教会か、それとも
食堂へ続く廊下は、スープの匂いがふんわりと漂っていてほんのり暖かかった。
ほっ、と息を吐く。気づかなかったけど、緊張していたみたいだ。
「ノギ姉ちゃーん! おっかえりぃっ!」
「ただいまー」
後ろからバタバタと走ってきて、ノギの胸の高さほどを、いくつもの頭が通り過ぎていく。ノギはヒラヒラと手を振りながら、さっきの男の事を思い出していた。
若くもないけど、そんなにオジサンでもなかったなぁ。普通にカッコよかったし。
少しクシャッとした黒い髪に、腕まくりしたシャツから見えるのは、働いている大人の太い腕だった。
(あと、近づいた時、洗ったばかりの布の匂いがした。たぶんホントにクリーニング屋さん)
「ノギ」
ぼんやりと歩いていたノギは、自分を呼ぶ穏やかな声に足を止めた。
「あ。院長先生」
「少し、いいですか」
あっ! そうだ、アニーに「報告に行け」って言われてたんだった。たぶん怒ってはいない。でも、なんとなく気まずい。
「はい……」
並んで廊下を歩く。
窓の外では、薄い藍色の空に星が瞬き始めていた。
「シスター・アニーから聞きました。今日も、ギルドではよい仕事が見つからなかったそうですね」
「……はい」
あー。やっぱり、その話か。
ノギの唇の端が、自然と下がっていく。
本当は、さっきの相談をしようかと思っていた。
礼拝堂で知らない男に声をかけられたこと。でもそれは危ない人じゃなくて、住み込みで働かないかって誘いだったこと。そしてその男は、ノギの水魔法を当てにしているってこと。
でも、気の毒そうにノギを見る院長先生の顔を見ていたら、言葉が引っ込んでしまった。
「ひとつ、話があります」
隣を歩いていた院長先生が、足を止めてノギに身体を向けた。正面から、ノギの表情を読むようにじっと見つめてくる。
「教会からノギに、仕事の打診を頂きました」
「えっ」
「シスターではありません。掃除、洗濯などの下働きです。住み込みではありませんが、孤児院から通う形で、しばらく面倒を見ることも出来ます」
教会で、下働き――?
「え。やだ」
ぽろっと口から出してから、しまった、と口をふさいだ。院長先生に向かって言う言葉じゃない。
ちらりと見ると、院長先生は眉を下げ、心配そうな目でこちらを見ていた。
「ノギ」
「……すいません」
でも、だって。教会で働くって、それはつまり、ずっとこのままだ。水魔法だから仕方ないよねって顔をされて。ハズレだって思われたままで。なのにチビたちの事は押し付けられて。
別に、チビたちが嫌いなわけじゃない。
でもやっぱり嫌だ。
貴族が毛嫌いする水魔法使い。
火の女神様の教会で働く、水魔法使い。
そんなのって、最下層、決定じゃん。
「いや、です。すいません……」
院長先生は怒らなかった。
ほぅっ、と小さく息を吐くと
「……そうですか」
と、静かな声で答えた。
「ですが、現実問題としてほかに紹介できる仕事がありません」
うつむくノギに、院長先生はゆっくりと声をかけた。
その言葉に、胸の奥がズキッと痛む。
分かってる。
そんなの、分かってるよ。
だから困ってるんじゃん。
目を合わせたくなくて、うつむいたまま黙り込んだ。
食堂からは、チビたちのお気楽な笑い声が聞こえてくる。
「もちろん、無理にとは言いません」
院長先生は続ける。
「ですが、もし他に当てがないのであれば、落ち着いて考えてみて下さい。教会は、少なくとも危険な場所ではありませんよ」
「はい」
小さく返事をする。
確かに、教会で働くなら安全だし、安定した生活になるだろう。別に贅沢がしたいわけじゃない。
あり寄りのあり、なんだと思う。でも。
(やだなぁ……)
胸の奥が、もやもやする。
(でも、ほかに当て……)
もう一度、夕方に会った男の事が頭に浮かぶ。
クリーニングのお店だって言ってた。石鹸の匂いがして、汚れてない、よく洗ってある服を着ていた。
ただ、なんかこう、嫌な感じもした。ぐいぐい来るし。笑ってたけど、なんか偉そうでちょっと怖かった。
でも。
『うち来ない? 住み込みで』
『こっちも困ってるし』
『水出せるやつがいると助かる』
その言葉が、頭から離れない。
(役に、立てるかもしれない)
教会に残れば、たぶん安全だ。
でも、ずっと“水魔法だから仕方ない”って顔をされ続ける気がする。
男のほうは、なんか怪しい。
でも、ちゃんと働けるかもしれない。
(どうしよう……)
ノギは、むっつりと黙り込んだまま食堂へ向かって歩いていった。




