孤児院を出た日
翌朝。食堂に集まった子どもたちを見回しながら、院長先生が胸の前でポンッと手を打った。
「今日は、別の報告があります。今朝早く、司祭様が王都へ向かわれました。なんと昨夜、礼拝堂で御神託があったとのことで――」
「ごしんたくってなにー?」
「女神様からの大切なお知らせ、ですね。素晴らしい事なんですよ」
「なんで?」
普段なら、適当なところで上手く話を誘導する院長先生が、今朝はずっとニコニコ付き合っている。へぇ、神託ってほんとにあるんだ。
「司祭様が不在の間、私が代理として礼拝堂と救護室に向かうことになります。何かあれば、そちらに来てくださいね」
突然の院長先生の不在宣言に、誰も慌てることなく頷く。ただ、そこそこ大きいレオたちのような子ばかりではないので、
「いんちょーせんせ、いないの?」
「お隣の建物にいますよ。安心してください」
「なんで?」
「司祭様がいないと、浄化魔法を使える者がいなくなるからです」
「なんで?」
幼児のなんでなんで口撃が始まったが、今日の院長先生はいつも以上に優しい。全部の質問に答えていた。
◇
食後の洗い物や掃除でバタバタしている時間がひと段落したあと。ノギは教会に面した通用口で、風にあたりながら休んでいた。
「もう初夏だなー」
まだ朝の時間帯なのに、少しずつ空気があたたまってきている。今日は洗濯物がよく乾きそうだ。
やわらかい日差しと、ワサワサと元気に茂ってきた木の葉っぱを眺めていたせいで、ノギは周りへの注意が抜けていた。
「いたいた。おはよう」
それほど離れていない場所から、聞き慣れない声がして振り向くと、教会の横を通ってこちらに向かってくる男が見えた。
(うわっ、まだ院長先生に相談してないのに)
「おはよう、ございます」
「昨日の話は覚えてるかな?」
うろたえるノギに構わず、男はにこやかに近づいてくる。そのまま「はいこれ、雇用契約書ね」と、一枚の紙を差し出してきた。
「名前は書ける?」
「はい。ここで習っているので」
契約書をじっと見る。
一、甲は乙に対して、衣食住を保障する。
一、乙が、仕事について外部で話す事を禁じる。
一、乙は住み込み期間中、甲に無断で離職しない。
一、……
「あ、名前以外も読めたりする? それはね。住み込みの約束を守るよ、とか。仕事中に知った、お客さんの名前とか個人的な何かとか、そんな感じのを他人に言わないっていう契約書だよ」
じっくり読むほどでもないよ、と男は軽い調子で言った。
読んでもよく分からなかったし、まぁいいか。そう思ったノギは、渡されたペンで名前を書く。
「ノ、ギ――……っと」
名前を書き終わると、紙の表面がほわっと光った。
「……わあ、きれ──」
言い終わる前に、きゅうっと首を絞められた感じがした。
「!??」
慌てて喉を触るが、何もない。
「あれ!? いま、何か……」
「あぁ、魔法契約が完了したんだよ。知らない?」
(魔法契約!?)
初めて聞く言葉に戸惑うが、でも首が絞まった感覚を思い出してゾワっとした。
「えっ、やだっ。何??」
もう一度さすってみても、やっぱり何もない。
「ははは、大丈夫だよ。未成年との契約はね、うっかり秘密を漏らすことが多いから、魔法で縛りを入れるんだ。『仕事のことを勝手にしゃべらない』ってね。大人になったら解除するから、心配しないでいいよ」
涙目のノギをなだめるように、明るく声をかけてくる。でも、騙し討ちをされたようで全く信用ならない。
(最悪……! これ、どうしたらいいの!?)
