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看病の悪魔


「大丈夫か?」


「あんまり……」


 翌朝、目を覚ました私のコンディションは地獄のように酷かった。


 クロウに言われてすぐに休んだんだけど、油断したね……。


「そろそろか……少し見せてくれ」


「ん……」


 私が口にくわえていた水銀体温計を手に取ると、クロウは心配そうな表情でメモリに目を向ける。

 正直なところ、悪魔にも体温計が扱えるなんて驚きだよ。

 

「ふむ……おいアリス、お前の体温が101度を超えているぞ!? 本当に大丈夫なのか!?」


「確かに、ちょっと高いかもしれないね……けど、別にいつもの風邪だと思うから、君はとにかく大人しくしてて……」


「むぅ……」


 母さんが死んでから、こういうことは何度かあった。

 初めは心細かったけど、今はもう慣れてる。


 とりあえず、もっと酷くなったら一度マーサ姉さんに連絡する感じかな。


 そしてそれとは別に不安なのは、今もベッドの横でそわそわしている『手のかかる同居人』が、おかしなことをしないかなんだけど……。


「決めたぞアリス。俺がお前を看病する!」


 ほらね。


「いらないよ……たしかに君は意外と物知りだし、そこまで無茶なこともしないってわかってる。けど流石に、悪魔王様は病人の世話なんてしたことはないだろう?」


 朦朧とする頭を押さえながら、私は意気込むクロウに丁重なお断りを申し出た。


 彼を馬鹿にしてるわけじゃない。


 本音を言えば、こんな時に独りぼっちじゃないだけですごく心強い。

 私のことを心配してくれるのも嬉しかった。


 だけど、それとこれとは話が別。


 この状況でクロウに問題を起こされたら、今の私はそれをカバーできない。気持ちはありがたいけど――


「ならば、この家に病気や怪我について書かれた本はないのか?」


「本? それなら、そっちの棚にあるけど……まさか、今から読むつもり?」


「ああそうだ。アリスの言うとおり、俺は病人の世話をしたことがない。だからこれから学ぶ!」


 言うが早いか、クロウは私が教えた棚からすぐに目当ての本を見つけると、真剣な様子で読み始めてしまった。


「ほむ……発熱の時には水を飲むこと。出来れば一度沸かして冷ましたものが望ましい……理解したぞ!」


「ちょ、ちょっと待ってよ……! 君の気持ちは嬉しいけど、やっぱりいきなり一人で色々するのは無理だって!」


「ならば俺が何かをする前に、アリスに手順を確認するのはどうだ? それならアリスも少しは安心できるだろう?」


「それは……」


 無理だ。

 そんなこと言われても、安心なんてできるわけがない。


 けど今の体調はなかなかに辛くて、水とか食事とか……もしクロウがその辺りの家事をしてくれるなら、凄く助かるのも事実だった。


「わかったよ……でも何かする前には、必ず私に確認するんだよ?」


「承知した! ならばアリスよ、俺は今からアリスのために湯を沸かして飲み水を作ろうと思う。気をつけることはあるか?」


「なら……蒸気ボイラーは君もわかるよね? あれのメモリが赤い線に届くまでノブを回して、レバーを倒せば一番熱いお湯が出る。でもそうするとボイラーも凄く熱くなるから、火傷しないように……」


「任せておけ!」


 私の許可をもらったクロウは、まるで主人にボールを投げてもらった大型犬みたいな勢いでキッチンに向かった。


 本当にわかったのかな……。


 ベッドの上でふうとため息をついた私の耳に、キッチンからお湯の沸く音や、しゅーしゅーという蒸気ボイラーの稼働音、食器を用意するカチャカチャという音が聞こえてくる。


 なんだか、懐かしい……。


 子供の頃、今みたいに熱が出て寝込んでいた私に、母さんはいつも優しくしてくれた。


 気持ちが悪くて、心細くて、とても不安だったけど。


 キッチンからこの音が聞こえてくると、私は一人じゃない、母さんがいてくれるんだって……そう思えて、すごく心が温かくなった。


「クックック……! 待っていろよアリス、すぐに素晴らしい水を飲ませてやるからな!」


「ふふ、そうだね……期待しているよ」


 我ながら、おかしな感傷だと思う。


 だってその大切な母さんを私から奪ったのは他でもない、クロウと同じ悪魔なんだから。


 それなのに、そのクロウ(悪魔)の気配に母さんを重ねてしまうなんて。

 いくら私の使い魔だからって、本当に……どうかしてるよね。


 ――――――

 ――――

 ――


 そうして半日ほど看病してもらった後。


 特に心配していたような問題も起きなくて、私もそれなりに休めていたんだけど――。


「ふむふむ……麦粥に刻んだニンニクとエシャロットだと? よくわからんが……この本ごと持っていくか」


 朝からずっと医学書を読み続けていたクロウが、突然立ち上がってそんなことを言い出したんだ。


「え……? ちょ、ちょっと待ってよ。まさかとは思うけど、もしかして君一人で買い物に行くつもりじゃ……」


「そのつもりだぞ。さっき棚を見たが、病人に良い食い物は見当たらなかったからな。買い出しのためにいくらか金をもらってもいいか?」


「だめだめっ! いくら君が勉強しても、お店の人が勝手に怯えて警察を呼ばれるかもしれないし、お釣りだってまだ計算できないでしょ!? 他にも……」


 あれ……?


 けどそこまで言って、私の視界が自分の意志とは関係なしに横倒しになる。

 真横になった世界で、焦った顔のクロウが駆け寄ってくるのが見えた。


 咄嗟に体を起こしたのが悪かったのか、酷い貧血に似た感覚に襲われた私は、そのままベッド脇の壁にもたれるようにして倒れてしまったらしい。


「あう……」


「無理をするな……先ほどより熱が酷くなっている。待っていろ、すぐに水を替える」


 クロウの腕に抱えられて、自分の体温で蒸れたベッドに寝かされる。


 その時に伝わってくるクロウの体の熱がちょうど良くて、もっとくっついていたいなんて……そんなことをぼんやりと考えていた気がする。


「やはり食事なしは考えられんな……すまんアリス、後でいくらでも怒ってくれ」


「クロ、ウ……だ、め……」 


 私を寝かせたクロウは、固く絞ったタオルをおでこに乗せてくれた。

 そして一度私の頭を優しく撫でて、そのまま背を向けて部屋から出て行った。


 行って欲しくない。

 傍にいて欲しい。


 もうずっと、私は一人で平気だったはずなのに。

 扉の閉まる音が、こんなに冷たく聞こえるなんて。


 その時の私には、彼を引き留めようとする気持ちが心配のせいなのか、それともただ傍にいて欲しいだけなのか。


 そんなことも、もうわからなかった――。



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