布から馬⑨春の約束
公爵の執務室。
机の上には領地から届いた報告書が山のように積まれていた。
「──あの者の教育は、どこまで進んでいる」
報告書は横に置き、手紙を読みながら公爵が問う。窓から差し込む陽光に照らされた白い紙面には、炎のような紋章が奇麗に透けて見えていた。
「立ち振る舞い、言葉遣いとも、概ね問題ございません」
侍女長は静かに答えた。
「会話を広げるとなると難しい面もございますが、受け答えに支障はございません」
「よい。そこまでは求めておらん。あとは、向こうへ送る理由付けだけか」
部屋にわずかな沈黙が落ち、控えていた執事が一歩前へ出る。
「それについて、一つご提案がございます」
「話せ」
「かの者は、庭師のトムと行動を共にし、庭仕事を手伝っているようでございます」
「うむ。侍女長からも聞いている」
「その際、どうやら水魔法を使っているようでございます」
手紙を読み進める公爵の手が止まった。
「……何? 水魔法、だと?」
執事は淡々と続ける。
「さようでございます。容器に水を満たし、庭木への水やりを手伝っているとのこと」
侍女長もうなずく。
「本人は、それほど珍しいこととは考えていない様子でした。日課の一部となっております。……やめさせますか?」
「いや」
公爵は指先で机を軽く叩いた。
山と積まれた報告書をちらりと見る。領地の一部では水不足が続き、陳情が絶えない。公爵家お抱えの魔術師団の派遣も検討されている。
「あの者に功績を作るには、ちょうど良いな」
その一言で、この話は決まった。
◇
「お嬢様。本日のティータイムは、庭園でいかがでしょう」
ミアベル付きの侍女が恭しく頭を下げる。
「テラスへ向かう道で、藤棚が見頃を迎えております。白や黄色のアイリスも咲き始めたそうでございます」
「まあ、素敵ですわ!」
ぱっと笑顔になったミアベルは、すぐに続けた。
「シュトリアも呼んでちょうだい」
「お嬢様、それは──」
「妹とお茶を楽しむだけですわ。ダメですの?」
ミアベルは不思議そうに首をかしげる。
侍女は困ったように目を伏せた。
「ただいま、公爵様と侍女長はお話し中でございます。確認までにお時間を頂いてもよろしいでしょうか」
「あら? お父様のお耳に入れるほどの事ではございませんわ。うふふっ、せっかくの陽気ですもの。早く呼んでいらして!」
「……かしこまりました」
◇
紫色のトンネルを抜けると、午後の柔らかな陽射しの中、テーブルで待つミアお姉様が見えた。なんだかウキウキしているように見える。
ミアお姉様の後ろでは、白や黄色の花が風に揺れている。きっと、その素晴らしさに庭師のトムが上機嫌に笑っているだろう姿が想像できた。
「お姉様、お招きいただきありがとうございます!」
ぺこりと頭を下げると、ミアお姉様は嬉しそうに微笑んだ。
「素晴らしいですわっ、ノギ」
「え?」
「お呼ばれした側は、まず主催者へご挨拶をするものなのよ」
「うっ……」
思わず一歩後ずさる。
「ミアお姉様……もしかして、これもレッスンでしたか?」
カーテシーのレッスンが頭をよぎる。このお姉様は、優しいがレッスンになると容赦がないんだ。今日は、心の準備が出来ていない。
「ち、違いますわ!」
逃げ腰になっているのを見て、ミアお姉様が慌てて席から立ち上がった。
「今日は違いますの!」
その勢いに目が丸くなる。
「わたくし、そろそろお休みが終わりますの」
「へぇ?」
「王都の学園へ戻らなくてはなりません」
「そうなんですね?」
ミアお姉様が変だ。一体どうしたって言うんだ。
「んもうっ!」
ミアお姉様が頬を膨らませてこちらをにらむ。どうしよう、お姉様が可愛い。
「わたくしは寂しいのですわ!」
「え!?」
「せっかく……せっかく妹ができましたのに。お兄様は小さい頃から剣のお稽古ばかりで、お茶など付き合ってくださいませんでしたし」
そう言って、小さな頃の兄妹喧嘩を話し始める。
(へぇ。貴族でも兄弟喧嘩ってするんだぁ)
とりあえず、レッスンではないようだ。相槌を打ちながら席について、並べられた焼き菓子へと手を伸ばすと。
「あっ! だめですわ、ノギ」
ぴしゃりと止められる。
「えっ? なんでですか?」
「このような席では、一番身分の高い者がお茶をいただくまで、お茶にもお菓子にも手を付けてはいけません」
「一番身分が高い人……」
「わたくしですわ」
少しも照れず、お姉様が堂々と言い切る。さすが公爵令嬢だ。
「そのあと軽い話題を出して、お菓子を勧められるのを待つのです」
「なるほど」
ミアお姉様は軽く咳払いをすると、私が通ってきたトンネルへと視線を向ける。
「今日は藤の花が綺麗ですわね」
「はい。トム爺が土を育てた成果が出ておりますわね」
「ええと……」
お姉様が言葉に詰まる。あれ。何か、思っていた返事ではなかったのかもしれない。
「……まあ、よろしいわ」
気を取り直したように、紅茶を一口含む。優雅にカップを戻して、こちらへにっこりと微笑んだ。花を背にしたミアお姉様はまるで絵画のようで、とても美しい。
「さあ、飲んでよろしくてよ」
「いただきます」
ようやく紅茶へ口をつけた。
香ばしい焼き菓子を堪能していると、ミアお姉様が控えていた侍女に目配せをするのが見えた。
(……?)
いつの間に用意していたのか、侍女が銀色のトレーを持って近づいてくる。
差し出されたトレーには、鍵付きの厚い本が載っていた。
「お、お姉様。こちらの本は?」
まさか何かの教本……。げんなりして問いかけると、ミアお姉様は少し得意げに胸を張った。
「こちらは、本に見せかけた魔道具ですわ! 王都で流行っていますのよ」
促されて解錠する。本に見えたそれは、よく出来た箱だった。中には淡い若草色の便箋と封筒、それに白い羽根ペンが入っている。
「こちらの小箱にお手紙を入れると、わたくしの小箱に転送される魔道具ですわ!」
「そんな魔道具が……!」
まじまじと見てから、ハッと気付く。
(た、高そう……!!)
「わたくし、学園へ戻りましたらお手紙を書きますわ」
ミアお姉様を見ると、嬉しそうににっこりと笑っていた。箱を持つ手に汗がにじんできたが、とても「受け取れません」と言える感じではない。
「きっとお返事をちょうだいね」
その笑顔があんまり嬉しそうで、つられて笑顔でうなずいた。
◇
数日後。
春色のドレスをまとったミアベル・ヴァルクレールは、名残惜しそうに何度も手を振りながら、王都へ戻っていった。




