剣刃、来たる
悲鳴と騒乱。
赤黒い雷とひび割れる世界。
そして溢れる鮮血の海。
あらゆる常識と感覚を覆し、式典の会場を取り囲むようにして『三つの地獄門』が現れる。
その巨大さは二階建ての建物を軽く越え、門柱にはおぞましい形相の人とも悪魔ともつかない者たちの顔が無数に浮かび上がっている。
そしてその亡者たちの絶叫が聖堂のパイプオルガンのように重なりあって鳴り響くと同時、血塗られた三つの門は全く同時にその扉を開いた。
「ほう、懐かしい匂いだ」
「ちっ……! 流石の私も、一度に『三つの門』を相手にするのは初めてだよ!」
門の出現は、まるでこの式典をピンポイントで狙ったかのようだった。
地獄門はただそこにあるだけで、際限なく凶悪な悪魔を地上に呼び寄せる。
つまりこの門を先に叩かないと、いくら私たちが悪魔を倒しても意味がないんだ。
地獄門なんて一つでも厄介だって言うのに、それが三つ。
しかもその巨大さは、クロウの時ほどじゃないけど十分に大きかった。
『ギャッギャッギャ!』
『カカカーーーー!』
『人間のニオイ、ダ……!』
「あ、悪魔だ! 地獄門から悪魔が溢れてくる!」
「ああ、神様……!」
「早く逃げろーーーー!」
扉を開いた門から濃密な瘴気が一斉に吐き出されて、その流れに乗るようにして『不定形の影』のような悪魔が次々と飛び出してくる。
これだけの門から出てくる悪魔だ、中には爵位持ちみたいな強力な個体も大勢いるだろう。
けど門を抜けたばかりの悪魔は、どんな強大な悪魔だろうとまだ実体が定まっていない。
本来の力を発揮するには、まだ少し時間がかかる。
つまり、今私たちがやるべきことは――!
「やつらはここで、一匹残らず叩き潰す! もちろんみんなを守りながらだ! やれるかい、クロウ!」
「当然だ」
やっぱり、頼もしいね……本当にさ。
初めて直面する絶望的状況、なのに私が震えもせずに立ち向かえるのは、もしかしたらこの手のかかる同居人のおかげ……かもしれないね。
「さて、なら他の門は――!」
腰のホルスターから真鍮のウィッチステッキを取り出すと同時、私はちらりとクラインバッハのいる壇上側に目を向けた。
「落ち着くのです! 不浄なる悪魔は、神の加護を受けた我ら使徒に指一本触れることは叶いません。貴方たちは速やかに市民の避難と邪悪の浄化を。正面の門は……私が引き受けましょう」
ふむ……どうやら、向こうは向こうで動いてくれているようだね。
それに三つの門のうち、一つは『あの』クラインバッハが破壊に向かうみたいだ。
法衣の上からでもわかる肥大した筋肉と、肉眼で視認できるほどの暴力的な魔力。
久しぶりに見ても、背筋が凍るほどの力だ……もしこの場にあの男しかいなかったら、きっとあいつは三つの門を一人で破壊していただろう。
ジョゼフ・クラインバッハ。
忌々しい話だけど、あの男は強い。
それも、とてつもなく。
今の私が復讐に駆られてあの男を殺そうとしたとしても、きっと死ぬのはこっちだろう。
あれが『口と態度だけの男』だったなら、私ももっと気が楽だったんだけどね。
「ま、今はそんなことを言っても仕方ない。教会と騎士団が来賓の護衛をやってくれるのなら、私たちは目の前のこの門をなんとかしようか」
「おいアリス、『この前のピカピカ』でこの門と俺を囲めるか?」
けどステッキを延伸させて構えた私に、クロウは突然そんなことを言い出した。
「この前のピカピカって……もしかして結界魔術のこと? できるけど、どうして?」
「『俺の力は強すぎる』。以前のように雑魚が勝手に死にに来るのは構わんが、俺が牙を振るえばアリスの大切なこの街が傷つく。だから、あのピカピカで俺と門を囲め」
クロウは私を振り返ることもなく、まっすぐに眼前の地獄門を見据えてそう言った。
なるほどね。クロウの力がどれほどのものかはわからないけど、マーサ姉さんも彼がその気になれば、ロンドンくらいなら消し飛ばせるって言っていた。
でも私の結界があれば、二次被害も減らせるかもしれない。
さっきまでただの子供みたいに機関車を見て喜んでたのに、こういうところはちゃんと気を回るんだから。けどね――!
