ミカンから布④拾われたメモ帳
「……なんだ、これは」
羽根を幾重にも組み合わせたドレス。
花びらを編み込んだようなスカート。
見たこともない装飾。
アーノルドは目を見開いた。
描かれているのは下手くそな落書きのようにも見えたが——もし自分が仕立てるなら。もし高級な素材を使うなら。頭の中で完成した姿が一瞬で組み上がる。
(美しい)
思わずそう思った。いや、違う。美しいのは、この落書きじゃない。僕が頭の中でイメージした完成形の方だ。
メモ帳をもう一度見る。才能があるかも——いや、雑用係の孤児が? そんなはずがない。人のバランスが崩れている上に、羽根が生えている。なんだこれは。デッサンの基礎もなっていない。
他の誰かに見せる気にもならない。そうだ。アイデアは良いが、こんなものを見せるわけにはいかない。アーノルドはメモ帳を上着の内ポケットに滑り込ませた。
月銀の騒動から数日。ノギは前よりも相手の事をよく見るようになった。
ドレスショップ『オランジェール』には、たくさんの人がいる。優しく笑っている人ばかりだが、あの時にノギを庇ってくれる人は一人もいなかった。
そうしてよく観察してみると、前よりも色々な事に気がついた。
お客さんの中には、何もせずに帰る人もいる。その人達が何をしているかというと。
「あら、もう帰りますの?」
「うふ。レディ・ベルガモットの予約が取れましたの」
「えぇっ! 羨ましい」
「次に来た時は、デザインの打合せよ。あぁ、待ち遠しいわ」
貴婦人たちは楽しそうに盛り上がる。
人気デザイナーともなれば、予約だけで何週間も埋まる。ベルガモットはその筆頭だった。
「相変わらずの人気ですね」
近くの部屋では、アーノルド付きの見習いが感心したように言う。
「ええ。オランジェールとして、誇らしいことです」
アーノルドは穏やかに微笑んでいるが、その目が冷え切っている、と最近は分かるようになってきた。
盛り上がっていたお客さんたちが帰って、誰もいなくなった瞬間。
「ふん、女だから目立つだけさ」
吐き捨てるような声が聞こえた。ノギが思わず振り返ると、見習いが慌ててアーノルドに駆け寄っているところだった。
「すいません、アーノルドさん。指示を聞き逃してしまい——」
「ん?」
アーノルドは柔らかく微笑んだ。
「何でもないよ」
さっきの冷たい声が、聞き間違いかと思うような穏やかな表情だった。
(うわっ)
ノギは、コソコソと部屋から離れた。
(裏表が激しそうだな……)
◇
別のある日。
「来週に届けてちょうだい」
貴婦人が扇で口元を隠す。
「夫が不在ですの」
「それはそれは。ご主人が戻る前に届けなければ」
アーノルドが、手の甲へ口付ける。
「うふふ」
「ふふ、いけない人だ」
離れた場所で目撃してしまったノギの周りで、妖精たちが騒ぎ始める。
『すけこましー!』
『女好きー!』
『いけない人ー!』
(おお、あれが枕営業か)
孤児院を出た先輩たちが話していたやつか。
(大人の世界は怖い怖い。近づかないようにしよ)
◇
そんなある日。なぜかアーノルドの方から話しかけてきた。
「愛ってね」
急に語り始めた。げ、何こいつ。
「人を美しく見せるものなんだ」
「……はぁ。そうなんですね」
どこか陶酔したような声で語り続ける。ノギが引いている事には気づかないらしい。
「だから僕は——」
「そうなんですね」
即終了したことで、アーノルドが固まった。
今までの女たちなら、「素敵ね」「さすがね」そんな言葉が返ってくる。なのに、この興味のなさそうな反応はなんだ。
(なんなんだ、この女)
この僕から話しかけてあげてるのに、なんて生意気な。
◇
季節が進み、その年の秋。気がつけば街路樹の葉も色づき始めた頃、ベルガモットのあまりの人気に、オランジェールでは彼女の新作発表会が開かれた。
「素敵……!」「なんて綺麗なの」「さすがベルガモット様!」
鳴り止まない拍手と歓声で、部屋は熱気に包まれていく。
発表会の終盤には、他のデザイナー達の新作もお披露目された。その中にはアーノルドの作品もある。
しかし、発表会が終わり会場を後にする貴族たちの話題は、全てベルガモットのドレスだった。
(またか)
耳の奥で、歓声がよみがえる。
(またベルガモットか)
惜しみない拍手と賛辞。
(なぜだ)
拳をグッと握る。デザインを評価されるのはいつもベルガモット。自分ではない。
アーノルドの顧客が熱っぽく見つめるのは、アーノルドの顔だ。ベルガモットのそれとは違う。
自分が割り当てられた個室へ戻り、発表会用の腕章を苛立ちのままに剥ぎ取る。その勢いのまま放り込もうと机の引き出しを開けたところで、ふと思い出す。
「そういえば、あのノート……」
奥に押し込んでいたメモ帳を取り出すと、パラパラとめくる。
妖精のような子どもが着ている、花のドレスや異国風の装飾。どれも荒削りで、どれも未完成で、どれも見たことのないデザインだった。
「これを、僕がデザインし直せば作品になる」
誰も、雑用係の落書きが元になっているなんて考えもしないさ。




