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ガラスの瞳


「おいアリス。この服はいつにも増して動きづらいぞ。もう脱いでいいか?」


「だめ」


 霧と蒸気に沈む街、ロンドン。


 普段は曇ってばかりで辛気くさいこの街も、たまには晴れることだってあるし、煌びやかな賑わいに包まれることもある。


 たった今、私たちがいるこのホテルのようにね。


「君が着ているその服は、今日のために用意した特注品なんだ。なのに結局すぐに脱いじゃいましたーなんて、せっかく作ってくれた仕立屋の親父さんに顔向けできないよ」


 そう言って、私は隣でしきりにスーツの首元を緩めようとするクロウをたしなめる。


 ちなみに、かく言う私も今日は慣れない青いドレス姿だ。

 あまり着る機会はないけど、たまにはこういうのも悪くないね。

 

 ――ここは、ロンドン東部にある貴族御用達の超高級ホテル、ザ・ガーデンの大ホール。


 馬鹿みたいに高い天井には豪華なシャンデリアがぶら下がり、ホールには所狭しと食べきれないほどの食事とワインが並ぶ。

 

 極めつけに、来賓たちの歓談を彩るのは生演奏のオーケストラだ。


 会場はどこを向いても金ぴかに輝いていて、正直ここにいるだけでくらくらしてくるよ。


「ぐぬぬぅ……わかった、ならば我慢する」


「よろしい。それに君は嫌かもしれないけど、私はその格好もよく似合っていると思うよ」


「そうか!? ならもう少し着ているとしよう!」


 ふふ、単純というか素直というか。


 でも実際、今のクロウはかなり……いや、信じられないくらいにイケメンだ。


 ガチムチの体に合わせて完璧に仕立てられたスーツは、クロウのぶ厚い胸板やたくましい首元を強調しつつ、腰回りや下半身のスマートさをぐっと引き立てている。


 ロンドン……特に上流階級では珍しい濃い肌や、艶のある長い黒髪も暴力的な色気が凄い。

 

 さっきからすれ違う貴婦人がその場で次々と失神しているけど、間違いなくクロウの責任だ。

 

 正直なところ、私も気を抜くとクロウのヤバすぎる色香にやられ……たりはしない。


 断じて、絶対、ならないったらならない。


 飼い主の威厳にかけて、こんな『ただ顔面と体と声が良くて私にはそれなりに優しいだけの悪魔』に屈するわけにはいかないからね。うん。


「だが、アリスのそのドレス姿もとても美しいぞ……近付いてもいいか?」


「え……? は!? ちょ、ちょっと!?」


 けどその瞬間。

 

 クロウの大きな手が私の頭の横の壁にドンと置かれ、まるで逃げ場を塞ぐように距離を詰めてきた。


「妙な気分だ……どうやら俺は、美しいアリスを他の奴らに見せたくないらしい」


「う、美しいって……私は、別に……」


「美しいぞ。少なくとも、俺が見たどんなものよりもアリスは綺麗だ」


「あ、う……」


 顔が近い。近すぎる。

 声もいい。それでその台詞は反則すぎる。


 クロウの熱が迫ってくる。

 

