布から馬④春を待つ屋敷
この人、もしかして妖精が見えてない? こんなにいっぱい、くっついているのに?
(うっそだぁ……)
もしかしたら、見えるのを隠しているのかも。私と同じで……。
◇
公爵様への挨拶を終えてからというもの。午後の自由時間になると、ノギは勝手口を通って庭師のお爺さんのもとへ通うようになっていた。
庭師のお爺さんは、裏庭で薪を割ったり、玄関側の庭でバラの剪定をしたり、また別の庭では土をスコップでほぐしたりと、色々な場所にいる。そして。
(やっぱり今日も)
どこにいても、その周りには、大量の妖精が集まっていた。
『あったかーい』
『ひげ! ひげ!』
『のぼれー!』
肩や帽子や髭にまで妖精が群がっている。
それでも、お爺さんは少しも気にした様子がない。
「歳を取ると目が悪くていかんのう。最近は変な光がちらちら見えるわい」
(変な光……)
やっぱり見えている? 私も最初は、疲れて幻覚が見えてるのかと思ったし。
そして、ちゃんと妖精の形が見えるようになってからも、誰にもその話はしなかった。
だって、変な子だと思われて追い出されたら困る。誰にも話さなかったし、「見える?」って聞いたこともなかった。
でも、この人だけは同じなんじゃないかと思った。妖精が、こんなにも集まっているのだから。私と同じものが見えていたら——。
(もう少し確かめてみよう)
◇
「庭師様、あれは何ですか? あの、キラキラひかっているあたり」
「どれじゃ?」
「あれです、あの——」
妖精たちは、ちょうど花壇の上をふわふわ飛び回っていた。けれど、お爺さんは目を細めるだけだ。
「よく見えんのう。まぁ、もう少し暖かくなるまでは使わん物ばかりじゃ。あんまり動かさんでくれよ」
(見えないふり? 本当に見えてない?)
とぼけているようにも聞こえないけど、どっちか分かんないな。
次の日。ノギは昼食で出た小さなお菓子を持ってきた。
『なになに?』
妖精たちが手のひらへ集まってきて、お菓子はすっかり隠れてしまった。そのまま「庭師様、一緒に食べませんか」と目の前に差し出してみる。
「お、悪いのう」
妖精で隠れているお菓子を、あっさり摘まんで美味しそうに食べている。
(……いや、手に乗せる時に見えたのかも)
さらに次の日。
「ねぇ、あなたたち。頼んでもいいかな」
ノギは妖精たちへ、こっそり話しかけた。
『なにー?』
『目隠し?』
『目を無くすの?』
(こわっ)
「ちっ、違う違う! そうじゃなくて、庭師様のお顔が見えなくなるくらい、みんなで顔の前に集まって飛べる?」
『できるよー!』
『あはは、変なのー!』
『みんな集まれー!』
次の瞬間。金色の妖精たちが一斉に飛び立ち、顔をすっかり隠してしまった。
(妖精しか見えない……)
ノギからは妖精の球体に身体が生えているように見える。けれど。
「どうかしたんか?」
キラキラしい塊の中から、いつも通りの声がした。
「……いえ、何も」
いつも通り園路を歩き、足元の枝を拾い上げた。
やっぱり、本当に見えていないんだ。少しだけ残念だけど、ちょっと安心した。妖精は、やっぱり普通は見えないものなのだ。
◇
「最近よく来るが、お前さん、普段はどうしてるんじゃ」
「あそこにいます」
自分の部屋を指差す。
「ほー。あそこは確か……。そうか、お前さんはお嬢様の部屋付きなんか」
(部屋好き? よく分かんないけど、ずっと部屋にいるからそう思われてるのかな)
「庭師様は……」
「その庭師様て、なんとかならんか。こう、むず痒くてのう」
「え~、なんて呼ぼう」
「トムじゃ」
「じゃあトム爺さん」
「うむ。それでええ」
『トム爺?』
『ここはトム爺の庭!』
『勝手に花を摘むと怒られる、トム爺の国!』
妖精たちがなんだか盛り上がっている。
