったってわけさ。
「こんなことが出来るなんて、やっぱり魔女さんって凄い!」
「違うぞティム、アリスが凄いのだ! もう一回言ってみろ!」
「あ、はいっ! やっぱりアリスさんって凄いですっ!」
「う、うん……まあ、魔女にも得手不得手はあるからね」
マーサ姉さんは調合、ミルトは身体強化と、同じ魔女でも得意なことは違う。
母さんの魔術書には、それは魔女ごとに『地獄との繋がり方が違う』からだって書いてあった。
けれどクロウはそんなこと知らないから、今の言葉は本気でそう思ってるだけだと思う。うん。
「私の魔力は真鍮を媒介にした時に最も強く、応用が利く。だから『真鍮の魔女』ってわけだね」
「なるほどー……勉強になりますっ」
私の話に、ティムは丸眼鏡がズレるのも構わず必死にメモ帳にペンを走らせている。
こんなことは魔女なら当たり前の知識だけど、先日の彼の言葉どおり、ロンドンに住む人は誰も知らない。
出会った頃のクロウみたいに、魔女はほうきに乗って空を飛ぶとか、子供を攫って食べるとか、そんなおとぎ話みたいな知識しかないんだ。
『僕たちは知らないといけない』、か――
確かに甘すぎる現状認識ではあるけれど、だからっていつまでもそのままにするのも、あまり良くないのだろう。
「……案外、勉強になったのは私の方かもね」
必死にメモを取る記者見習いの青年の姿に、私はふと考えさせられる。
私はこの街の人や母さんを見殺しにした教会、そして悪魔について、彼ほどに知ろうとしていたのだろうかと。
「じゃあこの猫を飼い主のところに届けるとしよう。その後は特に用事もないから、通りで買い出しをして今日の予定は終わりかな」
「わかりました、最後までお供しますっ」
「よし、ならば付いてくるがいい! 行くぞティム!」
「は、はい!」
――――――
――――
――
結局、その後もティムは私たちの暮らしぶりの取材を続けた。
買い出し先の商店通りで、私とクロウが公認で夫婦みたいな扱いになっているのを必死で訂正したり。
気がついたら大勢の野良猫や野良犬、カラスなんかがクロウの忠実な部下みたいに付き従いはじめて、右肩には猫、左肩には犬、そして頭の上にはカラスを乗せた『野良の王』になってしまったり。
いつの間に仲良くなっていたのか知らないけど、通りの子供たちからクロウがフットボールに誘われて一緒に遊んだり。
本当になんの変哲もない日常を、丸眼鏡越しの目を輝かせながら飽きもせず観察していた。
「今日はありがとうございました。とってもいい記事が書けそうです!」
「それなら良かった」
「本当は僕も、あの式典まで魔女のみなさんを怖い人たちだと思ってたんです。でもそうじゃなかった……今日一日取材をしてみて、やっぱり魔女だってロンドンで暮らす大切な仲間なんだって、はっきりわかったんです!」
別れ際、ティムは疲れを見せずに私たちに頭を下げた。
この様子だと、家に帰ってからも執筆作業を続けそうな勢いだ。
「けど約束は守ってもらうよ。君に理解してもらったのは嬉しいけど……もし上役が君の記事を却下したら、その時は大人しく引き下がるんだ。いいね?」
「う……わ、わかりました。凄くもったいない気もしますけど、約束ですもんね」
私の念押しに、ティムは眉を八の字にして肩を落とした。
恐らく、彼自身も『記事掲載の見込みが低い』ことはわかっているんだろう。
「もし記事が駄目でも、俺はお前と遊べて楽しかったぞ。取材など関係なく、これからも気軽に遊びに来るがいい!」
「一応言っておくけど、家主は私だからね? ただまあ……私もクロウと同じ気持ちかな。また何かあったらいつでも来なよ。美味しいお茶の一杯くらいはご馳走するからさ」
「アリスさん、クロウさん……ありがとうございます!」
夕焼けがロンドンの濃い霧に沈み、街がガス灯の光でも照らしきれない暗闇に包まれる頃。
私とクロウは、満足そうな笑みを浮かべて通りに消えていくティムの背を見送った。
記事がどうあれ、まずは彼の身に何も起きなければいいと願って。
そしてクロウも、きっとティムとの再会を楽しみしていたと思う。
だけど。
私たちのそんな『甘い願い』が裏切られるまで、そう時間はかからなかったんだ――。




