ミカンから布③月銀の羽衣
裏庭へ出ると、洗い終わった布たちが風を受けて静かに揺れていた。薄く透ける銀色の布地は、木陰で淡く輝いている。
「あれです」
ノギが指差す先に、全員の視線が集まった。
マダム・セドラは恐る恐る近づき、布の端をそっと持ち上げる。ついて来ていたデザイナーたちが固唾を呑んで見守っている中、「そんな……」とセドラが小さく呟いた。
月銀の羽衣は水に弱い。糊が落ちるどころか、独特の艶も失われ、ごわごわと縮む。専門家に頼んで、慎重に慎重に洗わなければならず、それはこの街ではなく王都へ持ち込まなければ無理な技術である。
それが常識だったが。
「あら」
セドラが瞬きをして、布を撫でる。
表も裏も確認し、さらに光に透かしてじっくりと見る。
「まぁあ……」
感嘆の息を漏らしながら、もう一度撫でる。
「マダム?」
「まぁ、まぁ……!」
その顔は先ほどまでとは別人のように明るい。
「素晴らしいわ! 縮んでいないの」
周囲がざわつく。
「え?」
「そんな馬鹿な」
「見せてください」
次々と手が伸びる。確認したデザイナーたちが首を傾げ始めた。
「ごわついてないぞ」
「なめらかで、艶もあって、とても綺麗よ」
「あなた、どうやって洗ったの?」
「どうやって……?」
「特別な薬剤を持っていたの?」
「いえ、普通に水で」
「普通の水?」
困惑の声が広がっていくのを聞き流しながら、セドラは再び布を見て、ある考えが頭に浮かんだ。
「破けそうなほど薄いので、手洗いしました」
「手洗い……」
デザイナーに囲まれたノギと布を見比べたあと、ぽんと手を叩く。
「そういうことね!」
「へ?」
(何が?)
「オーナーがあなたを連れてきた理由が分かったわ! あなたの水、普通じゃないのね!」
「へ?」
(えっ、そうなの?)
「この布を傷めずに洗えるなんて奇跡よ!」
「はぁ……」
「素晴らしいわ!」
セドラは満面の笑みだった。
「確かに凄いな」
「月銀の羽衣が無事だなんて……」
「助かったわね」
その言葉を聞けて、ようやくノギは力が抜けた。
つまり、クビじゃない。部屋も失わない。
(よ、良かったぁ……)
騒ぎが収まると、デザイナーたちは見習いを引き連れて仕事場へ戻っていき、ノギも再び雑用へ戻る事になった。
『もう休憩?』
『今度は私の番! 描いて描いて!』
集まってきた妖精たちがスカートのポケットを引っ張る。そこには、妖精たちのドレスを描いたメモ帳が入っている。
「違うよ、ちょっと見に来ただけ。また後でねー」
ノギは小声で話しながら、店内への扉をくぐって通路を歩いていく。スカートの周りには、ポケットを引っ張る妖精たちがくっついたままだ。
その拍子に、小さなメモ帳がポケットからポロリと落ちたがノギは気づかない。妖精たちに囲まれたまま、通路の向こうへ消えていった。
◇
「ん?」
それを見つけたのはアーノルドだった。
足元に落ちていた冊子を拾い上げる。
「メモ帳か? だれのだ?」
表紙には名前もないので、何気なく開く。
一ページ。
二ページ。
「……なんだ、これは」
羽根を幾重にも組み合わせたドレス。
花びらを編み込んだようなスカート。
見たこともない装飾。
幻想的で、奇妙で。それでいて強烈に目を引く。
アーノルドは眉をぐっと寄せてページをめくった。
知らないデザインばかりだ。
「こんなもの……」
呟いてから、もう一度見返す。自分なら思いつかない。その事実が、妙に胸につかえた。
「誰だ?」
デザイナー用に支給されているデッサン帳では無い。これは、デザイナー以外の者に配られているメモ帳のはずだ。
だが、見習いたちが描いたにしては基礎がまるでなっていない。こんなものは、デッサンとも呼べない落書きだ。この店で働く者の中で、デッサンの基礎も持たない者と言えば——
「まさか、あの雑用の?」