トム爺さんは何も知らず、気持ち良さそうに笑っていた。私も名乗ると、「そういや聞いてなかったか!」と言って、さらに笑った。その笑顔を見ていると、春にふかふかの土の匂いを嗅いだ時のような気持ちになって、なんだか孤児院の畑を思い出す。
妖精が見えないと結論づけてからも、午後になるとノギは庭へ向かった。トム爺さんは相変わらず妖精を引き連れて、庭の手入れをしている。今日は枯れ枝を集めていた。
「もうすぐ聖人様が巡回される時期じゃのう」
「巡回?」
ノギは小首をかしげた。
「魔獣避けの浄化じゃよ。この辺りも毎年やってくださる」
そう言って、森の方へ視線を向ける。つられてノギも振り返った。屋敷の裏手に広がる森は冬らしく葉を落とし、春が来るのはまだ先だ。
「魔獣が出るんですか?」
「この辺りは聖人様や聖女様が巡回して浄化して下さっとるからの、安全じゃ」
さらりと答える。
「もっと魔領に近い場所は、大変じゃ。魔領との間には砂漠が広がっておってな。たまによく分からんモノが出る。聖人様方が結界を張ってくださるから、安心して暮らせるんじゃ」
「へえ」
ノギにとっては、遠い世界の話だ。孤児院にもクリーニング店にも、聖人様が結界を張りに来たことはない。
(たしか司祭様と孤児院の院長先生が、聖人だったっけか)
呪いにかかった冒険者を燃やして助けたり、施設のなんか偉い人。ノギにとってはそのくらいの認識だ。
◇
二月の終わり。
屋敷の外へ出ると、トム爺さんは朝から忙しそうに動き回っていた。落ち葉を集め、石畳を掃き、裏庭の小屋の前まで丁寧に整えている。他の人たちも、普段はそのままにしている大きな門扉を磨いたり、高い位置にある窓を拭いたりしている。
「いつもより気合を入れて綺麗にせんとな!」
「何かあるんですか?」
「明日、いよいよ巡回があるんじゃあ」
鼻息を荒く話しながら、大きな木桶を手に取る。
「さてっ、井戸まで水を汲みに行くかの」
「あ」
ノギはひょいと手を挙げた。
「私が水を出しますよ?」
トム爺さんがぴたりと止まる。
「……なんと?」
「雑用水ですが」
そう言って、木桶へ手をかざす。
ざざざざぁっ。
澄んだ水が、みるみる桶に溜まっていく。
「ほぉ……」
トム爺さんは目を丸くした。
「便利じゃのう」
「飲み水には使えないんですけどね」
「いやいや、十分じゃ十分」
感心したように何度もうなずく。
『水だー!』
『撒くの? この水撒く?』
『やったー!』
妖精たちは水面すれすれをクルクルと飛び回り始めた。
(ほんと楽しそう)
その様子を見ながら、ノギは少し笑った。
翌朝も、屋敷の中がどことなく慌ただしかった。 廊下を行き交う使用人の足取りが、いつもより少し早い。
部屋の窓を開けると、冬の冷たい空気が流れ込んできた。
遠く、森の奥で炎が立ち上り、壁のように横に広がったかと思うとすっと消えるのが見えた。
金色の光が散って、妖精たちが飛び回っている。
「えっ、火事!?」
目を凝らしていると、森から白い法衣をまとった一団と、その前後を、鎧姿の騎士たちが囲んで歩いて出てくるのが見えた。
(あれが……)
聖人様の巡回。遠すぎてよく見えないけれど、屋敷中が少しだけ空気を引き締めている理由は分かった気がした。
廊下の向こうから、小さく声が聞こえてくる。
「今年も、無事に浄化して頂けそうですね」
「ええ。ミアベルお嬢様がお戻りになる前に整って、本当に良うございました」
(ミアベルお嬢様)
肖像画で見た、公爵家のお嬢様。そう言えば、マガル先生が春に戻るって言ってたような。
もうすぐ帰ってくるんだ。どんな人なんだろう。公爵様みたいに、何を考えているか分からない人が増えるのは嫌だなぁ。礼儀作法だけ覚えておけば、大丈夫かな。




