布から馬⑤名前をくれた人
「見つけましたわ! わたくしの妹だというのは貴女ね! ……どうして庭師の真似事をしていらっしゃるの?」
ある日、いつものようにトム爺にくっついて回っていると背後から声をかけられた。この時は、ちょうどトム爺に頼まれて木の空桶を二つ、持ち運んでいるところだった。
「おや、お嬢様? ……へえっ!? いも、いもうとっ!?」
這いつくばるようにしてスイセンの新芽の周りの雑草を抜き取っていたトム爺は、顔を上げてから話の内容を理解したのか、首だけを私の方へ勢いよく振って、妙な体勢のまま固まってしまった。
(あっ、肖像画のお嬢様だ)
そこに立っていたのは、ハッとするような美しい女性だった。立っているだけで気品が滲み出ているその美人は、青い瞳を丸く見開いて驚いたように私を見つめている。
頭上では細い枝先に黄緑色の葉が芽吹き始め、足元では黄色や白のクロッカスが咲き誇り。新緑の庭を彩る花々が、その姿をいっそう際立たせている。
少し奥の小道からは、「お嬢様、お待ち下さいませ〜」と声を上げながら、女性の使用人が慌てて追いかけてくるのが見える。
(えっと、私から話しかけちゃダメなんだよね)
うーん。これは、お声がけされた、というやつで良いのかな。それとも返事したら怒られるやつ? 分かんないなー。
考え込んでいると、トム爺が大慌てで私の木桶を奪い取った。
「おじょ、お嬢様、申し訳ございません! ワシは、なんという事を――」
「トム爺、落ち着きなさいな。わたくしにも、よく分からないの。ねぇ、貴女がわたくしの妹で良いのよね? お答えなさい」
あ、答えて良かったのか。
「ええと、そのようです。私も身に覚えがなく、証明できる物もないのですが――」
「お父様がそうおっしゃったのでしょう? でしたら、それが真実なのよ。証拠は必要ないわ。貴女はわたくしの妹よ」
それは、公爵様が白と言ったなら、黒い物も白だという、アレですかね。うわぁ、公爵家の家族公認になってしまったよ。
「蜂蜜色の髪と、優しい翡翠の瞳ね。お名前は?」
「ノギです」
「ノギ?」
それは何、という顔をされる。でも私も知らないよ。私はノギ。自分で決めたのか、孤児院の誰かが付けたのかも知らない。このお嬢様は、私の名前を知ってどうするつもりだろう。
「ノギ、というと、ネコジャラシ草の穂先に出来るトゲですなぁ。雑草ですので、お嬢様の目に触れる事はないかもしれません」
さすが庭師様。草の話になったら落ち着いたね。
通常モードに戻ったトム爺さんと反対に、今度はお嬢様が眉間にグッとシワを寄せた。
「貴女の名付けは、どなたがなさったの?」
「分かりません。孤児院育ちで、親がいないのです」
「そう。ええと、愛着がおありかしら? その……ヴァルクレール家の者が、雑草の名前というのも――」
「なるほど。では、お嬢様が新しい名前を考えて頂けないでしょうか?」
「わたくしが!?」
大きな目をさらに見開いてこっちを見てくる。あれ? そういう話の流れじゃなかった? もしかして、公爵様に相談するつもりだったかな。
この家での通称をつけるっていうなら、つければ良いじゃないか。名前なんて、ただの記号だ。利用しやすいように、好きなようにしたら良い。
そう思ったけれど、お嬢様は、かなり考え込んでいる。まじめな人なのかもしれない。
というか、この人めっちゃ美しいな。
木漏れ日があたった白金色の髪が、光を反射して艶々と輝いている。海のように鮮やかな青い瞳は澄んでいて、吸い込まれそうな深みもある。
(海、見た事ないけどね! ドレスの色で見たんだよ。『海の蒼』って布地)
ドレスショップのお客さんはみんな綺麗に着飾っていたけど、この人は別格だ。なんというか、派手だけどケバケバしくない。気高いとか高貴なオーラとか、こういう人のことを言うんだね。きっと。
(ああ、なるほど)
瞳に散る星——。前に読んだ詩集の人は、こういう綺麗な人を見たんだ。海のような瞳は木漏れ日の加減でキラキラと輝いて見える。
綺麗な青だなぁ、っと見惚れていたら、いつの間にか見つめ合っていた。おっと、失礼だったかな。
「……そうね。シュトリアはどう?」
「シュトリア」
一度、口の中で繰り返してみる。
「ありがとうございます。では今日からシュトリアと」
「えぇっ!? ちょ、ちょっとお待ちなさい! よろしいの? 今までのお名前をそんな簡単に」
「? 名前など『おい』でも『お前』でも」
「なっ――」
お嬢様が唖然とした。何に驚いたんだろう。
「そのような呼び方、どなたが――」
「こらこら、お嬢様にそんな言葉を聞かせるんじゃない」
トム爺さんに注意されてしまった。言葉遣いがどこか失礼だったのかな。丁寧に話すって難しいな。
「……そう。では、シュトリア・ヴァルクレールを貴女のお名前として、お父様にお話ししてみるわ! そして、わたくしだけはノギと呼ぶわ!」
「え?」
「お、お嬢様?」
ようやく追いついた女性の使用人が、息を切らせながら目を丸くした。トム爺も、黙っているが同じ表情をしている。
「愛称みたいなものよ! わたくし以外には呼ばせないわ。わたくしの事は、ミアとお呼びなさい」
トム爺さんが、くるっとこちらを振り向いて、目で何かを伝えようとしてくる。カッ! と開きっぱなしの目がだんだん充血してきた。
あれだ。多分『ミア』呼びがダメなやつ。
「ミア様」
「ミアよ!」
「ミア……お姉様」
「……っ! よ、よろしくてよ」
名前が決まると、ミアお姉様は「さっそくお父様にお話ししてくるわ!」と軽やかに去っていった。
ちなみに、ミアお姉様は『ミアベル・ヴァルクレール公爵令嬢様』というお名前らしい。やっぱり肖像画の人だった。
肖像画で見た『ミアベルお嬢様』で合っているか確認したかったのだけど、「お嬢様のお名前を呼ぶなど、一介の庭師が恐れ多い」と謎の遠慮をかますトム爺さんのせいで、自分の部屋に戻って、侍女長に今日の報告をするまであやふやなままだった。
夕方に、部屋に来た侍女長へ一日の報告をする。
公爵様への挨拶を終えて、一応は自由に屋敷内を歩けるようになった私へ決められた日課の一つだった。
その日は、ミアベル様に会った事、シュトリアという名前をもらった事を話した。妹だと言ってもらえた事と、ミアお姉様と呼ぶようになった事は、なんとなく言わなかった。そして、その日から私は『シュトリア』と呼ばれるようになった。