 体はどこにも触れていないのに、彼の熱ははっきりと感じられるくらいで――


「す、ストーーップ! そ、そうだとしても今は仕事中だから! 褒めてくれたのは嬉しいけど……ここではいつもどおり、私の傍を離れないで大人しくしてて! いいね!?」


「む……すまない」


 あ、危ないところだった……。

 もしこれが家だったら、本当にやられていたかもしれない。


 一瞬で限界まで速まった鼓動を抑えるように胸に手を当てて、私はもう一度今回の依頼の内容を思い返していた。


 ――――――

 ――――

 ――


 ――それは式典から数日前。

 ハワード氏の依頼から二週間ほど経った、ある日のこと。


「で、なぜ魔女である私に依頼を?」


「最近は以前にも増して物騒でしょう? 大切な式典を、悪魔なんぞに邪魔されるわけにはいきませんから」


 私は突然事務所を訪ねてきた、身なりの良い貴族の青年――ジュリアン・アシュクロフト氏から依頼の詳細を聞かされていた。


「つまり、私にその式典の護衛をしろと?」


「話が早くて助かります」


 私の言葉に、アシュクロフト氏は感心したように笑う。


 立派な黒スーツにモノクルという出で立ちの彼は、貴族というより実業家や商人を思わせる雰囲気だった。


「ですが、なぜ貴方のような貴族がわざわざ私のような魔女に依頼を? 騎士団も教会も、貴方たちのためなら喜んで動いてくれるでしょう?」


「念には念を……ですよ。今回の式典は、我が社が開発した最新式の地下鉄車両の引き渡し式典です。新車両の売り込みが成功すれば、ロンドン中の地下鉄を我々の車両が走るようになる。その未来のためなら、『異端の手』を借りてでも……おっと、今のは失言でした」


 私の見立てどおり、アシュクロフト氏はすぐに抜け目ない商売人としての本心を覗かせる。

 最後に余計な一言があったけど、私も慣れてるからね。


「お気になさらず。そちらの事情も把握しました。今回の依頼、喜んでお受けしましょう」


 こっちとしても、特に断る理由はない。

 むしろ外面や建前ばかりを気にする相手より、彼のような実利主義者の方が付き合いやすいってものさ。


「おお、引き受けてくれますか!」


「ただし! 今回は式典に参加するための準備として、前金を頂きます。見ての通り、私たちは貴方ほど裕福ではありません。『そこにいる私の助手』なんて、その日に着る服にも困っている有り様で……ほら、今も寒さに震えているでしょう?」


「クックック……!」


 私が指差した先。そこにはボロボロの服を着て、背筋が凍るような謎の威圧感を放つクロウが獰猛に笑っていた。


「えっ? あ、ああ……そうでしたか、それは大変だ。も、もちろん喜んでお支払いさせていただきます。必要な投資ですから」


「契約成立、ですね」


 ――――――

 ――――

 ――


「というわけで、ようやく馬鹿みたいに高い君用のオーダーメイドスーツも手に入れたってわけ。だから破いたりしないようにね?」


「わかっている。アリスとの約束だからな!」


 実際、クロウのスーツは私のドレスの数倍もした。

 もしあの場で前金をもらってなかったら、クロウは家でお留守番だっただろう。


「だがアリスよ。護衛とは言うが、この祭りに悪魔が現れるかどうかはわからんのだろう?」


「まあね。でももし現れたとしても、ただの悪魔程度なら騎士団だけでどうにでもなる。依頼人が心配していたのは、この式典の真っ最中に『地獄門』が現れること……だろうね」


 地獄門。


 それは、その名前のとおり私たちの住む世界と悪魔が住む地獄を繋ぐ門のことだ。


 門はいつでも、どこにでも現れる。

 そして地獄と私たちの世界を繋いで、悪魔をこの世界に呼び寄せてしまう。


 ハワード氏の依頼で戦った瘴気男爵(バロン・ミアズム)も、元はどこかの地獄門を通ってロンドンに来た悪魔だ。


「いくら金払いが良くたって、私も『ただの保険』扱いされるのは気乗りしないさ。けど実際、ここ最近の地獄門と悪魔の数は増加の一途を辿っているからね。彼が必要以上に心配する気持ちもわかる」

 

 昔は数ヶ月に一度だったのが、今じゃ毎月、おまけにいくつもだ。


 門そのものも少しずつ大きくなっていて、より強力な悪魔が通れるようになってきてる。

 今も私の隣で骨付き肉をモグモグしてる、『誰かさん』みたいにね。

 

「それにそのおかげで、こっちも仕事に困らないんだし」


「しかし地獄門か……誰があんなものを作っているんだ?」


「それがわかれば苦労しないよ。大体、『頼りの悪魔王様』は門についてはさっぱり知らなかったわけだし?」


「返す言葉もないぞ!」


 けどそんなやり取りを私たちがしていた、その時だった。


「あれは……」


 別に私は、『それ』を見ようと思ったわけじゃない。


 けど何気なく会場に視線を巡らせた私は、大勢の人混みの中でぽつんと立つ、『ガラス玉のような碧い瞳を持つ金髪の少女』に目を奪われた。


「あの子……」


 一瞬、私は確かにその子と視線が交わったのを感じた。


 けど、その交わりはすぐにほどけて。


 気がつけば、その少女の姿は私の視界から消えていた。



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