ジトッとした目で睨むノギを気にする素振りもなく、男は機嫌が良さそうにしながら、ノギが持っていた契約書を回収した。
「これでよし。孤児院の人に、挨拶に行こうか」
ズンズンと孤児院に入って行こうとする男を押し留め、院長先生は礼拝堂だと伝える。
「また礼拝堂かー。オレ昨日も行ったんだよな。なんか変な女の声も聞いてさぁ」
「えっ、神託を聞いたんですか」
「神託? いやまぁ、あの時いたヤツらはみんな聞いたと思うよ」
そんな会話をしながら、礼拝堂に向かう。
(あれ、普通に話せるんじゃん? もしかして、普通のことなのかな)
ちょっと怖がりすぎたのかもしれない。そう考え直して、ノギは男の後をついていく。朝の礼拝堂には、仕事前に立ち寄った人がそこそこいた。
「おや、ノギ。どうしましたか」
「院長先生、実は――」
仕事が決まりました。そう言おうとした瞬間、冷やりとした何かで首をきゅっと締められた感じがした。声が出ない。息はできるのに、言葉だけが喉の奥から出てこない。
(えっ何で! さっきまでは話せてたのに)
焦るノギを隠すように、男がすっと前に出た。
「初めまして、オレはクリーニング店を営んでおります、ガイルと申します。ノギさんの雇用の件で、お話ができればと思いまして」
「まぁっ! ぜひ伺いたいです。教会へご案内しますので、こちらへどうぞ」
(院長先生、声が出ないよ!)
訴えようとするが、困ったことに声が出ない。なんとかして伝えようとするノギを振り返ることなく、院長先生はウキウキと教会へ先導した。
◇
「それで、お仕事というのは?」
「自分はクリーニング店を営んでおりまして。彼女には、住み込みで手伝っていただければと」
「まぁ、今日はなんて素晴らしい日なんでしょう! 良かったですね、ノギ」
院長先生が、ようやくこっちを向いた。どうにか伝えようと、ノギは必至に目で訴える。
「ノギ? どうしました?」
院長先生が眉を寄せる。必死に口を動かそうとしたが、やっぱり声が出ない。なんなら、口もほとんど動かない。
「……すみませんが、ノギの雇用契約書を見せていただいても?」
「いやいや、院長さん。個人の雇用契約の内容までは見せられないでしょう? ノギさんは、もう私と契約した。立派な社会人ですよ」
ガイルはペラペラと都合のいいように話を続ける。
「大丈夫ですよ、ウチはただのクリーニング店です。いかがわしいお店じゃありません」
「そんな事を疑っているわけでは……! 気分を害されたなら申し訳ありません」
「いえいえ、良いんですよ。急な話ですからね」
ガイルは肩をすくめて笑った。
「実は、オレにとっても急な事だったんですよ。昨日、礼拝堂で不思議な声を聞きましてね。『最初に見た者を大切に』だったかな。それが彼女だったんです」
「まぁ……!」
院長先生の目が、驚きと感激で潤んでいる。
「それでは、やはり昨夜の御神託は本物だったのですね……!」
うっとりと呟き、院長先生は両手を胸の前で組んだ。
「ノギ、良かったですね。女神様は、貴女を見ていてくださったのですよ」
(待って待って、院長先生ちがうよー!)
必死に首を振るが、それが院長先生の目にどう映ったのか。ノギの不安は伝わっていないようだった。
「彼女も納得して契約してますから」
「ええ。どうか、ノギをよろしくお願いします」
こうして、ノギの孤児院からの卒業は、あっという間に決まってしまった。
◇
その日のうちに、ノギはクリーニング店の店主、ガイルと一緒に孤児院を出ることになった。
見送りに来た子どもたちが「がんばれー!」「働くのかっけー!」とはしゃいでいる。ノギは引きつった笑顔で手を振った。
そのまま孤児院の門をくぐる。振り返ると、初夏の光の中で、孤児院の古い建物がやけに明るく見えた。
ノギたちが孤児院を出たあと。朝の光にまぎれて、いくつもの小さな淡い光がふわふわと後を追いかけていった。葉っぱの影に隠れたり、くるくるまわったり。どこか楽しそうにチカチカ光るそれに、気づく者は誰もいなかった。
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