女神様が言うことには
ぱしゃ、ぱしゃんっ。
水をまくノギをしばらく見守っていた司祭は
「ノギ、一緒にお祈りに行きませんか」
そう声をかけてきたが、ノギは少しだけ迷ってから、首を横に振った。
「このまま水まきしてます」
司祭はそれ以上は言わず、小さく頷くと、背を向けて礼拝堂のほうに向かった。
入り口の扉を静かに押す。
夕方の礼拝堂には、昼の暑さが少しだけ残る、ゆるりとした空気が漂っていた。
ゆっくりと扉を閉める司祭の背中に、ぱしゃり、という水の音が追いかけてきた。
(あの娘にも、良き道が開かれますよう)
そう、司祭は祈った。
◇
司祭が入っていった礼拝堂の中には、まだ何人かの人が残っていた。そのうちの一人、その男は後ろの席にだらっと座っていた。
「はぁ〜……」
小さくため息をつく。
今日、店に持ち込まれた洗濯物は、どれもこれも汚れがひどかった。
水も余計に使ったし、干す場所も足りない。
「手間ばっか増えて、金は増えねぇし……」
――なんか、楽に儲かるネタ、ねぇかなぁ。
ぼんやり考えて目をつぶった、そのとき。
――ここを出て最初に出会ったものを大切になさい――
ふっと、頭の中に声が響いた。
やわらかくて、でも妙に耳に残る女の声。
「……は?」
目を開ける。
周りを見ても、誰かが話しかけてきた感じではない。
だが礼拝堂の空気が、目をつぶる前とほんの少し変わっていた。
ヒソヒソとささやき合う声。近くの夫婦が顔を見合わせて、小さく笑っている。
「あなたのこと、ってことかしらね」
「はは、そういうことか」
はぁ? なんだそれ。
いや、でも――
「最初に会ったやつ、ねぇ……?」
首をかきながら立ち上がる。
(どうせなら、当たり引きてぇな)
そんなことを考えながら、礼拝堂の外へ出た。
夕方の空気が、少しだけ冷えている。
――ぱしゃんっ
水の音がする方に目を向ける。最初に目に入ったのは、道に水をまいている小さな背中だった。
手際は悪くない。シスターの服ではないし、おそらく、裏にある孤児院の子どもだ。――もう働けそうなくらいの、子ども。
「……あれか?」
しばらく眺めたあと。
男は、にやっと口元を歪めた。
「使えそうだよな」
少し考えてから、軽く手を上げて声をかける。
「おーい。暑いのに大変だな。それ、ずっとやってるの?」
ちらっと振り向いた少女に、笑いかけながらゆっくりと近づいていく。逃げられないように、少しずつ。
「へえ、水出せるんだ」
また少し近づいて、手元を見る。
「それって、仕事な感じ?」
「……手伝いです」
返事があったって事は、感触は悪くないんじゃないか?
「ふーん。いや、ちょうど人手が欲しかったんだよな。水を使えるやつ」
腕を組んで、ジロジロと眺める。わらボウキみたいな髪の、貧相な子どもだと思ったが、正面から見ると悪くない。派手さはないが、キレイな緑色の目をしている。店番に置くにも、ほどよい見た目だ。
「うち来ない? 住み込みで。飯くらいは出すし」
「え。知らない人なので、ちょっと……」
「え、あー……そりゃそうか」
ははは、と頭をかきながら笑って続ける。
「でもほら、悪い話じゃないって。こっちも困ってるし、そっちも仕事探してたりしない?」
「え。まぁ……」
「女神様のくれた縁ってやつだなー。ギルドで待ってても、そういうの来ねえだろ。住み込みって」
「……」
(ぐいぐい行きすぎたか? でも、ここで逃すのもアレだしな)
「いや、すまん。急すぎたわ。明日また来るから、考えておいてくれねぇ? クリーニング店やってるから、水出せるやつがいると助かる」
そう言って、いったん引く事にする。
(あ、そうだ。魔法契約書も準備してぇな。逃げられても困るしな)
◇
礼拝堂の外で、そんな勧誘が行われていたのと同じころ。司祭は歓喜に打ち震え、しばらく礼拝堂から動けなかった。
「偉大なる女神、ヘスティア様よ……!」
どれほど時間が過ぎたのか。いつの間にか、礼拝堂には誰もいなくなっていた。
外では、日暮れを告げる鐘が鳴り響く。低く、大きく。
その音の余韻を聴きながら、ゆっくりと扉を開けて外に出る。
夕暮れから夕闇に変わる中、灯りのともる孤児院と教会の姿が見える。先ほどの奇跡を思い出し、そっと息を吐いた。
『ここを出て最初に出会ったものを大切になさい』
孤児院と、教会。その灯りを、静かに見つめる。
「……ここを、大切に」
小さく呟いて、再び目を閉じた。