「わかったよ。けど結界で囲むのは『門と君』じゃない。『門と私たち』だ! 君が本当に私を守るっていうのなら、死ぬ気で証明してごらんよ!」
「フッ……いいだろう。やれ、アリス!」
使い魔だけを残して飼い主が安全な場所に逃げるなんて、私の魔女としてのプライドが許さない!
瞬間、私は片手で構えた回転式拳銃を発砲。
連続発射された真鍮の弾丸は狙い通り門の周囲に着弾、瞬時に五芒星の陣を描き、私とクロウだけを内側に残して巨大な光の壁を構築する。
「さあ、ここからが勝負だよ!」
「いいや、もう終わった」
結界を張って意気込む私に、クロウは淡々とそう告げた。
「え?」
その声に驚いて彼に目を向けると、クロウはその手に禍々しい『影の爪』を宿し、ゆっくりと頭上に振り上げていた。
「消えろ」
クロウが呟く。
影が墜ちる。
私たちの周りの空間が激しく歪んで、クロウが振り下ろした爪が軌道上にある大気も、音も、光すらも飲み込み、抉り、砕く。
そして私が何かを言うよりも早く。
ほとんど一瞬で見上げるほどの門も、その門から飛び出した何十体もの悪魔も。
なにもかもがクロウの暴威に飲み込まれて、悲鳴すら上げず、塵一つ残さずに消滅してしまったんだ。
「さすがアリスのピカピカだ。頑丈だな」
「う、嘘……でしょ?」
信じられない。
冗談じゃない。
こんな力、いくらなんでも馬鹿げてる。
しかも当のクロウはこんな破壊を引き起こしていながら、汗一つかいてない。
契約の首輪から伝わる魔力からも、彼がこれでも『細心の注意を払って手加減していた』のがわかった。
そんな、こんなことって――
「気をつけろ、アリス!」
「っ!?」
けどあまりのことに呆然とする私の視界を、突然クロウの体が遮る。
見れば、三つのうち最も手薄になった最後の門から現れた悪魔の群れが来賓たちに迫り、私にも襲いかかるところだった。
クロウは、そんな私を庇ってくれていたんだ。
「ご、ごめん……っ!」
「何を謝る? そんなことより、このままでは『逃げ遅れた人間共が喰われる』ぞ。こうも混ざっていては、さっきのようにまとめて消し飛ばすわけにもいかんだろう」
「それは……!」
まずいね……思ったよりも教会のエクソシストと騎士団が苦戦してる。
クロウが規格外すぎて忘れていたけど、これだけ大きな地獄門だと出てくる悪魔も『爵位持ち』のような強力な個体が多い。
あのクラインバッハはともかく、このレベルの修羅場は並の騎士やエクソシストには荷が重い。
「私は結界でこれ以上悪魔が増えるのを食い止める。クロウは――!」
チャンバーに弾丸を込めながら、私は即座に駆け出した。
けどそうしている間にも、逃げ遅れた人たちが次々と不定形の悪魔に襲われている。
くそ、このままじゃ――!
「――ごめんなさい。寝坊、しました」
「っ!?」
その時だった。
来賓に襲いかかる悪魔の群れが、全く同時に真っ二つに切り裂かれる。
切り裂かれた悪魔の鮮血が会場中で花火のように咲き誇り、そしてその凄惨な光景の向こうから、鈴の音のような少女の声が響いたんだ。
「君はまさか、昨夜の前夜祭にいた……?」
「ごきげんよう、真鍮の魔女……私は剣刃の魔女、ミルトレット・リトルホワイト。もしよかったら……仲良くしてくれるとうれしい。『まじょとも』……うふふふ……」
剣刃の魔女、ミルトレット・リトルホワイト。
金色の美しい髪にガラス玉のような碧い瞳。
純白のゴシックドレスを悪魔の返り血で染め、その手に握る一振りのサーベルからは、真っ赤な血が滴り落ちている。
血の海の中で『寝坊した』と無邪気に笑うその姿は、確かに昨日の前夜祭で見かけた、あの少女だった。




